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Category: 信仰

難病特定疾患の癒しWOW!

今回、ちょっと諏訪の御柱見物をかねて、車山のファスティング・ペンションを経営している兄弟(牧師)の元を訪ねた。2008年ごろから交わりをいただいているが、いや、驚いた。当時とはまったくの別人。とにかく風呂上がりのさわやかさオーラを醸しておられる。かつては・・・略。

が、その経験を伺い、またも驚き。詳細はここでは書けないが、彼は自分のエンド・オブ・ロープを経験された。ある意味、地獄を見たというべきか・・・。それがこれでもか、これでもか、なのだが、いずれ彼が証をモノしてくださると期待して、極私的には難病の癒しを書きたい。詳細は略すが、とにかく現代医学では治せない難病指定の疾患を二種類併発。関西の某大学病院に入院、最新の高価な治験薬も試すがすべてダメ。むしろクスリを投与されるほどに悪化していった。

が、ある時、彼は自分は癒されたとストンとわかった。で、投薬を拒否。まもなく諏訪に導かれて(これもまさに主の御手によるとしか言えない)、現在のペンションでチャーチを開始。紹介状をもらって諏訪赤十字を受診したところ、なんとすべて正常値!医師が首をかしげることしきり。で、彼いわく、イエス様が癒して下ったのです、と。すると医師いわく、イエス様でもなんでも治ればそれは大変結構だ、と。少し医学的知識があれば、これは神の御手によると分かるはずだ。そのくらいにその疾患はヤバ。しかし彼はそろそろ難病指定を外してもらう予定だとか・・・・。WOW!

彼と交わって、分かること。砕かれていること、明け渡していること。すべてを手放している!だからなんらの葛藤も、もがきも感じない。私はけっこう敏感にそういった要素を感知することができるのだが、実にさわやか・・・。こちらも楽。衒いや力みや見栄がない。挑発的な要素もない(私はけっこう挑発を受けることが多いので敏感に分かるのだ)。普通の社会人からしたらすでにオワッテいるはずなのだが。まさに死と復活の法則!

うれしいことは諏訪に福音のポータル(門)が開かれたこと。諏訪の御頭祭などはアブラハムのイサク奉献そのものなのだ。守屋山で守矢氏が執り行う。諏訪原人はトンデモとするが、土着のミシャクジ信仰などは原人も意味不明であるが、ミ・イサク・チ(イサク由来の蛇神)と解読される。これも私の新著にちょっと紹介してある。

・・・という次第で、癒しにせよ、何にせよ、主のわざに与るカギはなにか?それはサレンダー、明け渡し、手を放すこと。これは口先でいくら宣言しても無意味とは言わないが、あまり奏功しない。不思議なもので、心が粘着している間はなかなか癒しなども現れない。が、自分がふと手放す瞬間が訪れる。英語では"the end of my rope"あるいは"hit the bottom"。彼をソコを通った。これは分かるのだ。口先でいくら正論を吐いても、真のサレンダーではないことが分かる。逆に真のサレンダーは語る必要がない。触れ合うと分かる。これは言葉を超える。霊が流れるのだ。またシンクロニシティも覚えた。主はダイナミックに動いている!

まさにそのペンションにフィットする「風呂上りのオヤジ」。諏訪にこのような福音のポータルが開かれたことは実にうれしい限りだ。G.B.U!

努力はまったく不要-安息への招き

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いわゆる早天祈祷や徹夜祈祷、あるいは断食祈祷といった類はあまり好きではないと前から言っている(別にその行為時代を否定しているわけではないので一応)。だいたい、祈祷なる日本語があまり気持ちいいものではない。念がこもるというか、恐山の潮来的というか、密教的というか、陰陽道的というか、とにかく正直に言って嫌悪感を覚える単語だ。祈りという日本語もだが、それ自体にすでに色がついている。私たちはいわゆる祈り会も、プレイヤーMTGと称しているが、祈りは本来、会話、宣言、告白、そして交わりなのだ。

よく聖霊派では霊の戦いとか言うが、これもご苦労様と思う次第。われわれはキリストにあってすでに勝利している存在、キリストと共に御座に座す存在、その天的領域からすべての物事を見る存在なのだ。この天的領域を離れて、相手と同じ平面、つまり土俵に乗せられると、もろもろの戦いに巻き込まれる。しかし、祈りは天の領域における決済を受けて、それを地上にもたらすことと分かると、何の努力も不要となる。

なぜ?私の業ではないから!天において成ったことを地に現出させるだけ。カギは天で成ったことを理解すること。それを知るために祈る。が、別に念を込めるわけではない。天に上り(アセンディング)、そこで見て聞いたことを、地に下す(ディセンディング)。きわめて簡単なのだ。宗教の観念から解かれよ!祈りは宗教儀式ではない。まことに主はこう言われたのだ。

わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれており、あなたが地上で解くことは天でも解かれているであろう。-Matt 16:19(時制に注意!)

