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ブログ・スクリプトをWord Pressにチェンジしました。明日(2017年3月10日)以降、このページは更新しません。新しいブログに移行します。

-DR.LUKE'S iDLE UTTERANCE(http://www.dr-luke.com/wp/)

なお、フレームは以前と同じです。

-http://blog.dr-luke.com

また過去ログはこちらで一覧可能です。

-Dr.Luke's Spiritual Insight(本ブログ)

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-過去ブログ1

 

Entry

Tag: サブスタンス

成層圏飛行

クリスチャンで五感に束縛されている人はきわめてアップダウンが激しい。ちょうど航空機が対流圏飛行をするようなもの。外界の気流の影響をモロ受けるのだ。しかしクリスチャンはそこにいない。私たちは世のものではなく、キリストとともに天の座についている。はあ、オレ、ここにいるんだけど・・・という人はフェイスを知らない人。クリスチャンは大気の流れの影響を受けない成層圏を飛行する航空機と同じ。雲の上を突き抜けるならば、そこはつねに快晴。乱流もなく、静かな空間が広がる世界。

2016年、さっそく株価がタービュランス(乱気流)状態。雲の下は動乱の年となる。われわれは雲の上、成層圏を飛ぶのだ。雲の上と下、どちらに生きるのか。その差が明確に現れる年である。

ある方の眼病の癒しの証

この方は瞼の裏に多数の脂肪のツブツブができる疾患で痛みに苦しみ、医師にも匙を投げられていた。昨年は特にひどかったのだが、8月頃、私のメッセージの「癒しはすでになされている」を思い出し、癒しを告白したところ、それ以降今日に至るまで脂肪の粒がでなくなっている、と。加えて乾燥眼もあったのが、今では潤っており、「痛みのない眼、ゴロゴロしない眼、潤いのある眼。嬉しいです。なんと素晴らしい!ハレルヤ!言葉につくせない感謝を神に捧げます・・・・」と。

繰り返すが、信仰があればいつか神が癒して下さるだろう・・・はフェイスではない。それはつねに裏切られる。フェイスは願うことのサブスタンス(Heb 11:1)。つまりフェイスが癒やしの実体そのものなのだ。信じたのに神は癒してくれない・・・は敵の欺きに引っかかっている兆候。私たちはイエスの打たれた傷により癒された(完了形)。これがフェイス。霊のサブスタンスそのもの。それがこの五感の世界に現出するのだ。欺かれない者は幸いである。

Glory be to God!

 

NOW, FAITH IS...

今や、信とは願うことの実質(実体)であり、見えない現実の証拠(立証)である(私訳)。-Heb 11:1

Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of realities not seen.(TLV)

Vincentは「こと」についてこう説いている:

Of things (πραγμάτων)
Πρᾶγμα is, strictly, a thing done; an accomplished fact. It introduces a wider conception than ἐλπιζομένων things hoped for; embracing not only future realities, but all that does not fall under the cognizance of the senses, whether past, present, or future.

それは「待ち望む」といった時間の要素を含む「こと」ではない。それはすでに成し遂げられている「こと」。「信仰があれば癒される」と期待する人は必ず裏切られる。そして「癒されないのは信仰がないと言うのか」と告発する。それはフェイスではない!大きな勘違い、しかも致命的。かくしてポセイドン・アドベンチャーの牧師モードに陥る。フェイスは時間を超える。そもそもこの五感の世界のものではない!それはシックスセンス。もっと言えば超能力だ。Are You with me? これを誤解すると、ニンジンぶら下げられて走らされるキリスト教に陥る。

このビデオは必見。フェイスのアキュミレーションについて説いている。

-Renny McLean | The Mystery of the Supernatural

神の霊のバイブレーションに浸る

30年近く走っているこの森。今朝、ふと新しい小径を発見した。いつも見ていた。が、見ていなかったのだ。これが大脳の不思議。リアリティーはまことにブレインが作り出すもの。シーザーは、人は見たいことを見て、聞きたいことを聞くと指摘したが(認知の選択的透過性)、聖書も同じ。われわれは理解している、知っていると思い込んでいるが、実はまったく理解してもいないし、知ってもいない。 鍵は見ること。見たらやばいのだ、この本は。五感で読むな。この物理的世界に引きずり下ろすな。決して魂によっては理解できない。たとえば、私たちのいのちはキリストとともに神のうちに隠されている。これ、どういうこと?マジでわかれば、やばい。霊のことは霊によって解く。

