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ブログ・スクリプトをWord Pressにチェンジしました。明日(2017年3月10日)以降、このページは更新しません。新しいブログに移行します。

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また過去ログはこちらで一覧可能です。

-Dr.Luke's Spiritual Insight(本ブログ)

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-過去ブログ1

 

Entry

2015年06月

神とマインドの場を共有する

「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。-1Cor 2:16

私たちのマインドの場(フィールド)がある広がりを有していることを書いた。いわゆる気配とか殺気、あるいは分裂病者のプレコックス感などはこの場が影響するためだ。ちょうど磁石の周りに砂鉄を置くと見ることができる磁場と同様に、私たちのマインドは場を形成している。初対面で理由はないのに「いけ好かない」と感じたり、逆に何年も知っているかのような親しみを覚えたりすることがあるが、これもその場の影響による。磁石のN極同士は反発し、NとSは引き合うように。

私たちはつねにこのような場の中に置かれ、互いに影響されたり、影響を与えたりする。かつての大日本帝国が無謀な戦争に突入した時も、この国家全体がそのような場に置かれたためだ。個人の意見は封殺され、相互監視体制、一億火の玉・・・といった社会の雰囲気が生まれる。最近もややそのような臭いを感じるところではある。敵はこうして世の中を誘導するのだ。

同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。-Gal 4:3

彼らは空中の権を持つ者と呼ばれる。

わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。-Eph 6:12

この「天」とは第三の天ではなく、第二の天である。未信者の場合、自動的にこの霊の場に置かれ、絶えずその影響下にあるのだ。しかも無意識的に。まさか自分が悪の諸霊の影響を受けているとは思いもしないだろう。こうしてサタンは全世界を欺いている(Rev 12:9)。クリスチャンであっても、神の御言葉に明け渡していない領域、自分が出張る領域は同じ状態である。特に自分のウリにする部分はまずやられている。

自分を放棄し、神に明け渡し、委ねることができた領域は、御霊の領域とされ、神の国の実際が展開する領域となる。それは神のマインドの場であり、私たちのマインドもつねに神のマインドを共有するようになる。自分のしたいことが即神の御旨となる。あえて神の御旨を問うまでもない。マインドが溶け合っているからだ。キリストのマインドがそのまま私のマインドに展開する。Bill Johnsonが面白いことを言っている:

When we submit the things of God to the mind of man, unbelief and religion are the results. When we submit the mind of man to the things of God, miracles and the renewed mind are the results.
(神の事柄を人間のマインドに委ねれば、不信仰と宗教を生む。人間のマインドを神の事柄に委ねれば、奇跡と新たにされたマインドを生む。)

そして神の究極の目的は(宗教的な人々よ、つまづくことがないように!)

God wants our minds to be renewed so that our will can be done.
(神は私たちの意思がなされるためにマインドが新たにされることを願われる。)

なぜ?メッセでも語ったが、創世記を見てみよ。

主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。-Gen 2:19

神はアダムに口出ししてはいないのだ。任せている。さらにかのサウルに対してすら神はこう言われた。

主の霊があなたに激しく降り、あなたも彼らと共に預言する状態になり、あなたは別人のようになるでしょう。
これらのしるしがあなたに降ったら、しようと思うことは何でもしなさい。神があなたと共におられるのです。・・・」
サウルがサムエルと別れて帰途についたとき、神はサウルの心を新たにされた。以上のしるしはすべてその日に起こった。-1Sam 10:6-9

ここで「心」とある単語はlabe、Strongによると"the heart; also used (figuratively) very widely for the feelings, the will and even the intellect;"。つまり感情、意志、マインドまでを含む(cf.霊の機能と魂・体の相互作用について)。ゆえに「サウルですら預言者か」と、ことわざになったほどだ。Are U with me?

