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ブログ・スクリプトをWord Pressにチェンジしました。明日(2017年3月10日)以降、このページは更新しません。新しいブログに移行します。

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Tag: サブスタンス

からし種一粒のフェイスとは?

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するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの同様の信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。」-Matt 17:20

この削除線を引いた部分は邦語訳の問題点。「足りないから」ではなく「ないから」、「ほどの信仰」ではなく「と同様の信仰」。この部分はしばしば信仰のサイズの問題として取り上げられる。アブソリュートリー・ノー!サイズを気にする人々はよく、自分の信仰は小さいから、でもからし種一粒でもあれば祈りを聞いてもらえる、と思い込んで、しばしばかなえられない経験に落ちて失望するのだ。なぜ?サイズの問題ではないから。DNAの有無の問題なのだ。からし種はサイズは小さいが、からしの木の全DNAを含んでいる。その小さな種の中にからしの木の全運命が含まれているのだ!これが種。砂粒ほどのフェイスでは無効なのだ。

われわれも同じ。私たちは神の種から生まれた。

あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言(ロゴス)によったのである。-1Pet 1:23

種とはロゴス。ロゴスは神の第二格位なる存在。つまり私たちは神のロゴスから生まれた。ゆえに私たちは神のDNAを有しているのだ!人から生まれた者がチンパンジーのDNAを持つことはあり得ない。私のうちには神が成長している!要するに神の国の全運命を含む神のDNAをインプラントされているのだ。Are you with me? これはただフェイスによった(Eph 2:8)。フェイスはDNAをインプラントするのだ。

結論を言おう。フェイスはサイズの問題ではない。質の問題、つまり神の国のDNAを有しているか否か、である。イエスは神フェイスを持てと言われる(Mark 11:22)。「神を信じなさい」ではない!「神のフェイス(Faith of God)」だ。それは神の国のDNAを有するフェイス。そのフェイスには時系列(クロノス)の中で成就するあらゆる事象を含んでいる。そのDNAを持つことは神の国のすべてを有することを意味するのだ。まことにパウロが言うとおり:

ですから、だれも人間を誇ってはなりません。すべては、あなたがたのものです。パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。-1Cor 3:21-23

WOW! からし種と同様のフェイスとはDNAを有するフェイス。サイズの問題ではない。神から得た霊のDNAを発現させよ。それはサブスタンスの出現、すなわちフェイスの覚醒(Heb 11:1)。フェイスは霊のDNAを活性化するのだ!かくして神は私たちのうちで育ち、私たちの肉、すなわち人間性を通して現れる。これが敬虔(邦語訳はあまりよくない。英語では"Godliness")の奥義である(1Tim 3:16)。イエスはそれを初穂としてデモンストレーションされた。まことにわれわれは神属人類なのだ!

リアリティーはブレインが作り出す-視覚の例

聖書の先にあるものを見よ!

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聖書は神の言葉である。いやしくも福音派レベルの人であれば、当たり前だよ、そんなことは知っている、と答える。信仰箇条にも、私たちは聖書66巻が原典において神の真正な言葉であると信じます、と看板を掲げている。ところがここに罠がある。ブルース・リーが弟子に月を指さすと、弟子は指を見つめてしまい、リーが彼の頭をポンと叩くシーンがある。そう、われわれは聖書そのものに注目して、それを最初から終わりまで勉強して事足れりとする罠に落ちるのだ。日本語訳はあまりよろしくないと言うと、ギリシャ語やべブル語で読むこと自体が目標となる罠に落ちる者もいる。

が、聖書は普通の本ではない。白黒の文字としては単なる本であるが、それは霊的リアリティーを指し示す。目の前のリンゴについて、「これはリンゴである」と言っても、"This is a apple."と言っても同じこと。いや、文法が間違ってるではないか、母音前では"an"が正しいのだ!と言われる向きもあるだろう。偏差値教育で洗脳されたニッポン人の得意とするところである。海外ではそんなことはドッチでもよい。ちゃんと通じる。本質は目の前のリンゴを見るかどうか、だ。メッセでも語った日基の牧師はこの白黒の世界の住人なのだ。