今朝、またマインドのロックが外れた。すると神の声が実に明瞭に聞こえるのだ。それは波動。バイブレーション。

天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。 昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。 話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。-Ps 19:2-5

この「響き」の原語は”qav"、その意味は弦。つまりバイブレーション。この神のバイブレーションに私たちの霊が共鳴するとき、昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送るのだ。この「知識」はいわゆるオツムの知識ではない。神の創造は互いにバイブレーションを放ち、互いに共鳴しつつ、そこにことばと知識の交換が行われている。私たちの霊もその共鳴に参加することができるのだ。しかしこの世の喧騒に巻き込まれたり、目の前の事象にのめり込むとその共鳴は消える。

霊が研ぎ澄まされて、その微妙にして玄妙な霊の波動、バイブレーションを受けるならば、それはレーマとして私たちの霊に焼き付けられ、マインドがそれを解釈し、語り出す。するとそれはいずれ実体化される。ちょうどマインドはカメラのシャッターのようなもの、霊はレンズ、そして私たちの心はフィルムだ。先に病気の症状や問題の解決策を求めるのは罠。これでもがくクルシチャンたちが実に多い。が、マインドのシャッターが開けるとき、光が差し込み、レベレーションを受けるならばすべての病気や問題は解かれる。それがフェイス。サブスタンスだ。

フェイスがあればすべてのことは可能。なぜ、フェイスはサブスタンスそのものだから。そのサブスタンスをもたらす神のレーマに不可能はない。神のレーマにわれわれの霊がどれだけ共鳴することができるか、ここにすべての秘訣がある。

 

フェイスの覚醒-飲むのは赤いカプセルと青いカプセルのどっち?

著書でも指摘したが、映画マトリックスには、聖書の多大なる影響がある。名称もトリニティとか、ザイオン(シオン)とか、メシアとか・・・。たとえばこういった発言がある。われわれがリアリティーと思い込んでいる世界は単に五感を通して伝達された電気信号と神経回路が生み出したモノに過ぎない。青いカプセルは平々凡々の世界に生きる道、対して真のリアリティーは赤いカプセルを飲む時に経験する世界であると。そしてその世界での操作が五感の世界に現れ、あるいは逆に電話でのリクエストにより五感の世界のリアリティーを変える。なにかを実現しようとするな、それはならない。すでになっていると知れ。すると現れる。

なんでも願い求めたものは、祈るときすでに得ていると信じなさい。するとそのとおりになる。-Mark 11:22

神はいつか癒して下さるだろう、はフェイスではない。単なる願いであり、希望に過ぎない。はっきり言っておくが、それでは決して癒されることはない。

かくしてわれわれも同じ。イエスという門、ポータルを通して、私たちはこの五感の世界と霊の領域を出たり入ったりする。

わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。-John 10:9

きわめてダイナミック。出たり入ったりする。どことどこを?ニューエイジではよくチャネルと言うが、霊的世界とアクセスするチャネルはいろいろある。ニューエイジャーは確かにそのチャネルのどれかを通して出たり入ったりし、スピリチャアルワールドとコンタクトしているのだ。が、イエスは言われる:

よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。-John 10:1

われわれが五感で感知する世界はリアリティーのごく一部に過ぎない。繰り返すが、ニュートリノはわれわれのボディを1秒間に1兆個貫通しているのだ!感じる人、いますか?いわゆる思想・哲学、科学、音楽、芸術・・・といった人間が生み出した文化は所詮五感の世界の存在に過ぎない。確かにそれらは美とか、秩序とか、神秘とか、何らかの神の属性を表現するものではあるだろう。が、それは所詮、影だ。神の領域のサブスタンスがこの五感の領域に投影されたものだ。クリスチャンはそのようなものを楽しむことはまかりならん(これは宗教)、ではないが、その追求のみで終わるべきではない。私たちが生きる領域は影の領域ではない。サブスタンス、すなわち実体そのものの領域である。

