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Category: 社会

中東は今、煮えたぎっている

ニッポンのオメディア(オメデタイ+メディアの合成語)が決して語らないこと。
彼の大統領選に対するメッセージは唸らされますね。

「ミステリー・バビロン」のヒミツ

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このクリップは実に興味深い。私は911以前から、現代のわれわれは壮大なフェイクを見せられていると指摘してるが、真理は御言葉にある。今、われわれはソレを目撃しつつあるのかもしれない。

-Sruvive The End Days

 

GOODではなくGOD―あなたのOを取れ!

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今週のメッセで私は、GOODではなく、GODだと語った。罪とは善と悪を知ることなのだ!ニュークリーチャーはいのちの木によって生きる。ヒューマニズムに対しては20年近く警鐘を鳴らしている。最近、英国でも神ではなく、ヒューマニズムを説教する"牧師たち"が出現しているようだ。終末の大きな兆候のひとつではある。

-With Christianity in Decline, Britain Sees Rise of Humanist ‘Pastors’

田中角栄の"漢詩"

國交途絶幾星霜,修好再開秋將到。
鄰人眼温吾人迎,北京空晴秋氣深。

まあね、これ国辱とまで言われているわけで・・・。平仄もでたらめ、押韻もなし、文法もアウト。和臭どころのレベルではない。で、毛沢東が田中に贈呈したのが『楚辞集註』六巻。

この意図については憶測がいろいろあるが、単純に言って、お前は幼稚園レベルとの皮肉。これも分からないのが田中。だいたいこんなのを漢詩のオリジナル国 に差し出す神経が理解できん。私などは一応体裁は整えているが、怖くてとても分かる人には見せられない(あ、ここの読者が分からないと言うわけではござ いませんので・・・💦)。

で、結局それ以後、舐められ続けているのがわが国なのだ。今般の挑発行為も、爆買いも。健気にも自衛隊や海保が懸命にその尻ぬぐいをさせられ、最近の都内高級デパートは爆買いがなくなって閑古鳥だとか。

が、けっこうおもしろい論評があったので紹介する。実に高度なアイロニーだ。

・田中角栄の漢詩について(⇒http://quni.biz/ping/negoto/kakuei.html

一方、こちらはかなり学術的な論考。

・田中角栄の迷惑、毛沢東の迷惑、昭和天皇の迷惑(⇒http://www.21ccs.jp/china_quarterly/China_Quarterly_01.html

田中角栄の残した「漢詩」とその漢字の理解力がその後の日中外交の質を定義したと言えることは間違いないだろう。しかし、クラゲのように漂うわが国は何処へ向かっているのだろう。

追記:この最初の人の自己紹介がオモシロい。よく分からんが、私も同類だ。
http://quni.biz/ping/intro/myself.html
「私は、愛とは何か、というテーマについて考え続けている人間です」、「自分は、『老子』に新しい注釈を施し、キリスト教の神学体系にそれを矛盾無く取り込むことをライフワークにしています」

それにしてもブラックホールの論文も書いて、「五行」の研究で東大から博士号取得???

追記の追記:

角栄擁護の論考(⇒http://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/sisosiseico/motakutokaidan.htm

リアルVS.ヴァーチャル

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この評(↑画像をクリック)はなるほど。原発事故で露呈した底抜けしたニッポンを逆説的に描いているわけ。ネガポジ反転すると現実が見えるシカケだね。映像的にはそれなりにオモシロかったが。この国の現状は『三国志』の漢王朝の末路と重なる。極私的には、天皇の生前退位も、天皇自ら「いち抜けた」と投げちゃう感じだ。

イラク戦の総括

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-英国で「イラク戦争は誤り」報告書 日本での総括はどうなっている?

