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Category: 信仰

倒錯しているオバマ

同性結婚を承認、WHを虹でライトアップしたオバマ。今回はイスラエルがイランの核施設を攻撃することを阻止するためにスパイを送り込み、空母も派遣していると・・・。

-Report: US Spied on Israel, Prepared to Destroy Israeli Bombers to Protect Iran

自らアメリカの世界の警察としての役割を終えたと宣言したオバマ。が、イスラエルをワッチする役目は・・・。完全に倒錯している。

わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
あなたを祝福する者をわたしは祝福し、/あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、/あなたによって祝福される」。-Gen 12:2-3

改めて、信仰とは?

下において、信仰があれば癒されると書いた。が、これは厳密に言えば正確ではない。なぜか。信仰は願うことのサブスタンス、つまり癒しそのものなのだ。信仰が癒しの条件ではない。信仰そのものが癒し(サブスタンス)なのだ。これを新著において、江戸時代にタイムワープした20世紀の人が持つ抗生物質の喩えで説明した。この喩えで言えば、抗生物質が信仰のサブスタンス。それを飲む時(行いにより)、それは癒しを現実世界で立証する。

信仰を何か神からいただくための条件かのように捉えるならば、癒されないのは信仰がないと言うのか、といった発言になる。これは大いなる勘違いであり、自分の信仰を信仰とするトラップに落ちている。信仰は癒しのサブスタンスそのもの。そもそも救いのサブスタンスでもあり、義と聖と知恵と贖いと・・・すべての霊的真理のサブスタンスそのものなのだ。義とは私のあり方ではない!義とはキリスト。聖も知恵も贖いも、すべてはキリストだ。もっと言えば信仰とはキリストなのだ。

あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。-1Cor 1:30

繰り返すが、霊的真理は日本語で考えてはならない。フェイス・アウェイクン、すなわち信仰の覚醒のためには、まず日本語のマインド、そして日本語の世界を離脱せよ!

 

日本語聖書の呪縛から解かれよ!

最近、つくづく感じているのは、なぜニッポンキリスト教が生まれるのか。それは言語の問題であるということ。すでに何度も繰り返しているが、信仰(ピスティス)を「信じて仰ぐ」と理解するならば、それで真理から外れる。これがゆえに、「私は信じます、信じます」と念仏を唱えることを信仰と思い込み、しばしば神に裏切られたとこれまた勝手に落ち込むのだ。信仰は本来「信」でよい。その定義はヘブル書にある。

真(ピスティス)は願っている事柄の実体(サブスタンス)であり、見ていないものの立証である(私訳)-Heb 11:1

このサブスタンスは永遠の霊の領域に存在するが、それはつねに今(NOW)の領域である。神はI AMだから。永遠の霊の領域とは神の領域と言っても良い。そのサブスタンスにタッチし、それをこの物理的時空間に現出させることが立証である。ウォッチマン・ニーは最初の段階を霊的にゲットする、次の段階を物理的にゲットすると言う。これは信じて仰ぐことなどではない。今、この文章を読んでいるあなたの目の前のディスプレイが、ある、のと同じように、信も、ある、のだ。それは、今、ここ、におけるリアリティー。ARE YOU WITH ME? 神はいつか私を癒して下さるだろう、は必ず裏切られる。それは信ではないから!あえて言えば、信心かもしれない。こうして先のS氏のように「癒されないのは信仰がないというのか」と抗議するわけ。かくして神を告発する。

また祈りという単語も大いに問題だ。あらゆる宗教で祈りという行為を行う。では、われわれの祈りと彼らの祈りはどう違うの?祈りがしばしば、神の同情を引き、嘆願、つぶやき、言い訳、あるいは逆に私は一人前の信仰者であることの証明のためのデモンストレーションとなっている。もちろん、神の前に私たちの心を真実に注ぎ出すことは重要。が、祈りのそもそもの意味は何か?ヘブル語では"palal"、原義は"to judge"、つまり「裁定すること」だ。祈りは裁定、つまり、永遠の今の領域のサブスタンスを見極めることなのだ。私たちのアクティベーションされた霊は永遠の今の霊的領域にポータルとして開かれている。神の国が私たちの内側から外側へと流れ出る、いわばホワイトホールなのだ。その領域は時間と空間を越える。だから二千年前の事実が今の私のリアリティーとなる。十字架の事実は今、ここにおける霊的サブスタンス、それは信の祈りによってリアリティーとされる。

先に紹介した、Renny Mcleanのメッセでも、たとえば「アーメン」の意味は

'âman
aw-man'
A primitive root; properly to build up or support; to foster as a parent or nurse; figuratively to render (or be) firm or faithful, to trust or believe, to be permanent or quiet; morally to be true or certain; once (in Isa_30:21; by interchange for H541) to go to the right hand: - hence assurance, believe, bring up, establish, + fail, be faithful (of long continuance, stedfast, sure, surely, trusty, verified), nurse, (-ing father), (put), trust, turn to the right.

