Entry

Category: 信仰

ダニエル予言「最後の1週」が9月に始まる?

欧米の聖書予言解釈のミニストリーの多くが、テトラッドとユダヤの祭りの一致を元に、この9月から最後の7年が始まるとする説を唱えている。9月13日は秋のラッパの祭り。これが神のラッパであり、終わりのラッパであるとして、この時に携挙が起きるとするのが、前艱難期携挙説。かくして映画『レフトビハインド』の世界が展開するわけだ。確かに状況証拠は揃っていると言える。本音を言えば、極私的にも、前艱難期携挙が事実であれば良いと密かに思っている。この地上を去る日を心待ちにしているところなのだ。

で、ここで代表的なそれらの説を紹介しておこう。

-SEPT 13, 2015 -- [Feast of Trumpets] : ---SIGNS of 7 Year Tribulation "start"

-The Most Logical RAPTURE Timeline! - UNDENIABLE Signs In The Heavens!

-Billy Graham Daughter: The Rapture Is Coming

 

本日の二冊

 

 

 

実はこれらは先の本と一緒にどなたかにいただいたもの。出版年が2005年とか2009年。だれにもらったのだろうか?一冊目は"The Spiritual Man"のポイントをコンパイルしたもの。二冊目は1936年前後の生メッセージをコンパイルしたもの。内容的には"The Normal Chiristian Life"(キリスト者の標準)に重なる。が、実に新鮮だ。鍵は人類は二種類のみであること。すべては信仰の領域における事実であり、信仰は「神は癒して下さるだろう」とか「与えてくださるだろう」とかではない!信仰は「癒された/与えられた」と完了形である。すると物理的にそれを所有する。これをW.ニーは「信仰による受領(receiving in faith)と経験による受領(receiving in experience)」と呼んでいる。今日、ほとんどのクリスチャンは「神は癒して下さるだろう」と"信じて"いる。実はこれは信仰ではない。信仰は望んでいることのサブスタンスだから。これを得ると、目に見える形でそれを得る。これが信仰のプロセスだ。12月以来、改めてW.ニーの信仰の領域の広大さと深さを再確認しているところだ。

 

詩篇139編16節

先に引用したこの節、日本語ではこうある:

あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。-Ps 139:16

ここの「からだ」と訳された単語は「サブスタンス(substance)」、つまり実質、本質、実体だ。別に肉体だけを指すのではない。私という存在そのものを言っている。世界は神のレーマによりフレーム化されている(Heb 11:3)。神がご自身の信仰を語り出すことにより、創造のみわざがなされた。この原則はすべてに通じる。なぜなら信仰によらないことはすべて罪だから(Rom 14:23)。そしてこれは私たちに対する神の処方でもある。この詩篇によると、神は私たちをもご自身の信仰の中に置かれているのだ。まだ完成されていないサブスタンスをすでにご覧になり、その書の中に書き記されたのだ!ハレルヤ!

私たちはよく自分は信仰が弱いとか、小さいとか、いろいろ自分を見て主張する。これ自体が実はプライドの裏返しなのだ。私たちは神の信仰によって生かされている。その神の信仰がこの時空間の時系列の中でひとつひとつ成就していく(立証)。だから主は言われた、「神信仰を持て」と(Mark 11:22)。ここはすでに指摘しているが、神信じなさい、ではない!神信仰を持て、だ。WOW!まことにヘブル11章にあるとおり。

さて、信仰とは望んでいる事柄のサブスタンスであり、まだ見ていないものの立証である。-Heb 11:1(私訳)

私たちは全宇宙を創造された神の信仰のうちに置かれ、その信仰によって生かされている。どっぷりと神の中に浸かり込んで、その中で自由に生きることが許されているのだ!そして私たちが信仰を得たならば、あとなすべきは、語ること。言葉を発すること。そうすれば、私たちは自分の望むものを得るのだ。

「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。-2Cor 4:13

私たちはその同じ信仰の霊を持っている!