この記事は重要。当時、ニッポンキリスト教のハーベストなんちゃらなどの一部の牧師たちが、「この戦争は神の戦争である。ブッシュのために祈れ」とかアジっていたものだ。

◎私の批判⇒http://www.kingdomfellowship.com/blog/index.cgi?no=18
◎ブッシュの罪⇒http://www.kingdomfellowship.com/blog/index.cgi?no=3102

が、私は2003年にこう書いた:

◎イラク戦の預言―アメリカは自らの偽りの果てしない刈り取りをするであろう-
http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing53.html

またブッシュについても神の主権を犯した罪の裁きを受けるとも書いた。⇒http://www.kingdomfellowship.com/blog/index.cgi?no=145

ニッポンも立ち位置を明確にすべき時なのだが、この国は人の目にどうかだけで、神の目を畏れることがない。アメリカの運命と一蓮托生になりかねない。

ここでも責任はほわほわと蒸発するのだろう。

追記:イラク戦その後⇒http://www.kingdomfellowship.com/Column/flowing56.html

追記の追記:イスラエルとエクレシアの関係を理解しないと、本件は混乱する。イスラエルは経綸的選びの民、その選びは終わっていない。エクレシアは本質的選びの民。この二つの選びを同じ平面に乗せると、置換神学とか、イスラエルは神聖にして犯すべからずになる。私がイスラエルを祝福せよと言うのは、経綸的なレベルでの話。念のため。

欺瞞国家の終末期モード

聖書的にも70年は大きな節目。この欺瞞国家も終末期モードに入っている兆候。天皇制そのものが日本という幻想を保つため、その真実を覆い隠すためのシステムなのだ。そのスケープゴートが雅子さま。しかし、これではもう無理だろう。ステテコでビールと枝豆で野球を見る暮らしを味わってほしいと思います。ご苦労様でした。

ニッポンの政治家も組織のトップも責任取らないのは、自分がトップと思っていないから。つまり究極的トップに天皇がいてくれるので、天皇に丸投げしちゃう わけ。が、その天皇には何らの実権もないから、責任はふわふわと蒸発してしまうと・・・・。シープルの大衆は煙に巻かれて、自分の生活だけでキュウキュ ウ。とりあえず今日明日食うこと。これ、ニッポンの本質。なんでしたっけ、ひな人形を流して罪の清算をする祭り。雅子さまだけでなく、天皇自体がそのひな 人形なんでしょう。

オバマVS.プーチン―善と悪の真相

エゼキエル38章でゴグ・マゴグは顎を引っ掛けられて麗しの国を攻める(Eze 38:1-5)。本心はしたくないのかもだ。

ハリー・ポッター現象の病理

10数年前に鳴らした警鐘はほぼ的中している。

 

リバイバル新聞(2002.03.03号)掲載記事

本件は社会病理、精神病理、霊的病理の各レヴェルで論じられるが、紙数の関係もあるので本質的な点にのみ焦点を絞って論じることにする。

1.社会病理レヴェル:仮想現実への逃避

まず結論的に言えば、このような種類の本や映画が異常なヒットを記録すること自体がすでに異常な現象である。その内容は単なる児童文学なのか、あるいは魔 術を積極的に蔓延させようとする意図があるのかは不明であるが、このような本がかように歓迎されることの裏にある病理に注目したい。

一言で言えば、ハリポタ現象の素地は物質主義が行き着くところまで来たことによる閉塞感である。今日、政治・経済から始まって科学や思想の世界、さらに宗 教界もすでに窒息寸前の状況にある。目に見える世界、五感で知覚し得る世界において、人々は身と心の縁を喪失し、自分の将来の夢を託し希望を持つことがで きない状況に陥っている(第二テモテ三・2)。

このような状況下では人々は「目に見えない世界」に逃避を試みる。その仮想現実の中で代償的満足を得るのである。一時ニューエイジ系のヒーリングや自己啓 発や潜在能力開発などがブームとなったが、これらにはまだ現実世界との接点があった。しかし新ミレニアムを迎えて入れ替わるかのようにハリポタ現象が起 き、その仮想現実性を増幅し、ほとんど現実との接点は切れている。人々はますますヴァーチャルな世界に耽溺し、逃避したがっているように見える。

