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本日の一冊-『武人-甦る三島由紀夫』

Discoの前に東京MTで見つけたムック。『武人-甦る三島由紀夫』。

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三島対する思い入れはここでも何度も書いている。戦後のアメリカのMCにより左翼系価値観が蔓延して、教会ですら民主主義による運営とかのたまう輩が出る現在、あらゆる領域で彼の予言がすでに成就した。戦後教育は死ぬことを教えていないと喝破する彼の言葉は、ニッポンでもニッポンキリスト教でもまことに正しかったと分かる。
続き

【私の中の25年】三島由紀夫 果たし得ていない約束 恐るべき戦後民主主義

 私の中の二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ。
 二十五年前に私が憎んだものは、多少形を変えはしたが、今もあいかわらずしぶとく生き永らえている。生き永らえているどころか、おどろくべき繁殖力で日本中に完全に浸透してしまった。それは戦後民主主義とそこから生ずる偽善というおそるべきバチルス(つきまとって害するもの)である。
 こんな偽善と詐術は、アメリカの占領と共に終わるだろう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。
 私は昭和二十年から三十二年ごろまで、大人しい芸術至上主義者だと思われていた。私はただ冷笑していたのだ。或る種のひよわな青年は、抵抗の方法として冷笑しか知らないのである。そのうちに私は、自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならない、と感じるようになった。
 この二十五年間、認識は私に不幸をしかもたらさなかった。私の幸福はすべて別の源泉から汲まれたものである。
 なるほど私は小説を書きつづけてきた。戯曲もたくさん書いた。しかし作品をいくら積み重ねても、作者にとっては、排泄物を積み重ねたのと同じことである。その結果賢明になることは断じてない。そうかと云って、美しいほど愚かになれるわけではない。
 この二十五年間、思想的節操を保ったという自負は多少あるけれども、そのこと自体は大して自慢にならない。思想的節操を保ったために投獄されたこともなければ大怪我をしたこともないからである。又、一面から見れば、思想的に変節しないということは、幾分鈍感な意固地な頭の証明にこそなれ、鋭敏、柔軟な感受性の証明にはならぬであろう。つきつめてみれば、「男の意地」ということを多く出ないのである。それはそれでいいと内心思ってはいるけれども。
 それよりも気にかかるのは、私が果たして「約束」を果たして来たか、ということである。否定により、批判により、私は何事かを約束して来た筈だ。政治家ではないから実際的利益を与えて約束を果たすわけではないが、政治家の与えうるよりも、もっともっと大きな、もっともっと重要な約束を、私はまだ果たしていないという思いに日夜責められるのである。その約束を果たすためなら文学なんかどうでもいい、という考えが時折頭をかすめる。これも「男の意地」であろうが、それほど否定してきた戦後民主主義の時代二十五年間、否定しながらそこから利益を得、のうのうと暮らして来たということは、私の久しい心の傷になっている。

◆からっぽな経済大国に
 個人的な問題に戻ると、この二十五年間、私のやってきたことは、ずいぶん奇矯な企てであった。まだそれはほとんど十分に理解されていない。もともと理解を求めてはじめたことではないから、それはそれでいいが、私は何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、その実践によって、文学に対する近代主義的妄信を根底から破壊してやろうと思って来たのである。
 肉体のはかなさと文学の強靱との、又、文学のほのかさと肉体の剛毅との、極度のコントラストと無理強いの結合とは、私のむかしからの夢であり、これは多分ヨーロッパのどんな作家もかつて企てなかったことであり、もしそれが完全に成就されれば、作る者と作られる者の一致、ボードレエル流にいえば、「死刑囚たり且つ死刑執行人」たることが可能になるのだ。作る者と作られる者との乖離(かいり)に、芸術家の孤独と倒錯した矜持を発見したときに、近代がはじまったのではなかろうか。私のこの「近代」という意味は、古代についても妥当するのであり、万葉集でいえば大伴家持、ギリシア悲劇でいえばエウリピデスが、すでにこの種の「近代」を代表しているのである。
 私はこの二十五年間に多くの友を得、多くの友を失った。原因はすべて私のわがままに拠る。私には寛厚という徳が欠けており、果ては上田秋成や平賀源内のようになるのがオチであろう。
 自分では十分俗悪で、山気もありすぎるほどあるのに、どうして「俗に遊ぶ」という境地になれないものか、われとわが心を疑っている。私は人生をほとんど愛さない。いつも風車を相手に戦っているのが、一体、人生を愛するということであるかどうか。
 二十五年間に希望を一つ一つ失って、もはや行き着く先が見えてしまったような今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大(ぼうだい)であったかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使っていたら、もう少しどうにかなっていたのではないか。
 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。

