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Category: 日記

本日のいただきもの-スパークリングワイン

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フレンチのシェフから。いや、うれしいですね^^v サンクスです。

イタリアワイン タメッリーニ スプマンテ'09
品種 ガルガーネガ100%
標高100㍍の小規模畑からのセレクション。房ごとプレスし、ステンレスタンク発酵。シャンパン製法によるミネラル感たっぷりのスパークリングワイン

日本の中の日本、諏訪

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今、まさに諏訪は燃えている!私は東京で生まれ、保育園から諏訪。母が重度の喘息、私たちも慢性気管支炎で、実家が諏訪の父が戻ることを決断。で、高校ま で諏訪。が、つねに居場所がないという疎外感を覚えいていた。中学の時、同級生に唐沢は言葉が違う、と言われて、ああ、自分は諏訪には住めないと実感し た。そう、言葉が違うのだ。これは致命的。一応真似はできるが、関東人が関西弁を真似する違和感を醸すのだ。あの独特のイントネーションはとても無理だ。

わがクリスチャンの友人が諏訪に移住するや、さっそく諏訪原人からの”洗礼”を受けたそうだ。諏訪にいて御柱やらないと諏訪では生きていけないぞ!と。私 が想像するにこんな会話だったかなと。おめたちゃ、どっからきたでぇ。おい、諏訪にきて諏訪大社の御柱やらんって、どうゆうでぇ。そんな理屈こねこいてると、 ここじゃ、生きて行けんずらぁ・・・・。そう、彼らには悪意はない。よそ者にはきわめて閉鎖的。だが、それに気がついてもいない。彼らにとっては空気のよ うに当たり前のことなのだ。

が、譬えると、こんな感じ。クリスチャンにとっては、イスラム圏にきてアッラーを信じないと生きてはいけない、と宣告されるのと同じようなものなのだ。要 するに彼らには意識はないだろうが、実質的な脅迫(;'∀') まあ、これは諏訪に限らないが。諏訪もイスラム圏も相対的な価値観、つまり比較対象する価 値観の世界に住んでいないわけ。諏訪神社やアッラーが空気のような世界。だから彼らには御柱に参加しないことはまったく理解できないだろう。かつての現人 神天皇も同じ。それが空気なのだ。山本七平は、日本は空気の社会だ、と指摘したがそのとおり。

かつては私も室生犀星状態。故郷は遠くに在りて思うもの、よしや異土のかたひとなるとても・・・だった。最近は前回の御柱から見物人として訪れている。ま あ、イベントとして見ると実に面白くかつ楽しい。前回は2人が死んだが、当たり前に続行する。自粛なんぞはあり得ない。御柱で死ぬって、諏訪原人の最高の 名誉、まさに面目躍如なのだ。これも部外者から見ると理解できないわけだが・・・。

諏訪には他に御頭祭もあって、これは旧約聖書のイサク奉献譚とそっくり。神に子供を捧げる直前、神官が代わりに鹿を捧げるのだ。その山が守屋山。神官の名 前が守矢氏。イサク奉献の場もモリヤ山(今の神殿の丘)。諏訪大社には古事記のタテミナカタが逃げてきて祀られているとされているが、その土着信仰はミ シャクジ。日本語では意味不明。が、ヘブル語で読むと、ミ・イサク・チ。イサク由来の蛇神の意味だ。すでにイスラエルのアミシャブも調査に訪れている。諏 訪大社とユダヤの関係、実にロマンがある。

そんなわけで、諏訪に戻る度、カプセル空間に戻る感覚を覚えているのだ。周りがすべて山。関東方向に富士山が見えて、ああ、あっちに戻りたいと幼心に思っ ていた。よくここで生きていたなあ、としみじみ。同時に、それなりの懐かしさも。自分の由来の秘密をいろいろと知る瞬間もあったりで、封印されていた古 文書が開かれるような経験もしている次第。

諏訪って、かつては縄文時代の中心。つまり日本の首都。地理的にも日本列島のヘソだ。彼らは常に諏訪湖を見つめて生きている。諏訪湖は一種のパワースポッ ト。関東などは見つめる中心を喪失した感があるが、この諏訪湖とそれを挟んで配置された四つの諏訪大社がまさに諏訪のアイデンティティーの中核。彼らに とってはそれが人生のすべて。彼らの会話はこうだ、お互い、次の御柱までは生きてるかねぇ~。つまり御柱は彼らの人生のクロックなのだ。

諏訪は日本とフラクタル(相似形)。カプセル化された世界のさらにカプセル空間。その中の価値観が空気のように当たり前の世界。他の価値観や世界観はなか なか受け入れられない。誰も疑問も覚えず、その中に黙々と生きている。かつては東洋のスイスと言われて精密で鳴らしたその諏訪も活気をどんどん失ってい る。御柱でようやく盛っているのだ。ここの状態を見ると日本が分かる。

で、つい、次はぼくもXX歳だなぁ~と、何気に考えている自分に気がついて、ハッと我に返った次第。ハハ!

