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TODAY'S CELEBRATION 【Mar 01, 2015】

UPしました。

●タイトル:求めるものは何でも
●聖書箇所:ヨハネ14:13;2コリント10:4-5など

●3月8日のセレブは
 
 ・時間:0900-1200
 ・場所:横浜技能文化会館5F特別会議室

マイ・リアリティvs.御言葉

私たちが見ている現実や世界観(パラダイム)は私たちの思い(mind)の産物だ。うつ病の治療法である認知療法の創始者ベックが言っているが、私たちはみなそれぞれ認知の歪みを有している。これが個々の人の内的世界観を作り上げるのだ。私たちは教育、伝統、社会常識、科学知識などによりその内的世界観を何気に構築している。これが人によって異なることからしばしば争いが起きる。さらに深刻なのはしばしばこれが御言葉と対立するのだ。そのために神の国の現出を妨げる。十字架を取るとは、この世界観を御言葉に従わせることだ。感情は思いについてきて、それが意志決定を左右する。思いにこそ十字架を適用する必要がある。私たちの思いは神に敵対するか(=肉の思い)、神に服するか(=霊の思い)、その二者択一だ。

またあなたがたが思いの霊において新しくされ-Eph 4:23

Bethel Churchの証

貼っておきます

January.26.15

On Saturday, January 17, a Bethel Healing Rooms leader had a word of knowledge that a woman would come in whose finger would grow out.

That morning, a woman came in for prayer for something else, but her pinkie finger, much of which had been lost in an accident years ago, started to grow back out.

When she was 12, she was starting to hear God's voice. Her family had a fence with a roof that hung over. One day, she left her house key in her bedroom. She used to wear a lot of rings. She decided to hop the fence and go through her bedroom window. She heard a voice, which she now knows was the Lord, tell her to take her ring off. Another voice said, "What are you dumb? Leave it on." There was one nail on the fence and her ring hooked on it and it took off her finger. There was trauma to her whole body.

In the Healing Rooms, she felt a tingling sensation when she was receiving prayer. Her finger is now stronger. It was shorter and fatter, and now it is longer and thinner. Her husband and children could see it growing. They kept seeing gold dust forming on her hand, and it got on the ministry team, too. She felt a glory and weight sensation on that whole side of her body that had previously felt the trauma.

She could feel it stretching and growing out. It was really tight and she could not bend easily. Now it is loose and not tight anymore. She was very touched by the Lord and later that morning forgave herself for not heeding the warning.

Her finger has grown out already about 3/4s of an inch and is continuing to grow and form.

ゲット・チャレンジ

Bill Johnsonの"Experience the Impossibble"の中の1節:

Our minds are either renewed or at war with God

The framework for renewed mind is the nature and promises of God. Living aware of and out of that reality is how the renewed mind is shaped. The renewed mind, for example, honestly sees the potential for a child's lunch to feed a multitude. This kind of thinking does not come easily.

私たちのマインドは新たにされるか、神に敵対するかである

新たにされた思いの構成は神のご性質と約束にある。そのリアリティを意識しつつまたそこから生きることは、新たにされた思いが形成される過程である。例えば、新たにされた思いは、子供のランチで群衆を養い得ることを真実と見る。このような考え方は容易に得られるものではない。

真理か、幻想か?

この2ヶ月間、それまでのアイドリング状態から抜けてここまできているが、いったいDr.Lukeは何をしているのか。それはあの3日間に起きた現象が何だったのか、またあの時に見たこと・聞いたことが幻想、幻覚、それとも単なる思い込みだったのか。これが明確にならないとどうにも落ち着かないのだ。エゼキエルも