聖書が示すのも目の前のリンゴと同じように現存する世界、領域、スフィアである。車の教習所で運転の手順を学ぶことは必要だろう。が、教習所どおりの運転をされたら実際の道路ではかえって危険だ。臨機応変、瞬間瞬間、状況を認知し、決定し、行動する必要がある。霊的領域でも同じこと。車に乗ったら誰も教則本を手に取りはしない。霊的領域でも同じだ。「聖書を学ぶ」罠に落ちると、目の前に霊的事件が起きているのに、それに気がつかないまま、勉強を続けるといった倒錯が起こる。車の運転では絶えず現在の状況にいる必要がある。フェイスも同じ。フェイスはつねにNOWなのだ。

この霊的認知ができれば、霊的動機が生まれる。それによってエリヤもエリシャも、そしてジーザスも、絶えずNOWにおいてわざをなした。もちろんフェイスによって、だ。義人はフェイスによって生きる。私たちも同じ。

はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。-John 14:12-14

NOWに生きること、それはフェイスの世界。フェイスに覚醒せよ、そしてフェイスを使え!

マトリックスからの解放-マインドのアンロック

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アダムの罪の結果、人類に罪と死が入った(Rom 5:12)。これがアダム系旧創造の人類の実存的状況。イエスは最後のアダムとしてご自分の死によってその系列を終わらせた。つまり彼はターミネーターであった。同時に復活によって第二の人としてキリスト系の新しい人類を生み出した。つまり彼はクリエイターであった。このとき、信じる者、すなわちキリストの死と復活に包括される者は義とされ、かついのちを得た。彼らはイエスがそうであったように復活である。新しい創造、ニュー・クリーチャー。アダムが何らの自己努力あるいは自己行為によらず罪と死を得たように、われわれ信じる者は何らの自己努力あるいは自己行為によらず義といのちを得た。これが救いである!

われわれは単数形の罪(Sin)から解かれており(Rom 6:7)、その結果である病気からも解かれている。われわれはイエスの傷により癒されたのである。が、必ず質問や異議を唱える者が出る。病気が癒されずに死ぬ人もいるではないか!彼らには信仰がないとでも言うのかぁ!・・・と。そう、彼らには信仰はあるかもだが、フェイスはない。なぜ?フェイスは願うことのサブスタンスだから(Heb 11:1)。つまり癒しを願うのであれば、フェイスは癒しそのものなのだ。これをトンデモ勘違いしているに過ぎない。自分の大いなる勘違いを自分で告発しているわけ。つまりサルが鏡を見て憤っているのと同じだ。しかもその滑稽さに気がついていないのが致命的だ。

人はみなそれぞれのマインドが作り出したマトリックスの中に生きている。自分が真実とか事実と思っていることは自分のマインドの実であり、FAKEである。神の言葉のみがリアリティーなのだ!聖書を古文書とかサイエンスがまだ十分に発達していなかった時代の迷信とか思っている者はすでに騙されている。神がいないとか、人はサルから進化したとか、これなどは究極のマトリックスであるが、実はクリスチャンも大差ない。自分の悩み・葛藤・病気・貧困・性格・家族・友人・職場・・・それぞれのマトリックスに絡め取られて生きている。だから、クリスチャンになってもさほど生きる喜びを堪能できない。むしろ、敵がクリスチャンを狙っているために、かえってトラブルが多くなり、その中でもがく者たちが多いのが実情。加えてニッポンキリスト教という究極のマトリックスにはまってクルシチャンと化す。

私は30年近く花粉症というマトリックスにはめられていた。昨年、突如そのマトリックスから脱出したが、今年はどうかなと、正直内心でびくびくしていたことを告白しなくてはならない。結果はどうか。結局、クスリはまったく飲まず。そう、出なかった!確かに花粉があることは鼻がムズムズするので分かる。それは異物の侵入によるナチュラルな生体反応。が、それ以上に進まない。もしそれを症状として受け入れるならば、多分あのマトリックスに戻ることであろう。が、私はフェイスの領域に生きている。自分が30年近く花粉症というカプセル空間に生きていたことがよくわかる。それはフェイクであり、マトリックスだったのだ!これは花粉症というひとつの例にすぎない。私たちの在り方のあらゆる領域において、私たちはマトリックスに騙されている可能性があるのだ。それを抜けるためには?そう、マインドのアンロック。霊によるフェイスの覚醒。フェイスを得たら語れ!何度も繰り返している通りだ。

神がキリストにあってわれわれのために成し遂げてくださったことの広大さに、最近は圧倒されている。おお、何ゆえに神はこれほどまでに・・・・と。まことにパウロの祈りを実感として受け止めることができるのだ。

どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与え、神を深く知ることができるようにし、理解力の目を開いてくださるように。
そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか悟らせてくださるように。
また、わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように。-Eph 1:17-19

まずはクリスチャンにとっては一番狡猾なマトリックスであるニッポンキリスト教からの解放が先決である。が、不思議なもので、今回の千葉大生による誘拐の被害者の女子中学生が、逃げることができる機会が何度もありながら、あえてそこにとどまったのと同じことをしてる人がけっこう多いのだ。彼らは言うであろう、私のこの状況はリアルであり、私の病気もリアルである!と。かえって私がそれはフェイクだというと彼らは怒り出すのである。まことに不可解極まるのだが・・・。なぜ、女子中学生は逃げなかったのだ?それぞれで考えてくださいな!

恐れこそを恐れよ

これ、確か、アメリカの大統領の発言だったと思う。恐れとフェイスは互いに背反だとメッセでも語っている。完全な愛は恐れを取り除く。恐れる者には愛がまっとうされていない。この聖句、真に受ける必要がある。恐れる者には次々に問題や病が降りかかる。これ本当に不思議な事であり、厳粛な事。

昨日の大腸ガンの兄弟にとっては死の可能性はあるも、彼にとっては死のトゲはすでに抜かれてしまっている。フェイスが働いていることが彼との応答の中でわかる。彼には恐れがない。ニューエイジでは「引き寄せの法則」というが、恐れは確かにその対象を招き寄せるのである。ヨブが証言したとおりだ、自分の恐れていたことが降りかかった、と。それはフェイスの穴、アリの一穴ダムをも崩す。

主イエスの教えの中でもっとも繰り返されたこと、それは「恐れるな!」。はあ、人間は弱いものだから、恐れるのは当たり前でしょう・・・。はい、どうぞ、それにアーメンしてください。恐れはあなたを正当に支配するでしょう。あなたがその権限を恐れの霊に与えてしまったのだ。何度も言っているが、自分が同意した対象は自分の上に権威を行使する正当な権限を許すことになる。

フェイスによらない愛は罪だ。それはヒューマニズム。愛のないフェイスはむなしい(罪といっているのではない!)。すべてフェイスによらないことは罪なのだ。ゆえに愛によって働くフェイスが大切だとパウロは言う(Gal 5:6)。つまり愛が働きかつフェイスが働く、ならば恐れはまったくあるべきではない!恐れる人は自分を大事大事している人。彼らは自分を投げ出すことができない。ペテロのように舟から荒波に一歩を踏み出すことができない。自分の小さなコンフォートゾーンに閉じこもるのだ。恐れの霊はそのような人を格好のターゲットにする。霊的書物もよく読み、ポジティブコンフェッションとかもよく実行している。が、彼らの根底には恐れがある。ヨブと同じだ。

この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。-Job 1:5

恐れから出たものはどんなに信仰深く見えてもフェイクである。それには実効力がない。私たちの得た霊は恐れの霊ではなく、愛と力と健全な思いの霊である。健全な思いとは恐れから解放された思い。私たちのすべての言動は愛にある安息と平安から生み出されるべきものなのだ。

天のカギ(複数形)の使い方-マトリックスからの解放

実に面白い、このテーマは世界的シンクロニシティのようだ。五感による世界、すなわちマトリックスからの解放だ。どんなに美しい絵・音楽も、おいしい料理も、すばらしい香りも、気持ちの良い肌感覚も、すべては大脳が作り出したクオリアに過ぎない。そのクオリアはあくまでも一時のもの。神経系の一時的興奮に過ぎない。ゆえに永遠の審判には耐ええない。永遠の世界のサブスタンス、これのみがその審判をパスする。

われわれは知らずにマトリックスに生きている。が、自分の何かを主張し、それに自分のアイデンティティーとプライドの根拠を置くとき、マトリックスに絡め取られる。その五感の領域の中で感じ、考え、主張し、活動するだけ。それは時空間における消耗戦だ。が、フェイスは永遠のNOWにあるサブスタンスを<今、ここに>現出させる。天のリアリティーが地になるのだ。

私は花粉症で30年近く苦しんだ。ところが昨年、あの経験の後、それが消えた。クスリがまったく不要になってしまった。自分でも呆気に取られている。最近、花粉症と無縁だったカミさんが鼻をぐずぐず言わせている。彼女、あたし、ついに・・・のところで、私がストップをかけた。言葉に出すな、それを語るな。それに同意するな、と。それはフェイク。マトリックスだ。今はよくわかる。自分が花粉症というマトリックスに欺かれていた、と。彼女のために十字架の癒しのサブスタンスを祈った。

