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聖書をキリスト教から解放せよ!

本の出版について出版社と交渉しているが、キリスト教の出版社からは出したくない。この業界を相手にすることはもはやまったく考えていない。ニッポンという閉鎖社会の中の閉鎖社会がニッポンキリスト教だ。

編集部の反応はかなり好評。聖書に新しい光を当てた貴重な作品と評された。極私的には聖書の内容を分かりやすく書いただけだが、これまでいわゆるキリスト教の教義や神学によって真理が隠されていたのだ。聖書はキリスト教の教典ではない!全人類に対する神のメッセージである。イエスはキリスト教の教祖でもない!全人類の罪のために、またアダムにある私たちを負って死なれ、復活し、新しい人類を生み出されたのだ。ニュークリーチャーを。

今、Dr.Kさんがウォッチマン・ニーの証を掲載されている。いわく、1920年に救われてから7年間、自分が死んでいることを確認しようともがいたと。しかし、もがけばもがくほど自分が生きていることを感じ、苦しんだ。が、ある日、見た、自分は死んだ!、と。いわゆる自我を砕きぃ~とか、自己を十字架につけてぇ~とやるクルシチャンはこの十字架におけるキリストと共なる死を見ていないのだ。われわはすでに死んだ、ピリオド。そして復活して、新人類とされた、ピリオド。何も改善したり、矯正する必要もない。すべてはすでになされたのだ!

ニッポンキリスト教の悲惨さはもはや述べるまでもないが、ポイントは聖書をこの業界から解放すること。万人にその真理をストレートに届けること。「繁栄の神学」がどうのこうのは嫉妬と妬みから生まれる*1。聖書の原則はこうだ:

おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。-Matt 13:12

本心に立ち返った者は幸いだ。御父の大歓迎を受ける。御父の資産をすべて受け継ぐのだ。まさに繁栄する。それが神の御心なのだから。

SO BE IT!!!

*1:その筆頭にあるJoel Osteenは言っている、そのような者たちを相手にしているほど人生は長くない、と。けだし名言だ。

本心は?御心は?

私が昨年12月に経験したあの件より変わってしまったと感じられる向きがあるようだ。確かに、自分でも変わったと思うところだ。聖書が3Dになった;神を手で感じる;栄光が文字通り重さとして迫るetc.そして難聴の癒し、足の麻痺の癒し、をここでも書いたが、読者諸氏もセレブの仲間も、花粉症がどうなるかけっこう関心を持っておられたようだ。いや、これは自分自身がどうなるのか、と思っていたのだが、結果は見事に消えた。30年来薬を手放したことがないが、まったく不要だった。なんだ、これ?・・・と自分でも思う。

ある人は私が異端に走ったと言われ、ある人は悪霊に騙されていると言われる。「繁栄の神学」なるものは最近意識を持ち出した。これが異端、カルト、ニューエイジとニッポンキリスト教ではある意味袋叩きの状況なのだ。極私的には、こうしてラベルを貼るところがすでに問題であると感じる次第。ラベル貼りは自分のマインドあるいは認知のフレームに収めるための作業なのだが、こうするとその対象と離れて、ラベルとその概念がひとり歩きし出す。マインドの空転が起きるのだ。こうして自分で作った幻影を延々と攻撃することになる。

しかしここで批判者たちに聞いてみたい。あなたは癒しを受けたくはないのですか?あなたは豊かになりたくないのですか?あなたは神の祝福を溢れるほどに経験したくないのですか?あなたは平安と喜びにあって生きたくないのですか?あらゆる環境や状況を支配したくないのですか?・・・と。私は「たい」と主に求めたいのだ。彼らに逆に聞きたい。神のみ心はどこにあるのだろうか?イエスのしたことは父の御心ではなかったのか?何よりも、御心が天になるとおり、地にもなるように、の意味は?・・・と。

どうかあなたがたの父祖の神、主が、あなたがたを今の千倍にふやしてくださるように。そしてあなたがたに約束されたとおり、あなたがたを祝福してくださるように。-Deut 1:11

あなたがたは、この契約のことばを守り、行ないなさい。あなたがたのすることがみな、栄えるためである。-Deut 29:9

なによりもイエスが来られた目的は、悪魔のわざを滅ぼし、アバンダント・ライフを与えるためなのだ(John 10:10)。アバンダント・ライフ!あなたは欲しくないのですか?