2.精神病理レヴェル:人格に対する影響

私たちの魂(知・情・意)はその三要素の間になるべく矛盾がなく、整合性を取る形で自分の認知のフレームを構成する。一般に認知された対象がその認知のフ レーム-特にマインド(思い)-にハマルならば私たちは安心感を得る。しかしそれが認知のフレームにはまらない場合、私たちの魂は困惑と不安を覚え、その 緊張感を解消するためにその対象自体を否定するか、あるいは自分の感情と意志をそれに適合することにより違和感を最小にするように変化させる。後者の精神 の働きをフェスティンガーの「認知的不協和の理論」と呼ぶ。よって何をどう聞くかよく注意すべきである(ルカ八・18)。

実はカルトの洗脳やマインドコントロールはこの原理に基づいている。すなわちカルトでは人を閉鎖空間において、その人の認知のフレームに収まらない教義を 一方的に聞かせる。すると人は普通の環境であるならばそれを拒否できるが、逃げられない状況に置かれている場合、違和感と不安感を最小にすべく自分の感情 と意志を変えて行くのである。こうしてマインドコントロールによって、その人の魂、すなわち全人格を再構成し行動までも統制し得る。

魔法や魔術などのファンタジーにさらされた場合も、特に幼い子供の場合、容易にこのファンタジーに自分を適応させ、マインドコントロールされる可能性が高 い。人のマインド(思い)をコントロールできれば、いずれ全人格を獲得できるのである。この意味で私たちクリスチャンは神の言葉にさらされて、神の言葉に よってマインドを制御する必要があるが(ローマ十二・2、ピリピ四・6-8)、ハリポタはマインドをファンタジーにさらす点においてこの霊的原則に抵触す る。私たちの思いに浮かべるべきものはファンタジーではなく、リアリティでなくてはならない(コロサイ二・6-10)。人格はそのマインドに浮ぶ想いに 従って構成されるからである。

私たちの魂は独立独歩し自らを"主"とする傾向が強い。魂の自己主張と自己保存欲求はきわめて強固である。ハリポタはこの魂の性向にとってきわめて魅力的 である。すなわち魔法によって、自分の思いのままに人や状況をコントロールすることができる能力は、魂が切に求めるところである。人が超能力やオカルトに 惹かれるのこの魂の性向による。この意味で、特に内的に欲求不満を抱える子供の場合、積極的に自らの魂をハリポタの世界に適応させていく可能性が高い。こ れは魂を霊に服させるべき原則に抵触する。

3.霊的病理レヴェル:フェイク(虚偽)による侵食

第一に神は魔術や占いを拒否される(申命記十八・10-14)。また神は、思ったことはすでになした事と等価である、と評価される(創世記六・5、マタイ 五・28)。そこで私たちの頭に去来する想いの質とルーツが問題となる。私たちクリスチャンも絶えず「目に見えない世界」とコンタクトしているが、それは 御霊によって再生された霊というチャネルを通している。その霊的世界はリアリティであって、決してファンタジーではない。目に見えるものは一時的である が、目に見えないものは永遠である(第二コリント四・18)。これが私たちが自分を委ねるべき目に見えない世界である。そこには十字架がその中心を占めて いる。キリストの十字架から遊離した「目に見えない世界」は、偽り者であるサタンの作り出す虚構の世界、あるいはサタンの領域の世界である。

そこで魔法的ファンタジーはただちにこの十字架のリアリティに抵触する(コロサイ二・20)。キリストの十字架から遊離した「目に見えない世界」は、偽り 者であるサタンの作り出す虚構の世界、あるいはサタンの領域の世界である。十字架をバイパスして霊的世界とコンタクトするならば、悪霊との接触を意味す る。特に精神が受動的になる時、敵はありとあらゆる火の矢を放ち、私たちの精神を侵食しようとする(エペソ六・16)。この意味でハリポタ映画によって、 特に文字だけではなく映像の刺激にさらされる場合、ますます精神は受動性を高め、被暗示性が亢進する。被暗示性は特に幼い精神においては顕著に亢進する が、その時にインプットされた刺激は深層心理から霊的領域に至るまで相当に深く印象を刻み込む。

