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Entry

2016年03月

意識の扱い方-キリスト者と仏教徒-

FBで流れてきたこの記事にちょっとコメントした。

-仏教とキリスト教の共通項はどこでしょうか?

このBlogでも何度も指摘しているが、道元は『正法眼蔵-現成公案』にて書いている:

仏道をならふといふは,自己をならふなり。 自己をならふといふは,自己をわするるなり。自己をわするるといふは,万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは,自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

クリスチャンと禅者は、いのちと法の違いなのだ。われわれは旧創造のいのちではなく、新創造のいのちを得て、その新しいいのちの法に任せて生きる者たち だ。が、自己をわすれることにおいては共通する。イエスは、自己を否め、と言われた。これは自己疎外ではない。自分から意識が離れること、つまり心身脱落 すること。

すべての苦悩や葛藤は自意識から生まれることは誰もが納得であろう。善悪を知る知識の木の実を食べたアダム系人類の宿命だ。イエスはその旧人類を終わらせ た!そして復活し、キリスト系の新しい人類を生み出したのだ。仏教の救済は自己からの解放のレベルまで、残念ながら新しい創造はどんな修行をしても得られ ないのだ。それはGodのみが成し得るスーパーナチュラルな現象だ。

-意識の扱い方について-キリスト者と禅者の類似と相違-

 

恐れこそを恐れよ

これ、確か、アメリカの大統領の発言だったと思う。恐れとフェイスは互いに背反だとメッセでも語っている。完全な愛は恐れを取り除く。恐れる者には愛がまっとうされていない。この聖句、真に受ける必要がある。恐れる者には次々に問題や病が降りかかる。これ本当に不思議な事であり、厳粛な事。

昨日の大腸ガンの兄弟にとっては死の可能性はあるも、彼にとっては死のトゲはすでに抜かれてしまっている。フェイスが働いていることが彼との応答の中でわかる。彼には恐れがない。ニューエイジでは「引き寄せの法則」というが、恐れは確かにその対象を招き寄せるのである。ヨブが証言したとおりだ、自分の恐れていたことが降りかかった、と。それはフェイスの穴、アリの一穴ダムをも崩す。

主イエスの教えの中でもっとも繰り返されたこと、それは「恐れるな!」。はあ、人間は弱いものだから、恐れるのは当たり前でしょう・・・。はい、どうぞ、それにアーメンしてください。恐れはあなたを正当に支配するでしょう。あなたがその権限を恐れの霊に与えてしまったのだ。何度も言っているが、自分が同意した対象は自分の上に権威を行使する正当な権限を許すことになる。

フェイスによらない愛は罪だ。それはヒューマニズム。愛のないフェイスはむなしい(罪といっているのではない!)。すべてフェイスによらないことは罪なのだ。ゆえに愛によって働くフェイスが大切だとパウロは言う(Gal 5:6)。つまり愛が働きかつフェイスが働く、ならば恐れはまったくあるべきではない!恐れる人は自分を大事大事している人。彼らは自分を投げ出すことができない。ペテロのように舟から荒波に一歩を踏み出すことができない。自分の小さなコンフォートゾーンに閉じこもるのだ。恐れの霊はそのような人を格好のターゲットにする。霊的書物もよく読み、ポジティブコンフェッションとかもよく実行している。が、彼らの根底には恐れがある。ヨブと同じだ。

この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。-Job 1:5

恐れから出たものはどんなに信仰深く見えてもフェイクである。それには実効力がない。私たちの得た霊は恐れの霊ではなく、愛と力と健全な思いの霊である。健全な思いとは恐れから解放された思い。私たちのすべての言動は愛にある安息と平安から生み出されるべきものなのだ。

FBの会話から

ある同年輩の兄弟がこの3月の初旬に大腸ガンと診断された。すでにけっこう増長していたため、内視鏡では無理、腹腔鏡でオペすることになった。

彼の言でいわく、自分はクリスチャンなのでたとえこれで死んでも怖いことはない。主の元に行けるのだから・・・。

で、私、つい一言:おめでとうございます。私もパウロと同様に地上を去りたいのですが、まだ残れと言われてしまいまいした。

彼いわく:私はフルートを吹けるようになりたいので戻ってきますよw。

私、了解です(*^^)v

彼、I shall returnは古いので、I'll be back。

私、どっちも若い人たちには通じないかも(;'∀')

確かに死のトゲは抜かれているのだ!

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。-Phil 1:21

元気の秘訣-声を出すこと!