神の御心(マインド)の充満に生きる

新著(正式に出版決定)でも強調したが、人類は旧人類(アダム族)と新人類(キリスト族)しかない。後者は新創造、ニュー・クリーチャーだ。十字架以前には存在していなかった人類。神はキリストの傷から流れた血と水によって新しい創造物を生み出されたのだ。

よくキリストのうちに生きるにはどうすればよいかとか、自分はすぐにアダムに戻ってしまうとか、キリストのうちにとどまる秘訣は?とか言い出す人がいる。これらの人たちは自分の経験や感情を基準にしているためだ。私たちはすでに新しく生まれたキリスト族、すでにキリストにうちに置かれてしまっている!ピリオド。これが真理。でも、自分はよく癇癪を起こしたり・・・やめ!あなたは人間でなくなることができるだろうか?自分は油断していると猿に戻ってしまうけど、どうしたら人間に戻れるだろう・・・。これは笑い話だ。

キリストのうちに置かれたことは、キリストのアイデンティティーと所有と属性などがすべて私のものとなることを意味する。キリストは神のサブスタンスの現出。神たる方の満ち満ちている存在、神の充満。そのうちに置かれたのだ!これは私が何をするとか、しないとか、一切関係ない。プールに入れば、水の充満に浸かるのだ。何をしようとも、しなくても。12月以降、手で神を感じるようになった。それはプールの中で手を伸ばせば水を感じるのと同じだ。私たちは神の中に生きているのだから(Acts 17:28)。

私たちは個々の事柄で神の御心から外れているか、いないか、よく心配する傾向がある。体操の平均台の上を歩むようにビビリつつ生きているクルシチャンも多い。私たちはキリストのうちに置かれているとは、すなわち神の大局的な御心の中にいることなのだ。もっと言えば、神の御心から出ることはできないのだ!すでにすべては完成されている。神はこの時間と空間に縛られていない。霊的世界は永遠の現在。ゆえに私たちの人生もすべては終わっている。これがキリストのマインドだ(1Cor 2:16)。

あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。-Ps 139:16

クリスチャンがもっとおおらかに、父なる神の愛にあって、ゆったりと、まったりと、しかし悠々と、豊かに生きるようになれば、人々の心に渇きを起こさせることができる。福音は人に渇きを起こすことだとW.ニーは言っている。真に神の豊かさを味わうならば、人々は私たちを見るとき、渇くのだ。渇きを覚えるに至れば、あとは簡単。伝道は決して折伏することでもなく、相手を論破することでもない。

もともと聖書はヤバイ書なのだ。生まれつきの人のマインドには決して入らない世界を提示している(1Cor 2:14)。クリスチャンもマインドが五感に縛られ、この世界においてのみ御言葉を解釈するから、あれこれとややこしくなる。私たちのマインドを超えた世界がこの物理的時空間に介入していることをまず知る必要がある。聖書は道徳の書でも、倫理の書でも、人生哲学の書でも、教育の書でも、生き方の書でも、ない!イエスは言われた。

しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。-Matt 12:28

永遠の現在に存在する神の国が、この時空間に介入しているのだ。もっと言えば、天が地に侵食している。これが福音だ!葬儀の際、やはり40年来の友人がこういった。「霊の世界ってあるの?」。「ありますよ」。「じゃ、クリスチャンってシックス・センスの世界に生きているわけ?」、「そのとおり!」。相手を納得させる必要などはない、もともと納得などできない世界を告げ知らせているのだ!