カギは何か。信じる者には天のカギ(複数形)が与えられている。それを用いるのだ。天のポータルも開かれている。天にあるいくつもの倉庫にあるサブスタンスを引き出すために。そのカギの使い方に習熟すること。合わないカギを使っても倉庫は開かない。適切なカギをどう使うか。ここにフェイスを使うコツが隠されている。

あなたがたが地で解くものはすでに天で解かれおり、地でつなぐものはすでに天でもつながれている。(時制に注意!)-ジーザス

フェイスの覚醒-まことに混乱の時代を悠々と生きる秘訣はここにあるのだ。

願いとフェイスの違い

よく言われるセリフがある。主に祈ったのに与えられないとか、癒されないとか・・・。これ、一部の人々を憤慨させるかもしれないが、はっきりとする必要がある。多くの場合、その「祈り」は願いのリクエストに過ぎないのだ。ある人の言葉にこうある:神は私たちの必要に応えるお方ではない、フェイスに応えるお方であると。リクエストとフェイス、このふたつは似ているようであるが、まったく質を異にするのだ。この意味で、私は祈りの答えを得る人と得られない人が、彼らの言葉によって分かる。

繰り返すが、フェイスとは願うことのサブスタンスであり、目に見えないことの立証である(Heb 11:1)。そしてフェイスがなければ神に喜ばれることはできない(Heb 11:6)。この意味で信じて仰ぐ、すなわち信仰とは異なるのだ!もっと言えば「信じる」という訳語も適切ではない。ギリシャ語のピスティオーは伝統的に"believe in"とか「信じる」と訳されてきた。これでトラップに落ちる。フェイスはシックスセンス。それは霊的サブスタンスにタッチし、それをこの物理的時空間に現出させるパワー。視力は電磁波を実体化し、聴力は空気の粗密波を実体化する。そしてフェイスは霊的サブスタンスを実体化する。ゆえにある人々はヘブル11:1をこう訳する:

さて、信とは、望まれている事柄の実体化であり、未だ見ていない事柄を確認することである。-新和訳(幻冬舎ルネッサンス)

罪の赦しも、病の癒しも、必要の満たしも、すべてはすでにイエスの十字架により成し遂げられている。主は「完成した」と言われたのだ(John 19:30)。それは霊的サブスタンス。すべてはすでに備えられている!それを私の経験とするのがフェイスであり、それは霊の機能である。霊の事柄は霊によって知るのだ(1Cor 2:13-14)。霊が開かれない限り、聖書の言葉をオツムでいじくっても何らも生み出さない。それは現代文読解講座のようなものだ。御言葉を白黒の文字としてとらえても知識を増やすだけ。この業界、かなり耳年増が多いのだ。御言葉の啓示するサブスタンスをゲットすること!フェイスとはそれなのだ。ブルース・リーの名言、考えるな、感じよ!ただしこれは霊によるシックスセンスではあるが・・・。ホープからフェイスへ、それはラヴから生まれるのだ(Gal 5:6)。

-信仰と希望について

 義人はカネによって生きる;義人は常識によって生きる;義人は学位によって生きる;義人は資格によって生きる;義人は人間関係によって生きる;義人は・・・・。自分が何によって生きているのか。これ、私たちに対する神のかなり厳しい問いかけ。フェイスは永遠のNOWにある十字架を実体化するのだ!

本日の証二話

ひとりは前に書いたが、胆のうに4.5mmの腫瘍が見つかった息子さんのその後。彼はけっこう見てから信じるタイプとのことで、念を入れて別の病院でも検査したそうだ。母親であるA姉妹はその腫瘍に向かって消え去るように命じていたのだが、その病院でもネガティブ。つまり所見なし。当初検診で見られた腫瘍の影はきれいに消失していた。

もうひとりは90歳を超えた高齢の母親を見ているB姉妹。お母さんは胆のうと胆管に5mm程度の石が数個発見されていた。胆汁の排出のために管を入れていたのだが、B姉妹は医師に管を外してほしいと要望していたが、医師はそれを拒否していた。ところがある日、なんとその管が自然と取れてしまった。その上、検査したところ、石の影がきれいに消えていたと。痛みとか浮腫なども消失。6種類の薬を処方されていたが、それが一切不要になったとのこと。

WOW!!!! Praise the Lord!!!

