終末を生き抜く鍵
- 2011/06/21 22:35
- Category: 信仰
- Tag: 終末 天国の鍵
またわれ汝に天国の鍵(pl)を与えん、それば何にても地にて汝のつなぐものは、天に於いても繋がれてあるべく、また何にても地にて汝の釈くものは、天に於いても釈かれてあるべし。-Matt 16:19
一昨日、ある兄弟が次のような話をされた:
ある貧乏な若者が大汽船で航海に出る夢を実現するべく、ようやく貯めたお金でチケットを買った。しかし他の余裕はなく、自分の船室に閉じ篭る毎日を送っていた。心配した船長がたずねると、自分はとても船の中で遊んだり楽しんだりする余裕などはないとの回答。しかし船長は笑顔で言った、「あなたの買われたチケットにはすべてのサービスが込みなんですよ、思いっきり航海を楽しんでいいのですよ」と。
分かるだろうか、これが福音であり、天国の鍵だ*1。よく聖霊派あたりでは、自分勝手に「何とかをしばる~っ」とかやるのだが、愚かなもの。ギリシャ語の初級文法を学ぶべきだろう。「あなたが地でしばるものは、(すでに)天でしばられている」のだ。この点、引用した永井訳はよい。天での裁定あるいは判決を地上で執行すること*2。これが天国の鍵。プライオリティは天にあるのだ!それを実体化する*3機能が私たちの信仰だ(Heb 11:1)。ニューエイジは思念を物質化しようとするが、これはニッポンキリスト教に侵入している巧妙な欺瞞だ。
よってこの若者のように、何が天でしばられており、また解かれているのか十分に知らないと、とんでもない祝福をミスする。これがニッポンキリスト教のビョウキ、「クルシチャン(苦しちゃん)症候群」だ。御言葉はイエスのパースンと御業のカタログ、契約書だ。よくよく読んで、私たちは何を得ているのか、何がなし得るのか、十分に学ぶべきなのだ。その法則に乗れば、あとはすべて自動的。プールの水に浮くことと同じ。まあ、自分勝手な"信仰"や"神像"をでっち上げて、船室に閉じ籠りたい人にはあえて勧めはしないが・・・。
そしてもうひとつ。終末の時代、大衆や群集が選択する道や人物は意識的に拒絶すべきだろう。絶えず少数者の方を選ぶことと低い道を選ぶこと。これは私たち自身が守られる。人数を頼むことや、高くされる道を選ぶこと自体、その者の心の在り処を証してしまっている。大衆が嫌う道、群集から拒絶される道を意識的に選び取ることによって、致命的な誤りや欺瞞に陥ることを回避することができる。時代は『300』、レムナントの時代なのだ。主イエス自身がいかに大衆が偽りに満ちたものであるかご存知であって、ご自分を任せることはなさらなかったのだから。
イエスが、過越の祭りの祝いの間、エルサレムにおられたとき、多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた。
しかし、イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり、また、イエスはご自身で、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。-John 2:23-25
追記:Mr.Sugarがちょうど同じ論点に触れておられるので紹介する。
- キリストの勝利とサタン滅亡の展開
- キリストの勝利とサタン滅亡の展開2
*1:keys:複数形
*2:私たちの言う「霊的戦い」とは、これから勝利を得るための戦いではなく、すでに十字架で成就した勝利を適用・執行し、その領域を拡大することである。
*3:Gk.υποστασις;Darbyはsubstantiatingと訳す。