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本日の二冊

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ウェブスター・タープレイの『オバマ-危険な正体』。私がオバマ大統領誕生についていだくに至った懸念の根拠は、彼の熱狂的支持者たちの目だった。彼らの目は逝っていた!私は精神保健学の講義でも、タレントが結婚すると、何年もつかを予測する。たいていは当たる。私がどこを見ているか、それは目である。多くの場合、目が宙に浮いているのだ。
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これは大脳辺縁系の海馬の先端にある偏桃核が興奮し、それを前頭前野が制御し切れていない兆候だ。つまり「アバタもエクボ」状態。かくして真実を見ることができず、脳内の幻想に恋する状態となる。これがオバマにも起きている。「オバマもエクボ」なのだ。それが醒めるときは・・・(言わない)

本書でもオバマ型ファシズム(ポストモダン・ファシズム)の台頭を予測する。ファシズムの本質はトップダウンの独裁社会ではなく、むしろ誕生期には大衆の不安や欲求不満を吸い上げ、ボトムアップの形で台頭するのだ。つまりファシズムとは、大衆が自ら作り上げるものなのだ。彼らの内的願望を投影されて、それを実現に至らせるかのようなパフォーマンスのできるキャラクターが、たまたま独裁者のロールを果たす。本来彼も大衆の集合的無意識が作り上げた幻想なのだ。大衆は自ら作り上げたその幻想を「メシア」として"恋"をする。そして自分の不安や欲求不満に彩られた現状から脱するために、喜んで彼の束縛を受けるのだ。ここで一種の共依存的共同体が成立する。つまりはロールプレイングゲーム。ナチの台頭もまさにこのメカニズムによった。このBlogでも

表に見える現象はアメリカ国民が"CHANGE"を選んだと言うわけだが、私的にはメセージでも語ったが、ソドム&エジプト化の方向へと大きな一歩を踏み出した印象を持つ次第。まあ、時が明らかにするであろうが、どうも社会においてもキリスト教界においても、時代の霊は主の十字架を否定したいようだ。十字架抜きの「すべては赦され、愛され、何でもOK、われらはひとつ、YES, WE CAN!」と言う霊的フェイクの時代が到来したと感じている。

とすでに書いた()。この数年、私は「現代、私たちは巨大なフェイクを見せられている」と書いているが、オバマはその最終段階に選ばれた器であるようだ。そしてニッポンでも派遣切り、ソニーですら16,000人のリストラ。近々職も住居も失って30,000人が路頭に迷う。それはまだ序の口。本書によれば、「ファシズムとは一般の意思を体現する指導者」なのだ。愚かにしてナイーヴな大衆が「メシア」を待ち望む下地ができつつある。小泉氏もその一人だった。時代はいつか来た道。そのキーワードは「ソドム&エジプト化」、すなわち「ポストモダン・ファシズム」である。

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二冊目は五木寛之の恋愛小説『スペインの墓標』。小作品がいくつか収録されている。五木の恋愛小説は、前にも書いたが、さらっとした無機質な、そして何とも言えない世界が展開するのが魅力。どう表現してよいか分からないが、とにかくその世界に惹きつけられ、憧れるのだ。自分が主人公として代償満足を得るのかも知れない。

私たちが人生で遭遇する男と女の関係は、そのシチュエーションも展開もきわめて限定的であり、むしろひとつの道を選ぶことは、他の無数の道を捨てることなのだ。この捨てられた無数の道は私たちの無意識に沈殿し、絶えず代償満足を求めている。上のファシズムの成立の病理とも似ている。五木はこの選ばれなかった忘れ去られている無数の道に生命を吹き込み、ヴィヴィドに描き、その私が投影する対象である登場人物により、実に危険で魅力的な恋愛過程をシミュレーションさせてくれるわけ。これも林住期のとりあえずは無害なアソビなのかも知れない^^

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