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Category: 信仰

神の国に入れない者の筆頭は

しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。-Rev 21:8

この聖句は実に厳粛。信じない者や人殺し、姦淫する者にまさっておくびょうな者がリストされている。おくびょう者は恐れの霊にやられている人。たとえば、メッセでも語ったが、癒しをすっと受ける人は自分を手放している人だ。福音のために自分を注ぎ出す人。対して次々に病に襲われる人は自分を大事にしている人。主のことよりも自分を優先する。セレブよりも病院通いを先にと。自分を大事大事にしている人はどうも逆に敵に弄ばれてしまう。見かけは信心深いようでも、実は主よりも自分を選んでいるのだ。これは究極の自己欺瞞。聖書はよく知っているし、あれこれの霊的書物もよく読んでいる。が、自分を手放せない。不思議なものだが、おくびょうな人は敵の格好のターゲットになってしまうようだ。

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょう(恐れ)の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。-2Tim 1:7

恐れはサタンのパワーを誘発し、フェイスは神のパワーを、だ。自分を愛するほどに恐れの霊は力を得る。自分を救おうとするれば失い、自分を失えば得る。勝利への第一歩は自分を手放すこと、自己放擲(ほうてき)にある!

では、ちょっと温泉にてボディのメンテをしてまいります。

注:慎しみの霊は不正確。健全な思いの霊が正解。日本語で理解してはならない。

本日の証

小田原のある姉妹、2月中旬に心筋梗塞で倒れ、救急搬送された。血流が途絶えたため、医師からは脳に後遺症が残ると宣告を受けていた。2月下旬に私がメッセの奉仕を頼まれた際、みなさんで病院に見舞った。が、インフルエンザ予防のため面会ができなかった。そこで待合室でみなさんと祈った。というより、主の名により命じた。・・・で、先ほど電話をいただいた。いわく、この11日に退院し、後遺症を恐れていたが、その宣告を拒絶。今はまったく後遺症もなく、順調に回復しているとのこと!WOW!

癒しを受ける人と受け得ない人の差のひとつはここにあるのだ。メディカルな予後宣告を受け入れる人はそのとおりの経過をたどることが多い。が、主の名により、十字架の真理に立ち、それを拒絶する人は、またそのとおりの経過をたどる。カギは?そう、誰の言葉に同意し、誰の権威に服するのか。これが転機を分けるのだ!まさにあなたの信じたとおりに、だ。われわれが生きる領域はこの物理的五感の領域ではない。それをはるかに超える領域である。そのサブスタンスによって生きること。これが義人はフェイスによって生きることの実際である。Glory be to God!

 

マトリックスから解かれるほどに

どう表現したらよいのか。イエスが生きていた領域とイエスが見ていた光景、これが焦点を結びつつある。まったく異なる地平線が見えている。これ、まじヤバい・・・。イエスはどこからきて、どこにいたのか。あのナザレ、ガリラヤ、エルサレム?ノー。彼は天に包まれて、天の領域に生きていたのだ。確かに物理的身体を持たれ、この物理的時空間にもおられた。が、本質的には彼は霊的領域におられた。これはわれわれも同じ。イエスとジャスト・セイムにわれわれは世のものではない!そして父がイエスを遣わされたのとジャスト・セイムにわれわれもイエスによって遣わされた。

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」-John 20:21

イエスはこの世に遣わされたエイリアン。われわれもこの世に遣わされたエイリアン。で、何をする?イエスと同じわざをだ!WOW!

マインドのマトリックスから解かれるほどに、自分のアイデンティティー、ポジション、アビリティ、インヘリタンスが見える。この世はマトリックス。「神はいない」とか進化論などは究極のマトリックスである。

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、理解力の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。-Eph 1:17-19

カギは知恵と啓示の霊を受けること。理解力(dianoia)の目が開かれること。するとわれわれ聖なる者たちが得る希望、栄光、神のパワーを悟るのだ。マインドがマトリックスに絡め取られている限り、理解力の目は開かれない。マインドは霊と魂の接点。マインドが透明であるほどに、神の光はクリアに差し込んでくる。メッセでも語ったが、マインドはカメラのレンズ、霊はフィルムだ。カギはレンズの前のシャッターが開くこと、レンズに曇りがないこと。われわれ新しい創造新しい生命体とされた者たち、もっと言えばスーパーヒューマンが得たものがどれほどのものであるか!WOW! ヤバい、ヤバい、ヤバい・・・。としか言えない・・・cool