つまり、支える・守る・真実・確実さ・親の保護などの意味であり、それは神の名でもある。事実、イエスは「アーメンたる方」と言われている(Rev 3:14)。栄光はカボド、その意味は重さ。臨在はパニームで、顔の意味(神の顔のペニエルと同じ)。日本語訳は真理を記述するためには最も不適切な言語であると常々言っているが、改めてまことにそのとおり。日本語のマインドによる世界観から解かれよ。聖化にしてもそれを日本語で考えてはならない。それは髪を七三に分けて、きよく・正しく・美しく、三浦綾子夫妻のように生きること・・・ではないのだ!それは生命現象だから。聖書は倫理や道徳の規範の書物ではない。生命現象を語る書なのだ。要するに生物学の本。聖化を倫理や道徳と絡めるといわゆるクルシチャンが誕生する。すべては新しく与えられる生命現象として味わうのだ。

ちなみにこちらの多分ニューエイジ系の方の文章をご覧下さい。あれ?私の新著とそっくり!Dr.Lukeもついにニューエイジに走ったか・・・との非難もあると思っておるところ。しかるにこの方はこう言っている:「神というエネルギー」と。つまり、人格を有した、まして三つの人格(Persons)を有するひとりの神の第二位(神のサブスタンス)が肉体を取られたなどはとても理解されないところだ。ニューエイジはキリスト教よりもよほどスピリチュアルな現象あるいは世界を知っている。が、イエスという唯一のポータルを通ってではないのだ。ここにわれわれとの本質的相違があるのだ。神のバイブレーション、波動と共鳴すること。神の霊の場に調和すること。そのためにはマインドがトランスフォームされる必要があること。この方も言っている。

しかし、われわれの場合、これらの霊的経験はすべてイエスなるゲートあるいはポータルを通してである。これがクリスチャン経験。すべてはキリストのうちなる現象であり、経験である。残念ながら、霊的領域にタッチすることにおいてはニューエイジャーの方が慣れている。ニッポンキリスト教神学のガリガリオツムには私の新著の内容はトンデモ系であろう。だが、ここの読者諸氏はすでに理解されていると思う。ジューシーな肉汁の抜けたスジ張ったステーキはいい加減飽き飽きだと。私は正直言うと、「信仰」とか「祈り」とか「聖化」とかいう用語を使いたくない。そのような日本語の単語を超えたサブスタンスに直接タッチし、それを今、ここに現出させるだけ。『スターウォーズ』や『ルーシー』に対抗するわけではないが、繰り返すが、、「フェイス・アウェイクン」だ。クリスチャンよ、自分が何者であり、どこにおる者か、そして何をなし得るか、今、ここで覚醒せよ!

二心からの解放

ちょうど今週の私のメッセと重なるので紹介しておく。信仰と医者の関係も・・・

五感のマトリックスからの解放

われわれが世界を認識するのは体に備えられた五感というフィルターを通している。視覚・聴覚・触覚・味覚・臭覚と。これらの感覚器官は対象となる物理的サブスタンスに触れると電気信号にコード化し、大脳のそれぞれの感覚野に送り、そこで再度デコーディングされて、各感覚として意識に登る。それを感知する「私」はどこにいるのか、これはホムンクルス問題と呼ばれているが、未だ未解明。とにかくその「私」はそれらの感覚に基づいて世界を認識し、世界がこうこうであるという世界像(モデル)を構築する。これをわれわれはいわゆるリアリティーと思い込んでいるのだ。David Ickeはクリスチャンではないが、このマトリックスの構造を明確に指摘してる。

が、今回のノーベル賞にテーマであるニュートリノはわれわれの体を1秒間に1兆個が通過している。もしわれわれがニュートリノを感知する感覚器官を備えていたら、われわれの見る世界は今とまったく異なったものとなるであろう。ニュートリノなる物理的サブスタンスは存在するが、生まれつきのわれわれには感知できない。物理学ではこのようなサブスタンスを次々に発見し、五感の領域に現出させることが可能となってきた。同様に霊のサブスタンスも五感では感知できない。が、感知できないからといって存在しないとは言えない。霊がアクティベーションされるとき、その世界は「私」の意識の領域に明確に現れるようになる。さらにわれわれはその霊のサブスタンスを操作することが可能なのだ。これが信仰である(Heb 11:1)。