追記:一応指摘すると、「オンバシラ」のアクセントも諏訪と東京では微妙に異なる。諏訪では-----とフラット。東京では--___。名前の「フジモリ」とか「オグチ」なども異なるので、現地では要注意。すぐよそ者と見抜かれてしまいますから(;'∀')

難病特定疾患の癒しWOW!

今回、ちょっと諏訪の御柱見物をかねて、車山のファスティング・ペンションを経営している兄弟(牧師)の元を訪ねた。2008年ごろから交わりをいただいているが、いや、驚いた。当時とはまったくの別人。とにかく風呂上がりのさわやかさオーラを醸しておられる。かつては・・・略。

が、その経験を伺い、またも驚き。詳細はここでは書けないが、彼は自分のエンド・オブ・ロープを経験された。ある意味、地獄を見たというべきか・・・。それがこれでもか、これでもか、なのだが、いずれ彼が証をモノしてくださると期待して、極私的には難病の癒しを書きたい。詳細は略すが、とにかく現代医学では治せない難病指定の疾患を二種類併発。関西の某大学病院に入院、最新の高価な治験薬も試すがすべてダメ。むしろクスリを投与されるほどに悪化していった。

が、ある時、彼は自分は癒されたとストンとわかった。で、投薬を拒否。まもなく諏訪に導かれて(これもまさに主の御手によるとしか言えない)、現在のペンションでチャーチを開始。紹介状をもらって諏訪赤十字を受診したところ、なんとすべて正常値!医師が首をかしげることしきり。で、彼いわく、イエス様が癒して下ったのです、と。すると医師いわく、イエス様でもなんでも治ればそれは大変結構だ、と。少し医学的知識があれば、これは神の御手によると分かるはずだ。そのくらいにその疾患はヤバ。しかし彼はそろそろ難病指定を外してもらう予定だとか・・・・。WOW!

彼と交わって、分かること。砕かれていること、明け渡していること。すべてを手放している!だからなんらの葛藤も、もがきも感じない。私はけっこう敏感にそういった要素を感知することができるのだが、実にさわやか・・・。こちらも楽。衒いや力みや見栄がない。挑発的な要素もない(私はけっこう挑発を受けることが多いので敏感に分かるのだ)。普通の社会人からしたらすでにオワッテいるはずなのだが。まさに死と復活の法則!

うれしいことは諏訪に福音のポータル(門)が開かれたこと。諏訪の御頭祭などはアブラハムのイサク奉献そのものなのだ。守屋山で守矢氏が執り行う。諏訪原人はトンデモとするが、土着のミシャクジ信仰などは原人も意味不明であるが、ミ・イサク・チ(イサク由来の蛇神)と解読される。これも私の新著にちょっと紹介してある。

・・・という次第で、癒しにせよ、何にせよ、主のわざに与るカギはなにか?それはサレンダー、明け渡し、手を放すこと。これは口先でいくら宣言しても無意味とは言わないが、あまり奏功しない。不思議なもので、心が粘着している間はなかなか癒しなども現れない。が、自分がふと手放す瞬間が訪れる。英語では"the end of my rope"あるいは"hit the bottom"。彼をソコを通った。これは分かるのだ。口先でいくら正論を吐いても、真のサレンダーではないことが分かる。逆に真のサレンダーは語る必要がない。触れ合うと分かる。これは言葉を超える。霊が流れるのだ。またシンクロニシティも覚えた。主はダイナミックに動いている!

まさにそのペンションにフィットする「風呂上りのオヤジ」。諏訪にこのような福音のポータルが開かれたことは実にうれしい限りだ。G.B.U!

