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Category: 信仰

フランシス、イエスの十字架は失敗だった、と・・・

-The Shocking Message Pope Francis Preached At New York’s St. Patrick’s Cathedral

“The cross shows us a different way of measuring success. Ours is to plant the seeds. God sees to the fruits of our labors. And if at times our efforts and works seem to fail and not produce fruit, we need to remember that we are followers of Jesus Christ and his life, humanly speaking, ended in failure, the failure of the cross.”

普通はこの後、しかし、霊的には勝利を得た、とオチがつくのだが、それがなかった模様。人は心にあることを口が語るもの。状況証拠は揃ってきている。不法の者の出現の。いつから文鮮明化したのだ!?文も自分は来臨のキリストと主張したが、フランシスもいずれ・・・。否、すでに彼は「神の代理」を自称。時間の問題だろう。

-Transcrpit

なお、彼は最後にザ・レイディに、私たちが任された任務をお委ねしましょう、と締めくくっている。ザ・レイディとは?

■参考:これはすでに紹介しているが、フランシスは、教会(もちろんカトだ)の外における個人的なイエスとの関係は危険であると声明を出している。

やはり四つの封印はすでに解かれている

既に何度も書いているが、私はチャック・スミス系のいわゆる前艱難携挙説は採らない。彼らの一部にはこの23日、ヨムキプールに携挙があるとする者もいたが、それはないとかねてより言ってきた。前艱難説はあまりにも都合が良すぎるのだ。私のパラダイムは、これも何度も紹介しているが次のとおり。

携挙はかなり後半である。ただし、SDAによるとこのダニエル預言の最後の1週(7年)を切り離すことは間違いとする。彼らはすでにイエスの公生涯(3.5年)と十字架からステパノの殉教まで(3.5年)で成就しているとする。9章27節(Dan 9:27)の1週の間多くの者と同盟を結ぶ「彼」とはイエスであるとする。そして1260日(ひと時とふた時と半時、Dan 7:25)を1260年とし、ローマ帝国の後にカトが権力を執ったAD538年から、ナポレオンによってピウス6世が囚われた1798年までとしている。そして1929年、バチカンはムッソリーニにより国家として認知された。これが頭に致命傷を負って、なお復活する獣である。数字の解釈はいろいろと面白いので、また改めて。

さて、ポイントは、いわゆる前艱難期携挙説では、白い馬に乗る反キリスト(666)が現れてから封印が解かれるのだ。教会はその前に空中に挙げられている。が、先にも紹介したが、私と同じ説、つまり4つの封印はすでに解かれているとする人々が最近現れてきた。特にこの色に注目するとき、それはまさしく中東のモスレムの色なのだ。彼らは今、クリスチャンの首を切り落としているが、第五の封印の殉教者たちの叫びがまさしく聞こえてくる。われわれはすでに第五の封印の開封直前に来ているのではなかろうか。次は大いなるみ怒りの日(Rev 6:17)の直前(第六の封印)。ディスペンセイションの立場では、最後の7年の前半は艱難期、これは人類の罪の刈り取り;後半は神の裁き、大艱難期。ゆえに霊的要因が強い現象が続く。前艱難期携挙説のように「教会が地上に残されているから、まだ大丈夫だ」とは言えないのだ。時代は思いの他進んでいる!

これが最近の極私的な偽らざる印象である。

■参考:携挙の時期について

UNでのフランシスの演説

-Transcript

議会での気の抜けたようなわかりにくい英語での演説と、そしてUNでの母国語での演説。表向きはカゲキな内容ではない。環境保存と世界平和がキーワード。そしてAgenda2030についても言及。これは真綿でくるむ策だ。つまりこの路線が今後の世界のパラダイムになる。時代の霊は環境・平和・協調・共存、そして信仰の統一へ、だ。人間による、人間のための、人間のAgenda。

