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嗚呼、真央ちゃん・・・

2005年に私はこう書いた

無邪気さの強さ:T-1days

フィギュアの浅田真央ちゃんは実に強い。プレッシャーもなく、伸び伸びと滑っている。勝とうとしていないし、うまく滑ろうともしない。ただ楽しんで滑っているだけ。あの無邪気さにベテランもかなわない。彼女たちもかなり良い成績を出したが、見ている方がハラハラする。特にラストの安藤美姫(18歳には見えない・・・)は緊張感がビンビンと伝わってきた。

ところが二位だった真央ちゃんにはそれがない。単純に演技を楽しんでいる選手を見ると、観客も楽しめる。実は私たちの信仰も同じ。勝とうとしたり、クリスチャンとして失敗しないように、あるいはうまくやろうと構えると、見ている人たちもハラハラ。無邪気さの中で力が抜けた真央ちゃんスタイルで生きたいと感じた。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

いのちのままに飛ぶ鳥。私たちはキリストのいのちを得ているのです!

しかし、いつか来ると心配していた安藤美姫化が今回真央ちゃんにも起きてしまった。得点55.51に、自分でも分からない・・・と呆然とインタビューに答えた彼女が痛々しい。今回は羽生が以前の真央ちゃん状態で滑れていた。何事もそうだが、意識した途端に自由を失ってしまうのだ。美空ひばりも歌っていた、「勝つと思うな、思えば負けよ~」と。ちなみに禅語にこのようにある:

至道(しいどう)は無難なり/唯だ揀択(けんじゃく)を嫌う
纔(わずか)に憎愛無くんば/洞然として明白(めいばく)

道に至ることは単純である。揀択、すなわち事の善悪や白黒を離れればよい。愛とか憎しみとかの相対世界を超えるとすべては明らかなのだ。善悪を知る知識の木の世界を離れたいのちの木の世界に生きること。これこそがいのちの法則のままに生きる自由をもたらすのだ。真央ちゃんも滑ること自体を楽しめばよいのだ、かつてのように。

参考:意識の扱い方について

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