Big Prayer

W.ニーの『Powerful According To GOD』はこれまでのニーのイメージを崩すものだ。実は、これ、ニーのメッセージの中から祈りに関するものをコンパイルしたものだが、実に新鮮。ニーの書物はどちらかというと内省的あるいは観想的、また神秘主義的な色彩が強いが、本書は実に具体的かつスケールが大きい。

鍵は、エクレシアは神の願いと力のアウトレット。すでにキリストとともに座にいるエクレシアが神の意志を祈り出すとき、神は地上にご自身の知恵と力を放出される。エクレシアが祈らないのであれば、神は地上でみわざをすることができない。要するにエクレシアは天のポータル(門)なのだ。そこから神の国のいのちと力が流れ出るパワーポイント。私たちの祈りが神に受け入れられ、それがかなうとき、私たちの喜びであり、父の栄光である。そして、忘れてはならないのは、サタンの損失なのだ!私たちが得るれば得るほど、サタンは恥と損失を被る。

善良な人は子孫にゆずりの地を残す。罪人の財宝は正しい者のためにたくわえられる。-Prov 13:22

だ*か*ら、ビッグ・プレイヤーを祈れ!・・・とニーは勧める。力のないもの、富のないもの、知恵のないもの、何ら取り柄のないものが、ビッグ・プレイヤーを祈るとき、神は応える。ジョージ・ミューラーも言っている、大富豪に対して、1ポンド程度を求めるのは失礼だと。神は全宇宙の大富豪、すべてを所有される。その神がキリストにあって用意してくださったわれわれの天の口座から引き出すのだ。ミューラーの働きはこの御言葉から始まった。

あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。-Ps 81:0

これって、ただポカンと口を大きく開けてぼた餅が降ることを待つこと?ノー、それはアホでしょ。求めよ、探せ、叩け!これが祈り。だから声を上げて祈れ。神はすべてをご存知だから祈る必要はないとする向きは勘違いしている。イエスが地上でもし黙ったままだったら、私たちは救われたであろうか?銀行に出向いて窓口で意志表示しなければ、口座から引き出せないだろうに。それと同じ。御言葉を宣言し、祈りで心のうちを注ぎ出すとき、天の口座を開く。

わたしがあなたがたに話した言葉(レーマ)は霊であり、また命である。-John 6:63

これは私たちの霊を開くことなのだ。そこから限りない天の資産が流れるのだから!イエスご自身こう生きられたのだ。

キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。-Heb 5:7

 

 

サブスタンスを得る

先に紹介したW.ニーの『Powerful According To GOD』にこのような一節がある。祈りとは約束のないところから始まり、約束を得る。これが信仰の瞬間。その後は祈りではなく賛美に変わる。すると時が来ると現物を得ると。こう書いている:

The first part is praying from no faith to faith; the second part is prasing from faith to actual possesion.

まことにヘブル11章1節のとおりだ。

Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.-Heb 11:1

メッセでも語ったが、私たちの祈りは神の前にひとつも落ちることがない。それらはすべて父の心の中に何らかの印象を刻む。サブスタンスを共に錬る、あるいは彫り上げるのだ。そして神と私たちの霊がそれをピタッと共有できたとき、「得た」とわかる。I know that I know. これをニーはこう書いている:

Christians need to know how to receive in the spirit; otherwise they have neither faith nor sipiritual insight.

すべては霊から始まるのだ。地のものをいじくるのは、効果がないとは言わないが、労多くして益はないし、下手をするとサタンに翻弄されて消耗させられるだけ。まずは霊的領域のサブスタンスを得ること。これが得られればすべては成就する。まことに、信じる者にはなんでも可能である(Mark 9:23)。

 

本日の一冊:Powerful According To GOD

 

実はこれ、どなたかにいただいたもの。まったく手付かず状態だったが、今回開いて見て驚き。祈りのパワーを各側面から見事に説いている。祈りはそもそもスーパーナチュラルな経験として、御座に直接タッチする祈り、キリストと共なる御座から地へと向かって命じる祈りなど。しかもひとつイザヤ書から開かれた。邦訳では微妙に意味が違ってしまっているが、KJVではこうあるのだ。See?