努力するな!休め!フェイスはレストなのだ(Heb 4:3)。レストは安息、それは無活動ではない。むしろ安息する者はますます活動的になる。それはアセンディングディセンディング。キリスト教から解かれよ!

本日の一冊:Operating in the Courts of Heaven

チョーおススメ!

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Why do some people pray in agreement with God's will, heart and timing, yet the desired answers do not come? Why would God not respond when we pray from the earnestness of our hearts? What is the problem, or better yet, what is the solution?

天の法廷で行動し、発言し、決済を受け、サブスタンスをゲットするコツを開く。祈りに不確実さを覚えている方々にはクリアな視野をもたらすでしょう!スーパーナチュラルに生きたい人はゼヒ!

詳説、いのちの路線と善悪の路線

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よく、この平面の違いって何ですか?と聞かれる。前はあれこれ理屈を言っていたが、最近はもっと先鋭化した表現をしたいと思う。

善悪の路線とは、要するに地的領域、物理的時空間、主観的には五感によって実体化される領域にこの肉体を精神をもって生きることだ。いわゆる両親から生まれた存在としての私。そしてその私が経験するあれこれのすべて。ナチュラルな領域であり、これは信者、未信者問わずに誰でも分かる。が、この領域すらも11次元空間の3次元+1次元における断面に過ぎない。霊が死んだままのとき、この肉体とブレインは3次元空間と時間のみを知覚できる。この世界の経験で条件付けされ、構成された私を肉(flesh)と呼ぶ。

いのちの路線とは、霊的領域に生きることであり、それは霊的世界にある。スーパーナチュラルな霊の再生により、霊的領域に誕生され、新しい創造物とされることによって、その領域にアクセスできる。それはキリストの領域ともいえるが、時空間を超えた永遠のNOW。これは文学的表現ではない。リアル。われわれ、ニュー・クリーチャーはその領域の住人。イエスがこの世のものではないのジャスト・セイムに、われわれもこの世のものではない。要するにイエスもわれわれも、その本質は霊であり、この世においてはエイリアンなのだ。その領域に生きるためにはフェイスを使うこと。フェイスとは永遠のNOWにおけるスーパーナチュラルな能力、願うことのサブスタンスであり、見えないそれの立証、実体化である。しばしば理性、マインドを超える世界である。

どうしたらいのちの路線に生きることができるのか?もちろんそれは霊の再生によるフェイスの覚醒フェイスの用い方に習熟する必要がある。日本語のいわゆる「信仰」とは微妙に異なるので注意されたい。真理は元々日本語で考えてはならないのだ。それはオツムであれこれ議論することでもなければ、聖書をオベンキョウすることでもないし、御言葉を解き明かすとか、御言葉をこねくり回すことでもない。目が見える人にとって視覚が説明の要はないのと同様に、霊が生きている人にとっては説明の要はない。前にLAをガイドブックで知ることと、現地を訪ねることの違いで説明したとおりである。

で、繰り返すがマインドの再構成が必須。魂的マインドはこの物理的領域において条件付けされているために、霊的世界を理解することができない。マインドがトランスフォーメーションされるほどに、霊の働きが阻害されず、霊的領域の現象がクリアに見えてくる。キリストのマインドがアクティベーションされるとこの五感の領域の見方もすべて変わる。今までの自分が五感のカプセルの中にいたことが分かるのだ。このとき祈りはこの霊的領域を動かす。しるし・不思議、そして癒しもこの領域で起きること。もちろんいわゆる聖化なども含めて、クリスチャンのあらゆる経験はすべてがスーパーナチュラルなのだ!

