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本日の一冊-Experience the Impossible

昨年12月末頃に自分の経験したことと似ている証しをしているBill Johnson。それまではまったく知らなかったが、いわゆるスーパーカリスマ派として分類され、一部では狂信的カルトだとか、ニューエイジだとか、異端だとか言われているようだ。彼の教会Bethel Churchでは私が拒絶していた金粉が舞うとか、天使の羽が見つかったとかの逸話もあるそうだ。まあ、その真偽は置いておいて、その彼の著作を読んでいる。"Experience the Impossible"。

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まだ半ばではあるが、これまで読んだ限りではしごくまともなことを語っていると感じている。ポイントはこうだ。イエスは完全に人であり、完全に神であったが、その地上の努めにおいてはあくまでも人として生きた(Acts 2:22)。私たちとの違いは肉体に罪(Sin)が一切なかった点。その贖いの業によって私たちも罪々(sins)がゆるされ、さらに父なる神から見るとそれらは最初からなかったとされる。神は私たち自身を見るのではなく、キリストをご覧になっているからだ。この点において、肉体に罪が残る点は違うが、イエスとまったく同じ立場にある。イエスは人として業をしたが、その力は神が共におられたからと御言葉は証している(Acts 10:38)*1。すると私たちに対する課題は、イエスが限りなく聖霊に満たされ(John 3:34)、その導きに完全に従ったように、私たちもそうあり得るかという点になる。つまり聖霊を通して神とどれほどに親密な関係を持ち得るかという点なのだ。

・・・とここまでが彼の聖書からの理解だ。結果、あの五千人の給食も人として行ったことであり、私たちもなし得るというのだ。事実,彼の教会では僅かの鮭で600人をもてなしたと証している!?うーーむ 極私的には、果たして肉体に罪を宿す私たちがイエスと同じレベルにまで聖霊を受け、満たされるか、さらに従えるか、という点が気になる次第。限りなく聖霊を受けることはできるのか?いや、聖霊は神のひとりのパースンであるから、切り売りされるお方ではない。つまり私たちのうちに100%の聖霊がおられ、同時に父と子が内住されるのだから(John 14:12)、神そのものを宿している。だから私たちは神の宮なのだ(1Cor 6:19)。よって、もちろんイエスを死者から蘇らせた復活のパワーも有している。すると、イエスと同じことが、いや、さらに大いなることがなし得ると結論せざるを得ないわけだ(John 14:12)。ポイントは聖霊とどれだけ深い交わりにあるかという点に落ち着くのだ。

うーーむ、チャレンジングというか、キャパがかなり引き伸ばされる必要があるというか。とにかく、繰り返すが、聖書が語っていることは、マジで受け止めるとヤバイことだらけなのだ

*1:確かに、神として行ったのだったら、「神が共におられたから」との理由はおかしいことになる。

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  • 2015/02/13 14:01
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Luke

あ、お久しぶりです。そうでしたか、私はこれまでの範疇にない経験でして、御言葉と格闘している最中なのです・・・。

  • 2015/02/13 15:59
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