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Tag: 霊

恐怖のロボトミー

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いやはや、恐い番組だった。人間の精神活動をニューロンネットワークにおける電流とシナプスにおける神経伝達物質の挙動に還元する考え方の究極だ。現代ではそれが向精神薬に置き換わっているだけ。WHOでも「霊的健康」の考え方が提唱されているが、まだ憲章に入るまでになっていない。いわんや霊的後進国というか、カプセル状態のニッポンにおいてをやである。霊的要因を考慮することなく、サイエンスが暴走することはこれからも十分にあり得る。

ちなみに私は『真理はあなたを自由にする』において『霊精神身体医学』を提唱したが、今日、ペンタゴンのAI研究者だったDr.アイコ・ホーマンとか、脳神経生理学のDr.キャロライン・リーフなどがクリスチャン的シーンにおいて活躍されていることは大いに歓迎すべきこと。空理空論的神学などによる弁証ではなく、実証の時代に入っているのだ。

フェイスにより人間の言語マトリックスを超える

FBの方で次のようなご意見がありました。大切な点なのでこちらにても紹介しておきます。

A氏:聖書は日本人の伝道を前提にしていないのかぁ!と思うほどです。また、あちらこちらの巷のメッセを聞いていても「この訳は頂けない」「この訳は間違っている」「へブル的背景を知らないと」とかやってる。この国では聖書を手にしてもらうだけでもやっとのことなのに、さらに中身云々となったら誰が救いに与れるのかホント気が遠くなります。

小生:これは英語でも他言語でも同じでしょう。特に日本語は不利ですが。記録された言葉は人間の言語マトリックスに神のことばを投影する作業だからです。

ゆえにフェイスが必要なわけです。フェイスとはサブスタンスの実体化。それは霊によってのみ可能です。霊のことは霊によって知るとあるとおりです。

そして何よりも神の国はロゴス(言語)にではなく、ドユナミス(力)にあるわけで、人間の言語に投影され記録されたいわゆる御言葉をオツムでアレコレいじっても、霊的なサブスタンスにはタッチできません。これがいわゆる神学です。それはマインド・マトリックスに過ぎません。

カギは霊にあります。フェイスの覚醒、さらに霊的エンジニアリングに熟練する必要があるわけです。無限の霊的領域に飛躍し、透視するカギです。

聖書の記述の矛盾に隠された秘密

出エジプト30章では、祈りを意味する香壇は幕屋の聖所に置かれている(Exo 30:6)。が、ヘブル書9章では至聖所にある(Heb 9:3)。だから、聖書はいい加減だ!・・・アブソリュートリー・ノー。

ジーザスが十字架で死なれたとき、幕屋の隔ての幕は上から下へと裂かれた(Matt 27:51)。人が裂くなら下から上へだ。つまり神ご自身がスーパーナチュラルに裂いたのだ。これはジーザスがご自分の体を裂いたことを意味し、年に一度大祭司のみが入れた至聖所に至る道が開かれた(Heb 10:20)。

祈りも旧約時代はレビ系祭司制度の儀式として外庭と聖所でなされた。それは天の型であり、本体はキリスト(Heb 10:1)。今や聖霊が天を裂いて下り、天は地に介入している(Mark 1:10)。祈りも同じ。新約の祭司である私たちの祈りは今や、至聖所で捧げられるのだ。外庭は体、聖所は魂、そして至聖所は霊を意味する。ゆえに香壇は至聖所にある!

祈りは神の霊と私たちの霊の共鳴。バイブレーションの波長が一致する時、それは神の前に立ち上り、香となるのだ(Rev 5:8)。霊のバイブレーションを魂の知性で言語化すれば知性の祈り、知性をバイパスしてそのまま音声に乗せれば異言となる。

聖書の矛盾―実はそこにディープな秘密が隠されている。

詳細は⇒http://www.kingdomfellowship.com/Topics/mostholy.html

 

霊は自分のすべてを知っている

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わたしたちには、神が"霊"によってそのことを明らかに示してくださいました。"霊"は一切のことを、神の深みさえも究めます。人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。-2コリント書2:10-11

神は人の内に霊を造られた。霊は内なる神の光。その霊は人の心の奥深くも知る。実は自分の霊は自分のことをよく知っている。が、人の心は歪んでいる(エレミヤ17:9)。その真実から逃れるために、実にいろいろな企てをする。自分が満たされていること、自分には信仰があることなどを、自分で証明しようとして・・・・。ああ、それ自体、自分の内なる空虚を証明しているではないか。そのような作為は、自分の真実から逃れるための哀しきもがきなのだ。自分が霊的に空虚であることを認め、あらゆる取り繕いを放棄して、真に頭を垂れた者は幸いだ。