結論はこうだ:神はマインドが新たにされた人には全権を委ねて下さるのだ!「何でも求めるものはかなえてあげよう」と白紙小切手を下さる。WOW! このことに抵抗を覚える人は、はっきりと言うが、宗教の霊に侵されている。聖書は宗教の書でないし、イエスはキリスト教の教祖でもない。神が天を裂いて、その霊的領域から物理的時空間に介入された証が聖書であり、イエスである。全宇宙を創造された方が、被造物の世界に介入されている、今もだ!

しるし・不思議・奇跡は新たにされた思いにとっては自然なことなのだ。宗教の霊の場に置かれている者は見ることもできないし、求めもしない。そんなことは低級なことだとかのたまって・・・。かつての私がそうだった。今後、ステージ4のガンが当たり前に癒され、むしろ癒されないことが信じられない事態になるだろう。否、すでになりつつある。神の国にガンはないし、神はガンの源でもないし、盗み、殺し、滅ぼすのはあの者の仕業。神の御旨ではない!神の御旨は癒し。私たちの魂が繁栄するほどに、あらゆる面で繁栄し、健やかであることができる(3John 1:2)。SO BE IT!!!

 

マインドの広がりの領域

私たちは体、魂、霊からなることは欧米のクリスチャニティでは常識。わがニッポンキリスト教では聖書自体が霊と魂の区別もできていないし、牧師たちも同じ状況。霊と魂の区別ができなければ、聖書を正確に理解することは不可能だ。

-人間の聖書的啓示と現代精神科学

その魂は、英語ではSoul、ギリシャ語ではPsuche、ヘブル語ではnephesh。それはいわゆる知・情・意からなる。知性は先に書いたとおり、意識の領域と無意識の領域からなるが、養老孟司氏などの唯脳論者によれば、単なる電気化学的現象であるとされる。デカルトや脳外科医のペンローズなどは大脳と別に魂の存在を指摘している。要するに魂は物理化学的現象を超えたものであるとする。これは創世記の次の記述からも明らかである。

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる魂(原語)となった。-Gen 2:7

つまり土から構成された体に霊を吹き込むことにより、そのふたつの要素の相互作用により魂が生じたのだ。物質と霊は相互作用することは癒しや奇跡の根拠でもある。この魂の機能のひとつであるマインドが信仰にとってきわめて重要であることは私の著書でも、ここでも何度も指摘している。

もしマインドが単なる物理化学的現象であれば、それは単に個人レベルの現象。そのときにはいわゆる美、徳、倫理、形而上学的価値観などを共有し得ることが説明できない。法律では、たとえば、人を殺したるものは死刑または無期もしくは何年以下の懲役に処する、と規定されているが、なぜ人を殺してはならないかは触れていない。が、私たちは理由を説明できないが、それを知っている。どうやって知るのだろうか。唯脳論者ならば、ある価値観を生み出すニューロンネットワークがすべての人間に共通の形で形成されるからだ、とか説明するのであろう。フロイトならば去勢不安を回避するために父親との同一視により超自我が分化すると説明する。

しかし私たちは魂は神の霊が吹き込まれて生じたことを知っている。つまり人の魂は堕落以前には神的な能力と価値観を元々有していた。地を従わせ、生き物を治める能力と徳を持っていた。つまり神の魂とつながり、その価値観や能力を共有していたのだ。だから人を殺してはならないと直覚的に知っている。ところが罪の結果、それは存在論的には消失していないが、機能の発揮を喪失した。よく人間は大脳の20%程度しか用いていないと言われるが、これはサバン症候群などの人を見れば明らかである。彼らの能力はどこに由来するわけ?

