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Tag: 再建主義

再建主義者に対する違和感

いつもの再建主義の富井氏の論。確かに中国や韓国が悪質であることはそのとおり。アメリカもオカルトが支配していることもそのとおり。サタンのわざが現れていることもそのとおり。しかし、この主張には何かジーザスの香を感じることができない。神の国はいのちと統治と10年以上前から語っている。統治はけっしていのちから切り離せない(Rom 5:17)。そしていのちはキリストのいのちなのだ。かつて流行ったWWJD的に言えば、ジーザスは果たしてこのような主張をなるだろうか?富井氏は自分が醸すオーラによって自ら孤立の道を選び取っている感じがするのだ。

3.

イエスが十字架にかかり、「すべての人を自分のところに引き寄せ」てから、全世界はイエス・キリストの所有になり、全世界の法的所有権はイエス・キリストに移った。

だから、抵抗しても無駄である。

「再建主義を論破した」といくら叫んでも無意味である。

イエス・キリストの御国を押し止めることのできる人間は一人もいない。

イエス・キリストにつく人々、つまり、聖書的クリスチャンには、全世界を手に入れる法的権利がある。

祈って活動すれば、徐々にサタンの牙城は崩れ、最後に大きな音を立てて崩壊する。

われわれは、悪魔崇拝者たちを崖の淵にまで追い詰めた。

彼らは、崖に突き出た岩盤の上にのっている。

われわれの毎日の祈りは、その岩盤の根っこの部分をコツコツと叩いてひび割れを生じさせるツルハシである。

あるとき、ひび割れは突然大きな亀裂となり、悪魔崇拝者たちは岩盤ごと谷底に突き落とされる。

CLIP:携挙はAD.1年に起きた!?

いつもの再建主義の富井氏の論、これはクリップしておこう―

tomi 2016/09/22(木) 20:16

携挙は紀元1世紀に起きた

ハイパープレテリズム(フルプレテリズム)の批判において、ケネス・ジェントリーは、「携挙は未来に起きるとする教え」を正統派の教えに含めているが、はたしてそうだろうか。

It teaches that the total complex of end time events transpired in the first-century: the Second Advent, the resurrection, the rapture of the saints, and the great judgment.
「それ(ハイパープレテリズム)は、終末の出来事の全体―つまり、再臨、復活、聖徒の携挙、最後の審判―が第1世紀に起きたと教える。」
https://postmillennialismtoday.com/2014/02/26/hyperpreterisms-empty-proof-text/ パウロは携挙は自分の生存中に起きると述べている。 「私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。 … 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(1テサロニケ4・15, 17)この「主が再び来られるときまで生き残っている私たち」(15節)は原語で、 hemeis hoi zontes hoi perileipomenoi eis ten parousian tou kyriou であり、意味は、 we the living (the) remaining into the coming of the Lord
「主の来臨まで残っている生者であるわれわれ」
である。 eisという前置詞は本来「中へ(into)」という意味も有し、「主の来臨の時が来るまで『十分に』」というニュアンスを表現する。 つまり「来臨のときにもまだ生きている」ことを強調している。 17節「雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会う」のは、「生き残っている私たち」(これも15節と同じhemeis hoi zontes hoi perileipomenoi)である。 つまり、携挙されるのは、パウロの同時代の人々。 だから、携挙はすでに紀元1世紀に起きたと考えるべきである。

侵食されるキリスト教

いつもの再建主義の富井氏の論。同意だ。

tomi 2016/07/29(金) 06:35

痛みの感覚を失った人間は死人である

2000年かけてこつこつと領土を拡大してきた神の国は、19世紀から20世紀にかけて、共産革命により一挙に破壊された。
ロシアは1917年以前にほとんどの農民が毎週教会に通うキリスト教国であった。
それが無神論者の牙城となり、革命を輸出するようになった。
中国や北朝鮮、ベトナム、カンボジアが、モスクワ(コミンテルン)の支配下に入った。
ロシア革命は突然起きたものではない。
その前に地ならしが行われていた。
ユーリー・ベズメノフが述べるように、「戦意はく奪」が行われていた。

「国家の大多数の人々が、全体主義から生じるいかなる危険性をも知覚できないようにし、さらには、自らに敵対する制度が非好戦的であり、ある面では望まし いものであり、どの点から見ても機能的なものであるかのように錯覚させ、現在の体制にかわり得る制度であるかのように思わせる」工作が行われていた。