霊の世界を離れた人間の生活とは所詮五感の領域における活動であって、その「感」を快適にすべく努力しているに過ぎない。人間社会も歴史もこれらの「感」に仕えるものなのだ。どんなに人生を楽しんでいるとか、自分は自由を満喫しているとか言っても、所詮は五感の中。お釈迦様の手の平の孫悟空のようなもの。霊的世界のリアリティーにアウェイクンするとき、それらの五感の領域の活動に埋没することの虚しさを改めて感じるのだ。ましてやそれらをこれ見よがしに誇るなど、特にクリスチャンの場合、自分の盲目さを自分で証明してしまっている。

そのような場合、五感に基づいてのみ、自分のアイデンティティーと能力を確立することになる。いわゆるセルフイメージが低いとか高いとか、それらは所詮五感の領域の現象に過ぎない。われわれの真のアイデンティティーは何か。イエスはこの五感の領域に生きてはいなかった。彼は自分のアイデンティティーを明確に知っていた。わたしはこの世のものではない、と。神のサブスタンスが私たちと全く同じ肉体をまとった存在であるが、それは彼にとっては仮のもの(仮庵)。彼は自分のアイデンティティーが霊的なものであり、霊的世界のサブスタンスを見据え、その世界を自由に操作し得たのだ。彼は五感の世界ももちろん知っていたが、シックスセンスである霊によって霊の世界に生きていたのだ。

そしてわれわれもイエスと同じようにこの世のものではなく(John 17:14)、かつご自分と同じ生き方が信じる者にも可能であると主は言われる。否、ご自分のわざよりもはるかにおおいなることをなし得るとさえ言われるのだ(John 14:12)。われわれの真のアイデンティティーは霊にこそ存在する。私たちが五感の世界にのみ生き、その世界を大事にし、その世界を尊ぶのであれば、所詮その世界から離脱することは不可能。自らを五感のリアリティーに幽閉してしまう。聖書はもともと五感で読むものでも、理解するものでもない。そもそも聖書は普通の書物ではないのだ。ところがキリスト教では五感の世界のみで、特に知性を用いてアレコレやり出す。こうしてそれぞれのキリスト教ができるのだ。特に各言語によってまったく異なる「信仰」のリアリティーを弄り出してしまう。西洋は西洋キリスト教、韓国はカンコク・キリスト教、アメリカも、ニッポンも・・・。

聖書をキリスト教から解放せよ!そのためにはわれわれがまず五感から離脱する必要があるのだ。フェイス・アウェイクン!今、終わりの時代において、それが求められているし、それができずにキリスト教の宗教レベルに留まるのであれば、振い落されてしまうであろう。偽りの時代、マトリックスはわれわれの五感に訴え、フェイクがあらゆる領域を覆い尽くそうとしているからだ。

追記:われわれのアイデンティティーは、要するに、醜いアヒルの子なのだ・・・。わたしはこの点、大きな勘違いをしていた。今はイモムシであるが、体の変貌の時、美しい蝶として羽ばたくのだと。ノー!!!今、ここで、私たちの真のアイデンティティーは白鳥であり、蝶なのだ。かの日まで待つ必要はない。主は言われたであろう、わたしがこの世のものではないように(同じ程度に)、あなたがたもこの世のものではない、と。このアイデンティティーと自分の居場所(天の座)、そして能力に覚醒するならば、イエスのわざが再現される。ARE YOU WITH ME?

恐れの霊の侵入を許すな

再建主義の富井氏がそのとおりのことを書いておられる。今週の私のメッセとも関係するので紹介しておこう。

tomi 2015/10/18(日) 20:12

「被造物をいっさい恐れません」と宣言してほしい 「悪霊に憑依されることなんてあるわけない。」と思うかもしれない。 しかし、心に隙があれば、入る。 ヘビメタを聞いても入る。 昔、ロックをやっていたのでわかるが、バンド練習が終わるとものすごく疲れる。 その疲れ方が、スポーツの練習をやった疲れとまったく違う。 いや~な疲れ方なのだ。 ヘビメタを聞いてから、ずっと気持ちが晴れないということがないだろうか。 いつも気持ちが重いとか。 うつ状態にあるとか。 悪霊が入っている可能性がある。