ホセア書どおりの状況が・・・

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呪い、欺き、人殺し、盗み、姦淫がはびこり/流血に流血が続いている。
それゆえ、この地は渇き/そこに住む者は皆、衰え果て/野の獣も空の鳥も海の魚までも一掃される。-Hosea 4:2-3

4月に入って動物界や気象にも異変が生じているようだ。

-4月と共にふたたび「動物の大量死の集中」のサイクルが訪れた可能性。そしてそれと共に世界の気温の均衡も崩壊し

ナイルが血に変わった!?

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-Nile River “Turns” Blood-Red in Biblical Nature Phenomenon

これはすごいですね。前にエジプトに対する預言イザヤ19章をメッセしましたが、それが成就してきているわけ。

海の水は涸れ/川の流れは尽きて干上がる。運河は悪臭を放ち/下エジプトの支流は細り、乾いて/葦やよしも枯れ果てる。ナイルの河口のいぐさも/川沿いに蒔かれたすべての草も/枯れ、吹き飛ばされて、消えうせる。漁師は嘆き、悲しむ。ナイルに釣り針を投げる者も/水の面に網を広げる者もすべて衰える。亜麻布を造る者はうろたえ/梳く女も、織る男も青ざめ紡ぐ者も打ちのめされ/雇われて働く者は皆、苦しむ。-Isa 19:5-9

天と地のしるしは揃ってきているのだ。

まことに五感の世界は滑稽なもの!

タックス・ヘイブンに隠された資産は世界金融資産の8%。810兆円だそうだ。これがコスモス(=世)だ。

-総額810兆円!「タックス・ヘイブン」の全貌

イエスは・・・一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。 自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」-Luke 12:15-21

聖書の先にあるものを見よ!

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聖書は神の言葉である。いやしくも福音派レベルの人であれば、当たり前だよ、そんなことは知っている、と答える。信仰箇条にも、私たちは聖書66巻が原典において神の真正な言葉であると信じます、と看板を掲げている。ところがここに罠がある。ブルース・リーが弟子に月を指さすと、弟子は指を見つめてしまい、リーが彼の頭をポンと叩くシーンがある。そう、われわれは聖書そのものに注目して、それを最初から終わりまで勉強して事足れりとする罠に落ちるのだ。日本語訳はあまりよろしくないと言うと、ギリシャ語やべブル語で読むこと自体が目標となる罠に落ちる者もいる。

が、聖書は普通の本ではない。白黒の文字としては単なる本であるが、それは霊的リアリティーを指し示す。目の前のリンゴについて、「これはリンゴである」と言っても、"This is a apple."と言っても同じこと。いや、文法が間違ってるではないか、母音前では"an"が正しいのだ!と言われる向きもあるだろう。偏差値教育で洗脳されたニッポン人の得意とするところである。海外ではそんなことはドッチでもよい。ちゃんと通じる。本質は目の前のリンゴを見るかどうか、だ。メッセでも語った日基の牧師はこの白黒の世界の住人なのだ。

聖書が示すのも目の前のリンゴと同じように現存する世界、領域、スフィアである。車の教習所で運転の手順を学ぶことは必要だろう。が、教習所どおりの運転をされたら実際の道路ではかえって危険だ。臨機応変、瞬間瞬間、状況を認知し、決定し、行動する必要がある。霊的領域でも同じこと。車に乗ったら誰も教則本を手に取りはしない。霊的領域でも同じだ。「聖書を学ぶ」罠に落ちると、目の前に霊的事件が起きているのに、それに気がつかないまま、勉強を続けるといった倒錯が起こる。車の運転では絶えず現在の状況にいる必要がある。フェイスも同じ。フェイスはつねにNOWなのだ。

この霊的認知ができれば、霊的動機が生まれる。それによってエリヤもエリシャも、そしてジーザスも、絶えずNOWにおいてわざをなした。もちろんフェイスによって、だ。義人はフェイスによって生きる。私たちも同じ。

はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。-John 14:12-14

NOWに生きること、それはフェイスの世界。フェイスに覚醒せよ、そしてフェイスを使え!

4月19日、あの者のポータルが開かれる

これはひとつのエポック的事件だ。Keep Watching...

