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Category: 信仰

再発見:ウォッチマン・ニー - 統治せよ!

今回、彼の本s(CFP版,CDで全集が出ている)を読み直しているが、これまでのイメージがほとんど崩されている。明らかに彼も霊的領域を見ている!*1

We will not do anything if it has no power to affect the kingdom of darkness and cause damage to the devil. In all our works we are to judge them not by the apparent result but by the effect they shall have in the spiritual realm as to who will gain and who will lose. This is spiritual warfare that  is not to waged by the efforts of flesh and blood. This is also to be the criterion at the judgement seat on that day: whether a work is to be burned or to stand shall be based on how effective it was in effecting the will of God.- The Mystery of Creation (C.F.P)

鍵はこの物理的時空間でどうのこうのではないのだ!スピリチュアル・リアルムでの効果。すなわちサタンに損害を与えること。これがキリストの御座の裁きの評価基準となる(2Cor 5:10)。それはアセンディングとディセンディング。天の自分の園の管理でもあるのだ。アダムとエバはエデンの園で支配する、すなわち蛇を踏みつける必要があったのだ。その権威をイエスは人として獲得して、われわれにインパーテーションしてくれた。ゆえに

確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。-Luke 10:19

地を従わせよ!今、ここで、神の国を現出させよ!TAKE DOMINION!!!

追記:霊的戦いとは神社に油をまくことでも、破壊することでもない。もっとも有効な方法はワーシップ。Bill Jonhsonを紹介しておく。

-Power Of Worship In Spiritual Warfare.

*1:日本福音書房から出ている邦訳はこのような要素がほとんどカットされている。CFP版で読むことを勧める。

紹介:Bill Johnsonの"Anything You Ask"

このタイトルの本は英国のKingdom FaithのColin Urquhartのベストセラーがある(翻訳済み。希望者は私宛にどうぞ)。今回はBill Johnsonで。

12月に私が経験した現象とほぼ同じことをBill Johnsonも経験していたことを知り、驚くとともに、安心感を覚えたことはすでに書いた。それ以降、彼の本やメッセージをフォローしているが、実に親和性を覚えている。昨日紹介したメッセージはきわめてプロフェティク。英語が分からない人のためにこちらを紹介しておく。かなりタイムラグがあるが日本語の同時通訳版がある。

-Bethel Podcasts

この「礎石」はとてもイイ。私が語ってきたこととほぼ同じ。彼自身も証しているが、今ではしるし・不思議・癒しで有名な彼だが(受けている誹謗中傷も私に劣らずスゴイが・・・)、ある時まで癒しなども教えはしていたが、何らの現れもなかった、と。ところがあの経験をし、ビンヤードのカンファレンスで鍵を掴んだのだ。それはリスクを取ること。神はグッド、求めるものは何でも、なのだ。それとアイデンティティーと安息。勝利の立場からアクションを起こす・・・。後はご自分で楽しんでください。

ついでに紹介すると、これもマスト。ちょうど今週の私のメッセとかぶっています。

-戦いはあなたの思いの中

 

信仰とは何か?

信とは願っている事柄のサブスタンス、見えないものの立証である。-Heb 11:1

江戸時代には労咳(結核)は不治の病だった。その宣告はただちに死を意味していた。それが江戸人のリアリティー。彼らはしばしば真言密教などの護摩祈祷や厄払いを試みたり、信心に励んでお百度参りや滝行をしたりした。が、どんなに頑張っても、どんなに厳しい修行をしても徒労に終わった。

ところがここにひとりの人がいた。彼は20世紀から江戸時代にワープした20世紀の人だった。彼は抗生物質を持っていた。彼は言った、わたしの元に来てこれを飲みなさい。恐れないでただ信じなさい。彼の元に来た者はみなその抗生物質を飲んだ。理由は不明であるが、効果は劇的だった。しかし漢方医は嫉妬と妬みで彼の薬はインチキであると吹聴した。種痘なども牛の膿を塗ると牛になると大衆は信じていた。だから抗生物質も拒絶した。労咳が治るわけはないと。こうして激論が起きたのだ。

抗生物質は労咳の癒しのサブスタンス。それがあれば癒されたと分かる。しかし信仰は行いによって完成される。それを飲むのだ。これで癒しが立証される。信じたらそれに相応しくアクションを起こすこと。ここに紹介するCLIPはT.L.オズボーンの娘さんの証。この男は38年間ポリオで両足が麻痺し、骨のようになっていた両足で立ち上がるのだ。癒されてから立つのではない。信じて立ち上がると癒しが現れるのだ。