対して神の言葉は硬い食物であり、飲み込むことが難しい。それを自分の血肉にするためには自らの意志をもって絶えずそれに関わる必要がある(第二テモテ 三・10-17、ヘブル五・14)。しかるにキリスト教界でも軽い本がよく売れる昨今である。いわんや幼い子供の場合、自らの意志を持って御言葉に関わる 習慣が十分確立されていないが、ハリポタの世界にはきわめて簡単に入り込める。ハリポタの場合すでに述べた魂の性向(肉)を刺激して、文字情報が容易にイ マジネーションに直結する。活字離れの子供たちが活字に戻ると言っても、一概に評価できない複雑さを感じる。

このような肉の心地よさの条件付けを得た人々は硬い神の言葉に関わることが困難になることは容易に予想できる。人は自分の好みに合うものを自ら求めるから である(第二テモテ四・3,4)。こうして良心が曇り、御言葉を通して啓示される霊的リアリティを自らの信仰によって実体化し、その世界において自らの霊 的デンティティを確立し、自らの信仰を全うすることができなくなる(第一テモテ一・19)。

今日大人でも自ら立つ信仰ではなく、寄らば大樹の陰よろしく「みんなで一緒に輪になる信仰」が蔓延している。すでにテレビがそのような受動性を養う役目を 何十年も担っており、その中で言葉が消耗品化している。しかるに神のお取り扱いの中心は言葉によるのである。霊と言葉は密接に関わっているゆえに、自らを 任せる言葉を取捨選択し、主体的に御言葉に関わる態度を養うべきであるが、ハリポタの世界の言葉には霊的に問題がある。その霊的影響はただちに目に見える ようになるというよりは、今後じわじわとその実を結ぶことであろう。

「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」(第二テモテ二・8)

侵食されるキリスト教

いつもの再建主義の富井氏の論。同意だ。

tomi 2016/07/29(金) 06:35

痛みの感覚を失った人間は死人である

2000年かけてこつこつと領土を拡大してきた神の国は、19世紀から20世紀にかけて、共産革命により一挙に破壊された。
ロシアは1917年以前にほとんどの農民が毎週教会に通うキリスト教国であった。
それが無神論者の牙城となり、革命を輸出するようになった。
中国や北朝鮮、ベトナム、カンボジアが、モスクワ(コミンテルン)の支配下に入った。
ロシア革命は突然起きたものではない。
その前に地ならしが行われていた。
ユーリー・ベズメノフが述べるように、「戦意はく奪」が行われていた。

「国家の大多数の人々が、全体主義から生じるいかなる危険性をも知覚できないようにし、さらには、自らに敵対する制度が非好戦的であり、ある面では望まし いものであり、どの点から見ても機能的なものであるかのように錯覚させ、現在の体制にかわり得る制度であるかのように思わせる」工作が行われていた。

これは、日教組を通じて日本でも行われてきた。
歴史の教科書を思い出してほしい。
私の教科書には「ソ連は1929年の大恐慌の影響を受けなかった。第1次世界大戦に参加しなかった」と書いてあった。
フランス革命が何か素晴らしいことであるかのように紹介されていた。
啓蒙主義が「中世の暗愚からの解放の灯」であるかのように記述されていた。
ガリレオ裁判が「キリスト教の非科学性」の証拠であるかのように記述されていた。
実際は、初期の科学者がほとんどプロテスタントであり、近代科学がキリスト教文化においてのみ発達したのに。

「キリスト教は労働を呪いととらえる」と教え込まれてきた。
実際は、資本主義がキリスト教の土台の上に築き上げられてきたのに。
サタンは、神の国を転覆させるために「戦意はく奪」工作をずっと続けてきた。
今の保守陣営もすでに深い洗脳の中にある。

クリスチャンも「戦意をはく奪」されてきた。
「ヒューマニズムの体制のどこがおかしいのか。ヒューマニストに政治をまかせてもうまくやってきたではないか。わざわざ聖書法など持ち出す必要などない」と考えている。
いやむしろ、「聖書法を持ち出す再建主義は危険だ」とすら言う。
「自然法で何が悪いのか」と。
だから、ローマ・カトリックに抵抗感がない。