参考:私が「繁栄の神学」を擁護していると取られるとやや心外なので(私は、そのようなラベルを貼ることなく、御言葉にある神の約束に素直に同意し、受け取るスタンスなのだ)、その批判の急先鋒であるPaul Washerの主張を紹介しておこう。ジョエルの信者は神の厳しい裁きを受けるであろう!と・・・。

神をブロマイド化する罠

クリスチャンの間でよく行われる証。これがしばしば罠になる。いわく、神はこれこれの方で、私があれこれの時にこうしてくださった。このテーマはこうこうで、これこれだ・・・。こうして神を2D化してしまうのだ。

かつてここで紹介したウォッチマン・ニーの黙想にもあったが、救いの時、これこれの御言葉であれこれの経験をした、云々。これが罠になると。ただ一回性の神と御言葉との邂逅を写真のように現像して焼き付けてしまうのだ。そして他者はその印画紙の像を見て、神を知ったツモリになる。ちょうどアイドルのブロマイドのようなものだ。

私がニーを評価している理由は、人間の成り立ちや霊と魂の関わりなど、ちょうど霊的な解剖学や生理学を提示しているだけだから。その後は自分で経験せよ、と。彼が経験した神を人に提示することはほとんどない。まして後半の20年は幽閉されており、いかなる神との関係を得ていたかはまったく不明。神と彼の間のみで共有されているだけ。

この意味で私は御言葉の解き明かしとか霊的意味の解説などに対しては、最近は特に懐疑的になっているのだ。それはブロマイドを人に売るようなもの。その人がブロマイドを見て、本人を知ったツモリになる罠があるのだ。もちろん、われわれは限られているから、個人で神のすべてを知ることはできない。が、神がどのような方であるか、それを味わい、経験するのは、あくまでも個人の問題である。私たちは神の前の単独者であるべきだ。

自分が知っている神はブロマイドのそれか、直接のそれか。絶えず自問自答する必要があろう。ブロマイドを100枚持つよりも、神の目をひと目でも直接見ることの方が重大なのだ。神は私に対してこの物理的時空間に直接に介入されるお方。それ自体がスーパーナチュラルな現象なのだ。

Joel Osteenの魅力

ここでも何度か紹介した彼。自己啓発だとか、成功哲学だとか、いろいろ批判はある中で、2万人をこの簡素なステージとルックスで惹きつけるメッセージはやはりすごいものがある*1。しかも淡々と立板に水的な原稿を読むかのような語り口、いわゆるウケねらいも、聴衆に対する媚びもない。英語は教科書のようにクリア。矢沢はあの派手なステージで1万人を満足させるが、この簡素さのコントラストにある意味、感動する。

*1:霊的にどうのこうのは置いておく。

見ても信じない?

極私的に花粉症では本当に苦労した。20代後半からここまで。毎年2月半ばくらいから出るのだ。薬もいろいろ試した。ここでも何度も紹介したが、ザジテンが一番効いた。が、眠くなるのだ。その他の鼻炎薬は口が渇くとか、いろいろ不都合があった。今年も2月半ばくらいから用心のためにパブロン鼻炎用を飲んでいた。ところがいつもと何かが違う。で、3月に入ってからはまったくやめた。出ないのだ!?ついにここまで出ない・・・

ファイル 4825-1.jpg

もう自分のアイデンティティーの一部だったから、うれしいというよりは、呆気にとられている感じが正直なところ。なんだこれ?と。イエスが癒された人々を見てもパリサイ人など、信じない者がいた。自分の中に同じ要素があることに気がついた。トマスのように見たら信じると思っていたが、見ても信じられないと感じる部分が、正直いってあるのだ。これほどにわがマインドはかたくななのだ。これまでの世界観やパラダイムから外れる事には抵抗を覚える。それを頑なに守ろうとする。かくして神の言葉にも異議を唱え出す者もいる。

自分の何かを捨てた者は幸いだ。古い革袋には新しいワインは入らない。パッチワークでは新しいワインを保つことはできない。捨てれば、得る。神の業は、特に新しい地平が開かれる時、この原則が働く。自分の何かを守ろうとすれば、新しいワインを飲むことはできない。まことに神の業は人にとってあり得ないことなのだ。

