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ローマ帝国の末期と現代ニッポン

昨日のTBSの5時間に及ぶローマ帝国の特集は実に圧巻だった。文化功労賞を受賞した塩野七生氏の著作に準拠した内容だったが、特に注目した点は、ローマが崩壊に至る契機を作ったのが、一律に市民権を与える放策だったこと。当時のローマは身分は別れていたが、固定的なものでなく、能力と機会に恵まれ、努力した者はより上の地位を獲得する事ができた。つまり蛮族出身であっても奴隷であっても、ローマ市民権を得ることができた。パウロも市民権を実に巧みに利用している。

が、カラカラ帝はその市民権を解放して、誰でもに与えてしまった。これによって市民権の価値が下がり、その獲得を励みにして、上を目指す士気が衰えた。しかし奴隷は奴隷のまま固定化した。また初めからの市民と、この施策による市民との間に格差が生まれ、さらに固定化した。またそれまでは元老院と市民の認知の上にあった皇帝の地位をディオクティアヌスは神格化した。こうして社会の流動性が失われた。ローマは格差社会が固定し、社会の活力が削がれたのだ。

私は前から指摘しているが、今のニッポン、道元の喝破するとおり、愚かな大衆が<自由・平等・博愛>と言うメーソンのスローガンを叫びつつ、低フラット化、つまり下へ下へと引き下げる力のベクトルの働きの下で固定化し、ローマと同様に社会の活力が失われているのだ。世の健全な姿は「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」なのだ。ただし、ここに流動性、言い換えると機会の平等が必要となる。誰でもチャンスはある。しかし能力と努力によって、その結果は大いに開くべきなのだ。聖書も「富んでいる者はますます富み・・・」と言っている。

現在のニッポンの病理、そしてその象徴であるニッポンキリスト教の病理は、まさにローマの末期症状の病理と同一である。フラット化と固定化することによる社会のモラルと活力の喪失。これは物理学的にも言える。プリゴジンの「熱力学的非平衡状態における秩序形成(散逸構造)」の理論のよれば、対流があるとき、つまりエネルギーの流れがあるとき、自律的な秩序が形成される。この流れが止まる事が熱力学的な死である。ローマ帝国はまさにこの状態に立ち入ったのだ。そして現代のニッポンも。

それにしても大衆とは実に愚かなもの。結局フラット化された社会の中で真っ先に不利益を蒙るのは実は自分自身であることを知らないのだ。事実、都内の500万未満の世帯の比率は5割を超えた。大衆は歴史、そして物理学からも学ぶことがない。その動機は己の欲に基づいた嫉妬と妬みである。かつて東京都立の高校が学区制によって均された時、いかなる状態が生じただろうか。今、麻布や開成が東大進学のメッカとなっているが、目の効く親は均された公立などにはやらなくなった。かくして親の収入レベルが子供の教育レベルを決定し、教育における格差が固定化した。これでさらに社会格差が固定化する。それでも東大が年収400万未満の家庭の子息には学費をタダにするらしいから、チャンスは開かれているから頑張ってみて欲しい。

賢明な者は大衆が時々の風で踊らされている間も着々と備えている。2:8の「パレートの法則」は社会の運営でも真理である。20%のエリートを作ること。彼らをその結果に応じてあらゆる面で厚遇すること。アメリカが今も一応「パックス・アメリカーナ」を保持できるのは、「アメリカンドリーム」のチャンスがあるからだ。対して社会の流動性が失われつつあるニッポン。私は日本は深く愛しているが、ニッポンには嫌悪感を覚えている。同様に、日本の教会(エクレシア)は深く愛しているが、ニッポンキリスト教には嫌悪感を覚えている。私は大衆のご機嫌取りをする牧師たちの跋扈するニッポンキリスト教はすでにご遠慮であるが(ビョウキの者に粘着はされることはあるのだが・・・)、ニッポンが腐り果てることが分かった時点で、ニッポンからも脱出することもマジで考えている昨今である。いやいや、温泉がないのは寂しいので、人里離れた深い山に篭るべきか・・・な。

参考
・低フラット化するニッポン
・フラット化する世界

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