今、ローマ・カトリックによるプロテスタント教会の取り込みが進んでいる。
マザーテレサなどの表看板を見て、ローマ・カトリック「が非好戦的であり、ある面では望ましいものであり、どの点から見ても機能的なものであるかのように錯覚させ、現在の体制にかわり得る制度であるかのように思わせ」られてきた。
宗教改革の精神はほぼ完全に破壊された。
サタンはいきなり物理的な攻撃をしない。
まず、教義を変え、教育を変える。
敵と仲良くするように仕向ける。
寛容が大切だと説く。
徐々に心が麻痺し、ついには同性愛すら受け入れるほどにボケる。

サタンは、最初から猛毒を与えると拒絶されるので、非常に希釈したものを与える。
しかも「甘味」を加え、包装に可愛いキャラクターを印刷する。
徐々に毒性を強めていき、依存症にする。
最初から悪魔崇拝を勧めるわけがない。
「光」として提供する。

ハリー・ポッターやハロウィン、メタルを通じて、悪魔崇拝に徐々に慣らさせる。
ある講義で、ユーリー・ベズメノフは、この「戦意はく奪」のために用いる期間は15年から20年だという。

https://www.youtube.com/watch?v=lr_jiil7gt0

それは「一世代を教育するのにかかる年数」だと。
敵を敵として認識しない世代を作り出すのにそれくらいかかると。
今の政治家や文化人が中国に対して精神的に無防備なのは、戦後世代に対する工作の結果である。

鳥越は「中国が攻めてくるなんて、妄想です」と言った。
痛みの感覚を失った人間は死人である。
なぜならば、危険物に対する警戒心がなくなるからである。

ヒューマニズムや自然法、ローマ・カトリックに対する警戒心がなくなっている今のプロテスタントのクリスチャンは、ほぼ死にかけている。

青少年の「怒り」と犯罪


■本稿は小牧者出版「幸いな人」11月号掲載予定原稿です。


1. はじめに

最近“17歳”をキーワードにする犯罪、しかもその質と程度において従来の枠を逸脱する事件が多発している。社会学者や精神病理学者などの分析は聖書的立場から見ると霊的要因が欠落し、本質に迫りきっていない。聖書は人が霊・魂(いわゆる精神)・体からなると啓示する。医学では病気を体と精神の関係で理解する“精神身体医学”は近年かなり発展したが、依然として霊的要因は無視されている。

しかるに現在はこの霊的要因によるオウムに象徴されるカルト事件や青少年の猟奇的犯罪が多発し、それに対する評価が混乱し対応も立ち遅れている。今回の少年による一連の猟奇的犯罪もいわゆる精神病理・社会学的要因のみでなく、その本質にはカルト問題と同様の霊的要因が潜み、犯罪形態が集団レベルから個人レベルに移行しているに過ぎない。


2. 犯罪を生む土壌(必要条件)

これらの少年たちのプロファイルを見ると家庭での父親の存在が希薄であるケースが多い。一般に男児は父親との、女児は母親との葛藤と同一視によって、生き方のプロトコル(手順・約束)や自己のアイデンティティーを確立する。ゆえに人生のモデルとしての父親の存在が希薄であることと近年の犯罪が男子によることとは無関係ではない。

従来の青少年の古典的非行問題は、彼らの価値観や生き方の内発的な構成を待つことなく、学校や社会が一方的に押し付けることに対する単純な反発であった。しかし90年代に入り、その社会や規範自体が崩壊しつつある中で、外界適応のための世界観や生き方の内発的構成が困難になった。つまり“世の中はこんな具合にできているから、こうすればよい”とする価値観と判断基準の体系が崩れている。すると外界適応という自我の最も基本的な機能がアイドリング(空転)することになり、自我はその精神的エネルギーを向ける対象を喪失し、いきおい内向化する。加えて社会的枠組みの崩壊により“肩書き”などに頼れなくなり、自分が何者かという中核的意識(アイデンティティー)の保証を失って自己不全感に陥る。事実少年たちも日記などで一様に“空気のような自分”とか“透明な存在”といった表現をしている。その結果、些細なことで傷つきやすくなり、それを回避するために、外界との関係を間接化する。