本日の癒しの証2題

本日のせレブでの証。件のバイク事故の兄弟、4日に退院、その後別の病院で検査したところ、医者が、どこを骨折したのですか?と。跡がないんだそうだ。外には傷が残っているけれども・・・。WOW!!! はて、何が起きたのでしょうか?ちなみに本日のメッセではご本人のS兄弟が登場して証してくださるので、後ほど楽しみに。

もうひとりの姉妹、小学生の頃、馬跳びで70キロの友人に乗っかられて、脊柱を骨折。半身不随の可能性の診断を受けた。が、それは一応治ったが、後遺症が30年以上残っていた。それはかなり辛いもので、これは神を忘れないようにするために神が自分に与えたものだと思い込んできた。が、それは偽りと分かり、リナウンスした。するとすべての後遺症が消え去った、と。WOW!!! 

共にマインドのマトリックスから離脱すること。マインドの地平線を広げ、御言葉(dabar)と霊を送っていただくこと。するとそれらは共に働いて、神は何かを創造をなさるのだ(Ps 104:30)。カギは聞いた御言葉にフェイスを混ぜること(Heb  4:2)。PTL!!!

音楽(芸術)とスピリチュアル―アノインティングの問題

SADE、ナイジェリアの移民の子。私のfavorite。きわめてスピリチュアル、SADEワールドに引き込まれる。この曲、青木カレン・バージョン(https://youtu.be/PBT8zNSJy40)も音楽としてはかなりグッドだが、スピリチュアルな要素はない。要するに空気のバイブレーションを楽しむだけ。霊のバイブレーションは感知できない。

音楽にはしばしば霊が乗る。ヘビメタ系などはもろあの者の霊が乗っている。ワーシップも、イスラエルの神はイスラエルの賛美のうちに住まうとあるとおり、ワーシップは単なる音楽ではなく、霊が乗るかどうかがカギ。英Kingdom Faith Churchの ワーシップにはこの霊が非常に濃く塗り込まれている。これをアノインティング(anointing)と言うが、セキュラーな音楽にもアノインティングがあ るわけ。ただ、その塗り込まれている霊の質が問題ではあるが、しかし、アノインティングのある音楽はきわめて魅力的なのだ。

日本の音楽シーンではこのような濃いアノインティングを感知するものはほとんどない。ロックとか言ってもカッコだけ。その意味では矢沢も真のロッカーでは ないのだ。いわゆるワーシップもガチャガチャと音をいじり、ノリを追っているだけの物がほとんど。霊の塗り込みが薄い。

霊的世界との関わりは音楽だけではなく、絵画も、演劇も、いわゆる芸術一般に広がる。あるいは思想の世界も。いずれにしろ、いかなる霊であれ、霊が乗るもの、スピリチュアルなものは人の心の深層に訴えかけるのだ。

・ルノアール展-伝統と革新(http://www.dr-luke.com/diarypro/archives/1238.html
・絵画と音楽と数学と(Dr.Luke的芸術論)(http://www.kingdomfellowship.com/diarypro/diary.cgi?no=434
・芸術も人生も波動のコンボリューション(http://www.kingdomfellowship.com/diarypro/diary.cgi?no=435

霊の声

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あのストーカーに刺されたアイドル、両目をえぐられ、顔面を集中的に狙われたようだ。ここまでくると単なるストーカーというより、悪霊的な要因を感じる。

最近、女子中学生が二人で手をつないで飛び込んだり、多分、霊の声を聞いている。精神医学的には幻聴とか妄想とかにされてしまうんだが、霊的知識の欠如し たニッポン・アカデミズムは対応ができないわけ。ニッポンキリスト教も左傾のリベラル辺りは、いや下手すると福音派でもほとんど霊的盲目状態。聖霊派は聖書を超えちゃう しね・・・・。

霊、つまりspiritual entityはまずわれわれのマインドに関わってくるわけ。昨日のBSで放映された映画『ノイズ』、これはエイリアンに仮託しているが、まさにマインドを侵食されて、ついにはボディを乗っ取られるというストーリー。マインドを見張れ!