Thus saith the LORD, the Holy One of Israel, and his Maker, Ask me of things to come concerning my sons, and concerning the work of my hands command ye me.-Isa 45:11

携挙の時期

再建主義ではすでに千年期。よっていわゆる切迫携挙などはないとする。すでにイエスはAD70年に一度目の"再臨"をされ、携挙も起きてしまったと。これから全世界がクリスチャン化され、文字通りの御国が設立された暁に、二度目の"再臨"があるというわけだ。

対して、切迫携挙の代表がこちら。この方はチャック・スミスのカルバリーチャペルの牧師。カルバリーチャペルは親イスラエルと聖書預言に関してこだわりが強い。終末論も専門とするので、この辺りにプライドが高い傾向がある。中でも前艱難携挙説(最後の7年前の携挙)は絶対譲れないとする。

今回のこのメッセージではその説に関して攻撃を受けて、相当にまいっているような雰囲気があるが、それでもなお、中艱難期携挙や後艱難期携挙などによって揺るがされないと宣言している。

-クリスチャンの希望 - 携挙 Pastor JD

マタイ7章(Matt 7:21-23)の、主によって、「あなたを知らない」と言われる人々のことを聖霊を持っていない人、つまり救われていない人と解しているが、これも少々違う。前にも触れたが、この聖句は救いを受けるか否か、つまり永遠のいのちを得ているかどうか、が問われているのではない。御国を嗣ぐかどうか、つまり千年王国を受けるかどうかの判定なのだ。ここの「不法を行う」とは"anomia"、つまり「法則に従わない」の意味。たとえ善をなしても、いのちの法則によらない場合はアウトなのだ。私たちが問われるのは「善か、悪か」ではないから。鍵は「いのちの木か、善悪の木か」、だ。

ちなみに私は前7年説は採らない。黙示録を素直に読めば、かなり後期になる。最後のラッパも七つのラッパの七番目とするのが自然。黙示録(Rev 4:1)のヨハネに対する「上がって来い」を携挙とするのは不自然。これはあくまでもヨハネ個人の経験と解する。

-携挙の時期について

時代は相当に煮詰まっている。中東が混乱するほどに、神は裂かれた天から地に介入されたいことをひしひしと覚える昨今ではある。

どうか、あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように。-Isa 64:1

富井氏のパラダイム

この世界観は実に興味深い。これが真実かどうか、いずれ分かる時が来るだろう。しかし、これほどに日本を中心に置きたい彼の心情に関心がもたれるところだ。

tomi 2015/05/12(火) 06:45

ロスチャイルドの計画を破壊するのは日本の役割

アシュケナジーとスファラディの違いをもって偽ユダヤと真ユダヤを分けるのは違うと思います。

なぜならば、キリストを十字架につけたのはスファラディだからです。

エリ・コーヘン氏は、スファラディであり、イスラエル国の次期首相とも目されていた人です。

本当の区別は、マタイ25章の「羊と山羊をわける話」に基づくべきだと考えます。

キリストを信じた人々、つまり、クリスチャンのユダヤ人は羊。彼らは救われて、地上天国とみなされていた日本にやってきた。

そのクリスチャンユダヤ人の一部が秦氏(シルクロードのクリスチャンユダヤ人の国弓月国出身)であり、紀元前にやってきたユダヤ人である物部氏が動物犠牲をささげていたのを止めさせて、代わりに赤い鳥居を作った。そのための監視役を禰宜という。

これは、秦氏が「動物犠牲はキリストの十字架によって完成した」と考えていたから。

信じなかったユダヤ人は、山羊。彼らは滅んで、異邦人の土地に散った。

この山羊系のユダヤ人の末裔が、ロスチャイルド及びイルミナティです。

イエスの時代、山羊系の人々の指導者はパリサイ人であり、パリサイ人は、バビロン捕囚においてバビロンの宗教の影響を受けたミシュナーを信じていた。このミシュナーを成文化したものがタルムードです。