こうして彼らは外的世界と内的世界の乖離により、社会との齟齬を招いてフラストレーションに陥り、彼らの目から見て自分を拒否した社会に対する怒りとさらなる自閉的傾向を強めるという悪循環に陥り、内部に屈折した精神的エネルギーを蓄積(カセクト)していく。実際、最近増加している“引きこもり”に象徴される自ら外界から退いた若者や、何を考えているの分からない印象を醸し出している異常とも言えず正常とも言えない“境界性パーソナリティー”の若者が増加している。一説では彼らは100万人いると推計されているが、しかしそれらの若者すべてが犯罪に至るのではなく、さらに深い要因が潜んでいる。


3. 犯罪への直接的誘因(十分条件)

2.のメカニズムによって、彼らの精神は空回りするうちに疲弊し、無力感を覚える中で受動性に陥る。実はこの受動性こそサタンや悪霊の接触のための格好の培地を提供する。霊的要因を考慮しないセキュラーな科学は認めないが、聖書ではサタンとか悪霊という霊的存在を明確に啓示しており、私たちは霊的世界から免疫されていない。

霊的な彼らも独自のパーソナリティーを持ち、しかも自分の思いなどを私たちの思いの内に投影できる。実際、自分のうちに浮かぶ様々な映像や考えに困惑を覚えた経験は誰にもある。敵による罪への誘い、すなわち誘惑はこのようになされる。事実、少年たちも一様に「やっちまえば楽になれる」などの“声”を事件以前に聞いていることが報告されているが、精神科医による鑑定では精神分裂病の幻聴や幻覚とは診断されていない。彼らの聞いた“声”の正体は霊的なものである。

神と人の共通の敵から由来する考えや映像はあらゆる不潔や汚れ、悪意と欺瞞、また恐怖や恐れに彩られ、私たちもそれらに恒常的に曝されていると、私たちの魂もその条件付けを受ける。加えて最近のパソコンゲームやインターネットの普及によって、その妄想を映像化しシミュレーションし得るため、それらはさらに強化され、精神的エネルギーはますます内向化する形でカセクトされる。実際、少年たちは事件以前にゲームやネットに深く“はまって”いる。そしてついに臨界点を超えると些細な外的要因をトリガーとして、蓄積されたエネルギーが破滅的な形で一気に解消される。


4. 今後の展望と対応

私はこの種の事件は今後も多発し、しかもその質と程度および了解不能性においてさらに悪化すると見ている。日本は霊的にあまりにもナイーブであり、テレビやゲームでも占い・ヘビメタ・オカルト・セックス・バイオレンスなどが何らの検閲も受けずに提供され、青少年もまったくの無防備な状態でその影響にさらされている。書店でも新興宗教の書籍はうずたかく平積みにされる一方、聖書に基づいた真の霊的知識は封印されたままである。

日本はその霊的無知により、すでにあらゆる分野で霊的に侵食されているため、唯一の希望は社会制度や教育の改革ではなく、イエス・キリストの福音にある。永遠の命による個人レベルでの霊・魂・体の全人格的な癒しとともに、精神的エネルギーの配分と解消を御霊のコントロールのもとにおき、聖書の啓示する究極的リアリティーに基づいた霊的な新しいパラダイム(世界観の指導原理)を確立する必要がある。

クリスチャンである私たちとしては聖書に基づいた霊的知識を普及させ、霊的存在としての神・人・サタンの三者関係における人の真実のあり方を提示し、霊的要因を考慮した自己のアイデンティティーと生き方のプロトコルを提示する責任がある。要するにますます伝道に励む必要がある。

少年たちの心の闇を探る

■本稿はリバイバル新聞2000年5月14日号掲載記事の原稿です。


はじめに

私はすでに昨今のカルト問題や猟奇的事件の発生の原因となる霊的病理について総論的に分析しているが(2月20日号)、その後も少年によるこの種の事件が後を絶たない。しかもその質と程度において常軌を逸している。いったい彼らの心の中には何が起きているのであろうか。今回はそれらの犯罪の裏に潜む病理を各論的に考察してみたい。


