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Tag: レーマ

Dr.Lukeのワンショット―フェイスはスピリット

Dr.Lukeのワンショット―フェイスとサイエンス

宇宙は情報から構成される

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聖書は文学書でも、思想書でも、哲学書でも、人生論でも、倫理学でもない。霊的サイエンス・生命現象の書である。空理空論の言葉遊びからサブスタンスの領域へと脱却せよ。

 

フェイスとホログラフィック宇宙論

現代物理学の最先端では、エネルギーと質量の等価性から進んで、情報がすべてであるとする説がある。いわゆるホログラフィック宇宙論だ。3次元の映像が2次元に記録されるホログラフィのように、この3D+時間の世界も宇宙の2Dシートに記録された情報のホログラフィ映像であると。なるほど・・・。昔、京大の小針さんが<質量=エネルギー=情報>の等価原理が成り立つのではと言っていたが、そのとおりだったかもだ。

聖書はすでにこう言っている:

フェイスによって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。-ヘブル11:3

言葉(レーマ)、つまり情報でありバイブレーションである。われわれがリアリティーと五感で感じている世界の本質は神の情報なのだ!まことに現代物理は聖書の後追いをしているわけですね。

 

Dr.Lukeのワンショット-神のフェイスを持て

世界は言語マトリックス、神のコードの体系だ!

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このニュースは興味深い。MicrosoftがガンのDNAのコードを解読して、ガンを10年以内に征服するとか。

-Microsoft will 'solve' cancer within 10 years by 'reprogramming' diseased cells

フェイスによって、わたしたちは、この世界が神の言葉(レーマ)によってフレーム化され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。-Heb 11:3

レーマとは語り出された言葉、つまり神の霊のバイブレーション。詩編にはこうある:

昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく声は聞こえなくても
その響きは全地にその言葉は世界の果てに向かう。-Ps 19:3-5

響きとは弦、つまり振動、バイブレーション。言葉はミレア、語り出された言葉、つまりバイブレーション。五感では感知できずとも、何か(霊的サブスタンス)を語り伝え、知識を交換している。これが霊的領域の有様、リアリティーだ。すべて神の言葉によって生じ、かつ保たれている。私たちの霊はそれを受信する。

御子は、神の栄光の反映であり、神の本質(サブスタンス)の完全な現れであって、万物を御自分の力(デゥナミス)ある言葉(レーマ)によって支えておられます-Heb 1:3

最近ではVRの世界が発展し、リアルとの区別ができなくなっている。そもそも大脳にとってはリアルも妄想も区別はできないのだ。そのVRはプログラムの体系。つまり言葉によって構築されている。もちろん人間の。対して、世界は、生命現象も含めて神の語り出された言葉によって構成されているのだ。それはつまり、言語マトリックス(ロゴス)のバイブレーション。

ガンも現れた現象(腫瘍)を切った張ったの時代ではなくなるのだ。コードを解読し、コードを操作すること。私たちのフェイスも同じ。目の前に現れた現象をいじるのではなく、霊的領域のサブスタンス、つまり霊の世界のコードを操作するのだ。これが祈りである。それは宗教行為ではなく、霊的サイエンスのテクニック、あるいはエンジニアリングである。そう、スピリチュアル・エンジニアリング!まことにこの世はマトリックス。私たちが生きる領域はそれを超えた領域、スーパーナチュラルな世界。すでにキリストと共に天の座に座しているのだから!

かくしてすべての事柄をキリストのマインドで認識し、評価し、決断する。私たちはすでにキリストのマインドを持っている!