同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。-ガラテヤ書4:3

マインドフルネス-思いの霊において新しくされる

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ここは邦語訳では「心の底から」とか、「心の深みまで」とか訳されるのがふつうである。岩波訳は「あなたがたの〔思念を規定する、神の〕霊でもって新しくされ」となっている。いつも言っているが、日本語で真理を理解してはならない。ギリシャ語を当たるのが一番だが(これも写本の問題があるが・・・)、KJVでは

And be renewed in the spirit of your mind; -Eph 4:23

つまり、思い(nous)の霊(pneuma)において新しくされる、だ。ここでポイントは、心と思い(マインド)は異なること。このあたりが日本語のあいまいさで、なんとなく分かったつもりになるだけの人がほとんど。私の著書『神の新創造-聖書が啓示する自然法則を超えるマインドのパワー』でも指摘したが、マインドは霊的領域と物理的領域の接点である。霊的な存在は私たちのマインドに働きかけることができるのだ。

同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。-Gal 4:3

この諸霊(stoicheion)は新改訳では「世の教え」、岩波訳では「宇宙の諸力」と訳されている。それは霊的体系であり、私たちのマインドにアイデアとしてまかれ、その想念の種は膨らみ、体系化され、思想となり、共産思想のように政治体制や国家をすら生み出す。つまり霊はマインドの深くに侵入し、時に浸食することすらある。だから、霊的な「死ね」という声を聴いて、自殺する人々も出るのだ。

神の霊も同じように、私たちのマインドに入り込みたい。神の霊によってドライブされたマインドは、すなわちキリストのマインドである。私たちはすでにキリストのマインドを持っているのであるが(1Cor 2:16)、それは神の霊、すなわち聖霊によってエネルギーを得て、ドライブされる。私たちのマインドが肉によってドライブされるとき、すなわち肉の思いは神に敵対する(Rom 8:6-7)。ゆえに私たちのマインドをドライブする源は神の霊であるべきなのだ。

では、自分が今、肉によってドライブされているのか、霊によってドライブされているのか、どうやって知るのか。単純である。

肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。-Rom 8:6

死の感覚を覚えるのか、いのちと平安の感覚を覚えるのか。私たちの体は本来中立である。義の武器ともなり、不義の武器ともなる(Rom 6:12-13)。注意すべきは、パウロの述べる肉(flesh)は、別に肉体のことだけを指すのではない。神の霊から分離された肉体と魂(思い・感情・意志)のあり方を言うのである。マインドは肉体の大脳(ブレイン)と同期している。が、大脳の機能のみではない。先にも書いたが、想念はブレインを超えて存在している。だから、霊の領域にタッチできる人はその想念を受信できるのだ。イエスはよく人の考えをご自分の霊で見抜かれた。

かくしてこの世の体系は人々の想念の体系でもある。私は時に本屋などで、うるさいと感じることがある。別に雑踏や騒音がうるさいわけではない。そこには想念が渦巻いているのだ。ちょうど客引きから声をかけられるように、アレコレの本からそのような誘いを受ける。かくして世の想念を受信し、それを思いめぐらしたりするならば、たちまち死の感覚を覚えるであろう。が、ワーシップや聖書の言葉に触れ、主を想いめぐらすとき、内側は甘く、温められて、いのちと平安、そして愛と希望とフェイスが沸き上がるのを感じることができる。ゆえにパウロはこう勧めている:

ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。-2Tim 2:8

この「思っていなさい」の原語はμνημονεύω、Thayerによれば、to be mindful of、つまり思いを満たすことである。このとき、神の霊は私たちのマインドにペネトレート、浸透する。要するに私たちのマインドは神の霊のペネトレーションを受けるのだ。こうして私たちの魂(Soul)、つまり思い・感情・意志はキリストのそれを反映するようになる。

もっと言えば、メッセでも語ったが、私たちのハードウェアとしての人間性にキリストのソフトウエアがインストールされるようなものだ。ジーザスはその人間性から神を現された。私たちも同じ。私たちの人間性を通して、神が現れるようになる。WOW!これが敬虔の奥義(1Tim 3:16)。「敬虔」なる単語はよく分からないが、英語ではgodliness、原語はeusebeia、簡単に言えば神性の表現である。神は人間性を通してご自身を現される。これがエクレシア、キリストの復活のいのちを吹き込まれた新生命体であり、神の新創造だ(⇒神のエコノミー)。

最近、欧米ではマインドフルネスなる用語をよく聞くが、問題は何によってマインドフルにするか? その答えは・・・ご自分でどうぞcool

宇宙はバイブレーションだ

これは霊的にも同じ。神の霊と私たちの霊の波動が共振すること。これがワーシップである。神は霊であるから、礼拝する者も霊と真理による。神はこのような礼拝者を求めておられる。いのちの霊のバイブレーションにリゾナンスすること。それはキリスト教などではないのだ!

その響きは全地にあまねく、その言葉は世界のはてにまで及ぶ。-Ps 19:4

この「響きと」は「弦」。バイブレーションだ。 神は言葉により宇宙を支えておられる。

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