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私はメッセでも声を出せとしつこく進めている。それでもなお、沈黙する人はもうどうしようもない。ご勝手にどうぞだ。この記事はもちろん霊的なものではない。が、声を出すことが健康にとって重要であることを指摘する。ましてクリスチャンであれば声を出すことによる神の国の実現がどれほど重要であるか、わかるはずだ。

-元気の秘訣は“高音プレゼン”〔髙田明〕 第1回 声を出すことが前向きな自分をつくる

声を出すことによりマインドの中に幽閉された自分から解かれるのだ!フェイスは語ること。フェイスは行いによって全うされるのだ。

確かに高田氏、若い!

復活のデュナミスを味わえ!

メッセでも語ったが、イエスはラザロをよみがえらせるとき、すでに自分は復活であると宣言した(John 11:25)。はあ?イエスよ、あなたはまだ十字架についていないではありませんか?とナチュラルなマインドは考える。ノー!イエスはその後肉体をもって十字架につかれた。しかし神のサブスタンスとしてはすでに復活だったのだ!何度も言うが、フェイスは時空間を超える永遠のNOW!イエスはつねにフェイスによって生きていた。彼はクロノスではなく、カイロスに生きていたのだ。事実、

And all that dwell upon the earth shall worship him, whose names are not written in the book of life of the Lamb slain from the foundation of the world. -Rev 13:8

世界の基が置かれる時からほふられていた小羊の書に名の記されていない者は・・・が正解。いつも言うが日本語訳はよろしくない。世界の基が置かれる時にすでに小羊はほふられていたのだ!復活は別にイースターに起こったわけではない。それは単にイエスが肉体を持って復活された日であって、霊的リアリティーとしてはすでに彼は復活だったのだ!

私たちはそのキリストの死と復活に包括されて、死んで、復活した存在。これから未来において復活するのではない。すでに私たちも復活したのだ。Are you with me? その復活のパワー、デュナミスはどれほどのものであるかを知れとパウロは言う。デュナミスはダイナマイト、それは爆発するのだ!

また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。-Eph 1:19-21

われわれはこのキリストといっしょに天の座につかされているのだ(Eph 2:6)!まことにこれはスーパーナチュラル。そのデユナミスに与るカギは、自分を絶えず脱ぎ捨てること。脱皮だ。自分を大事大事している人は恐れの霊の餌食になる。おくびょうな者は神の国に入ることはできないのだ。

だから、古い人の会話を脱ぎ捨て、それは情欲の欺きによるものであり、思いの霊から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を着て、真理に基づいた義と真の聖なる生活を送るようにしなければなりません。-Eph 4:22-24(私訳)

情欲の欺きとは別に動物的欲求のことだけを言うのではない。先週のメッセでも語ったが、五感の欺きである。また邦語訳では「心の底から新たにされて」とあるが、これも違う。思いの霊が新たにされるである。われわれのマインドは霊から自立したがるが、そのマインドに霊が染み込むことを言うのだ。私たちのマインドは常に何か会話をしている。それが自分の言動に現れる。これが生き方である。つまりマインドに霊の浸透を受けて、そのアダム系の会話を改めることが新しい人を着ること。そのときキリストのマインドが私たちのマインドを支配するのだ。

正直に言うが、イースターを祭るって、ああ、この人は復活のパワーを知らないなあ、と分かってしまう。日々、瞬間瞬間が復活だ。それはスーパーナチュラルな五感を超えた世界の経験なのだ。WOW! そのとき、神のデュナミスをわれわれは経験する。それは内に仕掛けられたダイナマイト、スイッチを入れて自爆せよ!

 

TODAY'S CELEBRATION 【Mar 27, 2016】

タイトル復活の領域に生きる

聖書個所:2コリント4:13;2テモテ1:7;ヨハネ11:25など

4月3日のセレブ

 ・場所:エスカル会館2F会議室
 ・時間:1300-1700

WebKingdom Fellowship

YouTubeDr.Luke's KF_Channel

セレブレーションのライブ録音DVD:希望者にお分けできます。1ヶ月分、3,000円(原則4DVD);あるいは希望のタイトル1枚1,000円にて。ご注文はオンラインショッピングにてどうぞ。

全国有名書店で発売中

 
Amazonに飛びます

イエスの誕生と死、そして復活が意味するものは何か?最初の人類アダムとエバの“失楽園”、ノアの箱舟、モーセによるエジプト脱出・・・数々の映画のテーマにもなる聖書の奇跡とイエスの生涯に新しい光をあてる。それらは現代人のわれわれとどんな関係があるのか?神は今もなお生きて働かれるのか?それを経験する鍵は?人類のロングセラー「聖書」の世界をよりあざやかにリアルなものとする挑戦的な書。

●11月に一般の100書店に配本され、2月に別の100書店に配本されました(⇒書店リスト)。また紀伊国屋では1年間常備されます。書店に直接注文していただけますと在庫を増やしてくれますので、よろしくです。こちらの注文表をお持ちください。なお、出版社の在庫があとわずかとなった模様です。