上の写真はグランド・ゼロにおける各宗教の代表者との祈りの場面。フランシスが先導している。すでにWHでの発言のとおり、彼にとってはキリストのユニーク性は無視。神々(gods)はどんな名前であれ、みな神(God)なのだ。彼においてはTHEは不要。今後、「救いの名はイエス以外には人類に与えられていない」などと宣言することは彼のAgendaに反すること、もっと言えば排他的にして狂信的な原理主義カルト、という風潮になるであろう。時代の霊の動きはここをターゲットにしている。なぜか。あの者は自分の運命を知っており、その運命を共にする者たちをひとりでも多く得たい故だ。

地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。-Matt 10:34

真理と平和、どちらを選ぶのか?これは獣の刻印を受けることと直結する選択である。サタンの手法はまず小さいな嘘に私たちを同意させることだ。蟻の一穴ダムを崩す。主は言われた、何をどう聞くかによくよく注意せよ、と。あなたが同意する事柄はあなたを支配する。なぜ?あなた自身が自分でその権威に服したからだ。これが獣の刻印である。それが付けられる場所をよく見てみよ、額と右手だ。マインドと行為を象徴する。

レビ記では、右の耳たぶ、右手の親指、右足の親指に血を塗り、その後油が注がれた(Lev 8:23-30)。それはわれわれの聴力、行動、歩みを聖別し、聖霊が注がれることを象徴する。信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉(レーマ)による(Rom 10:17)。私たちは絶えず何かを聞いている。そして同意している。TVのニュース、CMや健康番組はもとより、自分の脳内に浮かぶ映像、言葉、考え、印象などなどだ。もちろん正確な情報を得ることは必要だ。が、同意するか否かはまた別のこと。もし同意するならばそれはあなたを支配する。

刻印を得ることはまさにわれわれのマインドにおいて起きる。マイナンバー制度を物理的に拒否することは日本に居住する以上不可能だ。それはマイナンバー制度を受けたら永遠の救いを失うことはない。が、もしそれがキリストを拒否することと絡んできたら、われわれは覚悟するべきであろう。かつてのローマ時代、ローマ皇帝を神とするか、否か、が問われた。

ちなみに法王の公式の称号は「VICARIUS FILII DEI」、意味は「神の代理」。そして数字の合計は666。こういった話はしばしば都市伝説のネタとされるが、これも霊の仕業。こうして何気にわれわれのマインドを侵食するのだ。法王は神の代理!あなたはこれに同意するか?いずれ、彼は神となる。すでにエルサレムではその座が設けられ、その予行演習が行われているのだ。

エバを誘惑したヘビの手法を見よ、「神はほんとうにそう言われたのですか?」とマインドに小さな疑問の種をまく。それを受け取ると、それは成長するのだ。サタンは最初からその本質を現すことはない。人々に親しみやすく、穏やかで、柔和にして、包容力を醸し、世界を安心させるのだ。欺かれない者は幸いである。

また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教を受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。-Rev 2:24

繰り返すが、物を隠すのにもっとも適切な場所は・・・誰もが見ている公共の場である。

■参考:教会歴史について

米とバチカンの結婚

これはすでに1982年7月7日に仕組まれていたようだ。私がクリスチャンになって1ヶ月と半くらいだ。SDAの預言者解釈は独自の部分があるが(たとえば最後の7年の分離をしないなど)、このクリップは注目して良い。2013年時点でまもなく米とバチカンが結婚すると語っている。

-ローマ法王教の歴史と世界支配陰謀
-聖書の預言(ヨハネの黙示録) 『獣の刻印』 

私は予てより、海から上がる獣(および大淫婦)はバチカンと感じていたが、これはほぼ間違いないと思うようになっている。『レフト・ビハインド』のように、これからEUあたりの天才政治家(ニコライ)が出るとするのは「?」だ。第二の獣は米。すでに共産ソ連は崩壊し、残るはプロの米のみ。今、その米も篭絡されつつある。この二つの宗教的パワーと政治・経済・軍事的パワーが結びつくその瞬間をわれわれは目撃しているのだ。そして注目すべきは国連におけるフランシスの演説。ここでNWOの青写真が明確に示されるであろう。

