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Category: 信仰

信仰の領域を固めないこと-霊のバイブレーションで解される

結局、各人の霊的経験の広さと深さと質を決定するのはマインドのあり方次第。たとえば、福音派では手を上げてワーシップができないらしいし、聖霊の働きについても開かれていないらしい。ある集会では、おそらくそこのリーダーの個人的経験からであろうが、癒しを求めると悪霊が働くから、癒しは求めてはならず、神様が送ったものとして受け取るのだとか・・・。はぁ、それでは医者にもかかれないではないか。

前にこのような記事を書いたところ、S氏が激した調子で「癒されないのは信仰がないとでも言うのか、集会の批判も不当だ」と抗議されたが、そのとおりなのだ。信仰があればすべて癒される。これが真理だ。彼らは固められたマインドのあり方を揺すぶられ、神の霊のバイブレーションによってほぐしていただく必要がある。しかも彼は「自分は水の上など歩きたくはない」と宣言してしまった。これでは自分の信仰の領域を固定化するだけ。これは彼のために書くが、もしそのまま主張し続けるのであれば、彼は今の状態から先へと前進はできないであろう。われわれは常に、主が来なさい、と言われたら、水の上に歩き出す体勢でいる必要があるのだ。

私自身もオツムが揺すぶられ、ロックが外される度にチャレンジを受けている。ええ、そんなことがあるわけないだろうとか、まさか、そんな都合のいい話が転がっているとは思えないとか・・・。御言葉はその度に私のアイデンティティーとポジションを思い起こさせてくれるのだ。

たとえば、大川隆法氏は誰も知っているだろう。彼は私と誕生年が同じ。しかも東大。多分キャンパスですれ違ったことがあるかもだ。彼個人の納税額は3億5千万。出す本はいずれもベストセラー。最近ではどの本屋でも彼のコーナーがある。横浜でもあちこちに立派なビルが建っており、白金あたりにもなんとか精舎なるものが林立している。一方、キリスト教会は・・・。いわずもがな、やめておこう。彼は霊の世界の動かし方を知っているのだ。ヘブル11章1節の信仰には定冠詞がない(Heb 11:1)。つまり一般の信仰の定義だ。スプーン曲げの清田クンも言っていた、誰でも信じればできるんですよ、なぜ信じないんですか?と。

カネって不思議なもので、極私的には30歳からそこそこの年収を稼いできた。が、個人としていわゆる世の仕事を普通にしている限り、限界があると知った。神の国のために捧げた分に対しては、主は何倍にもして返してくださった。が、個人でできる分は、せいぜい5億程度を動かせるだけで(通帳に残る数字だけだが・・・)、それが限界。つまりレバレッジ(テコの原理)が十分に効いていないのだ。神の国の前進のためにはケタを挙げる必要がある。霊の原則に乗る必要があるのだ。では、御言葉は何というか。

善良な人はその嗣業を子孫にのこす、しかし罪びとの富は正しい人のためにたくわえられる。-Prov 13:22

神は、その心にかなう人に、知恵と知識と喜びとをくださる。しかし罪びとには仕事を与えて集めることと、積むことをさせられる。これは神の心にかなう者にそれを賜わるためである。-Eccl 2:26

ここに「富のトランスファー(移転)」が約束されている。はぁ、そんなうまい話が・・・これは肉から生まれる観念だ。英国のジョージ・ミューラーは一切の人間的組織に頼らず、庶民の一週間の生活費が1ポンド程度の時代に、150万ポンドを信仰により動かした。庶民の生活費が現在どの程度だろうか。六本木で遊んだりせずに、質素に暮らせば5万円/1週間程度?その150万倍だ!今回のノーベル賞の先生も薬の特許料だけで250億とか。それで温泉療養施設なども作って地域に貢献しているようだ。カネ自体をギンギンに欲しがる人ではない。とても淡白な印象だ。カネはこういった人に集まると生きるカネになる。カネ自体を求める人は顔がすでに卑しい。ジョージ・ミューラーも個人資産は何も持たなかった。が、彼は霊の法則、信仰の法則を知っていた。霊のレバレッジを行ったのだ。