●面白い口コミがありました:聖書は既読ですが、モーゼが杖をついたら海が二つに割れたり、イエスが一つのパンで何百人の人を養ったりと、神話的な話として読んでいました。この本を読んでからは、神話や伝説ではなく、リアリティとして感じられるようになりました。
●読書メーター感想:読んでも意味がわからなかった聖書がなんとなくわかった。聖書の読み方が変わった。

温泉にて脱力とちょっと証を

1泊で強羅温泉に行っておりました。温泉は私にとってはなくてはならない存在。確かにフィジカルにして、五感の領域のものに過ぎないが、この肉体を持つ限り、そのメンテは必要なのだ。今回は面白い食を経験した。

箱根のはつ花の蕎麦。100%蕎麦+卵で打ってある細打ち蕎麦。触感が新鮮で甘い。けっこう人気の店のようで、かなり行列が。私はたまたまナビの案内に従ったのだが・・・。

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ホテルは強羅の山の上。曇ってきたと思ったらなんと雪が。それもさんさんと、雨脚ではなく、雪足が強くなってきた。やばい、車はノーマル。しかも急坂の山の上。と、思いつついるうちに、あたりは一面白くなってきてしまった。どうしよう・・・と、これがこれまでの私の思考パタン。

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で、思い出した。イエスは嵐に命じたのだった。雪の降りしきる外に向かって、イエスの名によって命じる、雪よやめ!と声を出して2回ほど。カミさんは怪訝そうな顔をしているが、カーテンを閉め、食事。小盛の多品目で楽しめる。10分ほどしてカーテンを開けてみると、おお、見事に雪がやんでいるではないか!・・・いやなに、単なるぐーぜん、グーゼン、偶然・・・。

前にも書いたかもしれないが、子供たちが小さい頃、夏休みに伊豆の白浜に泳ぎに行くとき台風が来て、一度はキャンセル。しかし夏休みも終り近くになり、最後のチャンスに出かけようとすると、またも台風。どうしよう・・・。祈ると、GO!と声がした。さらに英国のコリン・アーカートの証を思い出した。夏のフェイス・キャンプで雨が降り続いた際、彼は天候に命じたのだ。するとピーターバラ一体だけが雲に穴が開いて晴れた。TVでも珍しい現象として報道された。

で、私も、白浜よ、晴れよ、イエスの名によって命じる!と。そして伊豆に(内心恐る恐る)向かい始めたが、なにしろ台風に近づくので雨は激しさを増すばかり。家族はみな意気消沈。私もめげ出したが、メンツもあるのでとにかく進んだ。・・・で、白浜。おお、なんと真夏だ。太陽がギラギラ!雲が白浜の上空だけ抜けている!かくして真夏の海を楽しんで、みな真っ赤に焼けて一泊して帰路に。伊豆を上るとなんと豪雨。そんななかでフェミレスに入ると客と店員の目が一斉にわたしたちに・・・。そう、豪雨の中で私たちは真っ赤に日焼けしているのだ!

まあ、ぐーぜん、グーゼン、偶然。たまたま台風の目だったんでしょう・・・。はい、かもしれませんが、大切な点は私たちは祈った、すると真夏の海で泳いだ、真っ赤に日焼けして、夏のいい思い出を作ることができたということ。もちろん神に感謝。偶然なる単語は実に便利。生命も偶然、人生も偶然の積み重ね。すべてはぐーぜん、グーゼン、偶然とやっていれば自己責任を問われませんからね。

かくして無事に山を下りて箱根のベネチアンガラス美術館にふらりと。雰囲気はなぜか河口湖のオルゴール美術館とそっくり。キラキラとガラスが輝き、仮装服を着た人々が大勢いるちょっと怪しげな雰囲気の中でガラス工芸品を鑑賞。庭にてマツコ・デラックス氏が絶賛したとかのスフォリアラッテなるケーキを味見。面白い触感と初めて知る味が印象的な食べ物。これはクセになるかも・・・(左の物体)。

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かくして春の箱根の温泉を堪能してまいりました。しかし、花粉症が消えたおかげで、この時期も楽しめるのはありがたいことだ。あ、なに、ぐーぜん、グーゼン、偶然ですよ!Glory be to God!

