愚かさに殉じること
- 2013/11/13 22:39
- Category: 独白
- Tag: 三島由紀夫 ニッポン ニッポンキリスト教
三島の命日が近いこともあり、このところ続いているが、Salt氏も三島に惹かれた者として「三島由紀夫を殺した平岡公威」としてその見解を披露している。いわく
「ことば」が肥大した虚弱児であった三島は、その青年期のコンプレックスを跳ね返すため、精神よりも筋肉のリアリティーを信じ愛した。そして、自分の美意識の中にいのちを封印した。的外れの栄光よりも理性による嘲笑を欲し、怠惰よりも苦痛を、そして、退屈よりも死を選んだのである。
三島文学という嘘に騙されるほど平岡公威(三島の本名)は馬鹿ではなかったということ。
三島はすべて知っていた。この世も天皇もみな虚構であると。では、リアリティとは何か。彼にとっては肉体だった。筋肉の動きと筋肉の痛み。その肥大化とフォルムの形成。そこに彼は自分のアイデンティティの根拠の確かな手応えを覚えた。そしてその究極があの痛みと苦痛だったのだ。もちろんナルシシズムもあろう。しかし確かに言えることは、彼は自分の腹に5cmも短刀を突き立てたのだ。そして引き回し、最後に上に向けて切り裂いた。これは誰も否定しようもない厳然たる事実だった。解剖所見からの次のような推測が可能である:
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