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あなたがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。-2Cor 8:9

考えても見よ、福音を伝えることはノーベル賞に優るのだ。なぜ?人々の永遠の運命を決定するからだ。そのために神は大いなる富をエクレシアにトランスファーして下さる。否、すでにわれわれは所有している。その天のサブスタンスをキャッシュ化、つまり実体化すること。これがわれわれの信仰である。

ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。-Zech 4:6

ちなみに私の弟は私の祈りによりある本が超ベストセラーとなり、数年間で6億を手にした。天のポータルが開くとこのようなことが簡単に起きる。ポータルが開くならば、なんらの努力も不要で、癒し、必要の満たしなどが与えられるのだ。それも願う以上のところがだ(Eph 3:20)。ARE YOU WITH ME?

フェイス・アウェイクン-ロックが外される経験

この映画、繰り返すが、わが体験。10%、20%・・・50%と・・・・。いずれ100%になるとこの肉体を脱ぐ。

今朝のジョッギングでも起きた。マインドのロックがカチッと外れるのだ。脳内で音がする。最近、頻繁に起きている。するとレベレーションが与えられる。それはウイズダムを生み、書き留めるとナレッジになる。メッセでも語ったが、啓示⇒知恵⇒知識のサイクルの回転が速まっている。

それとともに、霊が見えるようになってきた。彼らはひたすら逃げ回っている。正体を現したくない。たとえば病の人を見るとき、その方に関わっている霊がいるのだ。その霊は自分を隠す。ビビっているのが見えるようになった。その霊を捕まえてイエスの名によって命じると、末期ガンも癒される。その時には明確な手応えがある。FBである姉妹が証されていた。イエスの名を用いると、乳がんの姉妹が信仰によって、病理検査の際、ガン細胞が消失していたと。医者が不思議がっていたようだ。

われわれのフェイスのポテンシャルは、思いをはるかに超えている。信じる者にはすべてが可能である!これは誰の言葉か?フェイス・アウェイクン!覚醒せよ、クリスチャンよ!キリスト教などどいう宗教に囚われるな。それはバビロンの霊だ、捕囚の霊。すでにまことのキュロスによる解放宣言は出されているのだ!

「信仰」も日本語で理解するな。それは後天的に得る、あるいは覚醒するシックスセンスだ。覚醒が必要なのだ。主は完全に覚醒し、その使い方を知っていた。へブル書の信仰は定冠詞がない。むしろニューエイジの方が知っている。引き寄せの法則とか撒くこと・刈ることの法則あるいは願望実現化の法則などの形で。キリスト教は肉汁の抜けた筋だらけのステーキと何度も言っている。ニューエイジの方がはるかに魅力があるのだ。が、これは本来、逆。もっとも魅力があるのはイエスご自身なのだ。そのイエスはこう言われる:

信じる者はわたしのわざをなし、はるかに大いなるわざをなすであろう。わたしの名によって求めるものはなんでも与えよう。-John 14:12

クリスチャンよ、ロックを外してもらって覚醒せよ!

■追記:「神に従う者は頭に祝福を受ける-Prov 10:6」とある。ここの頭は"rosh"、その原語の意味は「揺るがされる」なのだ。つまり頭は揺るがされる部分であり、祝福を受ける部分である。まさに覚醒することは揺るがされることであり、祝福なのだ。オツムをもっと揺るがしてもらおうではないか。

TODAY'S CELEBRATION 【Oct 04, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトル敵のアタックを見抜く

聖書箇所:ヘブル12:24;ヤコブ4:7

10月11日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700

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11月全国有名書店で発売

イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。

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アメリカはカリフ国家になる?