-Read Pope Francis' Historic Speech to Congress

 

 

背教の時代-NWR法王の面目躍如

あえてヨムキプールにHWを訪れたおフランシス様いわく、聖書とコーランは同じもの。いや、ここまではっきりと言われると・・・。

-Pope Francis At White House: “Koran And Holy Bible Are The Same”

“Jesus Christ, Jehovah, Allah. These are all names employed to describe an entity that is distinctly the same across the world. For centuries, blood has been needlessly shed because of the desire to segregate our faiths. This, however, should be the very concept which unites us as people, as nations, and as a world bound by faith. Together, we can bring about an unprecedented age of peace, all we need to achieve such a state is respect each others beliefs, for we are all children of God regardless of the name we choose to address him by. We can accomplish miraculous things in the world by merging our faiths, and the time for such a movement is now. No longer shall we slaughter our neighbors over differences in reference to their God.”

要するに―イエス・キリストであれ、ジェホバであれ、アラーであれ、これらは明確に同一の存在を描いているに過ぎない。その違いを強調して流血の歴史が起きた。呼ぶための名称の違いはあれ、みな同じ神の子として平和を達成する必要があるのだ・・・。という次第。

一方、サウジのハジでは巡礼者が700名以上圧死。このモスレムのパワーはいったいどこから・・・。

-Hajj Stampede: Saudi Arabia Says 700 Dead, 800 Injured in Mina, Near Mecca

シャミタが終わり、ヨベルにはいるが、時代はまさしく激動。着々と終末の様相を整えている。ネオ・ホモサピエンスよ、覚醒せよ、と主は言われる。

-致命的な傷は癒されるのか?(日本語吹き替え)

追記:参考までに言うと、カトリック&ルーテル(すでにカトリックとの合一を宣言している)の「十戒」は聖書のそれとは異なる。違いが分かるだろうか?

わたしのほかに神があってはならない。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
あなたの父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の妻を欲してはならない。
隣人の財産を欲してはならない。

そして、なんとおフランシス様は心臓にふたつの穴のある赤ちゃんを奇跡的に癒してしまったとか・・・。

偽りの「幻」-地獄編

私の長年の疑問。よく、特に韓国系にあるのだが、天国や地獄を見てきたと証言する人々がいる。特にこの地獄を見てきた人々の見た光景がどうも解せないのだ(このリンク先は韓国系で、ちょっと気持ちが悪いので自己責任でどうぞ!)。つまり、そこでは悪魔や悪霊が滅びた人々を責め苛んで嘲っているとか・・・。はて、地獄はそもそも誰のために用意されたのだ?それは第一義的に悪魔や悪霊のためだ(Matt 25:41)。彼らが人間を苦しめる場ではない!彼らが永遠の火で焼かれる場なのだ。それは神の義を証する場。

ただし、いのちの書に名の書かれてない者もそこに落とされる。彼らはいわば、自分の意志で神の救いを拒んだという自分の罪の業火で焼かれるのだ。決して悪魔や悪霊がサディスティックかつかれらの悦びを覚えつつ、彼らを責め苛むのではない。そのために、悪魔や悪霊は人々をして自分たちと運命を共にすることを目論んでいるのだ。何か地獄の閻魔様的な「幻」を証言する人々がしばしばおるのだが、騙されてはならない。マインドを見張ること。今日のサタンの手法は偽りによるのだから。

 

御言葉を丸ごとに

この言葉(ロゴス)は真実であり、そのまま受け入れるに値します。-1Tim 4:9

私たちが陥りやすい罠。自分に信仰があるかないか、自分を見てしまうこと。そうではない。この言葉がそのまま受け入れるに値するのだ。ゆえに、病人に手をおけば癒される;あなたのあなたの家族も救われる。そう、イエスを信じれば、だ。「イエスを信じる+α」ではない!いわく、自分にはXXの信仰があるとかないとか;あの人は〇〇の信仰があるが、わたしにはない・・・云々。言葉はそのまま受け入れるのだ。この「そのまま受け入れる」は"all acceptation"に値するだ。すべてを受け入れる。マインドによるあれこれの隙間がないとき、フェイスは働く。

歴史的瞬間になるかも知れない

ヨム・キプールに合わせて・・・

マインドのマトリックスから解かれよ!