主は御言葉を遣わして彼らを癒し/破滅から彼らを救い出された。
主に感謝せよ。主は慈しみ深く/人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。
感謝のいけにえをささげ/御業を語り伝え、喜び歌え。
彼らは、海に船を出し/大海を渡って商う者となった。
彼らは深い淵で主の御業を/驚くべき御業を見た。
主は仰せによって嵐を起こし/波を高くされたので
彼らは天に上り、深淵に下り/苦難に魂は溶け
酔った人のようによろめき、揺らぎ/どのような知恵も呑み込まれてしまった。
苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと/主は彼らを苦しみから導き出された。
主は嵐に働きかけて沈黙させられたので/波はおさまった。
彼らは波が静まったので喜び祝い/望みの港に導かれて行った。
主に感謝せよ。主は慈しみ深く/人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。-Ps 107:20-31

追記:ここにある「天に上り、深淵に下り、酔った人のようによろめき、揺らぐ」はまことに12月以来の極私的経験でもあった。自分に何が起きたのか、何を見て・聞いてしまったのか・・・。妄想か、幻覚か、本物か・・・。

富士山の異変

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昨日、兄たちと食事会を持ったが、その際の会話。彼らはすでに30回以上富士山に登っているが、昨年の9月、宝永山の少し上に巨大な陥没穴があることを発見した。現地の人に言わせると、雪解けの後にその穴が開いていたとのこと。ロープで囲ってあったが、あんな穴はこれまでに見たことがないと、彼らも。どうも富士山に何かの異変が起きていることは事実のようだ。

a break....

こういうのって、シビレルね!男のロマンだ・・・。

暴れる日本列島

しかし、今回の風邪には参った。喉が依然として痰がからみ、咳が止まらない。なんなのだ、これは?

で、今度は山形県境の吾妻山がやばいとか・・・・。どうもこの列島の地下はスイッチが入ってしまったようだ。メッセでも語ったが、3.11以降、すべてが変わってしまった。後戻りができない。放射能も相変わらずの垂れ流し。量的緩和も垂れ流し。財政赤字も垂れ流し。要するに制御ができないのだ。下のオバマも虚ろな感じでわけのわからんことを言っているが、ロシアは着々と戦争準備を固めている。イスラエルは総選挙を3月に控え、"King Bibi"ことネタニヤフが危なそうだが、それまでに何かひと騒動あるような悪寒もしている。2015年、ケイオスの年まであと・・・。平穏で迎えたいと願う。

時代は激動と混乱へ動く

どうも最近のニュースをフォローしていると、2014年の終末のしるしはほぼ出尽くした感があり(まだ1ヶ月弱あるので油断はできないが)、ロシアやアメリカの雰囲気、イスラエルとPAならびにイランの関係なども一触即発の感じがしている。いわゆるキリスト教界でもリック・ウォレンやおフランシスさまの欺瞞、エキュメニカルへの動きなど、内部から崩壊しつつある。むしろイラクや中国などにおいて真のクリスチャンが生まれ、証が立てられている。下の記事にあるように、子供がISISに対して明確に主イエスを証しし、首をはねられるといった状況が展開している。極私的にもそろそろ遊びモードから臨戦モードに入るべきときが来たかもしれないと感じている*1。時代は明らかに煮詰まっており、最終段階を迎えつつある。

だから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして慎んでいよう。-1Thess 5:6

追記:カムチャッカで火山噴火。9千Mまで火山灰。

追記の追記:Twitterで流れてきたこの記事は大事かも知れない。

森井啓二
@keijimoriiVet

まもなく経済混乱が始まります。すでに様々な姑息的方法で資産を必死に確保する人達がいますが、そもそも今回の破綻は、過剰な物質的執着や貧富の差で優越感を持つという間違いを正す自然の摂理から生じるもの。利己的な財産だけに執着する人は考えを改めないと苦しむでしょう。