黙示録12章の女とは?-エレミヤさん

参考にしてください。しかし、いい味出してますね・・・

世(キリスト教も含めて)はマトリックスである

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再建主義の富井氏が興味深い論考を書いておられる。世のカネのシステムがいかに詐欺的であるか。10人の子供たちがママごとをした。9人は労働者役。1人は銀行家。労働者の一人が銀行家に何かの労働を提供する。銀行家は紙に100ドルと書いてスタンプを押して渡す。その100ドルがこのママごとの世界に流通するわけだ。銀行家は何もしない。ただ数字を書いてスタンプを押すだけ。

これ、実は現実の銀行がしていることなのだ。繰り返すが、簿記の知識が必要となるが、ちょっと付き合ってください。銀行が資本金を集めて開業した(ちなみに日銀の資本金は1億だけ!?)。このときB/Sはこうなる。

借り方 貸方
現金100万 資本100万

これを融資するときはどうなるか?現ナマは100万しかない。が、例えば、10%を残して(日銀の当座預金に入れる)90%を融資する過程を繰り返すと、無限等比級数の公式により、帳簿上の数字は

に膨らむ。この10%を準備率というが、1%ならば100倍になる!つまり銀行は現ナマはなくとも、1,000万までは貸し出せるのだ。そこで100万を融資するときはB/Sはこうなる。

借り方 貸し方
貸付100万 預金100万
現金100万 資本100万

こうしてこの銀行の資産は200万となる!(日銀預けも現金としておきます)ポイントは原資100万から融資しているのではないのだ!ただし、これで1,000万で貸し出すと自己資本比率は100/1100=9%となる。要するに貸出が増えるほどに自己資本比率は低下する。そこでBIS規制などがかけられるわけ。これでかつて貸し渋りなどが起きてデフレ不況となった。現在は日銀に預けると金利を取られる(マイナス金利)ので、日銀当座には入れず、市中に流す方向で、デフレ脱却を図っているわけ。3月末現在で市中に流れているカネは376兆とか。

が、これらのカネは現ナマではない。銀行が貸し出した帳簿上のカネだ。要するに誰かが借りてくれたので、その分が市中に回る。カネの基本は借金なのだ。B/Sを追っていくと、日銀レベルではカネの担保は国債であって、ゴールドではない。そして政府のB/Sでは国債は右の借金となり、左にあるのは?実は右より少ない!2011年で左は628.9兆円、右は1,088.2兆円!要するに債務超過459.3兆円!繰り返すが日銀の紙幣発行残高は91兆円。国民金融資産が1,500兆と言われているが、それは借金による幻なのだ。もともとそれはない!しかも借金には金利が付く。だから10人の債務者のうち誰かがポシャって、その人の資産を売って他の金利分を負担せざるを得ない。経済はゼロサム・ゲームだから。

これが世のシステムなのだ。アダムが禁断の木の実をかじって以来、あの者が巧妙に構築してきた。人々はカネがあればハッピーになれる、人生安泰、安らかに楽しく生きることができると思い込まされている。それはあの誘拐された女子中学生と同じように、あの部屋の中のマトリックスと同じなのだ。あの部屋でのプロコトルに従っていれば、とりあえず死はまぬかれる。だから、彼女はひとりでコンビニに買い物に行きながら、助けを求めることもせず、大学生の指示に従っていた。これと同じことが世のマトリックなのだ。サタンの指示に従いつつ・・・。キリストはわれわれをそのマトリックスから解放してくれた!が、ここにまたサタンの罠がある。そう、言わずもがな、キリスト教なるマトリックスである。以下省略・・・。

Lukeさん、確かにあなたの言われることはわかる。じゃあ、どうやって生きたらいいの!?と言われるキリスト教徒がかなり多いと思う。これ自体が証明しているのだ。フェイスを知らないことを。聖書は言うではないか。義人はフェイスによって生きる、と!で、これから先は今週のメッセを聞いてくださいなcool

TODAY'S CELEBRATION 【Apr 03, 2016】

 

タイトルマインドのゲートキーパー

聖書個所:箴言23:7;2コリント10:4-5など

4月10日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700

WebKingdom Fellowship

YouTubeDr.Luke's KF_Channel

セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。

全国有名書店で発売中

 
Amazonに飛びます

イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。

●11月に一般の100書店に配本され、2月に別の100書店に配本されました(⇒書店リスト)。また紀伊国屋では1年間常備されます。書店に直接注文していただけますと在庫を増やしてくれますので、よろしくです。こちらの注文表をお持ちください。なお、出版社の在庫があとわずかとなった模様です。

●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●読書メーター感想:読んでも意味がわからなかった聖書がなんとなくわかった。聖書の読み方が変わった。

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