-Amazing Healing Stories | LaDonna Osborn

自分は聖書に通じ、霊的に深い何かを知っており、価値のある、より深い霊性を求めるとするクリスチャンの発言としてよく言われるセリフがある:しるしや不思議や癒しなどは低レベルの事柄。自分はもっと深い本質的なことを追求しているのだ、と。かつての私もこの部類だったが、何を追求しているわけ?あるいはそのようなことを追求すると別の霊が働き、真理から逸らされるとか、悪霊が働くから癒しを求めてはならないと明言する向きもある。彼らはイエスよりも霊的に深いことを追求しているのだ。このようなことを語る人々には、しばしば信仰の欠如や裏切られた期待が潜んでいる。自己の正当化。

あなたは何を追求しているのか?あなたは何が欲しいのか?あなたは父の御心はどのようなものと信じているのか?・・・今、私はこう問われている。

追記:自分は第一にキリストに似ることを追求しているのだとするお言葉をいただきました。私たちは決してキリストに似ることはできません。キリストがうちに形づくられる事はメタモルフォーゼ(Gal 4:19、ここも邦訳が不適切ですが)、つまりトランスフォーメーションですが、それはマインドから始まります。そしてキリストが形作られるならばキリストと同じ業をより一層容易にすることができるでしょう。病を癒し、死者を活かし、悪霊を追い出し、癩病をきよめ・・・と。

追記の追記:very prophetic!!!

-It's the Seventh Day

 

リアリティーとは何か?

 

 

この本は93年に購入したもの。三つの領域における霊の戦いの処方箋を提示している。すなわちマインド、教会、霊的領域。特に第三の領域においては霊的存在が生み出す幻想あるいはフェイクによって私たちが影響されていることを指摘する。自分は何らそのような影響を受けていないと主張したくなる人は要注意。その兆候自体が影響を受けていることを証明している!特に自分の感性や常識といったものを主張したくなる向きは要塞を抱えている。御言葉に啓示された世界が真理、究極のリアリティーだから。

結局、自分の何かをとるか、御言葉をとるか。この選択なのだ。著者は未開部族とNYのサラリーマンの生活を比較して、前者は後者のリアリティーは理解できないだろうし、逆も言えると指摘。これは先に述べた江戸幕府とアメリカとの関わりと同じ。そして天と地の関わりもだ。あなたはどの世界観を選ぶか?例えば「ステージ4のガンは5年生存率10%」なる単なる統計的世界観を採るならば、信仰も持てず、ガンに命じることなどは到底できない。あなたが信じた通りになるだろう。御言葉はどう語るか?イエスの傷によりすべての病は癒された!「神がサタンの権威に服している」などの世界観を持っている人は神の権威を行使できない。だから刈り取る結果もそれに応じたものとなる。

鍵は、あなたはどの世界観に同意するか?同意すれば、その世界観はあなたにとってのリアリティーとなり、あなたを支配する。その世界観に服しまた委ねてしまったからだ。ある人は豊かな信仰生活を送り、ある人は宗教儀式で喘いでいる。私たちが何気に語る言葉に真の信仰が現れる。何をどう聞くか、そして何に同意するか。これが私たちの生と死を支配する。鍵はあなたのマインドにあるのだ!

著者のYoutube:The Three Battlegrounds by Francis Frangipane

「を」と「について」のどっち?

いわゆるクリスチャンの間になにゆえにこれほどに異言とか癒しとかしるし・不思議についての見解の差があるのだろうか。またいわゆるキリスト教が辛気臭く、魅力がないのか。ある人々はそれらをごく当たり前に経験している。組織の再生さえも!それらの証はフェイク?妄想?幻想?一方である人々はそれらとは一切無関係に宗教儀式の中で圧迫されつつ、つぶやきと共にほとんど窒息寸前でキリスト教徒として生きている。むしろ信じる前の方が楽だったとか・・・ぶつぶつcry

結局、神の言葉、具体的には聖書の取り扱い方の致命的な差があることに、今回気が付いた。ある牧師は自分は神の言葉を取り次いで語っているが、会衆が居眠りをしてしまうとか・・・。ある教師は自分は人間となられたイエスを深く知り、イエスの人格を語ることができると。ある学者は聖句のこの意味はこうこうで、またこの御言葉の霊的意義はあれこれと解き明かすことができる。また別の者はカルバン神学とアルミニウス神学の違いはこうこうだと正確に講義できる。

