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本日の二冊

正月に真澄のあらばしりをちびちび飲りながら楽しんだ二冊。

ファイル 671-1.jpgまずは、ここにお立ち寄り下さるオジサン・オバサンたち、「チョリ~ッス!」って知ってます?「加湿器」に「空気清浄機」の意味は?「メタリスト」、「ヤカリスト」、「らいがん」、さらに「しゃみ~す」・・・と。もうひとつ「モナる・ユダる・リチる」(これらは簡単か・・・)。これらはみな「ギャルサー」などの渋谷に生息する若者のコトバで、「渋谷語」と言われるもの。その辞典が『渋谷語事☆典2008』。いや~、実にオモシロイ。このようなコトバを生み出す感性が実にミズイのだ(これはDr.Luke語)。まあ、私の場合は彼女たちと会話する必要性もあって研究しているわけだが、オジサン・オバサンたちも読むだけで楽しめますね。お正月もそろそろ終わりですが、時間がある方はまったりとどうぞ。

ファイル 671-2.jpg二冊目は『禅と武士道-柳生宗矩から山岡鉄舟まで-』。禅の歴史はお釈迦さまに始まり、唐時代に禅として一応の完成を見、今日まで営々と続くわけだが、鎌倉時代に禅はあらゆる分野で花開く。すなわち剣道、花道、茶道、画道・・・と。ある意味、唐代の野生的な禅が日本的に繊細なあり方へと昇華されていくわけだが(この辺は鈴木大拙の『日本的霊性』に詳しい)、特に武士たちは絶えず死と直面し、死と生を超える生き方を模索して、禅に行き着く。宮本武蔵から柳生宗矩まで、彼らは剣禅一如を目指した。その究極が前にも紹介した柳生但馬守のとどまらぬ心である。何にも執着せず、絶えずさらさらと流れている心。死と生と言う二元的世界ではなく、死の時は死だけ、生の時は生だけと言う道元の『正法眼蔵』の「生死」に説かれている生き方である。

「寒暑到来、如何が回避せん」と問われて「寒時は闍梨を寒殺し、熱時は闍梨を熱殺す」。寒さには寒さになり切り、熱さには熱さになり切る。すなわち熱いとか寒いという分別を超えた世界に生きること。ブラザー・ローレンスが言うとおり、苦も楽も同じものとなる世界。これが「無」である。そして生と死を超えるのは「大死一番、絶後再蘇」。己を退けた時(=死)、復活があるのだ。そもそもこの世界に寒いとか熱いとか、楽とか苦とかはない。それは己が勝手に作り出しているだけ。この自己が生み出す価値判断の世界に、ぶつぶつと生きているのが人間なのだ。そのぶつぶつ言う己を離れよ、そうすればいのちのままに自由に生きるであろう。

自分を縛っているのは己自身と知った人は幸いだ。かくして禅者は「水月道場に坐して、空華の万行を修す」のだ。これを西田幾多郎は「わがこころ/深き底あり/よろこびもうれひの波も/とどかじと思ふ」と詠んだ。実は十字架はまさにこの己を対処してくれるのだが、己を生かさんとする現代のいわゆるキリスト教徒にはほとんど届かない世界ではある。

と、書き出すとキリがなくなるので、今晩はこの辺にて、バッチャ~ッス!

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P&C

あけましておめでとうございます。

渋谷語を聞いて、思い出しました。
NHK教育「おかあさんといっしょ」のキャラクター
ジャコビ君の挨拶が

 「チョチョリーッス!」

でした。

  • 2009/01/07 17:55
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