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フラット化社会の末路

先にも少し書いたが、教師は基本的に高等遊民であるというのが私の持論。こちらも学生も楽しい秘訣は「遊び」だ。教壇はある意味で舞台のようなもの。90分間をいかに学生をこちらの世界に引き込むかの勝負なのだ。大学でも学生による講義アンケートがあるのだが、かなりの満足をしてもらっている。で、その自由記入欄が結構楽しいのだ。ここに学生たちのホンネが見えるわけで、毎回楽しませてもらっている。今回、面白いのがあった:

 ・イケメンでカッコいいし、めちゃ楽しかったし、役に立ったし

ほお、イケメンか・・・。小生もついに(涙)。・・・と言うわけで、予備校でこのノリであれば、軽く3千万プレイヤーだ。大学もぜひ一律給与制ではなく、市場原理を取り入れて欲しいと思っているところ。教師もこれまでのパラダイムを壊していかないとこれからは淘汰される。まあ、半分ホスト的要素が求められるのだ。医者の世界もすでにそうなりつつあるが、教育も上から目線では立ち行かない時代。そう、サービス産業なのだ。義兄などはかなりニーズに答えており、横浜の某区の高額納税者になっているが、そのための精神的投資はかなりキツイ部分もあるようだ。休みになるとチョモランマなどにチャレンジしたり、大泉の別荘に籠ったりと、精神のバランスを保つことに心がけている。

昔、堺屋太一氏の『知価革命』を読んで、これからの時代は専門的知識を売る時代と直感し、この業界に入ったのだ。まあ、チョークとシャベリでそこそこに潤っているのだが、一方、今晩のタケシの番組で大田区の町工場の惨状をレポしていたが、彼らは買い叩かれている。時代の流れが高い技術を持つ職工さんたちを追い詰めている。政治、軍事、経済、倫理の各面で去勢されたこの国にあって、教育が廃ればマジにオワル。同時に町工場の熟練技術の継承を怠れば、これまた間違いなく我が国はオワル。われわれ専門知識を売る教師と、高度の職人技を持つ彼らとどこに差があるのかとよく考える。そう、本質的には何の差もないのだが、時代が求める力点に差がある。この世はまことに「カゴに乗る人、担ぐ人、そのまたわらじを作る人」。

エントロピーの法則から言って、メリハリが消失した社会は衰退する。社会の活力を生むためには格差が必要なのだ。昔の旧制高校のように20%のエリートを作ること。それがモチベーションを生み、活力を生む。ニッポンが立ち直るためにはもっともっと格差を作ることだ。民主党が政権を執れば、自民党よりもどうしようもない社会となるとハマコーが予言していたが、まさにそれはフラット社会の病理。一度民主党にやらせようとしたこの国の国民様は、これから、否すでに、そのツケを刈り取る/っている。実に愚かなもの、分かっていたではないか。モチベーションを喪失したこの国はまちがいなく衰退する。今週のBr.Takaのかなり主の迫りの重いメッセにもあったように、すべてを剥ぎ取られてバビロンへと捕囚されるだろう。その予兆がニッポンキリスト教。その壊滅する日は見えている。

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