(昭和45年7月7日産経新聞夕刊掲載)

私もかつて危険人物とされていた中学3年の時、本質的にはこれと同じ気持ちを、ただし当時は思想的武装も表現技術も持っていなかったので、単に感情の発露と言えるだけの長い文章を、学校の放送部に押し込んで全校放送させたことがあった。当時は何を相手にしているのかも分からなかったのだが、とにかく自分の中のものを吐き出したかった。その自分の言葉が朗々とスピーカーから流れている時間、何か他人の言葉であるかのように、現実感もなくただ呆然と聞いている自分の様子が記憶に残っている。

ゆえに同級会で当時の私を知っている同級生は言うのだ、「唐沢が六本木のディスコとか、こんなにチャラけるなんて想像もできなかった・・・」と。確かにそうだとは思う。今、振り返っても、学校と言う体制を維持したいだけの勢力にとってはかなりの危険な人物であったろう。「民主主義や日教組糞くらえ」が私の本音だったのだから。思想的背景は分からずとも、その胡散臭さや偽善の臭いは直観的に感知していた。そしてそれは今のニッポンキリスト教に対するものと同じであると言える。

かくして三島は何か「2.26事件」の将校たちの霊に憑依されたかのように、一晩で『英霊の聲』をものした。筆が勝手に紙面の上に踊り、瞬く間にできてしまったのだとか。

かけまくもあやにかしこきすめらみことに伏して奏(まさ)おく
今、四海必ずしも波穏やかならねど、
日の本のやまとの国は鼓腹撃壌の世をば現じ
御仁徳の下、平和は世にみちみち
人ら奉平のゆるき微笑みに顔見交わし
利害は錯綜し、敵味方も相結び、外国の金銭は人らを走らせ
もはや戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、邪まなる戦のみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能わず、いつわりの人間主義をたつきの種とし
偽善の団欒は世をおおい、力は貶せられ、肉は蔑され、
若人らは咽喉元をしめつけられつつ、怠惰と麻薬と闘争に
かつまた望みなき小志の道に、羊のごとく歩みを揃え、
快楽もその実を失い、信義もその力を喪い、魂は悉く腐蝕せられ
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおおいかくされ、真情は病み、道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑いは浸潤し、魂の死は行人の額に透かし見られ、
よろこびも悲しみも須臾にして去り、清純は商われ、浮蕩は衰え、
ただ金よ金よと思いめぐらせば、人の値打は金より卑しくなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、生かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足のいぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰えたる美は天下を風靡し、陋劣なる真実のみ真実と呼ばれ、
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、大ビルは建てども大義は崩壊し
その窓々は欲求不満の蛍光灯に輝き渡り、朝な朝な昇る日はスモッグに曇り
感情は鈍磨し、鋭角は摩滅し、烈しきもの、雄々しき魂は地を払う。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み、ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔けるものは翼を折られ、不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑う。
かかる日に、などてすめろぎは人間となりたまいし。
もし過ぎし世が架空であり、今の世が現実であるならば、死したる者のため。
何ゆえ陛下ただ御一人は、辛く苦しき架空を護らせ玉わざりしか
陛下がただ人間と仰せ出されしとき、神のために死したる霊は名を剥奪せられ、
祭らるべき社もなく、今もなおうつろなる胸より血潮を流し、神界にありながら安らいはあらず。
日本の敗れたるはよし
農地の改革せられたるはよし
社会主義的改革も行わるるがよし
わが祖国は敗れたれば
敗れたる負ひ目を悉く肩に荷うはよし
わが国民はよく負荷に耐え
試練をくぐりてなほ力あり屈辱を嘗めしはよし
抗すべからざる要求を潔く受け容れしはよし
されど、ただ一つ、ただ一つ
いかなる強制、いかなる弾圧、いかなる死の脅迫ありとも
陛下は人間なりと仰せらるべからざりし
世のそしり、人の侮りを受けつつ、ただ陛下御一人、神として御身を保たせたまひ
そを架空、そをいつわりとはゆめ宣はず
(たとひみ心の裡深く、さなりと思すとも)
祭服に玉体を包み、夜昼おぼろげに、宮中賢所のなほ奥深く
皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかづき、神のおんために死したる者らの霊を祭りてただ斎き
ただ祈りてましまさば
何ほどか尊かりしならん
などてすめろぎは人となりたまひし。
などてすめろぎは人となりたまひし。
などてすめろぎは人となりたまひし