黙示録13章の二匹の獣がバチカンとアメリカであろうと、ずっと書いてきたが、最近はほぼ間違いないと感じている。オバマの危険性は2008年から指摘しているが、アメリカはこの7年間、着々とイスラム化されている。モスレムの悲願は、いわゆるわれわれが思い描く「国家」ではないのだ。ここでも何度も指摘しているとおり、シャリア法によるカリフ体制。それは超国家的存在だ。それを宣言したのがISだ。彼らにはいわゆる西側の論理は一切通用しない。

さらに、以前から指摘されているがオバマの反キリスト説。これもあながちネタとは言えないモードに入っている。フランシスとオバマのタッグはまさに黙示録的である。

2010年頃からここでも反キリストがイスラム圏から出るのでは、とする説を紹介してきた。私はあながちとも思っていたが、なるほど、オバマがモスレムであることが明らかになった今、俄然、現実味を帯びてきているわけ。いわゆるキリスト教のルーツたるカトリックに、そしてクリスチャン国家たるアメリカにあの者のコマが配置されていると。これはトロイの木馬そのものではないか。そしてもっともな戦略ではある。欺かれない者は幸いである。

追記:ヨーロッパの難民もモスレムの西側への浸透と言える。彼らのフェイスはリベラル化したクリスチャンのそれをはるかに凌ぐパワーを持っているのだ。

フェイスはタイム・トラベルだ

私はここで何度か言っている、クリスチャンは時間を超えると。つまりタイムトラベルができるのだ。ヨハネやパウロと交わることができるし、未来をここで先取りして経験することもできる。それは私たちは永遠の現在に生きているからだ。その領域は時間と空間を越える。フェイスはすでに得たと証する。たとえ、時系列的にはそれが1年後、5年後に現れ出る事であっても、今、ここで、すでに得ている。これがフェイス。

神はこれから何かをしてくださるだろう、ではない。癒しでつまづく人はそこを誤解している。「神は癒して下さるだろう」は延々と失望に終わる。神は癒してくださった!これがフェイス。つまりフェイスとは未来を、今、ここで、経験することなのだ。あるいは今のこの時の祈りにより、未来を変える。いずれにしろ、フェイスは遠くを見るが、それを現在においえて経験する。フェイスは永遠のナウの領域の経験である。

・・・と言うわけだが、なんと同じことを語っている人がいた!?WOW!

-Brent Luck

彼は元オペラ歌手、ドラッグでボロボロになり自殺を考えるまでに追い詰められたが、ある女性の祈りで自殺の霊から解放された。死者を蘇らせた経験も証している。あとは、ご自分でどうぞ。Transcriptもあります。

 

背教の道、NWRへ

神は、名前は違えども、みな同じ。信仰もいろいろ。宗教の違いを乗り越えて、みんなひとつになろう。

スピリチャル・リアムに生きること

ようやく出版された。分量は285ページほど。ちょうど手軽と思う。聖書に関する解説本は多々あれども、聖書を知ってそれがどうなるの?ってことについての本はまったくない。ある出版社の編集者もすでにキリスト教を理解することはほとんど諦めていたと。つまり旧約聖書に何が書いてあるか、新訳ではどうか、それらの知識を得たところで何なの?というわけだ。人生の励ましを得る?慰め?賢い生き方?・・・昔、イエスという神を自称する男がいて、奇跡や癒しを行ったものの、惨めに処刑された。が、三日目に復活したとの噂が広まり、それを信じて、イエスの教えを守る集団が誕生した。彼らは神に認めてもらうために、禁欲や断食などを行って、厳しい生き方をした・・・。

まあ、これが標準的なキリスト教に関する理解。つまり一般の人からすると、たまたまキリスト教なるご苦労さまな宗教に入信した人々の経典が聖書であり、イエスがその教祖で、彼の教えを守ると天国に行けるっていうこと。でも現世では酒も飲めないし、ディスコも行けないし、勝手に恋人とか作っちゃダメだし、とにかく不自由だから、オレはゴメンだね。でも、クリスマスに彼女と楽しむのはロマンチックだし、結婚式もチャペルの方がカッコイイ。かといってオレの家の墓は代々仏教だから、葬式は仏教で。子供が生まれたら七五三で神社詣でもする。もともと仏教と神社の違いもよくわからんし。なんでキリスト教徒は偶像を拝むなとか、線香上げるなとか拘るのが理解できん。テキトーにこなしてればイイじゃん!ローマ法王も神に至る道はいろいろだって言ってるから・・・・。