「イエス・キリストの御名により、私のうちにいる悪霊どもよ、縛る。そして底知れぬところに行け。蓋を閉め、封印する」と祈ると軽くなる。 ただし、半信半疑でやらないこと。 かえって悪霊どもがバカにして、悪化することがある。 確信を持ち、疑わずに祈ることである。 とにかく恐れとか自信のなさが一番の敵である。 弱気になるといじめてくる。 悪霊は基本、いじめっ子なのである。 信仰がないもの、信仰が弱いものを見つけては、いじめて喜ぶ。 幽霊を怖がる人には幽霊が現れる。 人を恐れる人のところに、いじめる人が現れる。 やくざは相手が怖がっていると、よけいに脅しにくる。

「神以外の存在、つまり、被造物をいっさい恐れません」と宣言してほしい。 このことを宣言し、毎日、自分があらゆる被造物に対して強気になる訓練をしてほしい。 そうすれば、恐怖の奴隷にしようとする悪霊、そして、その悪霊に憑依された人間は現れない。

心にスキマを作らないこと。御言葉を疑うことは致命的。新神学とか、高等批評とか、近代主義とか、神の言葉を人間のオツムでアレコレ。どうぞ私の心に入ってきてください、と敵に許可を宣言するようなものだ。

TODAY'S CELEBRATION 【Oct 18, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトル内なる偶像を砕け

聖書箇所:申命記32:21;1コリント8:4

10月25日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700

WebKingdom Fellowship

YouTubeDr.Luke's KF_Channel

11月全国有名書店で発売

イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。

本日(23日)発送が終わりました。明日か、明後日着の予定です。

今後は11月以降、書店およびAmazonにてお願いいたします。

血の効力とその範囲に覚醒せよ

今週のメッセで時間なくなって話せず、次回に回す予定でいるが、結局、イエスの血の力とその効力の範囲を知ることがわれわれの信仰のすべてだ。ふた心になる理由は何か。それは血を知らないから。だから、神にもお願いするが、世のシステムや医学にも頼るとなる。考えても見よ、私たちのうちにいます方は神だ。天地を創造されたお方。私たちの成り立ちのすみずみまで、DNAから、分子、原子のレベルまで知っておられる方。その方が流された血だ。それはすべてを贖ってくださった。そのすべては私たちのもの。あとは私たちがどう使うか、だ。まだその使い方を十分に知っていないし、習熟もしていない。ゆえに、覚醒せよ。フェイス・アウェイクン!

 

神の国に生きるプロトコル

社会はある一定の価値観とそれに基づくルールから構成される。これはプロトコルと呼ばれる。その社会に生きる人々はそれに適応するように考えまた行動することが要求される。現代はいわゆる人権と自由に基づいて民主主義なるプロトコルが主流。それから外れると反社会的勢力とか言われるわけ。これはすべて五感によって生み出されたリアリティー。ちなみに物理学では最近、ホログラフィック宇宙論も提唱されているように、それは脳が生み出したものなのだ。

-Holographic Universe FULL movie

神の国も同様のプロトコルがある。これは世のそれとは全く異なるものであり、私たちのマインドセットが根本的に変革される必要があるのだ。すなわち絶対神主主義であり、それに基づいて絶対王権制がしかれ、その恩恵によって生きるのだ。その根拠は、イエスの流された血。それは全宇宙を買収した。要するに株式会社でも、TOBなどにより株式を過半数取得した者が実質的なオーナーになるのと同じ。神は100%の株式を取得されたのだ。

それまでのオーナーは誰だったか。そう、アダムから欺きにより不正にオーナー代行権を奪取したサタンであった。それはそもそも不正行為であったゆえに、イエスの血はサタンに対して支払われたのではない。われわれが贖われたのは律法の呪いの下からである(Gal 3:13)。サタンは律法の呪いの下にある罪(Sin)の住むわれわれの肉を刺激して、われわれを自分の下に置こうとする。アダム系列の古い私が唆されるとき、アダムと同じように罪(sins)を犯す。罪の力は律法ゆえ(1Cor 15:56)、律法に縛られている古い私は自ずとサタンの下に置かれる。こうしては世は悪しき者の配下に置かれるのだ。

しかるに、サタンの不当性は神の子を十字架に付けることにより証明された。が、キリストは復活し、新しい人類を創造された。血の代価と復活によりキリストは愛と義を証明され、サタンが不当に奪取していた天と地のあらゆる権威を正当に得た。アダム系の私も終わり、律法は私に対して力を失った。同時に罪(Sin)も新しいキリスト系の私には効力を発揮し得ない(Rom 6:14;7:1)。それを担保するのが恩恵、つまり恵(Grace)である。鍵はアダム系の死とキリスト系の復活。これなくしては神の国のイロハを失う。同時に、キリストの血はあらゆる病の代価も払った。世でも癒しを求めて医者にいけば、当然のこと代価を要求される。しかし、キリストはすでに代価を払ってくださったのだ!