 

 

永遠のNOWに生きる

物理学を信奉するわれわれのような人々にとっては、過去・現在・未来の区別などは頑ななまでに執拗な幻想に過ぎない。-アルバート・アインシュタイン

神はI AM、永遠のNOW。そしてその領域に私たちも生きている。それを可能にするのはスーパーナチュラルなフェイスのみだ。世の霊によって啓発された思想や、聖書の解説や、神学や哲学に生きることなかれ。自分の経験やキリスト教の作り上げたマトリックスに欺かれることなかれ。霊のリアリティーに触れ、その中に生きること。それは時空間を超えた経験なのだ。

われわれはエイリアンである

わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。-John 17:14

今回のメッセで指摘した。われわれはエイリアンである、と。われわれはエクレシア、それはニュー・クリーチャー、新生命体。宗教団体などではない!生きている有機体、新しい被造物だ。そしてイエスが世のものではないのと同じ程度においてわれわれも世のものではない。イエスは神のサブスタンスの肉体としての現出(Heb 1:3)。もともと彼は神のロゴス、言葉、それが肉体化された存在(John 1:1;1:14)。つまりこの世のものではない!われわれも彼とまったく同じ、すなわちエイリアンだ。Are you with me? われわれはキリスト教なる宗教を信じているわけではない。われわれはまったくブランド・ニューな生命体なのだ。

内的レボリューション-境界線からの解放

2016年、動乱の年との幻を得たことは昨年書いた。まことに火山、マーケット、地政学的状況、あらゆる領域において揺るがされている。

まことに、万軍の主はこう言われる。わたしは、間もなくもう一度天と地を、海と陸地を揺り動かす。-Hag 2:6

各人は自分の内的パラダイム、あるいは世界観に従って生きている。が、それは五感の情報に基づいて、自分のマインドが作り出したものにすぎない。各人が持っている"リアリティー"なるものは、ブレインが生み出したもの。つまり幻想、フェイクなのだ。思想や哲学はもとより、サイエンスにしても、それは自然の像にすぎない。絵かきは絵画なる媒体によって自然を記述するが、サイエンスでは数式によって表現する。表現メディアの相違にすぎない。ヴィットゲンシュタインは、言語は世界の像だといったが、そのとおり。数学も言語なのだ。

かくして善悪を知る知識の木の実を食べて以来、これまで人類が自らの五感とマインドを駆使して構築してきた世界のパラダイム、映像が、今日次々に崩壊しているのだ。多くの人びとが揺るがされるであろう。何を当てにして生きて良いのか混乱するだろう。自分の依って立つ存在がメルトダウンする時代。いかにこの時代をサバイバルするのか?明確に言うが、スーパーナチュラルな生き方がマストの時代なのだ。五感やマインドによる生き方はもはや無理なのだ。スーパーナチュラルな生き方ってなに?・・・もちろんフェイスだ。あえて言うが、日本語の信仰ではない。日本語の世界観、パラダイムがフェイスを阻害する。日本語で考えるな、理解するな、わかったツモリになるな。

フェイス、つまりピスティスに覚醒せよ、そしてそれを使え!使徒信条を告白していれば大丈夫的な人々は振い落とされるだろう。数年前から言っているとおり、ふるい分けの時代なのだ。フェイスってなに?

フェイス(定冠詞なし)とは望むことのサブスタンス、見えない事柄の立証である。-Heb 11:1

聖書はちゃんと定義してくれている!勝手な"信仰"の道を歩む者は失望するだろう。言っておくが、それはフェイスではないから!フェイスによる世界観、パラダイムを再構築される必要があるのだ。それは内的なレボリューション。すべての事柄は心から生まれる。

Keep thy heart with all diligence; for out of it are the issues of life. -Prov 4:23

この"issue"と訳されたヘブル語の意味は出口とか境界線の意味。私たちが世界観を構築する作業は境界線を設けることによる。もっとも基本となるのは自己と他者の境界線。内的パラダイムもこの境界線に基づいているのだが、これを引き直す必要があるのだ。否、フェイスにおいては境界線などはない!フェイスはすべてを一瞬で、つまり時空を超えて把握する。霊的領域のサブスタンスを瞬時に見るのだ。あなたが自分で境界線を引けば、あなたの経験をその領域に閉じ込めるだけ。それ以上には飛躍できない。フェイスは境界線を引く必要などはない!なぜ?それは神の領域の現象だから!繰り返すが、

フェイスに覚醒せよ、そしてそれを使え!