これが普通の日本人のキリスト観だろうし、ニッポンキリスト教徒も大して変わらない。もっと言えば、これがキリスト教。あるニッポンキリスト教で人気にある牧師は、救いには来世の救いと現世の救いがあって・・・とか言い出す始末。聖書は何を啓示しているのか、そのコアな部分をかすめてもいないのだ。さて、それは何か?今回の本では聖書の鳥瞰図を与えたつもりだ。さらに新創造とは何か。それはヤ●ザが人生やり直せますと言ったことでは毛頭ない(そんなのは〇〇学会でもよくあること)。神は新生命体を生み出したのだ。真に信じる者、すなわち霊から生まれた者はニュー・クリーチャーだ。それは霊的領域と物理的領域の狭間に存在する者。私たちはポータルである霊によって、自由自在に時空間を超えて、スピリチュアル・リアムにアクセスできるのだ。その世界のサブスタンスをこの物理的世界に現出させることができる。

本を書くということも、私の霊に啓示されたサブスタンスが、私の魂のマインドにおいて言語化あるいは映像化されたものを文字化する作業だ。私のマインドに浮遊していたサブスタンスが本というハードな形を取る。まさにこれは信仰の仕事なのだ。聖書も同様にして書かれた。もちろん私の本を聖書と並べるつもりは毛頭ないが、私の得たポーションを書き留めたのだ。何を言いたいか。聖書を読むにせよ、人の書いたものを読むにせよ、文字ヅラを追っておベンキョウしてもあまり意味はないということ。文字ヅラに拘れば、上のようなクルシチャンが大量に生まれるだけ。ポイントは、サブスタンスを共有することだ。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、パウロ、ペテロ・・・らの得た霊的領域におけるサブスタンスを掴むことなく、文字ヅラを暗記し、それを繰り返して自分のブログに再現しても、それはロウでできた食品サンプルと同じ。一方でオレはキリスト教なんぞはやってない。人生、自分を表現して、あれこれできる限り楽しんでるのだ・・・とブってイキがる連中もいる。はは、かつての私だcool

クリスチャンはニュー・クリーチャー。イエスとまったく同じように、この世のものではない。時間と空間を超えることができる存在なのだ。いつでもイエスと、ヨハネと、パウロと交わることができる。霊の交信をすることができるのだ!しばしばクリスチャンは感情で生きている。気持ちがイイ、悪いで自分を判断するのだ。気持ちが良ければ祝福されており、悪ければ神に見捨てられたかも・・・。感情が落ち着くとか落ち着かないとか、あれこれの方法を使うが、彼らは何を求めているのだ?気持ちよくなりたければ、ドラッグが手っ取り早いだろうに・・・。おっとっと、ヤバイ発言だ。撤回。

言いたいことは、感情がどうのこうので生きるなよ、ということ。私たちは感情がどうであれ、ニュー・クリーチャーなのだ。新生命体。ARE YOU WITH ME? 映画『ルーシー』のように、覚醒せよ。10%、20%、50%・・・と。ついにわれわれはこの肉体を脱ぐ日が来る。それは100%の瞬間。その時、新しい肉体、霊の体を得るのだ!その時にようやく自分が何者であるかを知るのは大変結構だが、遅すぎ、だ。今、ここで、知れ!

内にいますキリスト、栄光の望み!

