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トップ > 2013年05月13日

杜牧vs.Exile

DE:BENI Version...

多情は 卻って似る 總じて無情なるに
惟だ覺る 罇前に 笑ひを成さず
蝋燭 心(しん) 有りて 還(な)ほ別れを惜しみ
人に替はり 涙を垂れて 天明に到る

情が深すぎるのは、まるで情が無いかのよう
別れの酒を前にし、笑顔さえも作れない
蝋燭にも心があり、この別れを惜しんでくれているかのよう
わたしたちに代わって涙を流し、夜明けを待ってくれている

※杜牧が、835年、派遣先の揚州から長安に引き上げる際、情を交わした妓女との別れを詠った詩。彼女は若干十三歳あまり・・・。

いのちの御霊の法則vs.モーセ律法

再建主義の富井氏が私(と思うが)に対して、ようやく回答を下さっているようだ。いわく、いのちの御霊の法則は律法の指導書としての権威を損なわない、と。また、いのちの御霊の法則は律法を守るために与えられたのだ、とも・・・。いやはや、この方、どうにも「上位互換」の意味が分からないようだ。いのちの御霊の法則は律法の上位互換バージョンだと何度指摘していることか。しかも御霊は書かれた御言葉に反する証はなさらないとも言っている。WindowsにはMS-DOSのカーネルが含まれている。だからWindowsを使えば、自動的にMS-DOSも使っているのだ。これと同じと、何度言ったであろうか?彼の主張は「MS-DOSは廃棄されておらず、MS-DOSを使いこなすためにWindowsが与えられた」と言っていることと同じなのだが。まあ、パウロのように、時には意識的にDOS窓も使うだろう、当然。

ファイル 3608-1.jpg

彼のディスペンセイションの理解も、富井氏のオツムの中で、あるいは富井氏の経験の中で創作されたものだ。イエスはすべての権威を、今、現在有しておられる。すでにイエスは王である。これは客観的真理。しかし、現在は経験的には部分的にその事実が現れる。

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。-1Cor 13:12

すべてのものを、その足の下に従わせられました。」「すべてのものを彼に従わせられた」と言われている以上、この方に従わないものは何も残っていないはずです。しかし、わたしたちはいまだに、すべてのものがこの方に従っている様子を見ていません。-Heb 2:5

イエスの王国は、イエスと共にすでに来ており(イエスの地上の務め時代)、今ここにエクレシアにあって確立されつつあり(教会時代・異邦人の時代)、そしていずれ地上に確立される。これが千年期だ。現経綸はルカ21章24節にある「異邦人の時代」だ。エルサレムはその数が満ちるまで異邦人の手により荒らされている(Luke 21:24)。

そして何よりも、こうある:

さて、もしレビ系の祭司職によって完全に到達できたのだったら、―民はそれを基礎として律法を与えられたのです。―それ以上何の必要があって、アロンの位でなく、メルキゼデクの位に等しいと呼ばれる他の祭司が立てられたのでしょうか。
・・・
もしメルキゼデクに等しい、別の祭司が立てられるのなら、以上のことは、いよいよ明らかになります。その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。この方については、こうあかしされています。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」一方で、前の戒めは、弱く無益なために、廃止されましたが、―律法は何事も全うしなかったのです。―他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。-Heb 7:11-19

律法はイスラエルにのみ与えられた(Ps 147:19-20)。富井氏はこれが超民俗化され、普遍的に適用される時代が新約と言うわけで、その意味でバージョンアップされたと言われるのだ。しかし、教会に与えられたのはいのちの御霊の法則である。聖書の御言葉(モーセ律法も含めて)はすべてこの霊において実体化される。文字は殺すが、霊は生かすのだ。これが新約のいのちの努め、メルキゼデク系祭司制度である。

いや、人は一度何かを思い込み、それに人生をかけてしまうと、二度と修正ができなくなる*1。それは自分と自分の人生を否定することになるからだ。これ以上の応答は無意味だろうが。これはあちらでも同じ事を言われるとは思うが・・・。ただ、いつも言っているが、家族も持たず、世の仕事にも手を染めず、他者に媚びることなく、敢然と自分の信じるところを行く富井氏のスピリットにはいつも敬意を覚えている次第*2。まことに「自反而縮、雖千萬人吾往矣」の体現者と思っているところだ。

追記:主の再臨が二度あり(突っ込むと、それでは再々臨であろう)、AD70年に一度目があり、黙示録19章まではその時点の予言であるとする再建主義は、黙示録がAD70以前に書かれていないと崩壊する。私たちはAD90年台とする。これについてはこちらで論じてあるので、ヨロシク。

追記2:再度彼がこう言われている。まことにこのスピリットには敬服する。しかし、もしも、もしもですよ、ポストレミが間違っていたら?つまり注の「第二種の過誤」を犯していたら、彼の人生はいったいどうなるのか、と私などは、祈りと信仰が全うしていない世俗のサイエンティストなので、つい考えてしまうのだが・・・。まさにオン・ザ・エッジの人生だ。

これ以外に勝利は不可能だ
ミレニアムの使命は、人の歓心を買うことではない。
だから、誰が何を言おうと、聖書的なことしか言わない。
真実しか掲示するつもりはない。
核心を突く文章を掲示すればするほど、支援者が減っていく。
それほどサタンの攻撃は激しい。
一度光を照らされた人々も、幻惑の中に落ちていく。
ずっとわれわれの陣営に留まることができる人は、特別に選ばれた人々なのだ。
われわれは、レムナント以外には興味がない。
なぜならば、レムナントに働く信仰の力しか悪魔を征伐できないからだ。
人間の知恵や知識ではどうしようもない。
祈りと信仰。
これ以外に勝利は不可能だ。

*1:一応断ると、私はプレミレに立つが、それは今までのところプレミレを捨てる理由がないからだ。再建主義の主張を詳細に調べても、それを棄却するところまではいかない。もし今後、十分なるエビデンスが与えられれば、私もポストミレに変わるかもしれない。これは数理統計学的思考。すなわちある仮説を立てる。この否定の仮説(帰無仮説)を立てる。帰無仮説の上で今起きている事象の確率計算をして、それが5%未満のとき、帰無仮説を捨てる。これで危険率5%で当初の仮説を否定し得ないとするわけだ(これを「「統計的に5%の有意水準にある」と言う)。
 私の仮説はプレミレ。帰無仮説はポストミレ(この際、ア・ミレは除いておく)。聖書と世界の諸現象からポストミレが成立する確率を推定すると、今のところきわめて低い。よって、なお判断ミスの危険(これを第一種の過誤と呼ぶ)はあることを承知の上で、プレミレは否定できないとしているのだ。これがサイエンティストの思考法なのだ。なお、第二種の過誤とは帰無仮説が間違っているのに棄却しない誤りのこと。
*2:彼が今回批判しているKG氏は私も存じ上げる方。富井氏は孤立感を相当に深めておられるように感じる。まあ、今のニッポンキリスト教がほぼ狂っており、自己崩壊へと向かいつつあり、すでに身を置くべき場とは思われないが、家族もなく、仕事もない状況はきついことであろう。と,言って、Jazzライブやディスコにお誘いしても・・・

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