これって、神の言葉語っているのだろうか。否、神の言葉について語っているにすぎない。聖書を取り出して、そこに印刷されている文言を正確に読み上げたとしても、それは神の言葉を語っているのではない。それは文字を音声として再現しているだけ。イエスはこう言われた・・・・と。それはサタンにとっても何らの驚異でもないし、いわんや癒しや不思議などが起きるはずもない。トランスフォーメーションも起きないだろう。

語り出された神の言葉はレーマ。神のレーマには不可能はない(Luke 1:37、原語)。私たちが語る言葉は神の言葉。つまり内なる聖霊が語る言葉なのだ。私が知性と口を用いて私の大脳皮質から語るのではない!御霊から発せられた言葉はレーマであり、霊でありいのちである(John 6:63)。このヨハネの聖句はイエスについて言っているだけではない。なぜ?私たちも人間イエスの内におられた聖霊を宿し、神の言葉を持っているのだから。内なる聖霊により内移住されるキリストが語りだす言葉は、あの時代に物理的にこの時空間におられた方の言葉と全く同じ力を有している。なぜ?キリストは昨日も、今日も、永遠に変わることがないから(Heb 13:8)。その方が内で当時と同じ業、否、それ以上の業をなさるのだ。根拠はイエスが父の元に行かれるから(John 14:12)。

神はご自身の信仰によりレーマを語り出され、創造の業をなされた。語るとそれが生じた。アダムも動物を呼ぶとそのとおりの存在となった。原則は同じ。私たちが霊から語り出す言葉には創造の力があり、地を従わせる権威がある。なぜ?神が与えたから!死者を生かせとイエスは命じられたのだ。神はないものをあるものとして呼び出すお方(Rom 4:17)。同じ言葉を私たちは霊のうちに持っている。なぜ?神の言葉なるお方がおられるからだ。その方を語り出すとき、創造がなされる。これは私たち自身に創造の力があるわけではない。私たちはリトル・ゴッド(gods)ではない。それはニューエイジ。内にいます方が創造主。その方の言葉だから創造する力があるのだ。それを託されているのがクリスチャン。イエスのみでなく、ペテロもパウロも死者を蘇らせた。レーマによってだ。

神の言葉について語る人は多いが、神の言葉語る人はほとんどいない。いたら日本の教界の現状がこんなものではないだろう。私自身大いなる勘違いをしていた。今、ポータルが開けて、あちらの世界が見えるようになると、どうもクリスチャンが得ている権威とパワーは思うところをはるかに、はるかに、はるかに超えているようなワクワク感とある種の畏れを覚えるのだ。何ゆえに神は私などを・・・・と。神の御旨の深さは深海よりも深い。今回日本海溝地下682キロでM8クラスのきわめて珍しい地震が起きたが、神はなにか私たちの深いところを揺すぶり、私たちを目覚めさせたいのだと語られた。そこにあるパワーに目覚めよ!そして地を従わせよ!地を勝ち取れ!と。

希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。-Rom 15:13

レーマの結晶

 
 
 
 
 
 

 

光が美しい季節だ。緑も紫陽花も鮮やか。この世界は神のレーマがフレーム化されたもの(Heb 11:3)。かつての私は単に自然を、つまりナチュラルな世界を楽しむだけだった。もちろんその美しさは神性の反映であると理解していた(Rom 1:20)。が、今はもっと進んだ。これは神のレーマがナチュラル世界に結晶化したものであると。frameという単語は日本語では馴染みが薄いので、結晶化というとわかりやすいかもしれない。

メッセでも語ったが、聖書は日本語のオツムで読んではならない。もっと言えば、この物理時空間のオツムで読んではならない。イエスもそのオツムで理解してはならない、元々イエスはわれわれの常識を超えた人なのだ。ちょうど江戸時代の末期に黒船が来たとき、彼らの言葉や習慣や価値観などは日本人にはまったく理解できなかった。プロトコルが根底から異なるのだ。日本的対応をしてアメリカをイラつかせた。だから黒船は大砲を打つぞと威嚇するしか、幕府を動かす方法がなかったのだ。