666マトリックス

実に美しい光景だcry

2011年初頭に、黄金数と1の関係についての記事を書き、2011年は11に要注意とメッセでもくり返し語った。3月8日には11日に何かが起きると警鐘をならし当日午前には地震は対イスラエル姿勢の対する神の警告だと書いた。黄金数についてはリンク先を見て欲しいが、要するに人間の目には1:φの比率が美の感覚を生じさせるわけ。有名なところではミロのビーナスのプロポーション。セルフィーでもこの比率を意識するとブ●がかなり可愛く写ったりする。

さて、666はもちろん6X111。さらに1+2+3+・・・+36=666であり、36=6x6。とにかく1(=神の数値)が好きなのだ(上のリンク参照)。そして次のようなマトリクスを作る。

対角線の合計も111である。111はもちろん、三位一体の数値。それに人間の数値6が被さるわけ。さらに、666は黄金数φを生み出すのだ。

サタンはもともとルシファー、美の極みだったとある(Eze 28:12)。彼の動機は、私は高いところに登ろう、I WILLだ。私の名によって私は来た。この言葉のルーツはどこか、すぐに理解できるであろう。

一方、こちら側から見ると、φは近似値として5:8。5は被造物の4+神の1、すなわち被造物に対する神の責任の数値。8はいわずもがな、復活だ。すなわちφは神の十字架による贖いの数値とも言えるのだ。宇宙におけるもっとも美しいものは何か。わたしは父の名によって来たと証されたあの方だ。

われわれは今、まことの霊的な美意識を問われているのだ。欺かれない者は幸いである。

■追記:これも一見の価値がある。パパ様は仏様も拝むようだ・・・。

法王、私は自分の名によって来た、と宣言

わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受けいれない。もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。
互に誉を受けながら、ただひとりの神からの誉を求めようとしないあなたがたは、どうして信じることができようか。-John 5:43-44

今回の法王のUNでの演説、これは極めて重大である。彼は宣言した:

Mr President,

Ladies and Gentlemen,

Thank you for your kind words.  Once again, following a tradition by which I feel honored, the Secretary General of the United Nations has invited the Pope to address this distinguished assembly of nations.  In my own name, and that of the entire Catholic community, I wish to express to you, Mr Ban Ki-moon, my heartfelt gratitude.

私は私の名において、また全カトリック・コミュニティの名において来た、と。こうして彼らは互いに誉れを受けているのだ。法王の称号は"Vicarius Filli Dei"、意味は「神の代理」。しかもご丁寧にその数字は666。しかるに聖書にはこうある:

神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。-1Tim 2:5

法王は自分の名によって来た神の代理。これが今回のUNでの演説による明確な結論だ。さて、あなたはこの者の本質をどう判断するだろうか?

-Transcript

四頭の馬に乗る者たち

白い馬、赤い馬、黒い馬、青白い馬。黙示録6章だ。いわゆる前艱難期携挙説では、白い馬に乗る者が反キリスト。赤い馬は戦争、黒い馬は飢饉、青白い馬は死とする。が、なぜ白い馬のみが個人なのだ?と私は以前から疑問を呈している。鍵は彼は弓を持っている。が、矢は言及されていない。そして勝利の上に勝利を重ね、出て行った、とある。つまり矢はすでに放たれている!私はこれは福音であると考えていた。今も完全には捨ててはいないが、最近の状況を見るとき、ニセの福音かとも感じつつあるのだ。つまりローマにより福音が公認され、さらに国教化された。これは一見、勝利と見えるが、実は世との結婚(=ペルガモの教会)であり、この後、カトリック(=テアテラの教会)による暗黒時代に入った。言いたいことは何か?・・・すでに最初の四つの封印は解かれているのだ!

しかも、すでにビデオで紹介したが、この四色はイスラム圏国家の旗の色である。実に見事にこの四色からなるのだ。ISなるキャラが登場して、クリスチャンの首を切り落としているが、まさに第五の封印の叫びが聞こえてくる。よく言われることに、携挙の兆候は聖書に書かれていない。再臨の兆候はもろもろ描かれている。携挙はいつ起きてもおかしくないとする説だ。いわゆる切迫再臨説。カルバリーチャペルのチャック・スミスが有名。そもそも携挙とは何か?「刈り入れ」である(Rev 14:15)。私たちは雲の中に包まれて、空中で主と出会う(1Thess 4:17)。これが携挙。その瞬間、私たちの体は変貌する。そしていつまでも主と共にいるようになる。その主はまず雲に包まれて天から下る(Rev 10:1)。これは一般の人には見えない。パロシーアである。そしてついに雲の上に乗って顕現される(Rev 14:14)。この時に刈り入れが起きるのだ。