温泉にて脱力とちょっと証を

1泊で強羅温泉に行っておりました。温泉は私にとってはなくてはならない存在。確かにフィジカルにして、五感の領域のものに過ぎないが、この肉体を持つ限り、そのメンテは必要なのだ。今回は面白い食を経験した。

箱根のはつ花の蕎麦。100%蕎麦+卵で打ってある細打ち蕎麦。触感が新鮮で甘い。けっこう人気の店のようで、かなり行列が。私はたまたまナビの案内に従ったのだが・・・。

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ホテルは強羅の山の上。曇ってきたと思ったらなんと雪が。それもさんさんと、雨脚ではなく、雪足が強くなってきた。やばい、車はノーマル。しかも急坂の山の上。と、思いつついるうちに、あたりは一面白くなってきてしまった。どうしよう・・・と、これがこれまでの私の思考パタン。

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で、思い出した。イエスは嵐に命じたのだった。雪の降りしきる外に向かって、イエスの名によって命じる、雪よやめ!と声を出して2回ほど。カミさんは怪訝そうな顔をしているが、カーテンを閉め、食事。小盛の多品目で楽しめる。10分ほどしてカーテンを開けてみると、おお、見事に雪がやんでいるではないか!・・・いやなに、単なるぐーぜん、グーゼン、偶然・・・。

前にも書いたかもしれないが、子供たちが小さい頃、夏休みに伊豆の白浜に泳ぎに行くとき台風が来て、一度はキャンセル。しかし夏休みも終り近くになり、最後のチャンスに出かけようとすると、またも台風。どうしよう・・・。祈ると、GO!と声がした。さらに英国のコリン・アーカートの証を思い出した。夏のフェイス・キャンプで雨が降り続いた際、彼は天候に命じたのだ。するとピーターバラ一体だけが雲に穴が開いて晴れた。TVでも珍しい現象として報道された。

で、私も、白浜よ、晴れよ、イエスの名によって命じる!と。そして伊豆に(内心恐る恐る)向かい始めたが、なにしろ台風に近づくので雨は激しさを増すばかり。家族はみな意気消沈。私もめげ出したが、メンツもあるのでとにかく進んだ。・・・で、白浜。おお、なんと真夏だ。太陽がギラギラ!雲が白浜の上空だけ抜けている!かくして真夏の海を楽しんで、みな真っ赤に焼けて一泊して帰路に。伊豆を上るとなんと豪雨。そんななかでフェミレスに入ると客と店員の目が一斉にわたしたちに・・・。そう、豪雨の中で私たちは真っ赤に日焼けしているのだ!

まあ、ぐーぜん、グーゼン、偶然。たまたま台風の目だったんでしょう・・・。はい、かもしれませんが、大切な点は私たちは祈った、すると真夏の海で泳いだ、真っ赤に日焼けして、夏のいい思い出を作ることができたということ。もちろん神に感謝。偶然なる単語は実に便利。生命も偶然、人生も偶然の積み重ね。すべてはぐーぜん、グーゼン、偶然とやっていれば自己責任を問われませんからね。

かくして無事に山を下りて箱根のベネチアンガラス美術館にふらりと。雰囲気はなぜか河口湖のオルゴール美術館とそっくり。キラキラとガラスが輝き、仮装服を着た人々が大勢いるちょっと怪しげな雰囲気の中でガラス工芸品を鑑賞。庭にてマツコ・デラックス氏が絶賛したとかのスフォリアラッテなるケーキを味見。面白い触感と初めて知る味が印象的な食べ物。これはクセになるかも・・・(左の物体)。

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かくして春の箱根の温泉を堪能してまいりました。しかし、花粉症が消えたおかげで、この時期も楽しめるのはありがたいことだ。あ、なに、ぐーぜん、グーゼン、偶然ですよ!Glory be to God!

 

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好天の中・・・

Dr.Lukeの一言映画評-『ビッグ・ショート』

2008年のリーマン・ショック。サブプライム・ローンのデフォルトからリーマン・ブラザーズやファニーメイなどの大企業が倒産。数百万人が職と家を失った。まさにそれを予見し、空売りをかけていた者たちがいた・・・。『マネー・ショート』。

もともとカネはないことは何度も書いている。無限等比級数の公式により、10%を残して(準備率)貸し出しを繰り返すと、原資の10倍になる。1%ならば 100倍。教科書では「銀行は預金者から与った金を貸し出す」と教えるが、真っ赤なウソ。貸し出す際の銀行の仕訳は、貸出/預金。私たち側では、預金/借 入金。銀行は100万の原資があれば、準備率10%なら1,000万までは預金を勝手に作り出せる!それは単なる帳簿上の数字だ。現金はまったく動かして いないのだ。