私自身、クリスチャンになってからも長いことこのマトリックスの中に生きていた。否、あえてサイエンティストの端くれであることを誇り、その自然科学的世界観を尊びつつ、その中でアレコレ、手練手管で生きていたのだ。経済の知識によってカネを稼ぎ、31歳にして5,510万円の負債を抱えて、見事にマネーシステムの奴隷でもあった。借金を抱えて、マネーを稼ぐことが男の度量だと思っていたし、誇ってもいた。が、コレ、見事にこの世の君のマトリックスに絡め取られていたのだ。マネー経済自体がフェイク。何度も言うが、北朝鮮の紙幣など誰も欲しくない。これと同じことがドルでも円でも、これから起きる。繰り返すが、あなたの銀行預金は単なる通帳の上の数字に過ぎない。現ナマはそもそも存在しないのだinnocent

人類はすべからくマインドコントロールされている。自分はMCされていないと思っていること自体がMCされている兆候。誰も、自分が欺かれていると思いつつMCされることはない!

彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。-2Cor 4:4

これはクリスチャンとても同じこと。彼らは聖書解釈とか霊的解き明かしとか、キリスト教の教義とか伝統や文化といったマトリックスにはまっている。今回のメッセでも語ったが、創世記1章1節で天地が創造された後、サタンの反逆によって、荒廃し、虚しくされた地球の上を神の霊が覆い、保護していた。そこにまず神はレーマによって光をもたらされた。この光が差し込むことがない限り、人は栄光の君を見ることはできない。マインドがあの者のフェイク、マトリックスによって封じられているためだ(⇒「この世」について)。

いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。-Ps 36:9

主イエスは言われた。信じる者にはすべてが可能である、と。では、信じるとは?これが問題。いわゆるキリスト教徒たちの「われは・・・を信ず」とか、「聖書66巻を神の霊感によって書かれた誤りなき神の言葉と信じます」とかは、たいてい嘘である。それは信仰、もっと正確には信(pistis)ではない!信仰はもともとスーパーナチュラルな、シックスセンスの領域の事象。この地上のものでは、そもそもない。それを地的経験や物理的視力、いわゆる五感の世界の中でアレコレいじるために、事がややこしくなる。いわく、聖書の解き明かしとか、深い霊性がどうのこうのとか・・・。それはこの世の物差しによって御言葉を測ること。そもそも聖書はこの世のものではない。私たちもイエスがそうであったと同じく、この世のものではない。この物理的時空間に、霊的領域の神の国が介入しているのだ。私は今、手を挙げるだけではっきとこの世界に触れることできる。

ちょうどペイントソフトにあるレイヤーに似ている。グラフィックを書くとき、映像のレイヤーと文字のレイヤーを重ねて、一枚の絵とするが、同様に、この物理的時空間というレイヤーに霊的領域の神の国というレイヤーが重なっているのだ。ただ前者には色がつき、われわれの五感に感知できるが、後者は透明であり、五感には引っかからない。この二枚のレイヤーの狭間に聖書というメディアが置かれ、両者を結合しているのだ。私たちの霊は見えないレイヤーを感知することができる。さらにそこに描かれている天のサブスタンスを見ることができる。加えてそれを目に見えるレイヤーに現すことができるのだ!これが信仰である。自分のオツムで念じるとか、使徒信条をしつこく告白するとか、そのようなものではない。それがキリスト教である。この違い、お分かりだろうか?