これは、日教組を通じて日本でも行われてきた。
歴史の教科書を思い出してほしい。
私の教科書には「ソ連は1929年の大恐慌の影響を受けなかった。第1次世界大戦に参加しなかった」と書いてあった。
フランス革命が何か素晴らしいことであるかのように紹介されていた。
啓蒙主義が「中世の暗愚からの解放の灯」であるかのように記述されていた。
ガリレオ裁判が「キリスト教の非科学性」の証拠であるかのように記述されていた。
実際は、初期の科学者がほとんどプロテスタントであり、近代科学がキリスト教文化においてのみ発達したのに。

「キリスト教は労働を呪いととらえる」と教え込まれてきた。
実際は、資本主義がキリスト教の土台の上に築き上げられてきたのに。
サタンは、神の国を転覆させるために「戦意はく奪」工作をずっと続けてきた。
今の保守陣営もすでに深い洗脳の中にある。

クリスチャンも「戦意をはく奪」されてきた。
「ヒューマニズムの体制のどこがおかしいのか。ヒューマニストに政治をまかせてもうまくやってきたではないか。わざわざ聖書法など持ち出す必要などない」と考えている。
いやむしろ、「聖書法を持ち出す再建主義は危険だ」とすら言う。
「自然法で何が悪いのか」と。
だから、ローマ・カトリックに抵抗感がない。

今、ローマ・カトリックによるプロテスタント教会の取り込みが進んでいる。
マザーテレサなどの表看板を見て、ローマ・カトリック「が非好戦的であり、ある面では望ましいものであり、どの点から見ても機能的なものであるかのように錯覚させ、現在の体制にかわり得る制度であるかのように思わせ」られてきた。
宗教改革の精神はほぼ完全に破壊された。
サタンはいきなり物理的な攻撃をしない。
まず、教義を変え、教育を変える。
敵と仲良くするように仕向ける。
寛容が大切だと説く。
徐々に心が麻痺し、ついには同性愛すら受け入れるほどにボケる。

サタンは、最初から猛毒を与えると拒絶されるので、非常に希釈したものを与える。
しかも「甘味」を加え、包装に可愛いキャラクターを印刷する。
徐々に毒性を強めていき、依存症にする。
最初から悪魔崇拝を勧めるわけがない。
「光」として提供する。

ハリー・ポッターやハロウィン、メタルを通じて、悪魔崇拝に徐々に慣らさせる。
ある講義で、ユーリー・ベズメノフは、この「戦意はく奪」のために用いる期間は15年から20年だという。

https://www.youtube.com/watch?v=lr_jiil7gt0

それは「一世代を教育するのにかかる年数」だと。
敵を敵として認識しない世代を作り出すのにそれくらいかかると。
今の政治家や文化人が中国に対して精神的に無防備なのは、戦後世代に対する工作の結果である。

鳥越は「中国が攻めてくるなんて、妄想です」と言った。
痛みの感覚を失った人間は死人である。
なぜならば、危険物に対する警戒心がなくなるからである。

ヒューマニズムや自然法、ローマ・カトリックに対する警戒心がなくなっている今のプロテスタントのクリスチャンは、ほぼ死にかけている。

再建主義者の脳内マトリックス

20160719-1.jpg

これは実に興味深い。いつもの再建主義の富井氏の脳内マトリックスだ。クリップさせていただこう。

7つに時代を区切るのはディスペンセイション主義でも同じだが、問題は、今の2000年の見方。私たちはダニエル書の70週預言の69週と最後の1週にはさまれた異邦人の時代、恵みの時代、あるいは教会の時代と見る。そして異邦人の時が満ちるとき、携挙とイエスの再臨が起こり、その後、文字通りの千年期が開始される。・・・というマトリックス(現段階では)を持っている。

再建主義のマトリックスはちょうど千年分スライドしているわけ。だから彼らにとってはすでに黙示録19章までは成就している。彼らにとってはすでに最後の1週に入ってしまっている!?もっともSDAの解き明かしでもすでに70週は満了しているのだが・・・(彼らは69+1とは分けない)。

さて、実に面白いことだ。同じ聖書を読んでいて、そこから構築される脳内マトリックスはこれほどに異なるのだ。これはちょうど上の図のようなもの。

わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。-1Cor 13:12

tomii 2016/07/18(月)22:56

サタンの一時的な解放2

もし黙示録20・7-10におけるサタンの一時的な解放が、現代のイルミナティによる世界支配を意味するのであれば、直後に大審判がなければならない。

また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
ま た私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それ は、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。(黙示録20・11-15)