*1:正直に告白すると、主イエスの再臨や携挙についてはある種のおとぎ話のような感覚もしていたのだ。まさか私たちがそれに直面する世代であるとは思っていなかった。しかし、どうもそれは私たちにおいてリアルな経験となるような切迫感をジワジワと感じる昨今なのだ。これからの時代、自分の能力や才能などではサバイバルできないだろう。まことに神的パワーによる保護と導きが必要なのだ。自分に頼る者は失望に終わるが、この石にのみ頼る者は失望を味わうことはない。

絵画への憧憬

子供の頃はけっこう好きだった、絵を書くのって・・・。こんなのにトライしてみたい。

ドルフ・ラングレンのシブイ台詞

イイ台詞だ、化学の修士号を持つ彼らしい。ちなみに彼はスウェーデン王立工科大学、シドニー大学、ワシントン州立大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)で数学、物理学、化学を学び、シドニー大学では修士を取得。さらにフルブライト奨学金を得てMITに進んだ。母国語であるスウェーデン語の他に英語、ドイツ語、フランス語、日本語を使いこなすインテリ・マッチョ。カッケー!!!

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(C)2014 唐沢治
昨日の『ためしてガッテン』でも言ってたが、筋肉量と健康度は比例する。さらに極私的にはハッピネスとも比例すると思う。リンパ球を増やすのだ。そして若さをキープできるし、シブクなれる・・・

セルフの究極-自らを悪魔に売ること

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空気が爽やか、肌をなでる風がヒヤッとして、これからが走るのには絶好おの季節だ。しかし秋のプールはちょっとさみしい・・・。

さて、無視論者にて、『神は妄想である』によって聖書信仰にチャレンジしている徹底的な反聖書的生物学者Richard Dorkinsが、ダウン症児を中絶しないのは倫理に反する、と発言したことはすでに紹介している。神から離れたニンゲンの知性は狂気へと走るのだ。今回、創造論擁護の"Answers in Genesis(AiG)"主催のKen Ham氏を貶める発言をしている"科学的ゲイガイ(the Science Guy)"のBill Nyeがこう主張している:

ファイル 4459-2.png

“I did my best to slam Ken Ham with a great many scientific and common sense arguments,” Nye boasted. “I believed he wouldn’t have the time or the focus to address many of them.”

Now, several months after the Skeptical Inquirer commentary, another magazine is spotlighting Nye’s anti-creation views. In a front page story titled “Bill Nye Fights Back,” the September issue of Popular Science describes Nye’s evolutionary beliefs and his perspective on the February debate with Ham.

“Let’s say that I am, through my actions, doomed, and that I will go to Hell,” Nye told Popular Science. “Even if I am going to Hell, that still doesn’t mean the Earth is 6,000 years old. The facts just don’t reconcile.”

要旨は:自分は科学的センスと議論に基づいてKen Hamを貶めるために最善を尽くした。たとえ私が自分の行為によって地獄に落ちることになろうとも、地球の歴史が6,000年などと言うことは事実に反する、すなわち進化論が正しいのだ。

面白いものだ。地球の歴史が6,000年か否かはおいても、科学的センスと議論に基づいて発言しているとしつつ、地獄の話が彼の口から自ら出てくる。もし地獄などなかったなら、あるいは自分の心の中で意識していなかったなら、あえて持ち出す必要などはないのだ。つまり、彼はそれを自身で意識している。否、意識の上では否定しつつも、彼の良心はその存在を証しているのだ。ある人が言ったらしい、もし神がいなかったら無神論などもなかったであろう、と。彼らは常に神を意識し、神から逃げているのだ。さらに自分の知性や能力に訴えつつ、神を拒絶し、神を否定する。これがセルフの本質だ。財前が里見に「ああいうやつがいてもらっては困るのだ」と"名言"を語ったが、セルフにとっては神が存在しては困るのだ。ついに神の怒りの裁きにおいても彼らは神を拒絶し続けるのだ。

これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された。
馬の力はその口とその尾とにあって、その尾は蛇のようであり、それに頭があって、その頭で害を加えるのである。
これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。-Rev 9:18-21

自らの知性を御言葉の上に掲げて聖書を貶め、真理を毀損するキリスト教もすでにセルフ教に陥り、この世はもとよりセルフが跋扈する世界。繰り返すが、永遠を決める究極の選択は-

セルフか、キリストか

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