今日、世界を支配しているユダヤ人たちはタルムードを信じている。

彼らは、偽メシアを中心とした世界政府をエルサレムに作ろうとしている。

すでに神殿の材料は整っており、モリヤ山の横に置いてあり、聖具も作ってある。

この神殿礼拝を復活させるには、契約の箱が必要だったので、ロスチャイルドは、戦後すぐに進駐軍に仁徳天皇陵や宝達山を調べさせ、1990年代後半に一族でバスをチャーターして剣山を調べた。またGHQは日本のピラミッドについても調査した。

イスラエルという国は、山羊系ユダヤ人の作った国であり、日本は羊系のユダヤ人が作った国。

だから、ライバル関係にある。

イルミナティのオリンピックであったロンドン五輪で、日本人選手が開会式から追い出されたのも、こういう理由から。

イルミナティのレオ・ザガミははっきりと「イルミナティの最上層部は日本を神の国と認識している。311と原発事故を起こしたのも、日本を抹殺するため」といった。

http://kinnikuking.blog81.fc2.com/blog-entry-899.html

しかし、311によって、ロスチャイルドの番頭ロックフェラーが失脚。

東北地方を沈没させ、原発事故によって北日本を空にする計画も失敗。

311はかえってイルミナティの没落の契機になった。

福一の第3号機の3度の爆発は、キリストを十字架につけた3本の打ち釘を表現したもの。

ロスチャイルドの計画を破壊するのは、日本の役割です。

そのためには、日本人がアイデンティティを確立するしかない。

日本がキリスト教国であるということを自覚し、天照大神の原型がイエス・キリストであったということを理解することです。

光と闇のコントラスト

ひとりは牧師の娘、ゴスペルで育ったが、今やポップ界で大人気の悪魔礼拝者となった、ケイティ・ペリーの証。あえて魂を悪魔に売ったと発言している。

-ケイティ・ペリーと悪魔

もうひとりは崩壊した家庭に育ち、悪魔に育てられたものの、イエスの愛によりクリスチャン伝道師となった、ジョン・ラミレツの証。あの世界はリアルなのだ。

-元悪魔崇拝者ジョン・ラミレツの証

 

永遠が現在を侵食する

Dr.KさんがW.ニーの『標準』をフォローされている。その中の一節に「神はすでに成し遂げた所に入っていくことのみが我々の経験のすべてだ。つまり、永遠の事がらの時間の中に、我々の経験を「実現する」こと、すなわち「実体化」することだ。キリストの歴史が我々の経験となり、我々の霊的歴史となる。」とある。

私は前の著書で「霊的逆算」と称したが、永遠のサブスタンスが現在に現出する。神は時間と空間に制限されていないが、あえて天を裂いてここに介入されるお方。イエスは永遠のサブスタンスをここに現すデモンストレーションをされた。霊的領域は永遠の現在の世界。だから神は"I AM"、信仰は"I AM"の実体化。私たちは物理的にはここにいても、霊的にはそこにキリストとともに御座にいる。かくして聖書はスーパーナチュラル。その辺りを今回は書いてみた。

 

 

TODAY'S CELEBRATION 【May 10, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトル宗教と孤児の霊からの解放

聖書箇所:ヨハネ15:5;ルカ1:37;ヨハネ14:18など

5月17日のセレブ

 ・場所:エスカル2F会議室

 ・時間:1300-1700

 

Utility

CALENDAR

11 2018.12 01
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

MOON AGE

WORLD CLOCK

COUNTER

    Access.....
    Yesterday......
    Today............

RANKING

    ブログランキング・にほんブログ村へ

KF_SITE

FOR MEMBERS

APPLE iTUNES STORE PODCAST

YOUTUBE ARCHIVE

OLD iDLE UTTERANCE

OUR WORSHIP

TWITTER UPDATE

INSTAGRAM UPDATE

PRAY FOR ISRAEL

QRcode

BIBLE SEARCH

ENTRY SEARCH

Recent Trackback

Re:真の礼拝とは-Colin Urquhart
2018/04/30 from 承認待ち