この文は昭和天皇への呪詛と言われている。彼が自分と国家の根拠であり、文化の統一性を担保すると思いを入れた天皇が、単なる人間と成り果てた。これは彼にとっては天皇の裏切りであったのだ。その想いを「2.26事件」の将校に仮託した作品と言える。三島にとっては自分のまた日本のアイデンティティの確固たる、揺るがぬ、しかも神聖な基礎が天皇であるはずだったのだ。この気持ちは私たちもしばしば主に対して感じる偽らざる気持ちであろう。主の真実は永久不変であるが、私の期待する真実と微妙にずれることがあるからだ。その時、私たちは主に裏切られたと感ずる。これが人の側の真実である。しかし、聖書は

では、いったいどうなのですか。彼らのうちに不真実な者があったら、その不真実によって、神の真実が無に帰することになるでしょうか。
絶対にそんなことはありません。たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。それは、「あなたが、そのみことばによって正しいとされ、さばかれるときには勝利を得られるため。」と書いてあるとおりです。
・・・
でも、私の偽りによって、神の真理がますます明らかにされて神の栄光となる・・・・-Rom 3:3-7

このパウロの告白の底辺に流れているのは、まことに人間パウロの三島的葛藤である。彼は同胞であるユダヤ人が滅びに定められていることについて、まさに三島が「2.26事件」の将校に抱いたと同じ感覚を覚えていたのだ。彼らは天皇のために立ち上がったが、天皇は彼らに対して「朕、自らが成敗する」と激怒された。われわれは神に裁かれることにより神は勝利を得ることができるが、三島は天皇に裁かれることを望みつつ、逆に天皇を裁いてしまった。などてすめろぎは人となりたまいし・・・と。

われわれの不真実は神の栄光となるが、それは人間となられた主イエスの流された血潮の力による。しかし三島が天皇の復活を叫びつつも、人間になられた天皇に裏切られたと感じ、ついには唯一の希望を託した自衛隊にも裏切られ、その孤独の中で美しい筋肉美の腹を切って流した血は、世間からは狂人の流した血とされた。おそらく彼は自分自身をイエス・キリストと重ねていた節もある。「裏切り」という経験を経た者同士として。が、彼の血は何も贖うことはできなかった。嗚呼、三島由紀夫。私は彼の心根に深く共感する。私に主イエスの血潮が注がれていなかったら、多分に彼と同じ自己破壊的衝動を抑えられなかったであろう。

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今日、アメリカの対日政策が着々と進み、きんたまを抜かれて野蛮人の前に膝を屈めたこの国(これは三島の言葉である)。私的には4回の去勢を受けた国家だ、「自由と民主主義」の欺瞞の旗印のもとに。山本太郎のヒステリックな所業などはあえて論じるまでもないが、芯を抜かれてクラゲのように漂うこの国の行くへは、かなり厳しいものがあろう。小賢しいニンゲン的手法で戦後巧みに世界の力学のはざまを漂い続けたこの国が、真の権威を知り、真の権威に服し、真の権威を畏れまた崇めるに至るためには、本日のウォッチマン・ニーの黙想にあるとおり、巨大な敵に苦しめられ、打ちのめされる必要があるのだ。

三島由紀夫、彼は真実を知ってしまい、自分の真実に忠実であるために、腹を切った。本来、戦後のニッポンにあっては彼の振る舞いこそが真実なあり方なのだ。人々は無意識的にそれを知っているがゆえに、三島をあくまでもナルチシズムの狂人としておく必要があるのだ。

「益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾歳耐へて今日の初霜」。この11月25日、三島の命日だ。合掌

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