かくしてマインドはこの時空間においてのみ存在し、作用するのでない。いわゆる超能力などは唯脳論ではほとんど説明できないであろう。マインドがこの物理的時空間を超えた領域にまで作用し得るからこそ、超能力などもあり得るのだ*1。私が何度も繰り返しているように、マインドは霊と魂の接点である。ある種のマインドの用い方を体得すると、霊的世界にも波動を生じさせることができるようになる。これがいわゆる霊能力者とか霊媒師と言われる人々である。サウルも最期には死んだサムエルを霊媒師を介して呼び出した。これは多分に悪霊的現象であるが、霊的世界と関わっていたことは否定できない。

前にも書いたが私は人々の運命が見えることがある。理由は不明だが、分かるのだ。マインドはある種の波動のようなもので、たまたま私の大脳の近傍に集積しているが、量子力学的にはるか遠方においても存在確率はゼロではない。重力や電磁場のようにポテンシャルを有している。だからサタンは私のマインドに関わることができる。彼は私のマインドの、いわばシッポを掴むことができる。そして火の矢を打ち込んでくる。その火の矢もある種の波動のように伝播する感じを受ける。テレビ受像機で受信された電波が映像や音声をフレーム化するように、マインドに干渉してくるサタンの火の矢も、私のマインドの中に映像や声をフレーム化する。それをただちに拒絶すればよいが、しばしばそれが自分の肉に足場があると(今週のメッセも語ったが要塞)、それを自ら掴み、弄んでしまう/弄ばれるのだ。

だから私たちはマインドには十分に警戒する必要がある。特に文学系あるいは芸術系の嗜好を持つ人々は、自分のうちの病理性をその想像力の源泉としているため、その領域を十字架の癒しに手放す事を拒む。むしろ自分が病んでいることや歪んでいることをウリにする傾向がある。その病理性を共有する人々がいわゆる彼らのファンとなる。が、これはサタンにとって絶好の足場となる。彼らの想像力や作品のルーツはどこにあるのか?しばしばアーチスト系の人が悲惨な最期を遂げる理由はまさにここにあるのだ。

かくしてマインドは私の大脳を起点として、かなり広範な領域にまで広がっている。人の心が読める人はそのマインドの広がりの裾を掴むのだ。あるいは気配とか殺気とか。マインドを敵に掴まれないこと。ある種のマインドの純潔性あるいは透明性が不可欠となる。イエスは「悪魔はわたしのうちに何ももたない(=手がかりがない)」と言われた(John 14:30)。神の意志も霊に対してある種のインプレッションを与え、それがマインドにおいて映像や声や言葉としてフレーム化されることによる。マインドが自分のことや肉的要素で一杯であれば、神の波動はかき消されてしまう。かくして私たちのマインドは霊的せめぎあいの場となる。だが、敵の声か神の声か、見分けはある意味簡単。前者はマインドを苛立たせ、掻き立てるが、後者は鎮静し、平安といのちで満たしてくれる(Rom 8:6)。

マインドのトランスフォーメーションの重要性はここにもある。

*1:これについてはWatchman Neeの"The Latent Power of Soul"、あるいはJesie Pen-Lewisの"War on The Saints"、あるいはG.H.Pemberの"Earth's Earliest Aages"を参照されたい。

追記:ウォッチマン・ニーの"The Spiritual Man"から、マインドの重要性についてこちらを参照されたい。いわゆる主の御心のままにとか、御旨を待つとか、霊的受動性の危険性にも警鐘を鳴らす。われわれはマインドを積極的に用いて、神にアクセスする必要があるのだ。ニーはマインドはポンプのような役割だと言う。霊が流れるようになるまでポンプする必要があるわけ。なるほど。パウロも、霊で祈るとともに知性でも祈ろうと言っている。

-The Principle of Mind Aiding the Spirit

 

TODAY'S CELEBRATION 【Jun 28, 2015】

UPしました。

-Kingdom Fellowship Podcast

タイトル約束の良き地を取れ

聖書箇所:創世記15:18-21;ガラテヤ3:7;エペソ1:3など

7月5日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700
 ・Web:Kingdom Fellowship
 ・Youtube:Dr.Luke Channel