この五感の世界は今後ますます混迷を深め、それらの影は所詮影であることが明らかにされる。五感を超えた世界、すなわちスーパーナチュラルな世界に、フェイスというこれまた五感を超えたシックスセンスによってタッチすること。そしてそのサブスタンスをこの五感の世界にヨハネが証するとおり、タンジブルに、すなわち目で見て触ることが出来る形で現出させること。今回、メッセではかなり大胆に語った。いわゆるキリスト教という宗教の領域に生きる人々にはある種の挑発となるであろう。が、フェイスに覚醒するとき、それこそがリアリティーであると分かるのだ。

さあ、あなたは赤いカプセル青いカプセルのどちらを飲むのだろうか?

 

 

マイ・マインド・アンロックト

またひとつマインドのロックが外れた。この御言葉の意味するところ、どうも大いに勘違いしてきたようだ。

そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。-Mark 11:24

Therefore I say unto you, What things soever ye desire, when ye pray, believe that ye receive them, and ye shall have them. -KJV

More lit., received. Rev., have received.(Vincent)

このVIncentの注を加味して私訳すると、

そこで、あなたがたに言う、何であれ願うものは、祈るとき、すでに得ていると信じよ、するとそれを所有することになるであろう。

「何であれ」はpas、「すべて」である。そして「得ている」は完了形。ここでもサブスタンスとその立証だ(Heb 11:1)。これ、まともに受けるとやばい・・・。詳細は明日のメッセで語りたいと思う。

 

マインドの捕囚からの解放-絶えざる切断

数日前にノドの痛みを覚え、声が出なくなり、咳がでるようになった。その前日にちょっと体を冷やしたことが原因とわかった。すると、これは3,4日は痛みが続いて、まあ、抗炎症剤を飲んでいれば一週間程度で治るだろう・・・と無意識に症状を受け入れて、これまでの経験的知識によって思考している自分に気がついた。自分のマインドが自然とそちらの思考パターンにはまり、この五感の世界に捕られていることに、ハッと気がつき、ただちに主の血を宣言して悔い改め、その思いを拒絶した。加えて、真理を宣言した、私はすでにイエスの打たれた傷により癒された、と。これはシックスセンスの世界だ。その世界のサブスタンスをフェイスにより五感の世界に現出させること。・・・で、現在はどうか。症状は消えている。これまでの経過予測を外れているのだ。ハレルヤ!

マインドをこの五感の世界に捕囚されている人はそのことに気がついていない。気がついていないので悔い改めができない。ゆえに主の血の効力を受け損ない、五感においても癒されることがない。気が付いていないことが致命傷なのだ。しばしば、十字架で古い私は死んだ、私はイエスの傷により癒された、とメッセージで語ると、自我を十字架につけてぇ~的な罠にハマっている人は、自分で死のうとする。あるいは癒されようとする。そして質問するのだ、死のうとすればするほど自分が生きていることを意識してしまうのです~。とか、癒された実感を感じようとしてもどうしても感じられないのです~。どうしたらよいのでしょうか・・・・。嗚呼、・・・・(あえて言わない)。方法ではない、感覚ではない、現象ではない、五感の世界ではない、と何度言えば悟るのか。

この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の心で悟り、立ち返って、いやされることのないために。-Isa 6:10

この「肥え鈍らせ」はワックスするという意味。心にワックスがこってり塗られて、栄養分が染み込まないのだ。さらに大切なのは、自分の目、自分の耳、自分の心で悟ること。人のメッセージで分かったつもりなってもそれは何らの効力もない。神の語り出された言葉(レーま)を自分で受信すること。遠藤周作の罠に落ちてはならない。神は語る神である。沈黙の神ではない!神はフッと語る。こちらの霊がチューニングされているならば、神のレーマを受信できる。ところがここで聞こうとする。語る時は主の主権で決まることを忘れて(注)、主に語らせようとする。嗚呼。これも五感の罠。