そして最も怖いことは、たとえば100人がローンを借りたとすると、みな必ず金利を負担する。それはどこから得るのか?もちろん市場からだ。ところが市場 のカネはもともとない。つまり椅子取りゲームになるのだ。100人が全員完済することはあり得ない!誰かが焦げ付くことにより担保を売って、それで他の人 の金利分を生み出すわけ。みな、自分は大丈夫と思っているだけ。そもそも全員が完済すると元の100万の原資だけに戻ってしまう。誰かが借金をしてくれるので、世の中のカネが回る。これが現在の資本主義システムなのだ。

これは個人だけでなく、国家も同じ。日銀は国債を買って、それを資産とし、それに見合うカネを市場に流す。が、それは日銀の当座口座につけられる数字。も ともと日銀の紙幣発行残は90兆程度。あとはすべて単なる数字に過ぎない!つまり政府の借金によりカネを回しているわけで、いくら税率を上げてもそもそも 赤字になることは必然なのだ。もし預金者がみな現金化するような事態になると、現ナマがないことが露呈する。この時には、そろそろ現実味を帯びてきた預金 封鎖が行われる。

マイナス金利とは国債を<元本+利息分>よりも高く日銀が買い取っている状況であるが、それもいつまで続くか。そもそもカネを放出しても使い道がない。投 資先もない。あなたは新たに何か強烈に欲しいものがありますか? 僕にはない。ほとんど手に入れてしまった。企業は350兆ほど内部留保しているそうだが、要するにタンス預金。個人もだ。そのため金庫だけは売りゆき好調 だとか。大体、黒田氏自身がこの機に乗じて億ションを買って悠々たる老後を送る姿勢だ。

今の1万札は原価300円程度とか。ゴールドに交換もできない。それを目の色変えて集めるって、よく考えてみると、正月によくやった任天堂の「人生ゲー ム」と同じなのだ。少なくとも北朝鮮の紙幣など、日本では誰も欲しくない。なぜカネになると人は目の色が変わるのか? それはマモンなる霊的存在の幻惑によるのだ。これが聖書の教えるところ。かつてオランダでチューリップの球根がバブル化して、6,000ドルとか 8,000ドルになったとか。が、みんながその幻想から覚めると・・・・。

資本主義経済システム時代がバブル。幻想を追いかけている。そろそろみながそのことに気が付きつつあるのだ。ババを引かされる前に・・・。この映画を観ながら、風邪でぼけたオツムで、ぼんやりとこんなことを考えていた次第。

ようやく風邪が

抜けてきたようだ。熱はないが、とにかく喉が痛くて、声がほとんど出ない。さらに咳がすごい。全身で振り絞るようにして咳が出る。なるほど喘息の方々の気持ちがよく分かった次第。明後日は大丈夫でしょう。私から声がなくなったら生きてる意味がなくなるわけで・・・sealed

久々に・・・

風邪をひいて(2010年以来)、声が完全に潰れた。熱はないのでフルではないと思うが・・・。しかし、語れなくなったら私の存在意義はないのだcry

DIANA KRALL JAPAN TOUR 2016

昨晩のDiana Krallのライブ、実にゴージャスな2時間だった。彼女は12歳ですでに酒焼けしたヴォイスのため、オーディションに落ちて、それがコンプレックスとなり、デビューは26歳。が、今やそのスモーキーではあるが潤いと艶のあるヴォイスが彼女の最大の魅力となり、Jazz女性ヴォーカリストの頂点に君臨する。

帰りは三軒茶屋からバスで田園調布まできて、東横で。懐かしい街だ。新婚生活をここから始めた。長嶋の家とか散策したり、楽しんだ。しかしコンビニもないし、坂の上り下りがあって不便であった。いつも土曜日に自由が丘まで車で買い出し。大丸ピーコックで用足しした後は駅前のあんみつ屋であんみつを食べるのがささやかな楽しみであった。

DIANA KRALL JAPAN TOUR

ついに今晩・・・wink

Windows10にチャレンジ

Windows7から10へのUPGRADEを試みている。一度10の32bitにUPして、あらたに10の64bitにするのだが、これがひとつの大きな問題を抱えていた。要するにファイル形式が異なるため、クリンインストールの必要があるのだ。ネットで調べてかなりディープな方法でようやくできた。が、なんとハードディスクをすべてクリアしてしまった。そのため、パーティションを切ってデータディスクにしていた部分まで・・・あ、消えた。ボーゼン・・・。これまで作成していたかなりのデータが一瞬でパア。もちろんバックアップは取っているが、最近のは未処理。・・・というわけで、現在はシステムの復旧に追われている次第。やはり重要なデータは何か所かに分散して保存しておく必要がある。というわけで明日までにはルーチンをこなせるようにと今必死なのだ・・・frown

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