終末的光景

要塞を破壊する-偽りの体系を捨てること

私たちのマインドは、フロイトが指摘したように、意識される領域と意識されない領域からなる。無意識の領域にはこれまでの人生で経験したすべての事柄が感情と絡んで沈み込んでいる。これを感情観念複合体、いわゆるコンプレックスと呼ぶ。実は聖書的にはさらに霊が絡むのだ。私はこれを霊感情観念複合体と称している。例えば、恨みの霊、妬みの霊、競合心の霊、自己憐憫の霊、プライドの霊、病の霊など。聖書ではこれをサタンの要塞と言う。

-信仰と精神分析について

-サタンの要塞について

私たちは霊が再生された新しい創造であるが、魂は旧い体の一部である大脳とシンクロしているため、この要塞の影響を受けている。ゆえにマインドのトランスフォーメーションが不可欠となる(Rom 12:1-2)。これは『真理はあなたを自由にする』でも述べているが、単に霊的精神的葛藤からの解放だけでなく、神の国をこの地上に現出させるためにも本質的であることが開かれた。 

肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。-Rom 8:6-7

要するに不安とか恐れや緊張感や鬱などの感情は肉のものであり、よって偽りであると知る必要がある。思い煩いからは何も生まれないことはメッセでも語った。私たちはこのような敵の放つ火の矢を霊的ミサイル防衛網によって察知し、マインドに突き刺さる前に迎撃する必要があるのだ。

またサタンは私たちの肉の弱さを熟知している故に、個人個人に対して実に的確に火の矢の種類を選んで打ち込んでくる。よって私たちは肉に埋没している要塞を発見し、これを崩壊させる必要もある。ハエを追い払っても、ハエの好きな残飯を残しておいたら無意味だ。ちなみにサタンの別名はベルゼブル、それはハエの親玉の意味だ。

その要塞、つまり霊感情観念複合体は偽りの体系であることをまず知る必要がある。御言葉に反するもの、神に敵対するものだから、ネガティブな感情を生み出すのだ。自分がいつの間にか信じ込まされている偽り、それを偽りとは感じない点が致命的なのだが、御言葉の鏡に照らす必要がある。要塞を落とすのは御言葉と祈り(2Cor 10:4-5)。

内側にいつの間にか巣食っている偽りの体系から解放されるほどに、私たちはキリストがくださったいのちを楽しむことができる。イエスはアバダントなライフをくださるために来られた(John 10:10)。そして魂が繁栄すれば、あらゆる領域で繁栄し、健やかになることができるのだ(3John 1:2)。

自分の魂を守ろうとすれば、それを失い、失えば豊かに得ることができる。十字架は新創造をつける場ではない。旧創造に属するものをつける場である。自我を十字架につけてぇ~!といったエキセントリックな教えそのものが偽りであると知る必要があろう。クルシチャンから解かれるために!

いつものBill Johnsonを紹介しておこう:

-Attaining a Renewed Mind

追記:こちらはあえてサタンの要塞を構築している。オバマの正体は明らか。全米で同性婚容認。

-オバマ氏「米にとって勝利」同性婚で連邦最高裁判決

 

「頭を体から切り離し他人と結合」難病男性が手術へ

このニュース、ちょいとビックリ。フランケンシュタイン的。なんとも、これもひとつの終末的光景ではある。しかし、中枢神経系などはキチンと接合できるのかな?外科系の臨床の先生に伺いたいところだ。

-「頭を体から切り離し他人と結合」難病男性が手術へ

TBS系(JNN) 6月26日(金)19時53分配信
 難病に苦しむ30歳のロシア人男性が自分の頭を体から切り離し、 脳死状態になった他人の体と結合する手術を受けると発表しました。

 25日に会見したのは脊髄性筋萎縮症を患う男性(30)です。この病気にかかった患者の平均寿命は短く、男性も症状が急激に悪化しています。そこで、イタリア人医師が提唱している自分の頭部と脳死状態となったドナーの身体を結合する手術を受ける決意をしました。

 「とても楽観的にいます。楽しみです。できるかぎり早く行われるよう実現を目指しています」(ワレリー・スピリドノフさん)

 手術中は、頭部とドナーの身体を冷却し、細胞が死なないようにするということですが、100人以上の医療スタッフが必要で手術時間は36時間に及ぶ見通しです。イタリア人医師は、手術費用1500万ドル、およそ18億円を集めていて、2年以内には手術を行いたいとしています。(26日16:47)

あなたの信仰を使え!