私が見ていると、見よ、激しい風とともに、大きな雲と火が、ぐるぐるとひらめき渡りながら北から来た。その回りには輝きがあり、火の中央には青銅の輝きのようなものがあった。
その中に何か四つの生きもののようなものが現われ、その姿はこうであった。彼らは何か人間のような姿をしていた。
彼らはおのおの四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。
その足はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏のようであり、みがかれた青銅のように輝いていた。
その翼の下から人間の手が四方に出ていた。そして、その四つのものの顔と翼は次のようであった。
彼らの翼は互いに連なり、彼らが進むときには向きを変えず、おのおの正面に向かってまっすぐ進んだ。
彼らの顔かたちは、人間の顔であり、四つとも、右側に獅子の顔があり、四つとも、左側に牛の顔があり、四つとも、うしろに鷲の顔があった。
これが彼らの顔であった。彼らの翼は上方に広げられ、それぞれ、二つは互いに連なり、他の二つはおのおののからだをおおっていた。-Ezek 1:4-11

と何か正体不明のものを見ている。かつてはこれは単なる神話的な挿話かなとも思っている部分があったが、今では彼は実際に見たのだと確信できる。私が見たことはまだ話せないが、あの光景ははっきりと焼きついている。以前は

・御言葉を読む→知的に理解する→レーマとして実際に主観的に経験する

の順だった。が、今回は

・何かを見せられ・聞かされる→知的には理解できない→御言葉と照合する→納得する

という順になっているのだ。・・・というわけで、この照合作業はいまだに継続している次第。

アイデンティティー

信仰生活の質を決める要因は、アイデンティティーであると、最近とみに感じる。つまり、神はどのようなお方か、自分はどんな存在とされているか、敵はどのような者であるか。私たちがいだくこれらのイメージが私の今の信仰を決定する。

たとえば、罪を犯したとする。神に対して検事的な父親のイメージを持つ人はただちに裁かれると感じて自責感に陥るだろう。あるいはそのマイナスを挽回するために、父に認められようとして限りない消耗的努力に駆り立てられる。サタンはそれを煽り、罪定めの感覚でさらに追い込む。かくしてこのような父親のイメージをいだく人は霊的にoppressされる。

対して、すでに十字架の御子イエスの上に父はすべての怒りと裁きを下しており、イエスが流された血がなだめの供え物となって、安息された父のイメージを持っている人は、ただちに罪を告白して、血による洗いを受け、安息することができる。すでに神の子とされたこと、キリストにあって完全に受け入れられていることを主観的にも知っているので、これから認められようとしてもがくことはない。サタンの告発や中傷に対してもイエスの血と御言葉により対応できる。

Bill Johnsonが言うところであるが、病気を用いて自分の子を訓練することは、罪を用いて訓練することと何ら変わりがないと。病気の中で成長するといった考え方がキリスト教ではかなりよく見られることは事実だが、罪の中で成長するといった考え方は、少なくとも私の知る限り、ない。ここでも罪と病気の絡みが問われるわけだが、私たちの見解ではなく、父がこれらをどう見ておられるかが重要なのだ。つまり父のアイデンティーが問われる。それにはイエスの行動を見てみればよい、彼は父の完全なる反映だから。

結局、もろもろの神学にせよ、聖書解釈や解き明かしにせよ、それぞれが内包する神・人・サタンのアイデンティティーの持ち方次第で千差万別となる。ゆえに神の国をロゴスでとらえる限り、みんなバラバラだ。しかし、神がこの地上に介入され、サタンを退け、神の国のデュナミスにより不可能を可能にするとき、私たちは神を体験的に知り、味わうことができる。そして父と子を知るが、それは聖霊による。神の国は聖霊にある義と平安と喜びだから。

