芸術も人生も波動のコンボリューション
- 2008/07/09 12:29
- Category: 異見
- Tag: 芸術
昨日、画家がある場面である瞬間に感じた感動あるいは"自然の震え"を、一度画家の脳内において咀嚼・解釈し、その結果をカンバスの上に絵具で表現する作業が絵画である、と言った。コローは「目でも心でも解釈する」と言ったわけだ。この過程を少し数学的に表現すると、次のようになるかと思われる:
すなわちある自然の場面で画家の内面に広がる感動関数をg(t)としよう。これは画家の個性によってそれぞれである。そして自然界から時間の関数として入力される刺激をx(t)とすると、画家の内面で起きる反応としての出力は
と書ける。この関数g(t)はインパルスに対する反応であり、インパルス応答あるいはもっと一般的にグリーン関数と言う。カントの純粋経験とも言えるかも知れない。で、この積分を数学的にも「畳み込み積分(Convolution)」と言う。つまり現在の反応y(t)は過去τ時点から現在までの反応の畳み込みなのだ!
かくして絵画とはリアリティそのものではなく、画家の伝達関数によっていわば歪みが入った上で表現されたものとなる。実はこの畳み込みはある意味で人生の方程式と言えるわけで、仏教的には「因果応報」の、聖書的には「撒いたものを刈り取る」方程式である。芸術の場合、この表現y(t)をさらに、鑑賞者が脳内に入力する。そして鑑賞者のグリーン関数によって修飾された形で彼の内面に反応y'(t)が生じる。すなわち少なくとも二回の畳み込みが行われているわけだ。よってそれはリアリティそのものでももちろんなく、画家の経験そのものでもなく、かなりワイドなスペクトルをもった波紋であるが、鑑賞者の中にとにかくその波紋が生じる。
このように私たちの芸術経験は、波動の共有とも言えるわけだが、もっと一般的に現実そのものが波動であるとするサイトを発見した。題して「現代物理と仏教を考えるページ」。作者は早稲田の理工学部を出たバリバリの物理学者。マックスウェルの方程式の解そのものが、たたみ込み積分なわけで、要するに波動こそが実存の究極であると主張する。
例えば、これは感動したが、ニュートンの運動方程式
を波動性から導いている(→こちら)。要するに<力=質量×加速度>だ。古典物理学ではこれは天下り的に与えられる。私も何故だと、高校以来考えてきたが、誰も解説してくれなかったし、自分でも分からなかった。ところがこの方は次のように解き明かしてくれた:ハイゼンベルグの不確定性原理により、位置と運動量には
の関係があり、エネルギーと時間についても、
すると
極限を取ると、
ここで
だから、ニュートンの運動方程式が出る。つまり物質の波動性から、その不確定性を極限ゼロにした理想の形としてニュートンの運動方程式が出るのだ!
かくのごとく、いわゆる粒子の物理学は波動の物理学に吸収される形となり、世界は波動モデルとして認識される。また波動の伝播と受信が私たちの生である。そしてこのサイトの作者は華厳経と現代物理学の究極の姿の一致を予想して、例えば、ここでも何度も紹介しているデリバティブのブラックショールズ方程式の華厳構造を指摘する。
いやあ、世の中、実におもしろい人がおられる。Dr.Lukeもニッポンキリスト教では相当に異端であり、彼らに私を理解することはほとんど不可能であろうし、私も彼らを理解し得ない(というか、する気もない)。が、私の上を行く人がいるのだ。このサイト、しばらく楽しめるぞ・・・。
ICHIRO
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