イエスは答えて言われた、「神信仰を持て(原語)。よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。 そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。・・・」-Mark 11:22-24

私たちはよく祈った後も頭でいろいろと心配したり、信じられなかったりすることがある。するとすぐにこう結論する、自分は不信仰だ、と。ゆえに得ることができないと思ってしまうのだ。しかしイエスが言っていることをよく読んで欲しい。彼が言うのは頭で疑うな、ではない。心で疑うな、だ。私たちの思い(マインド)は霊と魂の接点。だから敵が放つ火の矢が飛び交う戦場なのだ。そこで飛び交う想いを自分のものとして受け入れて、それを思いめぐらすと不安や恐れなどで脅かされる。それを入口で拒絶することをメッセで語った。

つまりマインドで何が展開していようが、心で信じているならばOKなのだ。私自身、自分が経験した癒しを頭では未だに信じられないのだ。が、癒しの事実は現れた。え?どうやって心で信じていることが分かるのかって?キリストの言葉(レーマ)を聞くこと。それは霊が知っている。I KNOW THAT IKNOW! 否定しようがないのだ。例えば、イエスが処女から生まれた事実をマインドではいくらでも否定できる。しかし心、もっと言えば霊の中では決して否定できない。そのサブスタンスを得ているからだ。信仰のサブスタンスは一度得られるならば、マインドの影響は受けない。「得た」と分かる。

かくして、7月、主の御手が大きく動くことを私の霊は把握してしまった。根拠は?知らない。が、分かるのだ。『スターウォーズ』では「フォースを使え」が常套句だが、われわれは「フェイスを使え」だ。

フェイスとは望む事柄のサブスタンスであり、見えない事実の立証である。-Heb 11:1

ここの「事実」は”pragma”、Thayerによると:

Thayer Definition:

1) that which has been done, a deed, an accomplished fact
2) what is done or being accomplished
  2a) spec. business, a commercial transaction
3) a matter, question, affair
  3a) spec. in a forensic sense, a matter at law, case, suit
4) that which is or exists, a thing

それは完了している事柄。今、ここに、存在しているモノ。spiritual realmにおいては厳然たる成し遂げられた事実。だからイエスは物理的には死んでいるラザロを呼び出した。イエスの内面の事実はラザロはすでに生きていたのだ。神はないものをあるものとして呼ぶ方であり、それと同じことをイエスは人間としてデモンストレーションされた。信じるならば私たちも同じことができると(John 14:12)。まことにわれわれの得ているポテンシャルはすごいものがあるのだ!

 

2015年9月に起きること

先にニュートンがダニエル書の研究から2015年9月23日を割り出していることを紹介した。またカルバリーチャペルの牧師のメッセージも紹介した。彼らは前艱難期携挙説を採るが、あすニコラス・ケイジによる『レフトビハインド』が公開となる。今回もその牧師がメッセージしている。字幕をつけてくれる人がいるのだ。

-聖書預言―2015年9月に来るべきこと

対するポストミレの富井氏はAD70年に第一回目の再臨があり、また携挙もあったと主張している。いずれにしろ時代はかなり煮詰まっているのだ。しかしこのまま聖書に無知な日本人が終末を迎えるとしたら、はたしてどんな惨状をみることになるのだろうか?主よ、この国にあわれみを!

 

再発見:ウォッチマン・ニー - 統治せよ!