神の語られたレーマには不可能なことはない(原語)。-Luke 1:37

結局、あれこれの問題や葛藤を抱え続ける人は、聞いていない、のだ。これは彼らを憤慨させるかもしれないが、はっきりという必要がある。レーマを聞いていない。癒されたないのは信仰がないというのかぁ!と憤る人も同じ。自分のマインドの中に自分を幽閉しているゆえに、シックスセンスであるフェイスが働かない。フェイスを使え!というと、また、どうやって?と質問が来る。マインドが捕囚されている人は延々とこのような押し問答を繰り返す。そして決して納得して、満足することがない。

心のワックスをぬぐい去っていただくこと。すると聖霊がワックスされる。車のワックスも同じ。古いワックスを取り去り、新しいワックスを塗る。塗装もそうだ。古い塗装の上に新しい塗装はできない。してもすぐさま剥がれ落ちる。古い革袋に新しいワインは入れられないのだ。旧と新のパッチワークは不可能。が、キリスト教はこれをしている。自分の聖書解釈や霊的経験を一旦捨てよ。どんなに深い解釈や経験であっても、だ。つねに捨て続ける必要があるのだ。それは絶えず流れる新しい経験に入るために。新しい経験は古い経験の延長線上には決していない。それは絶えず切れている必要がある。

【注】「時」には二つの単語がある。ひとつは"chronos"。これは物理的な時間、五感の世界。もうひとつは"kairos"。これは神の定めた時、英語では"occasion,season,proper time"。いつもながら邦語ではこのふたつを混同する。だからkairosにいないのに、しばしば焦る。祈っても叶えられないと神に憤る。ソロモンがいう、天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある、の「季節」はギリシャ語のkairosに相当する。後者の「時」はそのタイミング。面白いのはその意味は"NOW"だ。つまり信仰はkairosにおけるNOWの世界。・・・以下、ここでは省略。メッセージで語ります。

あなたは見る領域を得る(2)

アダムとエバは、それを見ることによって罪へと誘われた。 

女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。-Gen 3:6

またアブラムは見わたす領域を得た。

主はアブラムに言われた、「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。すべてあなたが見わたす地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。-Gen 13:14-15

これは霊的原則である。先に一度メッセでも語ったが、実はこの「見る」ことは視覚によるものばかりではない。心で見るものでもある。

しかし、わたしはあなたがたに言う。だれでも、情欲をいだいて女を見る者は、心の中ですでに姦淫をしたのである。-Matt 5:28

この基準によれば、男たる者は誰も有罪であることは言わずもがな。ただし、ひとつ指摘しておくと、ここの「見る」は"look upon"、つまり意志を用いて見ることだ。情欲を抱きつつ意志を持って見る、こと。何気に美しい女性を見て(see)、美しいと感じることは自然なこと。これは美しい花を見て感動するのと同じ。別に罪ではない。鍵は意志が介在しているか否か。ここで主は意志を持ってその動機で見るならば、それはすでに実行行為をしたのと同じと言うのだ。これは心の中の現象。つまりマインドの領域である。霊的原則は、心で見たものは実質と同じと言うのだ。かくして

信とは願っている事柄の実体、まだ見ていないものの立証である(私訳)-Heb 11:1

この姦淫の原則をポジティブに用いればよいのだ。私たちのマインドで見たもの、特に明確にイメージ化あるいはビジュアル化されたものはすでに得たことと同じなのだ!神がバベルの塔の企てに対して、人が思い図ることは妨げられないと証言されている。マインドをどう用いるか、これがあなたが得ることを決める。

実は私が昨年見たことは、その一部を親しい人やメッセでも語っているが、それは極一般的な部分だけ。もっと深いものを見てしまったのだ。家内には話しているが、他には誰も知らない。私は、これは幻覚か妄想か、と危惧していたが、そのビジョンの検証作業をする過程で今回の本、『神の新創造 GOD'S NEW CREATION -聖書が啓示する自然法則を超えるマインドのパワー』が誕生した。そしてそれが一般書店販売開始早々、有名作家と並んでランキング上位に上り、すでに読んでいただいた方々から少なからぬ反響をいただいている。これ、いったい何が起きているのだろうか?ランキングリストに並ぶ自著を見ても、何か他人の物のように感じているのだ。

