クリスマスの起源
- 2016/12/24 12:11
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:クリスマス
世間やキリスト教界のムードに水を差すわけではありませんが、事実は知るべきでしょうね。
Dr.Luke的日々のココロ
Category: 信仰
世間やキリスト教界のムードに水を差すわけではありませんが、事実は知るべきでしょうね。
現代物理学の最先端では、エネルギーと質量の等価性から進んで、情報がすべてであるとする説がある。いわゆるホログラフィック宇宙論だ。3次元の映像が2次元に記録されるホログラフィのように、この3D+時間の世界も宇宙の2Dシートに記録された情報のホログラフィ映像であると。なるほど・・・。昔、京大の小針さんが<質量=エネルギー=情報>の等価原理が成り立つのではと言っていたが、そのとおりだったかもだ。
聖書はすでにこう言っている:
フェイスによって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。-ヘブル11:3
言葉(レーマ)、つまり情報でありバイブレーションである。われわれがリアリティーと五感で感じている世界の本質は神の情報なのだ!まことに現代物理は聖書の後追いをしているわけですね。
天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても
その響き(=弦・バイブレーション)は全地に/
その言葉は世界の果てに向かう。
-詩編19篇1-5節
まことに現代物理学はこの詩編の言葉を裏付けるのだ。空理空論的神学などやるよりも、現代物理を学ぶことの方がどれほど霊的世界にタッチできることであろう。聖書はスピリチュアル・サイエンスの書であり、生命現象の書なのだ!そしてフェイスとは神の霊的サブスタンスのバイブレーションを実体化することである。
量子は観測する前は波動関数の線形結合として、いわば多重状態として存在しているが、観測した瞬間に状態がひとつに確定する(波動関数の収縮)。言い換えると、観測した瞬間に過去までが変えられるのだ。
霊的サブスタンスも私たちがフェイスする前はあらゆる可能性の多重状態として存在しているが、フェイスした瞬間にそれがひとつの事象として実体化される。すると過去の因果関係を超えて、新しい世界が開かれるのだ。
今、フェイスとは願う事柄のサブスタンス、まだ見ていない事柄の立証である。―ヘブル11:1(私訳)
マトリックス(Matirx)とは子宮、つまりネットワーク・カプセル。人は自分で自分をマトリックスに幽閉しているのだ。
<現実とは何だ?明確な区別はないのだ。五感で知覚できるものが現実というなら、それは大脳による電気信号の解釈に過ぎないのだ。>
<おまえは奴隷だ。誰もが生まれながらに束縛され、においも味も感触もない心の牢獄に幽閉されている。>
フェイスはこの五感のカプセルを超える。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする。―ジーザス
赤い錠剤と緑の錠剤、どちらを選びますか?
●MSGタイトル:七重の神の霊の経験(3)
●聖書個所:イザヤ11:2;箴言2:5-6;箴言4:23;ヨハネ16:13-14など
●12月25日のセレブ:
・場所:エスカル会館2F会議室
・時間:1300-1700
●Web:Kingdom Fellowship®
●YouTube:Dr.Luke's Kingdom Fellowship Celebration
●ApplePodcast:Kingdom Fellowship Celebration
●セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。あるいはメールにもOKです。
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イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。
●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●Amazonにて:Dr.ルーク先生には、勇気や元気を貰えます! お話を聞いたり、ご本を読むうちに「キリストの本質」が学べます。何年教会へ通っても理解出来なかったことが、数か月で分かる感じがしました。キリストは死んだ「宗教」ではない、フェイスそのものです。人生観が変わります。
●メールにて:一気に読んだ。読みやすくて、時間を忘れて読んで、まったく抵抗なく、すぅ~~~~っと入ってくる内容だ。
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本日のセレブではS学会の方がバプテスマを受けられました。父なる神に至る道(タオ)あるい門(ポータル)はジーザスだけですが、ジーザスに至る道はいろいろあるわけです。このブログでも何度も書いている通り、私自身も道元や親鸞、そして鈴木大拙から入っております。
仏教は元々礼拝対象はないのです。先にも書きましたが仏教は徹底した認識論の世界。「色即是空」などはまさに現代物理あるいは大脳科学の最先端、クオリアを言っているわけ。そして何よりもヘブル11章1節のフェイスには定冠詞はありません。それはシックスセンスとしての能力。問題はどのポータルを通して霊的世界にアクセスするか。私たちはジーザス。
I兄弟、晴れてパン裂きを共にできますことを主に感謝いたします。
仏道をならふといふは,自己をならふなり。 自己をならふといふは,自己をわするるなり。自己をわするるといふは,万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは,自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり,休歇なる悟迹を長々出ならしむ。 ―道元、『正法眼蔵』―現成公案―
これ、なかなか面白い。道元は、「今でしょ!」の世界をこう言っている―
たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。-『正法眼蔵-現成公案』
焚き木が先で灰が後というわけではないと。これは時間感覚のトリック。時間自体が大脳によるイリュージョン、マトリックスなのだ。
沢庵も言う―
前後際断と申す事の候、前の心をすてず、また今の心を跡へ残すが悪敷候なり。前と今との間をば、きってのけよと云ふ心なり、是を前後の際を切て放せと云ふ義なり、心をとどめぬ義なり。 『不動智神妙録』第十二節 前後際断
仏教ってね、実は現代物理の最先端を行くのだ。クオリアなども。色はない。それは大脳が創り出したイリュージョン。ゆえに「色即是空」。元々仏教は礼拝対象などはない。認識論のひとつなのだ。今の葬式仏教や偶像を拝むことは釈迦牟尼が禁じていたこと。彼は法による生き方を説いている。で、聖書はその法のルーツ、つまり法源は何かを啓示しているのだ。
ちなみにフェイスはNOW!シックスセンスであり、スーパーナチュラル。永遠が今に切り込む経験なのだ。この映画は4次元超立方体の中ではいつの時点にも自分が存在できる映像をうまく作っていた。