これと同じ。天の国がこの地に入り込んでいる。それはカルチャーショックを引き起こすべき事態なのだ。ところが聖書を自分の感性や常識の範囲内で読もうとする。そして勝手なイエス像を作り上げる。神の賜物や現れに関して、自分のキャパで受け止められる事だけを選択する。そして自分は聖書を知っていると思っている。ちょうど富士山頂を見てもないのに、富士山のガイドブックを知っていると公言するようなものだ。笑い話。実はこれがかつての私だったのだ。

正確に言えば、自分の経験の範囲で帰納的(具体例から一般化へ)に知っていた。が、今回は天下りに"丸ごと"知らされたのだ。それは天からの光で"盲目"にされる経験でもある。それまでのパラダイムが粉砕されるからだ。 見ることと理解することは全く違う。同じような事を語っていても、現地を見た人が語るのとガイドブックの理解を語るのではまったく違う。それが分かってしまう。言葉を弄しているだけだと。これは実に残念であり、さみしいことなのだ。パウロが自分の見たことを一部だけしか語らない理由はここにもある。

TODAY'S CELEBRATION 【Jun 21, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトルサタンの急所を突く

聖書箇所:ガラテヤ4:3;2コリント11:14;ヤコブ4:7など

6月28日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700
 ・Web:Kingdom Fellowship
 ・Youtube:Dr.Luke Channel

DL版1,000円、DVD版1,500円

オンライン・ショッピング

 

マインドのパワー

朝の空気が実に気持ちいい。緑も濃くなってきた。自然を見るとき、前と違って見えるのだ。前は単純に自然を楽しんでいた。今は霊的世界と声を感知する。神の声がすっと聞こえるのだ。アダムに対して神はこう言われた。

神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。-Gen 1:28

「地」とは「天」に対する存在。つまりこの物理的時空間、ナチュラルな世界だ。時間と空間と物質(エネルギー)から構成される世界。この世界をコントロールするのだ。神はアダムにその権威を与えた。サイセンスはそのひとつの型である。

そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。-Gen 2:19

コントロールすることや名をつけることは、もちろん、マインドの機能。アダムのマインドはこれだけのパワーを有していた。へブル語では言葉と実質は同じ。つまりアダムは生き物にその実質、サブスタンスを与えたのだ。これも信仰の働き。アダムのマインドにおいてどのような状況が展開していたのであろうか。考えてみよ、地上の生き物の種類を。彼が呼ぶとそのとおりになった。

時は下り、イエスはこう言われた:

そして、道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当らなかった。そこでその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえには実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。
弟子たちはこれを見て、驚いて言った、「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」。
イエスは答えて言われた、「よく聞いておくがよい。もしあなたがたが信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。
また、祈のとき、信じて求めるものは、みな与えられるであろう」。-Matt 21:19-22

疑わずに語り出すこと。アダムが得ていた権威をイエスは人間として回復された。そして今、私たちに付与された。私たちがマインドで思うことはそのとおりになる。

彼はその魂で思いめぐらす通り、そのままの人間だ。-Prov 23:7(原語)

時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようと思いめぐらす事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。-Gen 11:5-6

ゆえにマインドをウォッチする必要がある。どこかにポートを開けておくと、サタンはそこからアクセスする。彼の放つ火の矢を受け入れて、あえて思いめぐらすならば、それはそのとおりに実現するであろう。FEARとはFalse(偽りの)、Expectation(期待が)、Actually(実際に)、Realize(実現すること)なのだ。思いめぐらすならば、それは肥大化し、自分の価値観や思想・人生観・哲学となり、ついにはプライド・要塞と化し、御言葉をすら排除するに至る。虚しい騙しごとの哲学とパウロも言っている。次の言葉は必ずしも不信の者に対するだけではない。

彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。-2Cor 4:4

私たちが主のうちに住まい、御言葉がうちに住んでいるならば、すなわちマインドがキリストのマインドに浸されているならば、欲しいモノがあれば、大胆に、何でも、イエスの名によって求めよ。そして疑わずに「得た」と語れ。いちじくの木に起きたことが起きるのだ。スーパーナチュラルな領域が動く。それは与えられ、私たちの喜びが満ちる。それは御父の栄光なのだ。宗教の霊から解かれよ!