ご紹介:エレミヤさんのメッセ

私の30年来の信仰の友、エレミヤさんがついに顔出しされましたsmile 終末のキリスト教に対するするどい警告を一貫して出し続けてくれております。子供たち小さい頃はよくキャンプなどを一緒にさせてもらいました。早いものです。当時からするとこの業界も様変わり。確かに彼の警告のとおりに進んでいることは否定できません。

-エレミヤの部屋

 

ワーシップがブレインに及ぼす影響

何度か紹介しているこの方、ブレインの専門家。内容は実にウォッチマン・ニーの"The Spiritual Man(霊の人)"に忠実だ。聖書の啓示はサイエンスの先を行っているのだ。

-霊の機能と魂・体の相互作用について

 

天のカギ(複数形)の使い方-マトリックスからの解放

実に面白い、このテーマは世界的シンクロニシティのようだ。五感による世界、すなわちマトリックスからの解放だ。どんなに美しい絵・音楽も、おいしい料理も、すばらしい香りも、気持ちの良い肌感覚も、すべては大脳が作り出したクオリアに過ぎない。そのクオリアはあくまでも一時のもの。神経系の一時的興奮に過ぎない。ゆえに永遠の審判には耐ええない。永遠の世界のサブスタンス、これのみがその審判をパスする。

われわれは知らずにマトリックスに生きている。が、自分の何かを主張し、それに自分のアイデンティティーとプライドの根拠を置くとき、マトリックスに絡め取られる。その五感の領域の中で感じ、考え、主張し、活動するだけ。それは時空間における消耗戦だ。が、フェイスは永遠のNOWにあるサブスタンスを<今、ここに>現出させる。天のリアリティーが地になるのだ。

私は花粉症で30年近く苦しんだ。ところが昨年、あの経験の後、それが消えた。クスリがまったく不要になってしまった。自分でも呆気に取られている。最近、花粉症と無縁だったカミさんが鼻をぐずぐず言わせている。彼女、あたし、ついに・・・のところで、私がストップをかけた。言葉に出すな、それを語るな。それに同意するな、と。それはフェイク。マトリックスだ。今はよくわかる。自分が花粉症というマトリックスに欺かれていた、と。彼女のために十字架の癒しのサブスタンスを祈った。

カギは何か。信じる者には天のカギ(複数形)が与えられている。それを用いるのだ。天のポータルも開かれている。天にあるいくつもの倉庫にあるサブスタンスを引き出すために。そのカギの使い方に習熟すること。合わないカギを使っても倉庫は開かない。適切なカギをどう使うか。ここにフェイスを使うコツが隠されている。

あなたがたが地で解くものはすでに天で解かれおり、地でつなぐものはすでに天でもつながれている。(時制に注意!)-ジーザス

フェイスの覚醒-まことに混乱の時代を悠々と生きる秘訣はここにあるのだ。

エイリアンなるジーザスとわたしたち

わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。-John 17:14

正確に言えば、イエスが世の者ではないのとジャスト・セイムに私たちも世の者ではない。われわれは世に置かれているが、世の者ではない。すでに過去のメッセージでも語ったが、われわれはエイリアンなのだ

イエスは何のために来たのか。父の心を行うため。それは天を地にもたらすこと。つまりこの物理的時空間に霊的かつ神的領域が介入するのだ。だから天は裂かれた(Mark 1:10)。そして人として何が成し得るかをデモンストレーションされた。彼と同じことがわれわれにもできることを告げながら。彼のわざはすべて内なる父の言葉、つまり父のバイブレーションの反映であった。彼がそのバイブレーションを語り出すとき、創世記で神が語ることによって万物を創造されたと同じ事が起こった。そしてそれがわれわれにも可能であると!

わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。
はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。
わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。
わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。-John 14:12-14

ジーザスは100%人かつ100%神。が、彼はアダムにあって生まれた人類とは異なる。彼は十字架の前にすでにわたしはよみがえりであると宣言された(John 11:25)。彼はすでに世の基が置かれる前からほふられていた(Rev 13:8)。フェイスは時空間を超える!イエスは復活の様で復活の領域を生きていたのだ。そして私たちもキリストと共に葬られ、復活した。今や私たちはニュー・クリーチャー、新生命体、キリスト属の人類である。これはアダム系の人類とは本質においても、機能においても、在り方においても全く異なる存在である。十字架以前には存在してない新しい種属である。つまり神属人類。われわれは神の霊を分け与えられた存在、つまり神属の者だ。人ががんばって聖化されて神になるのではない!すでに生まれが神属であり、神の領域にある存在なのだ。

確かにこの肉体はいぜんとして旧い創造のもの。うちには罪が住まう。が、その罪はわれわれに対する支配力はすでにない(Rom 6:14)。ただ、罪(Sin)のいざないに同意するとき、この体は個々の罪(sins)を犯す。が、血潮がある!イエスの血は絶えずわれわれを清める。神の前にはわれわれの罪(sins)は残されていない。過去・現在・未来すべての罪が、だ。血を宣言して、その事実を適用するのだ。告白とはhomologeo、神と同じことを語ること。

私たちが赦された罪人にすぎない、ではない!それはわれわれのアイデンティティーではないのだ。騙されてはならない。サタンはわれわれの行いを指摘する。彼は告発するもの、中傷するもの、彼は生まれながらのウソつき、盗み・殺し・滅ぼすもの。が、神がなされた事実をけっして無効にはできない。われわれが彼の主張に同意するならば、彼は我々に支配力を持つ。彼の偽りを拒絶せよ!

われわれはエイリアンである。われわれはイエスというポータルをとおり、霊的な天の領域に自由に出入りできる存在。まことにスーパナチュラル。そのためにはフェイスを使え。そのフェイスはからし種のサイズ、つまり量子サイズで十分。Dr.あいこ氏も指摘しているが、クオンタム・フェイスは大いなるリープ、飛躍を生む。信仰とは何か?と日本語で考えるなかれ。御霊にたずねるのだ。フェイスを教えてください!と。御霊はあらゆる真理へと私たちを導いてくださる。

フェイスの覚醒

時代のキーワードはまさにコレだ!

追記:イエスはつねにカイロスの中に生きていた。それは永遠のNOW、復活の領域。イエスがクロノスの中で経た十字架の死と復活により、イエスは霊の体を得たのである。私たちは神の国に生まれるためにボーン・アゲインする必要があるが、イエスは必要ない。が、物理的存在としては霊の体を得る必要があったのだ。

 

マトリックスから離脱するポータル

この人も、マトリックスからの離脱とパラダイスへのポータルを説いている!?このテーマ、世界的なシンクロニシティなのだろう。

量子場と霊的領域

オドロキ!昨日の私の記事と同じことを!カギはどのバイブレーションに共鳴するか・・・WOW!

どの霊のバイブレーションに共鳴するか?

最近のセレブには毎回新しい方が参加されている。昨日は宮城から、前には滋賀や神戸からと。お話をいろいろと伺うとネットでセレブを聞いたり見たりしてくださって、一度現場を見てみたいとの声が多い。まあ、見た目はそんなパッとする現場ではないのだが・・・wink

現在、YouTubeにて映像を、Apple Podcastにて音声を配信している。イスラエルの神は賛美に住まう。賛美の現場におられる神は実にタンジブル。手で触れることができるほどに私たちに触れてくださるのだ。まあ、私はショーンK氏のようにイケメンでもないし、渋いヴォイスでもないので、ビジュアル的な部分は寛大に見ていただきたいが、YouTubeは主にPCにて、Podcastは家事や通勤電車の中でもエンジョイして下さっているようだ。

今の時代、メディアをどう用いるか。もはやTVは若い人たちはほとんど観ていないとか。だいたい50-60代が中心となっているようだ。いずれ老人ホームのみにて的な事態もあるかもしれない。情報が自由に飛び交う時代であるあ、同時に霊が自由に発散される時代でもある。まさにこの空中には電磁波がバイブレーションとして存在している。同時に霊のバイブレーションも存在するのだ。神の霊と敵の霊、両者の霊が存在している。

この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。-Eph 2:2

この御言葉が実にリアルに迫る時代となっている。さて、あなたはそして私はどの霊に従って生きるのであろうか。その霊的実体、サブスタンスを実体化するのは私たちのフェイスである。マインドはカメラのレンズのようなもの。曇っていたり、シャッターが閉じていれば、光は入らない。マインドを通過するとき、しばしば私たちのマインドのレンズの歪みによりサブスタンスも歪む。ゆえにマインドは世の形に構成されてはならなず、むしろリニュイングされて、トランスフォームされる必要がある(Rom 12:1-2)。そして光は霊に感光する。それが魂のマインドや感情において実体化されるとき、啓示や幻となる。あとはそれを語り出すのである。これが預言である。