その精神病理

社会規範やシステムの崩壊による外界適応のための内的世界モデルの構築が困難となり精神が"空回り"すること、内的世界モデルのヴァーチャル化(幻想化)が促進されること、またコミュニティーの崩壊によりアイデンティティーの担保を喪失し自己不全感に陥ること、その結果自我の受傷を回避すべく対人関係の間接化や、自己不全感を補償するためにカリスマ性をもつ教祖に対して盲目的に帰依するカルトが成立することはすでに指摘した。今回の連続する少年犯罪も基底にはこの病理が観察される。

最近大学生や予備校生と接触するとき共有し得るものがあまりに少なく不明瞭である事を感じる。私の内的世界モデルと彼らのそれとはまったく異質であり両者間の了解性が欠落する。最近では正常であっても通常分裂病患者から受ける"分裂病くささ"を感じさせ、米国精神医学会の診断基準であるDSM-Ⅳなどによる"境界性パーソナリティー"を持つ若者が増えている印象がある。彼らの内には現実から分離された形でほとんど幻想に近いヴァーチャルな世界モデルが構成されており、それに基づいた判断と行動をしているのであろう。しかも若者特有の衝動的な行動も加わるとある種の脅威も感じる。大人から見ると捕らえどころのない、異界の住人のように見える。


その霊的病理

ここにさらに霊的要因もからんでいる。すなわちヴァーチャルな世界で外界との関係を間接化して精神を自己の内に閉塞する結果、一種の受動性を招来する。この受動性こそ悪霊の接触にとって格好の培地となる。サタンや悪霊は霊的な存在であるが、独自の思いを持ち、しかもそれらを私たちの思いに投影し得る。エバやイエス、そして私たちに対してもこのような形で誘惑がなされる。彼らの思いはもちろんあらゆる不潔や汚れ、悪意と欺瞞、また恐怖や恐れに彩られ、その暴露を繰り返し受けるならば、私たちの精神自体もそのような性質を帯びる危険性がある。しかも昨今のコンピューターゲームやインターネットの普及によって、その妄想をただちに映像化しシミュレーションし得る。ここで彼らの思いに投影された妄想的影像は強化され、そこにカセクシス(給付)されたエネルギーがある臨界点を超え内的に留め得ないレベルに至ると、ついに一つの犯罪行為が成立する。

しかも彼らには自分の行動に対する内省はない。精神分析的に言うと、成人の場合の"現実原則"に沿った自我の統合的制御下にある内的エネルギーの配分とその解消の過程を2次過程と称し、それに対し自我が目覚める以前のイド(本能的欲望のエネルギーに満ちる無意識的領域)における"快楽原則"に従う1次過程としての無秩序な仮想的行為が、青少年においても優勢であり続ける。彼らは肉体的には成長していても、内的には乳幼児と変わりない。しかも乳幼児は無邪気であるが、彼らは悪霊的な邪気に目覚めているために、その無秩序な幼児的仮想行為に残虐性を帯びる。


その対応

このように精神病理に加えて霊的病理が絡んだ問題であるだけに、これらの少年犯罪に対する対応は非常に困難である。社会の側としては自らの腐食部分の全摘と崩壊しつつあるパラダイムに代えて新しいそれを確立し、そのプロトコルに従えば将来の展望やアイデンティティーを確立し得る保証を与え、精神エネルギーの1次過程的内部停留を解消し、自我統制下における2次過程的なエネルギーの配分と解消をすればよいと説明できる。

加えてすでに霊的に相当に侵食され、あらゆる領域に腐食した領域(="サタンの要塞")を構築されている日本においては、なかんずく霊的戦いが必要となる。真理としてのキリストを命として提供し、その命による癒しと究極的リアリティーを提示する聖書の啓発によって、彼らの内的世界モデルを是正すること、そして御霊のオリエンテーションの下でその内的エネルギーの配分と解消を導くことが必要である。

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