参考:「見える」ってどういうこと?その一例。

-「霊を見分ける」 Jonathan Welton-SEEING INTO THE UNSEEN REALM

同じ人物によるこれも興味深い。

-Jonathan Welton - "The Seven Shifts Coming to the Church"

 

霊の世界も戦いもリアル

12月にあの世界を見せられてから、霊のサブスタンスがリアルに分かる。「分かる」というのは聖書の解釈でも御言葉の解き明かしでもない。目の前にあるこのPCがリアルであるように、それはリアルなのだ。パウロはこう言っている:

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。-2Cor 4:18

はあ?見えないものに目を留める?英語ではlook at、ギリシャ語ではskopeo。つまりscope(スコープ)の語源。パウロにとってはその世界は文字通り見えていたのだ。彼は14年前に第三の天に挙げられて、人が語ることの許されていない言葉(レーマ)を聞いたと証言している(2Cor 12:1-4)。それ以上は何も語らない。彼はそこで何かを見たのだが、公に語ることはあえてしていない。

世界の動きも、この霊的領域におけるサブスタンスの現れである。私たちはこの物理的時空間の中の現象や物や人を取り扱っても無意味。私たちのバトルは血肉対象ではなく、霊的世界に対するもの(Eph 6:12)。だから油まきはナンセンス。神社仏閣を破壊しても意味がない。

個人レベルではマインドが戦場。マインドは霊と魂の接点。敵が直接アクセスする。私たちのマインドに去来する個々の想いはどこから?それは空中の権を持つ者からくる(Eph 2:2)。これを自分由来だと錯覚していると、欺かれて自責の念、あるいは逆にプライドなどに駆られる。ルーツはサタン、彼の投げる火の矢なのだ(Eph 6:16)。その矢(想い)が去来する瞬間を捉えて、信仰の盾を取り、イエスの名と御言葉によって拒絶し、火を消すこと。一旦それが私たちのマインドの深くにまで刺さると処理が困難になる。もろもろの感情を惹起し、思いはぐるぐると巡り、神の声は消され、御霊の導きも見失う。

注意すべきは、しばしば自分の得意とする領域では敵の放つ火の矢を得意げに弄んでしまうのだ。私もこのトリックに長年引っかかっていた。科学的な知識や世界観が信仰を無効にしていた。だから癒しが現れなかった。それぞれ自分の"専門領域"には十分に注意が要る。そこでサタンの想いを飼い育てており、しかも自慢気にそれを披露しているのだ。それが要塞。一見、人の目には良いもののように見える。だから長期にわたり、対処できないままに置かれる。人の罪は悪を知ったことではない。善と悪を知ったことなのだ。この善が曲者。サタンはこれをフルに利用する。

終わりの時代、敵の策略は欺き。私たちはこの物理的時空間でライオンに喰われることはないだろう。しかしフェイクの罠、あるいはヴァーチャルの世界に落ちる罠はあちこちにかけられている。マインドをウォッチすること。これが生き延びる鍵である。

わたしたちの戦いの武器は、肉のものではなく、神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。わたしたちはさまざまな議論を破り、神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ-2Cor 10:4-5

追記:こちらを再録しておこう。

-「天にある自分の園を手入れすると地上で何が起きるのか」 Dennis Walker-Tending Your Garden in Heaven

これもグッド。

-「自分が何者か知って誘惑に打ち勝つ」Jonathan Welton "Purity"

CLIP:「神の栄光と超自然のしるし」Joshua Mills with Patricia King - The Glory of God

what do you think about this? 昔の私は・・・だったが・・・。

-Joshua Mills with Patricia King - The Glory of God

Originalはこちらをどうぞ。

これもいいですね。私たちは一体何者か?

自衛隊とクリスチャン

自衛隊は装備も世界有数にして、かなり高い戦闘能力を有しているらしい、少なくとも演習においては。戦闘マニュアルは熟知している。どのページを開いても詳細な解き明かしや解説はできる。演習での兵器の操作も器用。が、リアルで弾が打てない。アフガンとかイラク支援から帰還した隊員は自殺率が高い(もともと自衛隊員の自殺率は高いのだが)。要するに実戦ができない。しかもイラクあたりでは外国の軍隊に守られて仕事をする。そして弾を一発も打たなかったことを誇りにする。おかしくない?これが自衛隊の実態。

これってどこかで見る光景だ。聖書はよく知っている、解き明かしも解説も立派。お互いに相手の"信仰"を尊重しつつ、距離を保ちながら、傷つけ合わないように"交わり"をする。世の中ともソツなく付き合う。神の国やサタンについてよく知っている・・・。クリスチャンのそのような有様を横目に、サタンはその間に着実に狙い撃ちしている。が、クリスチャンはまったく反撃もせず、弾を打たないで"平和"に生きていることを祝福されていると誇る。憲法や法律で信仰の自由を守ってもらっているが、なぜかこの業界、うつ病や病気の人が多い・・・。おかしくない?これがキリスト教界の実態。