世はバビロンのシステムである。つまり奴隷組織。現在、いわゆる奴隷はいないが、実質は奴隷状態。よく社畜とか揶揄されるが、すべて今の貨幣システムにおいては奴隷なのだ。特に負債を抱えている者はよく分かることと思う。中央銀行(市中も)というシステム、国家による徴税、ローンの金利、これらはすべからく合法的な詐欺だ。何度も指摘しているが、ニッポンの個人資産は1300兆と言われているが、現ナマはない!日銀の発行残高、つまり現ナマは80兆程度。これ、信用創造によるトリック。準備率を1%とすれば、100万円は100倍に化けるのだ。このシステムは神の国と真っ向から対立する。キリストの血はこの世で生きるための代価をも支払ってくださったのだ。

昨晩、BSで山崎豊子の『沈まぬ太陽』を再度観た。正義の社畜恩田があくまでも正義を貫き、国民航空を相手に奮闘し、裏切られ、傷つき、自分を見失いつつも、真の価値を見出すというストーリー。あの御巣鷹山の事故を描いている。モデルは日航。その内部がどれほどに腐っていたか。恩田は会社という組織の中で自分を確立しようともがくのだ。が、これがそもそもの罠。組織の中で自己を確立することは本来無意味だ。われわれのアイデンティティーは何によるのか。そう、対・神においてのみそれは確立される。自己は、社会的レベル、生物的レベル、精神(魂)的レベル、霊的レベルの層構造をなしている。神の贖いのワザはそのすべての層にまで及ぶ。もちろんこのボディのトランスフォーメーションは携挙まで待つ必要があるが、病の癒しはすでに成し遂げられている。生物的次元でもDNAのレベルまでキリストの血は力を発揮する。

では、なぜある者は癒されず、貧富の差もあるし、家庭が崩壊する者もいるの・・・・か。このようなマインドセットがすでに欺かれているのだ。聖書が、主の打たれた傷により癒されたとある以上、そのとおり。主は富んでおられたのに、私たちを富むものとするために貧しくなられたとある以上、そのとおり。魂が栄えているように、あらゆる面で栄えるとある以上、そのとおり。隙間を作るとそこに疑念が入る。それは種。いつかその実を結ぶ。真理に対して一部のスキも作らないこと。神の国のプロトコルには疑問や疑念はない、否、あってはならないのだから・・・。

マイ・マインド・アンロックト2

またひとつロックが外れた。これもかなり大きい。あっ!と思った瞬間、カチッと外れた。そして見えた。壮大なフェイクが・・・。まことに

また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている。-1John 5:19

同時にキリストの十字架の壮大さを、見た。

2015年、押し迫って

2014年11月22日、ケネディが暗殺された日に、私は一言書いた。2015年のキーワードは「ケイオス」だと。ヨーロッパの難民問題、ロシアのリシア介入、イランの核問題、アメリカの財政赤字、ニッポンのそれ、中国のバブル崩壊・・・。イスラエルが動きそうな気配もありで・・・。これから2ヶ月、予断を許さない。

一方、主にある者にとっては「ヨベルの年」とも書いた。つまり各人の立ち位置によって大きく差ができるというわけだ。まことに終末の時代、御言葉にはこうあるとおり。

不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ。-Rev 22:11

追記:ついにイランもシリアに介入した模様。収拾がつかなくなる・・・。

S姉妹の証ー末期ガンの癒し

先に紹介した末期ガンのSさん、本日、ガンセンターでの検査結果が出た。ドクターが淡々と一言。所見はありません。ハレルヤ!

彼女は時と空間を超えて自分がイエスと共に十字架についている場面をハッキリ見た、と。そして聞いたのだ、完了した、というイエスの言葉を・・・。すべてを含む完了だ。ああ、自分もそこにいたのだ!

信仰はタイムトラベルなのだ。

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