注:人はなぜ境界線を設けるのか。それは自己防衛のため。自分が期待し得る領域にあらかじめ線引きして(保守的な予算を立てるようなもの)、失望を感じたくないから、あるいは傷を受けないためだ。要するに恐れの霊、臆病の霊のなせるわざなのだ。フェイスに境界線はない!けだし、信じる者にはすべてが可能である!

「フェイスで生きる」は理想論?-脱キリスト教のすすめ

今朝のジョッギング中、池の水鳥が一斉に飛び立った。えっと思うまもなく、ズドンと地震が。横浜で震度4。直下型だ。彼らは感知するのだ。彼らにはそのような能力、パワーがある。知性はないだろうが、本能が機能しているのだ。動物はその本能によって生きている。それが人間の能力をはるかに超えることは衆知のことであろう。精神分析の岸田秀氏は、人間は本能が壊れたため、知性によって幻想の中に生きるはめになったと言っているが、まことにそれはそのとおり。現実から遊離している。たとえば動物の生殖行動はあくまでも子孫維持のためだが、人間は必ずしもそうではない。だから人間の性行動は多かれ少なかれ倒錯しているのだ。

では、クリスチャンは何によって生きるわけ?義人はフェイスで生きる、聖書に明確に書いてある。しかし、しかし、キリスト教徒の多くは、実はこう思っている。それは理想論。現実はそんなに甘くない。見てみよ、世は混乱、キリスト教界もスキャンダルだらけ、信じたってガンで死ぬ人もいっぱいいるではないか。所詮、カネがなかったら生きられない。フェイスで腹が満たされるのか。いい加減、現実を直視してみろよ。Dr.Lukeは最近、おかしくないか?

実は、こういった声があることは私の霊が感知している。彼らは自分で勝手に作り上げた「フェイスで生きる」の幻想を追っかけているに過ぎない。この業界を覆っている霊はこのようなものである。しかし、そういうあなたは何によって生きているのだろうか?才能?カネ?会社?地位?学歴?人間関係?社会保障?・・・人はそれぞれに何かによって生きているのだ。それが当たり前になりすぎて、自分では意識できないほどに。あなたは無意識的に何かによって生きているのだ!が、ときにそれが崩される瞬間が来る。その時、人は動揺し、混乱し、恐れと不安に見舞われる。もし、キリストにのみよるのであれば、それはけっして揺るがされない。

それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。-Matt 7:24-25

この岩とは、いわずもがな、キリストである(1Cor 10:4)。かつて『真理はあなたを自由にする』において、「フェイスはI AMの実体化だ」と書いた。まことにそのとおり。イエスはご自分を「エゴ・エイミー」、すなわち「わたしはある」と言われた。そう、I AMだと言われたのだ。御子は神のサブスタンスの現出(Heb 1:3)。その方をsubstanciation、実体化すること。これがフェイス。霊的法則(フェイスの法則)は物理的法則を超える。重力の法則に飛行の法則が打ち勝つように、フェイスの法則は物理的法則を支配する。ないものがあるようになる。神はないものをあると呼ばれるお方。その神のフェイスをわれわれにも持てと言われるのだ(Mark 11:22)。神はフェイスを語り出して創造のみわざをされた。原則は同じ。われわれもフェイスを語り出すのだ。

神のバイブレーションは全地に満ちている(Ps 19:4)。そのバイブレーションと私たちの霊を共鳴させること。これがフェイス。そのバイブレーションが私たちのマインドに言語化あるいは映像化されるとき、それを語り出す。するとそれが現出するのだ。おいおい、Dr.Lukeはニューエイジかグノーシスにはまっているのではないか?と言われるむきがあることももちろん承知。が、イエスはそのようにしてみわざをしたであろう。Are you with me? キリスト教徒はオツムだけの、肉汁の抜けた筋張ったステーキを食わされている。ニューエイジの方がよほど霊的法則を知っている。繰り返すが、ヘブル11章1節のフェイスには定冠詞がない!彼らはそのシックスセンスであるフェイスを、間違った方向ではあるが、使っているのだ。ゆえに、ナントカ神学とかカントカ主義などよりも、元ニューエイジや悪魔礼拝をしていた人々の証は霊的世界に関して実に学びとなるのだ。

キリスト教なる宗教から解放されよ!

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