真のイスラエル日本のエクソダスが近い

いつもの富井氏の論がいよいよ極地に達しつつある。日ユ同祖論が神道関係者でも一般的になっていると。アブラハム契約の預言はAD70年に成就しており、本当のユダヤ人は日本に入り、今のイスラエルは偽物。そして現代のパロであるアメリカから独立し、エクソダスを果たす時が近いと。うーーむ。私たちのパラダイムとまったく異なる。しかし、すでに今が千年期であるとする彼の説が真理ならば私たちはフェイクの世界を生きているわけだ。もちろん逆も言えるわけだが・・・。

tomi 2015/02/26(木) 08:03

ついにその時代がやってきた

昨日、ある支援者から電話があり、興味深いことを知った。

彼が経営する学校の生徒の父兄が国学院神学部の卒業生とのことで、彼が日猶同祖論の話をすると「それは今神道関係者の間でも一般的になっている」とのこと。

神道関係者の間でも興味を持たれて研究されていると。

これは驚きである。

ついに、このような時代が来た。

明治天皇が娘・仁(しのぶ)様に言われたように、「日本は、紀元前においてユダヤ教が入り、紀元後キリスト教に習合された。だから、キリスト教が中心とならねばならない」。

三笠宮様のお父様三笠宮崇仁親王は、聖書に出てくる(創世記14・6)ホリ(フルリ)人の研究家。なぜフルリ人を研究したのかというと、おそらく自分のルーツがそこにあることを知っていたからと思う。

今後、明治天皇の予言が実現し、日本人全体に、天照大神が実はキリストであったという事実が理解されるだろう。

tomi 2015/02/26(木) 07:45

出エジプトが迫っている

ロイターや、日本の民主党、評論家などが、左翼的な立場から必死に安倍さんをヒトラーとして描き、安倍政権を通じて次第に言論弾圧が近づいているような印象操作をやっている。

これは、日本の独立を阻止しようとするエジプトのパロの軍隊である。

われわれは、自由になるために紅海を渡ろうとしている。

神の奇跡が起きて、これら戦後の日本を呪縛してきた「日本民族封じ込め」戦略が破たんするように。

今日のパロとは、イルミナティである。

中国も韓国もEUも米国・イスラエル連合という名の「獣に乗った大淫婦」たるイルミナティの仲間であり、日本という「真のイスラエル」の復活を妨害しようとしている。

偽イスラエルであるイルミナティは、ISILという邪悪な傀儡を使って、ユーフラテスからナイルまでの地域を支配しようとしている。

それは、アブラハム契約の預言「ユーフラテスからナイルまでおまえとお前の子孫の土地になる」の成就のためである。

しかし、この預言は、イエス・キリストにおいて紀元70年に成就した。

偽イスラエルは、イエス・キリストをメシアとして認めず、自らが用意した偽メシアを擁立してイスラエル中心の世界統一を実現しようとしている。

この悪魔の計画を実現するためには、日本を独立させてはならない。

イエス・キリストの国である日本が独立してしまえば、自分たちの計画はすべて破たんする。

そこでこれまでのように、米国による圧力を使って抑え込もうとしているが、かつてのような力がない。

われわれがなすべきは、イルミナティの計画の破壊と、日本の独立である。

日本が真のメシアの国として復活することである。

そのために祈ろう。

a creative miracle

霊の世界-天使による救出劇

かつての私はロマ書やガラテヤ書、それとへブル書を好んでいた。きわめてロジカルであるゆえに。が、霊の世界そのものについては未知の領域であった。特に天使などは・・・。

御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。-Heb 1:14

素朴な疑問

現代においては、いわゆるしるし・不思議・癒し・異言・預言・使徒もない、とのたまう方々は、次の御言葉はどのように理解しているのかしらん?

それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。-Mark 16:15-19

イエスはすでに天に挙げられたゆえに次の御言葉は成就するはずだ。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。-John 14:12-13

ちなみに「使徒」とは「遣わされる者」の意味に過ぎないのだが。確かにオリジナルなイエスが選んだ12使徒は特別であるとは思う。

追記:最近、しみじみ感じるのは、同じ聖書を読みながら、なにゆえにこれほどに理解が食い違うのかという点。たとえば、再建主義の富井氏に言わせれば、ディスペンセイションを教える者は永遠の滅びに落ちる。私は確実にアウトだ。鍵は霊のことは霊によって知る他ないということ(1Cor 2:14)。オツムで解釈するとあえて混乱するように神は配剤されているのかしらんとも思える。これも善悪を知る知識の木の実を食べ、魂、特に思いを肥大化させた人類に対する警鐘なのかなと思える昨今ではある。人間の思い(マインド)のパワーは思いの外、大きいものがあるのだ。ゆえにマインドがキリストのマインドと一致すること、これこそが信仰をまっとうするための大きな鍵となる。