しかし、このような審判がすぐに来るとすれば、では、諸国民の弟子化というイエスの命令は成就しないままに終わるのか、という疑問が生じる。

イエスは「すべての国民を弟子としなさい」とマタイ28章で言われた。

ということは、それは、必ず実現するということである。

実現しないようなことをイエスが命令されるはずがない。

だから、われわれは千年王国の最後の時代には生きてはいない、と結論できる。

千年王国は、諸国民が弟子化するまで続く。

今のイルミナティの世界政府は、千年王国の最後に起こる反逆と比較すると小さい試みである。

「二度の世界大戦が小さい試みだと?」と言われるかもしれないが、聖書を読むとそうとしか考えられない。

私は、今の反逆は第2ステージだと考える。

第1ステージは、紀元1000年ごろにあった。

その時も反逆はあった。

十字軍は、実質シオニスト運動であり、タルムードユダヤ人による聖地回復、神殿建設の試みであった。

しかし、失敗した。聖地は奪還できず、神殿も再建できなかった。

第2ステージである現在においても、彼らの試みは失敗するだろう。

十字軍に発するテンプル騎士団がフリーメイソンとなり、第2ステージへの準備を開始した。

そのシオニスト的努力の集大成が、イルミナティによる国連建設であり、世界統一政府の実現である。

しかし、土台として据えられたEUがイギリスの脱退によって崩壊しつつある。

世界政府は完成しない。

これで第2ステージも失敗に終わる。

1997年から第3ステージが始まった。

なぜならば、キリストの生誕後ちょうど2000年後が1996年だからである。

今の時期は、第2ステージから第3ステージへの過渡期である。

第3ステージは、黄金の千年期と呼ばれるだろう。

第2ステージにおけるサタンへの裁きの後に、サタンは牢に投げ込まれる。

悪霊の活動も弱まるだろう。

フリーエネルギーの実用化、インターネットを通じたコミュニケーションの拡大、再生医療による長寿化など、科学技術の著しい発達により、世界は回復に向かうだろう。福音が、ほとんどすべての国民に受け入れられ、地上のシステム全体が聖書の原理によって運営される。

第3ステージの終末にサタンの本格的解放が起きる。

それまでの祝福千年期の間にもサタンは準備をしている。

その準備が表面化し、最後の最後に特大の反逆が起きる。

そして、神は最終審判を下され、永遠の世界が到来する。

つまり、新約時代における歴史とは、千年王国の発展の歴史である。

それは、3つの段階に分かれると思われる。(ただし、これは聖書に明示されていないのであくまでも私の推測である。)

第1千年期:紀元前4年から紀元996年まで。

第2千年期:紀元997年から1996年まで。

第3千年期:紀元1997年から2996年まで。

キリストが到来される前の時代、つまり紀元前の時代は次の4つの千年期に分かれる。

第1千年期:アダムからノアまで。

第2千年期:ノアからアブラハムまで。

第3千年期:アブラハムからダビデまで。

第4千年期:ダビデからキリストまで。

旧約時代の4つの千年期と新約時代の3つの千年期を合わせると、7千年期になり、一週間と同じ7という数字にまとまる。

それゆえ、新約の第3千年期は日曜日にあたり、「安息の千年期」になるのではないだろうか。

聖霊の著しい働きにより、最後の千年期において、神の民の数が増え、世界のすべての民族の間で、クリスチャンが多数派を占め、文化を変え、世界全体がキリストの王国らしくなる。

今の時点では、世界はキリストの「法的」王国であるが、千年後には「実際的」王国に変貌しているだろう。


再建主義者いわく、現代は千年期の最後の時代?