-預言の霊的機序

マインドの重要性は前の『真理はあなたを自由にする』でも強調していたが、このところ特に感じるところだ。結局、癒しがあるのないのとか、異言は止んだ止まないとか、すべてそれはマインドの構造の差によるからだ。それらがすでにないとかマインドに組み込まれている人々は大きな損失を被っていることに気がついていない。クリスチャンが分裂している現代の様は、まさにマインドの構造の違いに過ぎないである。われわれはマインドの構造を絶えず変えていただくことを願っている。それこそが自己を否み、自分の十字架を負うことであるから。

 

視・聴・臭・触・味そして信

この五感は誰もが分かる。視覚・聴覚・臭覚・触覚・味覚によって私たちのうちにある世界のモデルが構築されている。私たちはこの五感あるいは五覚によって何気に生きている。それぞれの覚はそれぞれの物理的実体、つまり物理的サブスタンスを私の主観的経験とする。これを実体化(Substantiation)という。普通の人は光の実体は知らない。電磁波であり、光量子でもあると物理学では教える。そのエネルギーはhνであるとも。が、それを知らなくとも目がそれを私の経験として実体化してくれる。物理は知らなくても何も困らない。同様に音は空気の粗密波であると知らなくても、音楽を楽しむことができる。耳がそれを私の経験として実体化してくれるからだ。こうして五感により私たちは世界を認知し、それぞれの経験に応じて世界はこうこうであると知っている。それが各人の世界観であり人生観である。

では、霊的サブスタンスはどうか。メッセでも語ったがLAに行かずにガイドブックだけは隅から隅まで知っている人がいる。同じように霊的サブスタンスにタッチすることなく、聖書は隅から隅まで知っている人がいる。信仰なる単語があまりよろしくないと言っているが、それは視仰とか聴仰とか言ったらおかしいでしょということ。フェイスとは第6のセンサーなのだ。ゆえに信覚とでも言うべきかもしれない。それは霊的領域にタッチし、それをセンスする。霊的サブスタンスを経験する感覚器官なのだ。ゆえにそれはスーパナチュラル。聖書を知っていることと霊的サブスタンスを味わうことはまったく別のこと。ガイドブックを知っていることとLAを味わうことはまったく別のことであるのと同じ。この意味でいわゆる霊的書物を漁って、誰がこう言った、彼がああ言ったとよく知っていても、それはオツムの中の現象に過ぎないのだ。

今回のメッセで語ったが、われわれはゼロクリアする必要がある。フェイスとは何か。義人は視によってでもなく、聴によってもなく・・・、信すなわちフェイスによって生きるとはどういう経験であるか、主よ、教えてください。私たちは何か大いなる勘違いの中に生きていたかもしれません。マトリックスにはまっていたかもしれません。教えてください、と求める必要があると強く感じている。これからの時代、自分の聖書の知識や御言葉の解き明かしとかいったものに頼るならば、必ず失望に終わるであろう。この意味で、自分が何によって生きているかが明確に表れてしまうのが癒しなのだ。ある人は言う、主の打たれた傷によりわれわれは癒された、といっても神は癒す人と癒さない人があるのだ、と。いや、現代では医学も発達しているから神の癒しはもはや廃れたのだ・・・。では、伺おう。主の打たれた傷によりわれわれは赦された、といっても神は赦す人と赦さない人があるのだ、と彼らは言うのであろうか?

イエスは昔も、今も、永遠に変わらないお方!すべての人を偽りとしても、神を真実とせよ!Glory be to God!

 

TODAY'S CELEBRATION 【Mar 20, 2016】

タイトル義は信から信へ

聖書個所:ローマ2:17-18など

3月27日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700

WebKingdom Fellowship

YouTubeDr.Luke's KF_Channel

セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。

全国有名書店で発売中

 
Amazonに飛びます

イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。

●11月に一般の100書店に配本され、2月に別の100書店に配本されます(⇒書店リスト)。また紀伊国屋では1年間常備されます。書店に直接注文していただけますと在庫を増やしてくれますので、よろしくです。こちらの注文表をお持ちください。なお、出版社の在庫があとわずかとなった模様です。

●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●読書メーター感想:読んでも意味がわからなかった聖書がなんとなくわかった。聖書の読み方が変わった。

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