そして、まだ公に語っていないことが実現するようになると、正直、これはヤバイのだ・・・。私はすでにそれを見てしまったから・・・。

参考:英語がわかる方はこちらをどうぞ。これはサイエンスのトピであるが、信仰とも充分関係する。

注:「やばい」という単語の意味が年代層によって全く異なるようなので一言。若者の間では、ワンダフル・マーベラス・ファンタスティック・グレイトという意味でしばしば用いられる。英語が分からない人のためにさらに一言。要するに素晴らしいという意味。もちろん原義の意味もあるが、それは文脈によるわけ。嗚呼、こんなことを断らなくてはならなんとは、手がかかる・・・。

マインドのアンロック

どうも、またひとつロックが解けた。最近は世の光景、たとえばビル群を見ても、別のものが見える。

信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。-Heb 11:3

まことにこれを実感する昨今なのだ。言い換えると、目の前の事象を動かそうとか変化させようとするのは見当はずれだ。それは労多くして実が少ない。まずは見えない世界を動かすこと。信仰の祈りにはそのパワーがある。私たちの祈りはひとつも地に落ちることがないのだ。

追記:本日12:30頃、瞬間風速でAmazonランキング6,000位台に、キリスト教ジャンルで6位、佐藤優氏と『ふしキリ』の橋爪氏を抜いた。楽天ブックスでも、全体8,144位、キリスト教14位に上がってきている。極私的にはとにかく御言葉が語るコアな部分を、何の先入観念もない未信者の方々に届けたい。今回はややこしい神学オツムのニッポンキリスト教徒は射程に入れていない。が、同時に霊的に餓え渇いている兄弟姉妹がたくさんいらっしゃることを最近とみに知った。それらの方々の渇きを癒すことができれば、これも幸いである。

繰り返すが、IPAI、i.e., 自分のアイデンティティーポジションアビリティ(能力)、そしてインヘリタンス(嗣業)に覚醒せよ!

マインドのパワー-ふたつの証-

昨日のセレブ後、二人の方の証を伺った。

Aさん-子供の頃から親などから、お前はアレルギー体質だから気をつけよと言われて育ち、つねにそれを意識してきた。幸いアレルギー反応は出ていなかった。ところが最近、あるきっかけで全身アレルギー反応が出て、呼吸困難まではいかなったが、救急車を呼ぼうかとさえ思った。原因がわからなかったが、ふと気がついたことがある。最近TVでアレルギーの解説を聞いて、何気にそれを受け入れ、無意識のうちにその内容に同意していたのだ。それを主の前で捨て去ったところ、反応は即座に消えた。

Bさん-家事をするときに手にアレルギー反応が出ることがよくあった。自分はそのような体質であると、自然とその事実を受け入れてきた。癒しを求めることすら考えなかった。最近、そのことに気がつき、家事をしているときに、ハッと騙されてきたことがわかった。そして自分は癒されたのがパッと見えた。すると反応は消失した。自分のアイデンティティーの一部としてそれに同意し、受け入れてきたことに気づき、マインドのロックが外れた瞬間がわかった。ああ、自分は欺かれていたのだ・・・・と。

これらの証を普通の医学的観点からは心因性アレルギー反応として診る。いわゆる精神身体医学的視点からの解釈である。が、これらをいかに解釈するにせよ、ふたりは自分が欺かれてきたことに気がつき、マインドのロックが外れると症状も消失したことは事実である。私も自分は花粉症であると30年近く信じ込んできた。それはごく自然なアレルギー体質として、自分のアイデンティティーの一部として構成されていたのだ。が、この3月、そのロックが外れた。事実はアレルギー体質かもしれない。が、真理は違う。十字架で主の打たれた傷により癒されたのだ。これはサブスタンス。永遠の、ある、だ。霊的サブスタンスは物質界と相互作用をする。否、物質界は神のレーマ、すなわち霊のバイブレーションによってフレーム化された(Heb 11:3)。それは弦、その神の言葉は響き。物理学でも超弦理論が唱えられる昨今、聖書はすでにそのことを指摘している(Ps 19:4)。