■参考:あなたはキリストのマインドを持っている

 

霊的空疎からの解放―マインドのマトリックスを捨てる

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あなたがたはこの世と同じ姿かたちにさせられてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって形造り直され、〔その結果〕何が神の意思であり、善きことであれ、そして〔神に〕喜ばれることであり、完全なことであるのかを、あなたがたは吟味するように〔しなさい〕。-Rom 12:2(岩波訳)

自分の生き方や信条や個性や感じ方などをあくまでも主張する人々がいる。オレはオレ、私は私であることが大切だと・・・。彼らを見ているとひたすら種々の活動や主張に次から次へと没頭し、それはある種強迫的ですらある。それに没頭していないと自分のアイデンティティーが保たれないかのように・・・。一言で言えば、霊的に空疎なのだ。

私たちは絶えず自分の十字架を負う必要がある。それはまずマインドを絶えず変えること。昨日のおじいちゃんのように、現ナマのマトリックスに絡め取られていると電子マネーが使えない。理解もできない。これが自分を自分のマトリックスに幽閉する人々のあり方だ。自ら捨てない者は決して霊的富を得ることはない。そしてその空疎さは周りにはわかってしまう。霊のあり方は決してごまかせないのだ。彼らは活動することによってその空疎を補償しようとするのだが、かえってそれが空疎さを証明していまう。

神のバイブレーションと共振すること(Ps 19:1-3)。これは神の声を聞くことであるが、魂(Soul)―特にナチュラルなマインドが邪魔をする。いわんや、自分を主張すればするほど、神との距離が離れる。まことにジーザスの声を聞く者は生きるのだ(John 5:25)。私たちの霊的有用性は、活動ではない、聞くことだ。聞けばフェイスが息吹かれる。それは霊を受けることである。そして語り出すのだ。その語り出された言葉は無意味に返ることはなく、必ず言い送ったことを成し遂げる(Isa 55:11)。それは神の業である。ジーザス自身がそのように生きたのだ。

神に属する者は神の言葉(レーマ)を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。-John 8:47

マルタはジーザスの足元に座るマリアに憤りを覚え、ジーザスに訴えた。が、彼はマリアは大切なことをしているのだと言われた(Luke 10:40-42)。それは―ジーザスの声を聞くこと。聖霊は自分勝手に語るのではなくジーザスの言葉を語るのだ(John 16:13-14)。かくして、私たちの有用性はどれほど聞くことができるかにかかっているのだ。

参考:ハードコアプロファイルズ-人間の実存的状況の病理と処方

マトリックスからの離脱

この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。-Rev 12:9

63人の資産総額は世界人口の半分の人の資産総額と同じだとか・・・。1%vs.99%。株もオイルも金もやばくなっているが、このようなアンバランスな状況が続くはずがない。病気も、貧困も、戦争もすべてはこのヘビが演出しているマトリックスなのだ。

わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。-2Cor 4:18

見える世界はマトリックス。この画面もその本質、サブスタンスは1と0の配列。TVも映画も。われわれが見ているものはその配列をデコードしたものだ。霊的世界と物理的世界の関係も同じ。たとえば医学ではそのマトリックスから生まれる疾患の病理を明らかにし、それを"正常"に戻そうとする。が、その"正常"がそもそもマトリックス。見えない世界は何か? それは霊的サブスタンス。すでにそれはある。祈りはそのあるものを鈍感な、あるいは霊的視力の弱いわれわれが明確に見るための作業。もちろん父なる神とのいのちの交流、親しき会話、そして霊的呼吸でもある。祈るとき見ないものが見えてくる。それは霊による受信。マインドはそれを言語化あるいは映像化する。メッセでも語ったが、神は睡眠中でも耳を開いてくださる(Job 33:16)。

マトリックスに欺かれているクリスチャンがほとんどの現在、彼らはサタンにとって何の脅威にもならない。自分の生活、体調、人間関係、お金、欲、・・・などの五感の世界に絡め取られているからだ。あるいは自分の主義主張、自分の信仰的立場とか信条とか・・・。逆にサタンは彼らが覚醒することを恐れている。われわれが有している権威とパワーにわれわれが覚醒するならば、地に天が文字通り介入する。われわれの口と手を通してそれが現出する。われわれが天のポータル。われわれがフェイスにより語り出せば、それは現れる! 神が言葉によって創造されたメカニズムとまったく同じことが再現する。マインドのシャッターを開け!

しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。-2Cor 3:16-17

人なるナザレのイエスはそのデモンストレーションをしてくださった。なぜ、信じないのか! 信じればわたしと同じことができるのだ!と。愚かな者たち、神の霊から生まれたあなたはすでにその権威とパワーを持っているではないか。なぜそれに気がつかない、なぜそれを使わないのか!と。

フェイスの覚醒

2016年は覚醒する者はますます覚醒する。おネンネしている者は相変わらずマトリックスに埋没。その差が歴然と現れるであろう。

NOW, FAITH IS...

今や、信とは願うことの実質(実体)であり、見えない現実の証拠(立証)である(私訳)。-Heb 11:1

Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of realities not seen.(TLV)

Vincentは「こと」についてこう説いている:

Of things (πραγμάτων)
Πρᾶγμα is, strictly, a thing done; an accomplished fact. It introduces a wider conception than ἐλπιζομένων things hoped for; embracing not only future realities, but all that does not fall under the cognizance of the senses, whether past, present, or future.

それは「待ち望む」といった時間の要素を含む「こと」ではない。それはすでに成し遂げられている「こと」。「信仰があれば癒される」と期待する人は必ず裏切られる。そして「癒されないのは信仰がないと言うのか」と告発する。それはフェイスではない!大きな勘違い、しかも致命的。かくしてポセイドン・アドベンチャーの牧師モードに陥る。フェイスは時間を超える。そもそもこの五感の世界のものではない!それはシックスセンス。もっと言えば超能力だ。Are You with me? これを誤解すると、ニンジンぶら下げられて走らされるキリスト教に陥る。

このビデオは必見。フェイスのアキュミレーションについて説いている。

-Renny McLean | The Mystery of the Supernatural

神の霊のバイブレーションに浸る

30年近く走っているこの森。今朝、ふと新しい小径を発見した。いつも見ていた。が、見ていなかったのだ。これが大脳の不思議。リアリティーはまことにブレインが作り出すもの。シーザーは、人は見たいことを見て、聞きたいことを聞くと指摘したが(認知の選択的透過性)、聖書も同じ。われわれは理解している、知っていると思い込んでいるが、実はまったく理解してもいないし、知ってもいない。 鍵は見ること。見たらやばいのだ、この本は。五感で読むな。この物理的世界に引きずり下ろすな。決して魂によっては理解できない。たとえば、私たちのいのちはキリストとともに神のうちに隠されている。これ、どういうこと?マジでわかれば、やばい。霊のことは霊によって解く。

今朝、またマインドのロックが外れた。すると神の声が実に明瞭に聞こえるのだ。それは波動。バイブレーション。

天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。 昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。 話すことも、語ることもなく、声は聞こえなくても その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。-Ps 19:2-5

この「響き」の原語は”qav"、その意味は弦。つまりバイブレーション。この神のバイブレーションに私たちの霊が共鳴するとき、昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送るのだ。この「知識」はいわゆるオツムの知識ではない。神の創造は互いにバイブレーションを放ち、互いに共鳴しつつ、そこにことばと知識の交換が行われている。私たちの霊もその共鳴に参加することができるのだ。しかしこの世の喧騒に巻き込まれたり、目の前の事象にのめり込むとその共鳴は消える。

霊が研ぎ澄まされて、その微妙にして玄妙な霊の波動、バイブレーションを受けるならば、それはレーマとして私たちの霊に焼き付けられ、マインドがそれを解釈し、語り出す。するとそれはいずれ実体化される。ちょうどマインドはカメラのシャッターのようなもの、霊はレンズ、そして私たちの心はフィルムだ。先に病気の症状や問題の解決策を求めるのは罠。これでもがくクルシチャンたちが実に多い。が、マインドのシャッターが開けるとき、光が差し込み、レベレーションを受けるならばすべての病気や問題は解かれる。それがフェイス。サブスタンスだ。

フェイスがあればすべてのことは可能。なぜ、フェイスはサブスタンスそのものだから。そのサブスタンスをもたらす神のレーマに不可能はない。神のレーマにわれわれの霊がどれだけ共鳴することができるか、ここにすべての秘訣がある。

 

