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偽りの代償

ニッポンキリスト教、あちこちで裁判が起こされ、勝った負けたと・・・。しかるにどちら側も同じこと、それは真理からの逸脱の実に過ぎない。何たる惨状。神の道は裁判ではない。むしろそれは敗北だと書いてある。ウィットネス・リーのローカルチャーチも何かと言うと裁判だった(→訴訟リスト)。しかし勝利とは不義を被ること。それは神への信頼の問題であり、神の言葉を試みることでもある(ニーの記事参照)。私的に言えるのは、ソドム・エジプト化した汚れた処を離れよ。

前にも紹介したが、日本語聖書には致命的な誤訳が相当箇所ある。例えば、ルカ6:31「自分がしてもらいたいことを、人にもしなさい」とするいわゆる黄金律。キリスト教の真髄とも思われているが、実はまったくの誤訳にして、邪訳。「聖書研究総合サイト」から引用させてもらいましょう:

上記は最も有名なキリスト教の教えです。しかし、これかがいずれも誤訳です。
原典を無視した邪訳である事をいったい何人のキリスト者が知っているでしょうか?
直訳はこうなります。

・そして 丁度同じように あなたが願い続けろ 為に 彼らが行い続けている あなた方に その 人間らが、あなた方は行い続けろ 彼らに 同じように。

翻訳するとこうなります。

・あなた方はこう願い続けなさい。人びとがあなたに行なおうとしている事を、そのままあなたが彼らに行えるように。

違いがわかりますか?そうです出版されている一般の翻訳は、いずれも

「自分が人にしてもらいたい行為を、そのまま人に施す」様に訳されています。

わかるように人間が全て善人である事が当然であるかのような翻訳です。しかし直訳は、「他人があなたに行おうとしている行為をそのまま正当に行うその人にお返し出来るように神に願え」と言う意味です。

 言い換えるならば、

「人にされた事をそのままお返し、あるいは仕返し出来るように神様に願え」と言う事です。

そうです。聖書の黄金律のギリシャ語の原文はどう見ても、そう、正当な報復の論理です。人間が全て悪人であるから、人に悪を行なうと、人が悪をお返ししてくれると警告しているのです。
 あなたに悪を行う人には、同等の悪を報復し、あなたに哀れみと善を行う人に、あなたは同様の哀れみと善をお返ししろと命じて居る事になります。そう、それは神様ご自身が願っておられる事で もあります。そして神様ご自身も、そのようにすると旧約聖書の別の箇所に記しておられます。

 オバデヤ15節 (新改訳)・あなたがしたように、あなたもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に帰る。

ある意味でキリスト教とはこのような偽りの教えと実行の体系と言える。ニーチェが鋭く指摘している通りだ。ヒューマニズムとニューエイジで汚染された現ニッポンキリスト教の惨状は、しかしまだ序章に過ぎない。なぜなら主はこう言われるからだ:

呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし/その心が主を離れ去っている人は。

人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。心を探り、そのはらわたを究めるのは/主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。

真理は徹底した人間への絶望と神への信頼。それは排他的ですらある。神は人を当てにする者に「呪い」を宣告しておられる。ヒューマニズムに汚染されたニッポンキリスト教によれば、神は立派なカルトだろう。神はそのような排他的な信仰を求められる。神の前で単独者となり得ない者には理解できない世界であろう。「因果応報」は仏教の教えではなく、神の「理」なのだ。

Comment

ヴィオロン

聖書研究サイトのご紹介ありがとうございました。口語訳聖書は、各教会でもほぼ使われなくなっているそうですから、よほど誤訳が多いのでしょう。原典の学習をおざなりにできないことを痛感します。

さて、この度、お忙しいところ申し訳ないのですが、一つわがままなお願いがございます。私は数字を見ただけで思考停止するほど文系人間のため、「神は四次元の存在である」という考え方のおかしさを明確に説明することができないのです。

どうか理数にお強いLukeさま、この「四次元」問題について、凡人に分かりやすくご教示いただけないものでしょうか…。ぶしつけなお願いですみません。

  • 2009/05/16 12:14
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エシュコル

被害者側は一体どうすれば良いのだろうか…?

  • 2009/05/16 12:46
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zion

こう言うと、強迫傾向が強いニッポンキリスト者は、「誤訳」を疑いつつ恐る恐る聖書を読むはめになるかもです。これも困った傾向ですが、、、

  • 2009/05/16 15:34
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Luke

>ヴィオロンさま

いやはや件の手束師の本などが売れてしまうこのニッポンキリスト教という業界の病理は深いわけです。論評、ご苦労様でございます。

そうですね、ニュートン力学では空間(3次元)と時間は独立しており、時間はあらゆる慣性系(加速度のない系)にとって一様に流れると思われていました。この時に例えば100㌔で走る車から前方に50㌔でボールを投げるとボールは150㌔の速度になるわけですが、これが実は違うことを明らかにしたのがアインシュタインです。彼は、
1)すべての慣性系にとって物理法則は同じ形で書けること
2)光速度はすべての系で一定値cをとること
の二点を公理として、空間と時間が互いに独立ではなく、x^2+y~2+z^2-(ct)^2を不変量とする一次変換で結ばれることを導きました・・・。

と、言うわけですが、要するに4次元の世界(時空体)は被造物の世界であって、神はそれを超えた世界の存在です。その時空間を越えた存在"I AM"が時空間に人間として介入され、人類の歴史において神を表現したのが受肉者イエスです。最近の物理では10次元空間で宇宙を記述していますが、私たちの経験する世界はその次元のいくつかが退化した世界なのです。

どこぞの大川総裁(カルバリーではありませんよ)が、次元が上がると高級霊が住んでいるとかのたまっていますが、高砂教会の手束師も同じようなレベルなのでしょう。この点、あまりまともに相手にするまでもないかと・・・。

  • 2009/05/16 18:38
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ヴィオロン

愚問に対してご丁寧に解答をいただきまして、まことにありがとうございました。四次元論者があちこちにいるようですので、専門的観点からのご解説をいただきたかったのです。感謝です。
>要するに4次元の世界(時空体)は被造物の世界であって、神はそれを超えた世界の存在です。
この一言で誰にでも明快に説明できますね!

  • 2009/05/16 22:10
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デンスケ

ルカ6:31と平行記事である、マタイ7:12のギリシャ語本文についても、同じようなことがいえるのでしょうか?
あるいは、ルカとマタイでは、聖書記者が伝えようとした内容が違うということなのでしょうか?

よく分からなくなってきました。^^

  • 2009/05/17 17:59
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