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Tag: クオリア

最後の霊的覚醒のチャンス

-安倍首相 トランプ氏の勝利にイラ立ちか「話が違うじゃないか!」

この人、どこまでもお子ちゃま。成蹊大だったっけ。ニッポンは米に捨てられ、自立せよ、と言われても、今更どうやって? こんな人をトップに据えちゃうニッポンの国民さまもエライ!政治屋と国民は鏡像関係だから・・・。米軍がいることも実感がないし、いなくなることも実感がないでしょ、そもそも。

タコツボ化、オタク化、カプセル化した社会は外界への感受性を失って、お笑い、SMAP、誰とダレがくっついた別れた、美味しいもの食べたとか、意識は色気と食い気と飾り物だけ。まことに聖書が言う通り、肉の欲、目の欲、持ち物の誇りで煽られるだけ。三島由紀夫はまことに今日を見ていたのでしょう。

教界も「あなたの街のお気軽な教会♪」とかって、この世に身売りして組み込まれてしまって、預言的機能を何ら果たしていないし。しかし、真の霊的覚醒の最期のチャンスかもだが。

フェイスはサブスタンスを変化・生成する

20161014-1.jpg

この記事、面白い。結論はともかくとして、世はすべからく、マトリックス、つまりVR。

-Is our world a simulation? Why some scientists say it's more likely than not

A swath of technologists and physicists believe that ‘simulation theory’ will be proved, just as it was proved that the Earth was not the center of the universe

コンピューターの発達によりVRがかなりリアルになりつつあり、肌の質感などもこの目にとってはほとんど実物と区別がつかないほどに表現できるようになった。さらに3D化し、音や振動や臭いや風までも再現する映画館もできた。元々大脳はリアルとVRを区別はできない。つまり現実と妄想を本質的には区別できないのだ。例えば、色。これは元々ない!あるのは電磁場のバイブレーション、その波長の違いに過ぎない。それを大脳の神経回路マトリックスにより色が感知される。これをクオリアと呼ぶ。まさに色即是空。

VRもそこに見えているモノや聞こえている音を操作しても無意味。その実体、つまりサブスタンスは0と1のマトリックスに過ぎないからだ。そのサブスタンスのマトリックスを操作すれば、五感に感知できる事象はすぐさま変化する。同様にこの物理的時空間に現れた現象は、別の領域のサブスタンスの実体化なのだ。それを操作する能力、パワーがフェイスである。

われわれの霊における神の霊のバイブレーションが、魂の知性によってデコーディングされ、言語化あるいは映像化されて、それを言葉として表現する時、それは霊から語り出されたレーマであり、霊的領域を動かす。その波動がこの物理的時空間に現実化して現れるのだ。しるし・不思議、スーパーナチュラルな癒しなどはみなこのメカニズムによる。かくして―

目に見えるところは一時的、見えないものが永遠である。義人は見えるところによらず、フェイスによって歩むのだ(2Cor 4:18;5:7)。

クオリアによるマトリックスを離脱するチャネル=フェイス

この画像をクリックして、黒いドットを30秒見つめてください(⇒ソース)。

20160506-1.gif

「色」などの感覚(クオリア)は大脳が作っている。われわれは大脳が作ったクオリアによって構成されたマトリックスをリアリティーと思い込んでいる。そもそも「色」はない! あるのは諸々の振動数の電磁波(光量子)だけ。まさに「色即是空」。

かくしてこの物理的時空間における五感によって感知される諸々の事象(Facts)はすべてマトリックス。それは真理(Truth)ではないのだ。御言葉のみが真理である。それを実体化するのがフェイスである。霊の再生によるフェイスによってのみ真のスピチュアル・リアリティーに生きることができる。

目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。-2Cor 5:7

この聖句の「よって」は"dia"、Strongによると

A primary preposition denoting the channel of an act; through (in very wide applications, local, causal or occasional). 

すなわちフェイスはチャネルなのだ。「目に見えるもの」とは"eidos"、すなわち

a view, that is, form (literally or figuratively): - appearance, fashion, shape, sight.

要するに「フォーム、構成されたもの、ここに現れているもの」を言う。私たちの経験はすべて五感によって構成される。これがフォームである。現代的にはクオリア。義人はこれによって歩まない。フェイスというチャネルを用いるのだ。それはすなわちスピリチュアルな世界あるいはサブスタンスを透視し、実体化する新しい能力シックスセンスである(Heb 11:1)。

フェイスの覚醒! 終わりの時代を生きるカギはコレだ!

意識と大脳

このクリップ、私の新著で扱っているトピックとかぶっている。大体、同じ主張。面白い。

 

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