つまり、どちらもヴァーチャルな世界に生きているのだ。リアル感がまったくない。自衛隊員などはコスプレの戦争ゴッコをしてる感じ。ゴジラの防衛隊とほとんど同じ。同じように神の国のリアル感がまったくない。サタンのリアル感もない。霊の世界はハリーポッターの世界。今回の油事件でますますこの手の話題はタブーとなる。サタンは自身を隠すことが最大の戦略なのだ。サタンや悪霊などは迷妄と世の人は信じ込まされる。キリスト教界も世から狂信とか言われないように真理を語らない。語る者はうるさいヤツとされる。真理を語ることは"粋"でないのだ。

偏差値教育で偏向したオツムにプライドを置く傾向の強い今のニッポンに対するサタンの策略がお分かりになるだろうか?

 

2015年の特殊性

2014年から2015年にかけてユダヤ教の祭りと日食月食が重なることはすでにここでも何度も書いている。特に仮庵祭(28日)はスーパーブラッドムーン。加えて9月までシュミタサイクル、9月からヨベルの年が開始される。

さらに日本的には戦後70年、70年はバビロン捕囚明けの年月。そしてその筋の方々に言わせると、日本の霊的結界を貼った徳川家康の死の四百年記念祭の年であると。これは知らなかった。400年はもちろんヤコブの子孫がエジプトで奴隷とされていた期間。これも解放の年月と言える。日本に霊的動きが起きる?

また欧米ではこの9月にもろもろの霊的意味のある事態が集積しているのだという。一部では金融パニックが起きるとも噂されている。法王が初めてアメリカを訪問するのも9月。ロシュハシャナに合わせているようだが・・・。さらに一部では隕石が衝突するとか・・・。

私もこの2015年は、神の民にとってはヨベルだが、世的にはケイオスの年である、と昨年ここで書いた。中東でもネタニヤフが二国策を容認する意志を示したり、サウジが微妙な動きをしたりとか。極私的にも何か胸騒ぎを覚えているのだ。2011年は年初から「11」に注意せよ、とメッセでも語り、ここでも書いた。3月11日に関してはここで8日に警鐘を鳴らし当日の午前中地震は警鐘と書いた。まさかあそこまでとは思わなかったが、それは来てしまった。同じように、今回も、何かを感じる。霊的領域が明らかに動いている。今はまだ目には見えないが、動いている。

しかしクリスチャンは地上の目の前のことにかまけている。今回またアメリカの黒人教会で銃乱射事件が起きたが、あちらの霊は明らかにクリスチャンを狙い撃ちしている。Dr.金山氏も決して狂信者ではなく、聖霊派系においてはあのくらいはよくあるケース。油をまいたのは韓国人メンタリティによるが、彼もある面で狙い撃ちされたと言える。彼の働きは敵にとっては脅威だったのだろう。

私たちの祈りが有効性を得るのは、あちらの世界にどこまで視野が届くかにかかっている。天は裂かれたが、同時に地獄のポータルも開いているのだ。繰り返すが、神の国はリアル、同時にサタンの国もリアルなのだ。目に見える度合いとしてはサタンの国の方が明らか。クリスチャンが内なる神の国を解き放つことを怠っているのだ。油まきはまったくの見当はずれだが、霊的なせめぎ合いは明らかに展開している。相手は実戦モード。なのにクリスチャンはお茶の間談義・・・。

今、マイワールドで満足している人々は欺かれている。サタンはわれわれに麻酔をかけ、気持ちよくまどろませてくれるのだ。が、これらのもろもろの霊的兆候や火山爆発や地震などで、主は警鐘を鳴らされている。クリスチャンが真に目を覚ます時が来ているのだ。内なる神の国のサブスタンスを解き放つべき時が・・・。

先にニュートンがこの9月の予言をしているクリップを紹介しておいたが、カルバリーチャペルのこの牧師も注目しているようだ。前艱難期携挙節を攻撃されて、前のビデオでは相当に凹んでいたが、どうやら回復されたようだ。

-Pastor JD 2015.6.14 聖書預言 9月の出来事 アイザック・ニュートン

 

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