天のサブスタンスを地へともたらすこと。私たちが自分のアイデンティティーに覚醒し、アクティベーションされればされるほどに、その神の国のデュナミスが発揮される。そのとき、自分の能力に驚くことであろう。え、これが私???と。そのようなポテンシャルを、信じる者は有しているのだ!主にある者たちよ、キリスト教という宗教のマトリックスから解かれよ!覚醒せよ!アクティベーションされよ!

信じる者はわたしのわざと同じわざをなし、さらに大いなるわざをなすであろう。-John 14:12

TODAY'S CELEBRATION 【Sep 20, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトル聖霊のバイブレーションにチューニングする

聖書箇所:詩篇1:1-3;申命記29:9

9月27日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700

Web:Kingdom Fellowship

YouTube:Dr.Luke's KF_Channel

 

11月全国有名書店で発売予定

イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。

 

末期がんの癒し-神の声を聞くこと

今日伺った証。ある姉妹のご主人が進行胃がんで、かつ膀胱まで転移。抗がん剤で寝たきりで床ずれができるほどだったそうだ。ところが姉妹が山で祈っているとき、声が聞こえた、「祈りに応えて癒した」と。それまで内的な声は聞いていたが、外からの神の語りかけを受けたことは初めてだった。それをご主人に告げると、「神のお告げか?」。ところが、病院で検査すると、なんと腫瘍マーカーが正常値に!今では、床から解放されて、元気に歩いておられるとのことだ。

鍵は何か。神の声を聞くことだ。われわれは世の声や敵の罪定め、思い煩い、不安や恐れなどの声を聞くことは慣れている。本日のメッセでも語ったが、神の霊のバイブレーションに共鳴して、神の声を聞くこと。しかも、内的な声ではなく、外的な声だ。私自身、内なる主の臨在に触れることは知っていたが、外における神の臨在を感じるようになった。今も、このディスプレイから目を離すと、目の前に神の臨在を感じるのだ。前にも書いたが、アポロ飛行士が月面で手で触れるほどに神の臨在を感じたと証言しているが、これが、ここでも起きている。霊のバイブレーションを受けるとき、神の言葉が思いにおいて言語化あるいは映像化される。するとその通りになる!まことに

よくよくあなたがたに言っておく。死んだ人たちが、神の子の声を聞く時が来る。今すでにきている。そして聞く人は生きるであろう。-John 5:25

 よくこの聖句を"霊的に"解き明かして、霊の死んだ者が霊的に生かされることを語っているとするが、御言葉はそのまま信じるに足りるのだ。それは不信仰の理性による正当化、弁明に過ぎない。文字通り、死者がイエスの声を聞けば、彼らは生きる!

なお、カボスをありがとうございましたsmile

Amazing!!! πとeが聖書に隠されていた!

ヘブル語のアルファベットにはゲマトリアという数値がふられていることはすでにご存知であろう、ギリシャ語も同じだ。これからいわゆる"666"が出るわけ。今回、たまたま見つけたコレ、自然科学系の人間にとっては驚き以外の何ものでもない。円周率πと自然対数の底eが聖書に隠されているのだ!

✩WOW✩

創世記の1章1節は28のアルファベットからなり、単語は7つだ。それぞれについてゲマトリアを計算して比を取ると、なんと円周率が出る!同様にヨハネ福音書の1章1節からはeだ。これらの二つは宇宙を記述するためのもっとも基本的な定数であり、無理数(整数比で表せない)にして超越数(代数方程式の解にならない)でもある。そしてその関係はすでに何度も紹介しているが、これ。実に不思議な関係式である。

ある意味で三位一体を象徴しているとも言える。eは御父、πは初めも終わりもない円に関係するゆえに御子、iは虚数単位√-1で目に見えない聖霊だ。そして十字架というマイナスによってひとつになる。実はこのクリップを紹介しているサイトは聖書と数学を研究している。われわれ理系人間には実にたまらないのだ。

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