「地獄でかの者の意志がなるごとく、地にもなるように」

という祈りがあったとしたら、現状でそれが成就していることは誰もが認めると思う。中一生徒などの殺害事件の連鎖、ISILにしても21人のクリスチャンの首を切る行為など、地獄の門が開き、かの者の意志を忠実に行っているのだ。対してクリスチャンはどうか?自分の葛藤の解決やハッピネスの追求でほとんどエネルギーを消耗しているのが現状。

主は復活した週の最初の日の晩に弟子たちに言われた:

その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。
そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。-John 20:19-23

戸がしまっているのに入って来られ、おそらく仰天している弟子たちに平安を祈り、復活の証拠を示された。そして「父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」と言われた*1。父がイエスをつかわされたように、とはどういうこと?そして聖霊を吹きかけて、罪の赦しを弟子たちに委託したのだ。罪の赦しを委託されるということは、病の癒しをも委託されることに他ならない(Mark 2:9参照)。かくして聖霊のうちにある神の国の権威を得たのだ。

わたしは、あなたに天国の諸々のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、すでに天でもつながれており、あなたが地上で解くことは、すでに天でも解かれているであろう。-Matt 16:19(私訳)

この節は時制が重要。天ですでにつながれていること、すでに解かれていることを、地上でもつなぎ、また解くのだ。かくして地上にて天で裁決されていることを具体的に執行するのが、天の門であり神の家であるエクレシアの役目となる。もしこの権威を用いて私たちがその役目を果たしたら地上で何が起きるのだろうか?繰り返すが、現状をひっくり返してみればよい。具体的にはイエスご自身がなされたことそのものなのだ*2。くだらない神学論争をしている暇があったら、御父の完全なる体現者イエスを見よ!(John 14:9)そしてその通りに行うこと*3。SO BE IT!

■追記:よく、主イエスは貧しく、見る影もなく、罪と病を知っていたから、その通りにクリスチャンも歩むべきだとする向きがある。カトリック系の自己憐憫投影型だが、これはまったく違う!下の同一視の問題とも絡むが、私たちが同一視するのは復活のイエスなのだ。古い存在を蘇らせてどうするわけって?新しい復活の初穂と私たちはひとつだから新創造なのだ。

*1:このふたつの「つかわす」は単語が異なる。前者はapostellō、後者はpempō。しかしイエス自身、父が自分をつかわされたと言う時、この二つを交換的に用いているので、同じセンスとみてよい。
*2:これは必ずしもしるし・不思議だけをなすことではない。神の国は力(デュナミス)にあると共に(1Cor 4:20)、聖霊にある義と平安と喜びなのだから(Rom 14:17)。
*3:私には無理と思われた方はとんでもない勘違いをしていることに気が付くべきだ。イエス自身も自分では何もできないと言われているではないか!彼のうちにおられる父が業をしていると。だからマインドのトランスフォーメーションが必要なのだ。新創造として生きることを阻害しているのは、マインドのうちに構築された敵の要塞なのだ。自分を責めたり、改善しようとしたところで、まったくの見当はずれと知るべきであろう。

セレブライブの代わりに

22日のLIVEは公開できませんでしたが、ちょうど同じテーマを扱ったメッセージがありましたので、紹介しておきます。私たちのマインドに構築された敵の要塞を落とす鍵は

わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、そして、あなたがたが完全に服従した時、すべて不従順な者を処罰しようと、用意しているのである。-2Cor 10:4-5

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