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黒木先生を偲ぶ

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黒木先生が逝かれたこと、何だかとてもさみしい思いをしている。思い出すと、高校時代に数学の天才と言われた森君(息子の先輩になってしまった)の紹介で『大学への数学』を手にして、その魅力にとり憑かれた。田舎の高校生には「編集長黒木正憲」の名前がカッコよく(「セイケン」とお呼びしていた)、キラキラしており、憧れた。その後、先生のゼミを受講して、記事までも書かせてもらい、お仕事まで一緒させてもらった(ついでに高級バーまで^^)。当時(20年前)の独特のイントネーションと間で語る先生の言葉を想い出している:

ぼくは旧制一高時代(先生は東大法学部卒)、人生が虚しくて虚しくて、毎晩寮の屋根で星を見て泣いていたのね。そしたらコイツは頭がおかしいと思われて、大学病院の精神科に入れられちゃった。そこでECT(電気ショック)を受けたら、それまで岩波新書をほとんど読破していたんだけど、みんなすっ飛んじゃった・・・。精神科の医者の方が頭大丈夫って思うのね・・・。

(言えてる・・・)

ぼくは日本に貢献できてるかなあ。日本の数学教育を何とかしなくちゃいけない。文部省にまかせておいたら、数学が解体されて、ますます数学嫌いができちゃうのね。高校数学の究極のテキストを書きたいなあ。それと、大事なのは小学校の算数。小学校教育にもっとも有意の人材が必要なのに、今、そこに優秀な人がいかないの。唐沢さん、東京出版に入ってくださいませんか。一緒に算数の雑誌を作りましょう。待遇は十分にしますから。どうですか・・・。

(大いに貢献されました。あのフィールズ賞の森先生も大数の読者でした。私は先生の招きに応えることはできなかったのが心残り。しかしその後『中学への算数』と言う雑誌が創刊された。が、現状は世界で数学1位が13位に転落。黒木先生の予言どおりだった)

ぼくが予備校で教えた時、そこの副理事長の女性の身の上相談聞いてあげてたら、彼女がぼくのところに来ちゃったのね。そしたら彼、ぼくが東大中退だとか嘘を言い回って、ぼくをそこに居ずらくしたわけ。だから、やめてやりましたよ。あの人、そういう人だから、決して身を預けてはなりませんよ・・・。

(どこぞのギョウカイでもありそうな話。黒木先生は長身で、頭も良く、話題も豊富で、お金もあり、やさしくて、ソフトで、実にモテた。男の私も憧れたほどだから・・・。実は先生から女性の扱い方を実地体験的に教わったのだ^^)

ニッポンキリスト教にはまずこういう魅力のある人はいません。一番つまらんニンゲンが"牧師"とかやるんでしょう。黒木先生のような一時代を築いた人がいなくなること、実にさみしいことであります。

(先生は絵も嗜まれた。年賀状で毎年作品を送ってくださった。上の作品はコローの「真珠の女」の模写。先生は女性を画くのが得意と言うか、好きでしたね)

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