 

神の国に入れない者の筆頭は

しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である。-Rev 21:8

この聖句は実に厳粛。信じない者や人殺し、姦淫する者にまさっておくびょうな者がリストされている。おくびょう者は恐れの霊にやられている人。たとえば、メッセでも語ったが、癒しをすっと受ける人は自分を手放している人だ。福音のために自分を注ぎ出す人。対して次々に病に襲われる人は自分を大事にしている人。主のことよりも自分を優先する。セレブよりも病院通いを先にと。自分を大事大事にしている人はどうも逆に敵に弄ばれてしまう。見かけは信心深いようでも、実は主よりも自分を選んでいるのだ。これは究極の自己欺瞞。聖書はよく知っているし、あれこれの霊的書物もよく読んでいる。が、自分を手放せない。不思議なものだが、おくびょうな人は敵の格好のターゲットになってしまうようだ。

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょう(恐れ)の霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。-2Tim 1:7

恐れはサタンのパワーを誘発し、フェイスは神のパワーを、だ。自分を愛するほどに恐れの霊は力を得る。自分を救おうとするれば失い、自分を失えば得る。勝利への第一歩は自分を手放すこと、自己放擲(ほうてき)にある!

では、ちょっと温泉にてボディのメンテをしてまいります。

注:慎しみの霊は不正確。健全な思いの霊が正解。日本語で理解してはならない。

本日の証

小田原のある姉妹、2月中旬に心筋梗塞で倒れ、救急搬送された。血流が途絶えたため、医師からは脳に後遺症が残ると宣告を受けていた。2月下旬に私がメッセの奉仕を頼まれた際、みなさんで病院に見舞った。が、インフルエンザ予防のため面会ができなかった。そこで待合室でみなさんと祈った。というより、主の名により命じた。・・・で、先ほど電話をいただいた。いわく、この11日に退院し、後遺症を恐れていたが、その宣告を拒絶。今はまったく後遺症もなく、順調に回復しているとのこと!WOW!

癒しを受ける人と受け得ない人の差のひとつはここにあるのだ。メディカルな予後宣告を受け入れる人はそのとおりの経過をたどることが多い。が、主の名により、十字架の真理に立ち、それを拒絶する人は、またそのとおりの経過をたどる。カギは?そう、誰の言葉に同意し、誰の権威に服するのか。これが転機を分けるのだ!まさにあなたの信じたとおりに、だ。われわれが生きる領域はこの物理的五感の領域ではない。それをはるかに超える領域である。そのサブスタンスによって生きること。これが義人はフェイスによって生きることの実際である。Glory be to God!

 

マトリックスから解かれるほどに

どう表現したらよいのか。イエスが生きていた領域とイエスが見ていた光景、これが焦点を結びつつある。まったく異なる地平線が見えている。これ、まじヤバい・・・。イエスはどこからきて、どこにいたのか。あのナザレ、ガリラヤ、エルサレム?ノー。彼は天に包まれて、天の領域に生きていたのだ。確かに物理的身体を持たれ、この物理的時空間にもおられた。が、本質的には彼は霊的領域におられた。これはわれわれも同じ。イエスとジャスト・セイムにわれわれは世のものではない!そして父がイエスを遣わされたのとジャスト・セイムにわれわれもイエスによって遣わされた。

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」-John 20:21

イエスはこの世に遣わされたエイリアン。われわれもこの世に遣わされたエイリアン。で、何をする?イエスと同じわざをだ!WOW!

マインドのマトリックスから解かれるほどに、自分のアイデンティティー、ポジション、アビリティ、インヘリタンスが見える。この世はマトリックス。「神はいない」とか進化論などは究極のマトリックスである。

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、理解力の目を開いてくださるように。そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。-Eph 1:17-19

カギは知恵と啓示の霊を受けること。理解力(dianoia)の目が開かれること。するとわれわれ聖なる者たちが得る希望、栄光、神のパワーを悟るのだ。マインドがマトリックスに絡め取られている限り、理解力の目は開かれない。マインドは霊と魂の接点。マインドが透明であるほどに、神の光はクリアに差し込んでくる。メッセでも語ったが、マインドはカメラのレンズ、霊はフィルムだ。カギはレンズの前のシャッターが開くこと、レンズに曇りがないこと。われわれ新しい創造新しい生命体とされた者たち、もっと言えばスーパーヒューマンが得たものがどれほどのものであるか!WOW! ヤバい、ヤバい、ヤバい・・・。としか言えない・・・cool

ご紹介:エレミヤさんのメッセ

私の30年来の信仰の友、エレミヤさんがついに顔出しされましたsmile 終末のキリスト教に対するするどい警告を一貫して出し続けてくれております。子供たち小さい頃はよくキャンプなどを一緒にさせてもらいました。早いものです。当時からするとこの業界も様変わり。確かに彼の警告のとおりに進んでいることは否定できません。

-エレミヤの部屋

 

ワーシップがブレインに及ぼす影響

何度か紹介しているこの方、ブレインの専門家。内容は実にウォッチマン・ニーの"The Spiritual Man(霊の人)"に忠実だ。聖書の啓示はサイエンスの先を行っているのだ。

-霊の機能と魂・体の相互作用について

 

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