レーマは霊であり命である

人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。-John 6:63

ここの言葉はレーマ。イエスが語り出したレーマは霊であり、命(ゾーエ)であった。かつて私は<レーマ=ロゴス+信仰=霊=いのち>と表現したことがある。何かを客観的に記述するロゴスに霊が乗るとレーマとして人を生かすのだ。メッセでも語っているが、たとえば、アナウンサーが正確に聖書を朗読しても、それは命を与えない。つまりレーマではない。まして癒しも奇跡も起きるはずもない。あるいは聖書の言葉を語っても、乗っている霊が違っていると、違和感を覚える。正しいことを語っていても、それは平安や安息を生み出すこともないし、命を与えない。

イエスのわざの鍵は内なる父の声を聞き、そのわざをそのとおりに行ったことにあった。イエスの霊(イエスは人としての霊を持っていた)は父の霊と完全にチューニングされていた。そしてその霊とともに父の言葉を語り出した。このレーマがあの数々のわざをなしたのだ。原則は私たちも同じ。内なる父の示される言葉を語り出すこと。これがイエスと同じわざをなし、それ以上のわざをなす秘訣なのだ。

言葉と霊。聖霊によってドライブされた霊を伴って語り出された言葉は霊的領域に波動を生じ、サブスタンスを生み出す。サブスタンスが時系列の中でこの世界に現出すると、私たちが五感で感知できるモノや事象となる。これが祈りがかなう瞬間だ。祈りはこの物理的時空間と霊的領域にポータルを開く。そのポータルが開くとき、私たちは祈りが生きている、通じている、あるいは手応えを感じる。きわめてタンジブルだ。またサブスタンスを語り出すとき、それが急所を突いたと感じることもできる。すると何かが起きるのだ。

現代は言葉が記号化されて、単なるラベルとされているが、ヘブル文化では言葉は実体そのものである。日本の言霊信仰が近いかもしれない。クリスチャンが自分のうちにあるその潜在能力に目覚めることをサタンはもっとも恐れているのだ。現在のキリスト教の有様はとても主イエスが意図された信仰のあり方ではない。人の基準と、世の目を恐れ、世のマインドセットに服しているためだ。クリスチャンは世界をキリストの王権に服させる使命を帯びているのだ。終わりの時代、神は必ずこのような目覚めたクリスチャンたちを興されるであろう。そしてご自身の権威と能力とわざを託して下さる。

言葉は実体そのもの

メッセでも語っているが、ここでも。

アブラハムとサラがすでにその肉体が用をなさなくなってから、神は、サラは来年の今頃イサクを生む、と言われた。サラは笑い、アブラハムに神は迫りつつ、こう言われた:

主に不可能なことがあろうか。-Gen 18:14

ここの「こと」とはdabar、つまり言葉だ。新約において、処女マリアに受胎告知があったとき、マリアは「どうして男の人を知らないのに子供ができるでしょう」と言うと、ガブリエルは言った:

神にできないことは何一つない。-Luke 1:37

ここも訳が不正確と指摘しているが、正確には「語り出された神の言葉(レーマ)にはできないことは何ひとつない」となる。ここでも「こと」とされているが、これはレーマだ。

場面としてはこの二例はほとんど同じ。つまり人にとっては不可能な場面。鍵は何か。神にはすべてが可能であることは当たり前。このふたつの御言葉が言っていることは、神の語り出された言葉があれば、すべては可能であること。もっと言えば、神の言葉があれば、その実体、サブスタンスを得たのだ!サブスタンスとは土台、権利証書の意味もある。誤解を恐れずにさらに言えば、存在とは神の言葉そのものだ。それは"I AM"の実体。

私たちの人生(サブスタンス)もすでに神のノートに書かれている(Ps 139:16)。それがこの物理的時空間の中でひとつひとつ現出する。目の前の個々の事態にうろたえるのが私たちの常であるが、個々の場面で私たちがなすべきことは何か。それは、聞くこと。魂を鎮めて、内なる神の声を聞くこと。神の言葉を得たら、それで完了。すでに得たのだから。

信仰とは、神はこれこれをしてくださる、と信じること、ではない。すでに「得た」。現在完了形。私の病気を癒して下さる、と信じることは失望に終わるだろう。これらの人々は聞いていないのだ。聞くこと、これだけがすべてだ。

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