健やかさで測る
- 2016/09/03 21:28
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:油塗り, アノインティング, anointing, 羊, 群れ, 健やかさ
早いもので、キャンプからすでに1週間。本日、ある若い参加者から長年自分を束縛していた、自分ではどうしても手放せなかった問題、明け渡しができなかったことから解放された、との証をいただいた。私たちを自由にするのはまことに「油塗り(anointing)」。
その日には、油塗りによって、彼の重荷はあなたの肩からおり、彼のくびきはあなたの首から離れる。-Isa 10:27 (邦訳では「by anointing=油塗りによって」が落ちている。)
まことに濃厚な祝福とアノインティングを受けるとともに、兄弟姉妹との交わりの中で、ある懸案事項についての結論が見えた。キリストのからだの肢体がみな同じ懸念と見解をすでに持っていることが確認されたのだ。兆候はすでに何年も前から現れていた。
からだの感覚はキリストの感覚。私自身が知っている事実関係や感じているものよりもはるかに事態は深刻。このままだと大きな試みを自らの言葉のゆえに招いてしまうことだろう。クリスチャンが孤立することはきわめて危険。あの者に足場を与える。まして真理に反することを語るのであれば、だ。からだの中におけるいのちの共有から漏れること―それはわが道を行くモード。それは信仰者の道ではない。
いのちの流れにつねに与り続けること。まことに主は個人を建て上げるのではないく、からだを建て上げるのだから。羊はつねに群れにおることによってこそ守られるのだ。そして私たちの歩みは、「正しさ」とか自分の「正義」や「正論」によって証明されるのではない。健やかさによる。「正しさ」はいくらでも装えるが、健やかさはフリができない。誰かが言っていた、地獄への道は正義と善意で敷き詰められている、と。まことに―
あなたがたの魂が繁栄しているように、あなたがたがあらゆることで繁栄し、また健やかであるように祈る。―3John1:2