今回、彼の本s(CFP版,CDで全集が出ている)を読み直しているが、これまでのイメージがほとんど崩されている。明らかに彼も霊的領域を見ている!*1

We will not do anything if it has no power to affect the kingdom of darkness and cause damage to the devil. In all our works we are to judge them not by the apparent result but by the effect they shall have in the spiritual realm as to who will gain and who will lose. This is spiritual warfare that  is not to waged by the efforts of flesh and blood. This is also to be the criterion at the judgement seat on that day: whether a work is to be burned or to stand shall be based on how effective it was in effecting the will of God.- The Mystery of Creation (C.F.P)

鍵はこの物理的時空間でどうのこうのではないのだ!スピリチュアル・リアルムでの効果。すなわちサタンに損害を与えること。これがキリストの御座の裁きの評価基準となる(2Cor 5:10)。それはアセンディングとディセンディング。天の自分の園の管理でもあるのだ。アダムとエバはエデンの園で支配する、すなわち蛇を踏みつける必要があったのだ。その権威をイエスは人として獲得して、われわれにインパーテーションしてくれた。ゆえに

確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。-Luke 10:19

地を従わせよ!今、ここで、神の国を現出させよ!TAKE DOMINION!!!

追記:霊的戦いとは神社に油をまくことでも、破壊することでもない。もっとも有効な方法はワーシップ。Bill Jonhsonを紹介しておく。

-Power Of Worship In Spiritual Warfare.

*1:日本福音書房から出ている邦訳はこのような要素がほとんどカットされている。CFP版で読むことを勧める。

紹介:Bill Johnsonの"Anything You Ask"

このタイトルの本は英国のKingdom FaithのColin Urquhartのベストセラーがある(翻訳済み。希望者は私宛にどうぞ)。今回はBill Johnsonで。

12月に私が経験した現象とほぼ同じことをBill Johnsonも経験していたことを知り、驚くとともに、安心感を覚えたことはすでに書いた。それ以降、彼の本やメッセージをフォローしているが、実に親和性を覚えている。昨日紹介したメッセージはきわめてプロフェティク。英語が分からない人のためにこちらを紹介しておく。かなりタイムラグがあるが日本語の同時通訳版がある。

-Bethel Podcasts

この「礎石」はとてもイイ。私が語ってきたこととほぼ同じ。彼自身も証しているが、今ではしるし・不思議・癒しで有名な彼だが(受けている誹謗中傷も私に劣らずスゴイが・・・)、ある時まで癒しなども教えはしていたが、何らの現れもなかった、と。ところがあの経験をし、ビンヤードのカンファレンスで鍵を掴んだのだ。それはリスクを取ること。神はグッド、求めるものは何でも、なのだ。それとアイデンティティーと安息。勝利の立場からアクションを起こす・・・。後はご自分で楽しんでください。

ついでに紹介すると、これもマスト。ちょうど今週の私のメッセとかぶっています。

-戦いはあなたの思いの中

 

信仰とは何か?

信とは願っている事柄のサブスタンス、見えないものの立証である。-Heb 11:1

江戸時代には労咳(結核)は不治の病だった。その宣告はただちに死を意味していた。それが江戸人のリアリティー。彼らはしばしば真言密教などの護摩祈祷や厄払いを試みたり、信心に励んでお百度参りや滝行をしたりした。が、どんなに頑張っても、どんなに厳しい修行をしても徒労に終わった。

ところがここにひとりの人がいた。彼は20世紀から江戸時代にワープした20世紀の人だった。彼は抗生物質を持っていた。彼は言った、わたしの元に来てこれを飲みなさい。恐れないでただ信じなさい。彼の元に来た者はみなその抗生物質を飲んだ。理由は不明であるが、効果は劇的だった。しかし漢方医は嫉妬と妬みで彼の薬はインチキであると吹聴した。種痘なども牛の膿を塗ると牛になると大衆は信じていた。だから抗生物質も拒絶した。労咳が治るわけはないと。こうして激論が起きたのだ。