これから分かることは、主と雲に包まれて出会う人々と(Rev 7:1)、主が顕現されてから刈り入れられる人々がいるということ。ただし、この黙示録14章の刈り入れを、大艱難期に救われた人々の刈り入れとする説もあることは指摘しておく。チャック・スミス系の場合、教会時代は黙示録3章まで、4章のヨハネが聞いた「上ってこい」というラッパのような声が最後のラッパであるとし、これが携挙であるというわけ。ゆえに4章以降では教会は地上にはすでにないので、出てこないとするいうのだ。極私的希望観測的にはそのとおりであって欲しいと思っている。が、多分それはない。3章のフィラルデルフィアの教会には主は語っておられる:

忍耐についてのわたしの言葉をあなたが守ったから、わたしも、地上に住む者たちをためすために、全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう。-Rev 3:10

またこうも言われている:

しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。-Matt 24:29-31

この主は雲の上におられる。つまり万民が見るのだ。すなわち黙示録14章の顕現と刈り入れに対応する。が、一方で

その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい。-Luke 21:35-36

つまり逃れる人もいる!その人々は人の子の前に立つ。事実黙示録7章の大群衆はまさに御座の前にいるのだ(Rev 7:1)。彼らは空中で主と出会うどころか、御座にまで上げられているのだ。かくしておそらく携挙は一度にではない。つまり『レフト・ビハインド』のような状況ではないのだ。

いずれにしろ、今回のバチカンとアメリカの融合、すなわち第二の獣が第一の獣の露払いをして、その舞台設定を整え、70周年を記念するUNでのオバマとプーチンの対立からわかるとおり、終末の舞台も着々と整えられているのだ。プーチンはむしろ世界のNWOに向かう動きを牽制しているのだ。金融市場の崩壊も、アメリカの利上げ回避で先送りされたが、それはむしろ事態を悪化さえる。考えてみよ、アメリカの債務残高18兆ドル!しかもドルにはすでにゴールドの裏付けもない。むしろゴールドはFEDになんら準備されていないのだ。要するにドルという国家の詐欺である。これをどうやってチャラにするわけ?いずれ、赤い馬、黒い馬、青白い馬も明確に分かるようになるであろう。時代は思いのほか進んでいることは間違いないのだ。

整った終末の舞台設定

本日はスーパームーンにしてレッドムーン。しかもスコット(仮庵の祭り)。テトラッドの最後でもある。日本では観測されないが、国立天文台が実況中継するようだ。フランシスの米国訪問の意味は何度も書いてきたが、鍵は第一の獣と第二の獣が"結婚"すること。オバマの本質もマルキストかつモスレムと明らかにされてきている。これも私は2008年からオバマの危険性をここで指摘した。彼は明らかに露払いとして終末の舞台設定を行ったのだ。つまり第一の獣の登場の舞台を・・・。

この法王に対する熱狂ぶりはオバマの就任の時を彷彿とする。大衆はいつでも反キリストを迎える態勢があるということだ。この写真のおばさんたちの目、どうみてもおかしいだろう。

-The Worship Of Pope Francis Proves People Are Ready To Receive Antichrist

フランスがシリアでの爆撃を開始したようだが、マーケットはアメリカの利上げが延期されたこともあって、不安定ながらも保っている。が、これは事態を先送りし、より深刻にしただけ。考えても見よ、その累積赤字の数字を!?事が動けば一挙に雪崩を打つのがカタストロフィの理論の教えるところ。この2014-2015のテトラッドは明らかに天のしるしであったと私は感じている。

TODAY'S CELEBRATION 【Sep 27, 2015】

UPしました。

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タイトルあなたは見る領域を得る

聖書箇所:創世記13:14;ヘブル11:9-13;ヨハネ8:56

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イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。

書店発売に先立ち、20日に著者割り当て分が再度入りますので、その節にまた注文を取りたいと思います

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