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趙飛燕譚

昨日の杜牧の詩の「細腰」はスリム美人であった趙飛燕を意味する。彼女は手の平で舞うことができるほどと言う意味で飛燕(号)と呼ばれたのだ。生まれは卑賤の身分、妹と共に楚の成帝の目にとまり後宮に迎えられた。

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後宮では成帝の寵愛を受け、更に妹の趙合徳を昭儀として入宮されることも実現している。成帝は趙飛燕を皇后とすることを計画する。太后の強い反対を受けるが前18年12月に許皇后を廃立し、前16年に遂に立皇后が実現した。
前7年、成帝が崩御すると事態が一変する。成帝が急死したことよりその死因に疑問の声が上がり、妹の趙合徳が自殺に追い込まれている。こうした危機を迎えた趙飛燕であるが、自ら子がなかったため哀帝の即位を支持、これにより哀帝が即位すると皇太后としての地位が与えられた。しかし前1年に哀帝が崩御し平帝が即位すると支持基盤を失った趙飛燕は、王莽により宗室を乱したと断罪され皇太后から孝成皇后へ降格が行われ、更に庶人に落とされ間もなく自殺した*1。(以上Wikiより)

彼女がスリム美人であるとすれば、後の唐の楊貴妃はグラマラス美人と言える。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために「安史の乱」を引き起こしたとされ、「傾国の美女」と呼ばれる。白居易が『長恨歌』において「春寒賜浴華淸池、 温泉水滑洗凝脂」と形容しているほどに豊満かつすべすべの肌であったようだ。一説には体重が100キロとも言われているようだが、これでは夢を壊す*2。で、李白はこの楊貴妃に対して次のように詠ったのだ。


   清平調詞其の二 李白
   一枝の濃艶露香(つゆこう)を凝らす
   雲雨(うんう)巫山(ふざん)枉(ま)げて斷腸
   借問(しゃくもん)す漢宮誰か似るを得ん
   可憐の飛燕 新粧(しんしょう)に倚(よ)る

楊貴妃を称えるために、趙飛燕に比べてしまったわけ。しかし飛燕は下賤の生まれで、晩年には庶民に落とされて自殺している。これが楊貴妃の運命に対する当てこすりとされて失脚する口実のひとつとされたのだ。まあ、彼は玄宗に呼ばれても、「俺は天下の李白だ!」と飲んだくれていたほどの無頼人。晩年は水面に写った月を取ろうとして船から落ちて死んだと言われている。が、後に美人を形容するのに「環肥燕瘦」と言うようになったとのこと(環は楊貴妃の幼名玉環による)。女性の姿を形容するときには十分なる注意が必要なのだ、紳士諸君

さて、この李白の詩にある「雲雨巫山」もなかなか深い表現なのだ。先に魚玄機の詩をいくつも紹介したが、彼女の艶っぽい人生に惹かれることは何度も書いた。私は「唐人お吉」などの儚い運命に翻弄された美しい女性に限りなく惹かれるのだ。魚玄機の人生については何度か書いたし、森鴎外の小説『魚玄機』にもなっている。その玄機の歌に自分を妾としてくれた官僚の李億との悲しい別離を詠った詩がある。

   秦楼幾夜か 心にかないて期(ちぎ)りし
   料らざりき 仙郎別離有らんとは
   睡り覚めて 言う莫れ雲去るの処
   残燈一盞 野蛾飛ぶ

ここにある「雲去るの処」が実は「雲雨巫山」なのだ。

戦国時代、楚の国の襄王(BC299~BC263)が、大夫の宋玉を伴って雲夢(うんぽう)というところで遊ぶことがあった。
そのとき朝雲(高唐)の館を眺めるとその上に雲がかかっていたのだが、その雲が高く立ち上るかとおもうとたちまち形を変えるなど、またまくまにさまざまに変化する。
不審に思った王は、宋玉に問うた。
「いったいあれはなんという雲だ。なんの意味があるのだ?」
すると宋玉が答えていうには
「あれは朝雲というものでございます。
昔、先王の懐王がこの高唐の館にお出でになって遊ばれたとき、お疲れになってしばらく昼寝をなさいました。すると懐王の夢の中に一人の女性が現れてこういったのです。
『私は天帝の末娘で瑤姫と申します。嫁ぐこともなく命を落としてしまい、巫山というところに祭られております。魂は草となり、身は霊芝となりました。(だから私、“男”を知りませんの) 今、王が高唐に遊びに来ていらっしゃると聞いて訪ねて参りました。どうぞ枕をともにさせてくださいませ』
王はそこでその女と情を交わされたのです。
やがて帰るとき、女はこういって別れを告げました。
『私は巫山の南の険しい崖のところに住んでおります。朝は雲になり、夕暮れには雨になって朝な夕な陽台(=巫山の南)であなたをお慕いしておりますわ』
王が翌朝、巫山の南の方を眺められますと、果たして女の言ったとおり、そこには雲が立ち込めていました。それで王は女を偲んで廟を立て、その廟を朝雲と名づけられたのです」(出展)。

なんとも艶っぽいロマンチックな逸話ではないか。李白も魚玄機もこのような逸話を元に、自らの詩を構成しているのだ。極私的には、渡辺淳一の小説などは、とてもではないが、その情愛の深みと表現の洗練さにおいて、このような彼らの詩の世界に太刀打ちできるものではないと思う。ひとつの詩が、その背景も含めて理解できると、そこには人間の生と性が描かれており、そこからパーッと新しい漢詩の世界が広がるのだ。これはある意味、御言葉がひとつ開けると次々に新しい霊的世界が開かれるのと似ているかもしれない*3

*1:一説には成帝に強精剤を飲ませすぎて死亡させたとの説もある。
*2:最近の「デブ専」あるいは「マショマロ女子」系の人々には魅力的であろうが・・・。
*3:御言葉とこのような情愛の詩を比べるとはなんぞや!などと、野暮なことはこのブログの読者であれば言わないと思っている次第。聖書は人間の生と性の本質を十分に描いているではないか!

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  • 2014/05/20 15:59
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Luke

どもです。極私的にはニッポンキリスト教によく見られる朴念仁にはなりたくないわけでして(笑)

雅歌はまさにそのとおりですね。官能的ですらあります。

  • 2014/05/20 19:26
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