抗生物質は労咳の癒しのサブスタンス。それがあれば癒されたと分かる。しかし信仰は行いによって完成される。それを飲むのだ。これで癒しが立証される。信じたらそれに相応しくアクションを起こすこと。ここに紹介するCLIPはT.L.オズボーンの娘さんの証。この男は38年間ポリオで両足が麻痺し、骨のようになっていた両足で立ち上がるのだ。癒されてから立つのではない。信じて立ち上がると癒しが現れるのだ。

-Amazing Healing Stories | LaDonna Osborn

自分は聖書に通じ、霊的に深い何かを知っており、価値のある、より深い霊性を求めるとするクリスチャンの発言としてよく言われるセリフがある:しるしや不思議や癒しなどは低レベルの事柄。自分はもっと深い本質的なことを追求しているのだ、と。かつての私もこの部類だったが、何を追求しているわけ?あるいはそのようなことを追求すると別の霊が働き、真理から逸らされるとか、悪霊が働くから癒しを求めてはならないと明言する向きもある。彼らはイエスよりも霊的に深いことを追求しているのだ。このようなことを語る人々には、しばしば信仰の欠如や裏切られた期待が潜んでいる。自己の正当化。

あなたは何を追求しているのか?あなたは何が欲しいのか?あなたは父の御心はどのようなものと信じているのか?・・・今、私はこう問われている。

追記:自分は第一にキリストに似ることを追求しているのだとするお言葉をいただきました。私たちは決してキリストに似ることはできません。キリストがうちに形づくられる事はメタモルフォーゼ(Gal 4:19、ここも邦訳が不適切ですが)、つまりトランスフォーメーションですが、それはマインドから始まります。そしてキリストが形作られるならばキリストと同じ業をより一層容易にすることができるでしょう。病を癒し、死者を活かし、悪霊を追い出し、癩病をきよめ・・・と。

追記の追記:very prophetic!!!

-It's the Seventh Day

 

リアリティーとは何か?

 

 

この本は93年に購入したもの。三つの領域における霊の戦いの処方箋を提示している。すなわちマインド、教会、霊的領域。特に第三の領域においては霊的存在が生み出す幻想あるいはフェイクによって私たちが影響されていることを指摘する。自分は何らそのような影響を受けていないと主張したくなる人は要注意。その兆候自体が影響を受けていることを証明している!特に自分の感性や常識といったものを主張したくなる向きは要塞を抱えている。御言葉に啓示された世界が真理、究極のリアリティーだから。

結局、自分の何かをとるか、御言葉をとるか。この選択なのだ。著者は未開部族とNYのサラリーマンの生活を比較して、前者は後者のリアリティーは理解できないだろうし、逆も言えると指摘。これは先に述べた江戸幕府とアメリカとの関わりと同じ。そして天と地の関わりもだ。あなたはどの世界観を選ぶか?例えば「ステージ4のガンは5年生存率10%」なる単なる統計的世界観を採るならば、信仰も持てず、ガンに命じることなどは到底できない。あなたが信じた通りになるだろう。御言葉はどう語るか?イエスの傷によりすべての病は癒された!「神がサタンの権威に服している」などの世界観を持っている人は神の権威を行使できない。だから刈り取る結果もそれに応じたものとなる。

鍵は、あなたはどの世界観に同意するか?同意すれば、その世界観はあなたにとってのリアリティーとなり、あなたを支配する。その世界観に服しまた委ねてしまったからだ。ある人は豊かな信仰生活を送り、ある人は宗教儀式で喘いでいる。私たちが何気に語る言葉に真の信仰が現れる。何をどう聞くか、そして何に同意するか。これが私たちの生と死を支配する。鍵はあなたのマインドにあるのだ!

著者のYoutube:The Three Battlegrounds by Francis Frangipane

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