出エジプトの時代、モーセとエジプトのマジシャンたちは争った。彼らもしるし・不思議をなし得たのだ。霊的パワーの操作方法を知ると、それは現代でも起きる。たとえば、これらのビデオ。彼らは単なるトリックによるのか、それとも何か別の次元のパワーによるのか。最初の人物の目に注目して欲しい。

主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたをパロに対して神とする。あなたの兄弟アロンはあなたの預言者となるであろう。 ・・・」。モーセとアロンはそのように行った。すなわち主が彼らに命じられたように行った。彼らがパロと語った時、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。・・・それで、モーセとアロンはパロのところに行き、主の命じられたとおりにおこなった。すなわちアロンはそのつえを、パロとその家来たちの前に投げると、それはへびになった。そこでパロもまた知者と魔法使を召し寄せた。これらのエジプトの魔術師らもまた、その秘術をもって同じように行った。すなわち彼らは、おのおのそのつえを投げたが、それらはへびになった。しかし、アロンのつえは彼らのつえを、のみつくした。-Exo 7:1-12

どちらの側もフェイスによって行っている。ヘブル11章1節のフェイスの定義は定冠詞がない(Heb 11:1)。クリスチャンの信仰に限らないのだ。それはシックスセンス。この時空間、つまり五感を越える能力である。私もそうであったが、よくニッポンキリスト教で言われるセリフがある。サタンや悪霊もしるしや不思議や癒しをなし得るからそれらの現象については要注意だ。これ、実はしばしば言い訳というか弁明に用いられるのだ、自分の信仰の欠如の・・・。これは自分がそうであったゆえに証言できる。主は言われたであろう、「死者を生かし、病を癒し、悪霊を追い出し、らい病を清めよ!」と(Matt 10:8)。これは命令である。神の国のパワーを忘れた福音は単なる抜け殻。ましてやそれを神学で飾っても何の役に立たないであろう。自分の不信仰を悔い改める者は幸いである。

そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。 それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力(デュナミス)によるものとなるためであった。-1Cor 2:4-5

(注)霊が物質を動かしたりする現象をポルターガイスト現象と呼ぶ。欧米ではよく知られている。

主のツボを突く

さて、イエスはそこを出て、ツロとシドンとの地方へ行かれた。すると、そこへ、その地方出のカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。
しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。
するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。
しかし、女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。
イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。
そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。-Matt 15:21-28

メッセでも語ったが、主はこの女の言葉によって落ちたのだ。「あなたの願いどおりになるように」と。この時の主の内的感動に触れるならば、私たちもその霊のバイブレーションによって身体が文字通り震えるであろう。極私的には総毛立つ感覚を覚えるのだ。

改めて、信仰とは?

下において、信仰があれば癒されると書いた。が、これは厳密に言えば正確ではない。なぜか。信仰は願うことのサブスタンス、つまり癒しそのものなのだ。信仰が癒しの条件ではない。信仰そのものが癒し(サブスタンス)なのだ。これを新著において、江戸時代にタイムワープした20世紀の人が持つ抗生物質の喩えで説明した。この喩えで言えば、抗生物質が信仰のサブスタンス。それを飲む時(行いにより)、それは癒しを現実世界で立証する。

信仰を何か神からいただくための条件かのように捉えるならば、癒されないのは信仰がないと言うのか、といった発言になる。これは大いなる勘違いであり、自分の信仰を信仰とするトラップに落ちている。信仰は癒しのサブスタンスそのもの。そもそも救いのサブスタンスでもあり、義と聖と知恵と贖いと・・・すべての霊的真理のサブスタンスそのものなのだ。義とは私のあり方ではない!義とはキリスト。聖も知恵も贖いも、すべてはキリストだ。もっと言えば信仰とはキリストなのだ。

あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。-1Cor 1:30

繰り返すが、霊的真理は日本語で考えてはならない。フェイス・アウェイクン、すなわち信仰の覚醒のためには、まず日本語のマインド、そして日本語の世界を離脱せよ!

 

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