これはちょっとビックリなお説。クリップしておこう。

tomi 2016/07/16(土) 21:25

サタンの一時的な解放

しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
地の四方にある諸国の民、すなわち、ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。彼らの数は海べの砂のようである。
彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。(黙示録20・7-10)欺きの時代、エキュメニカル運動の時代、反逆の時代。

・・・・

われわれは、これらを目の前で見ている。
黙示録20章の千年王国の最後の時、つまり、悪魔が一時的に解放されている時代とは、現代なのか。
もしそう考えると、われわれの未来は、「敵による取り囲み」と「天からの裁きの火」である。
「彼らは、地上の広い平地に上って来て、聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。」
プレ・ミレは、この「都」をエルサレムととらえるが、新約時代において、ある特定の場所は都と呼ばれていない。都とは、神殿のある場所であるが、新約時代において神殿とはクリスチャンの体であるから、都は一か所に特定できない。
「聖徒たちの陣営」も、聖徒たち(クリスチャン)が全世界に散らばっているので、一つの場所に特定できない。
それゆえ、これをイスラエルにある「ハルマゲドン」に特定することは不可能である。
この個所は、サタンの軍隊がクリスチャンを圧迫すると考えるべきである。
「天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。 そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた」
「天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした」。これも象徴的な表現である。
第2列王記1章において、神は、エリヤの祈りにこたえて、天から火をくだされ、偶像礼拝する王アハズヤが2度派遣した五十人隊の長とその部下五十人、計 102人を焼き尽くした。アハズヤがなぜエリヤのもとに彼らを派遣したかというと、彼が王の不吉な運命を預言したからである。
正しいことを伝える預言者への迫害に対する神の回答は、火による焼き尽くしである。
同じように、御言葉を守るクリスチャンも追い詰められるが、神からの直接の裁きによって敵が全滅し、解放される。

キリスト教ではなく、キリストご自身へ

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再建主義の富井氏がこう発言されている:

tomi 2016/07/09(土) 18:29

悪魔の囲い込みから解放されるにはイエス・キリストご自身に頼るしかない

この悪魔の追い込みから解放されるには、その一人の人であるイルミナティよりも強い力を持つ人に頼るしかない。
イルミナティよりも強い人は、イエスである。
人類はイエスに頼るしかない。
イエス・キリストを救い主として受け入れて、イエスの力に頼り、祈ってサタンから解放してくださいと願うならば、そのとおりになる。
イエス・キリストに頼らず、イルミナティの内部にいても解決はまったくない。
いまやキリスト教はことごとくイルミナティに取り込まれてしまった。
だから、キリスト教に頼っても何も得られない。
イエス・キリストご自身に頼るしかない。

まことに同意だ(注)。イルミナティがすべて裏で仕切っているのは判断を保留するが、世がサタンの不法な支配下にあることは事実(1John 5:19)。そしてキリスト教が人を救うことはできないことは明らか。そもそもイエスはキリスト教の教祖でもないし、聖書はキリスト教の経典でもない。生ける神との邂逅、それはスピリチュアルにしてスーパーナチュラルな経験なのだ。オツムであれこれ御言葉の読解講座をしたところで何ら意味はない。フェイスはシックスセンス。それはスーパーナチュラルな世界へわれわれを引き入れるパワーなのだ。

 (注)私は再建主義は取らないし、ポストミレでもないし、モーセ律法を司法に適用せよとも考えていない。再建主義に対する疑問はここでも何回も指摘している。が、霊的姿勢として彼には大いに共有し得る部分が多いのだ。かつて議論した際、私は彼から異端宣告されているのではあるが・・・frown

プレミレVS.ポストミレ―同じ書を読んでいても・・・

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今回、再建主義の富井氏が次のように書いている:

tomi 2016/06/14(火) 23:28

今日われわれが目撃しているのは「第3の世界政府破壊」である2

この世界はキリストの王国である。(1)
キリストの法が支配している。(2)
・・・
イエス・キリストが紀元70年に神の国を開始されてからこの世界はキリストによって支配され、その支配を拒絶する人全員に呪いが下る。(3)
・・・
9-16節から、「家」とは「神の国」を指していることが分かる。
つまり、神の国を建設するはずのイスラエルの民がイエスを見捨てたが、それが基礎となったと。
パリサイ人に主導された当時のイスラエルは、グローバリストの国であった。(4)
・・・
これがイルミナティのトップ中のトップ。
(Edward Hendrie, Solving the Mystery of BABYLON THE GREAT)
彼らが『シオン議定書』を書いた。
この書にあるように、パリサイ人の目的は今日でも「ユダヤ人をメシアとする世界政府の建設」である。
・・・
彼らにとってナザレのイエスは邪魔者である。
当時、パリサイ人は、イエスを十字架につけて殺せば、自分たちの世界政府ができると考えた。
イエスは彼らにとって偽メシアであった。
本当のメシアならば、十字架から降りてきて、ローマ軍と戦い、勝利するはずだと。
しかし、結果は、ユダヤ民族の滅亡であった。
紀元70年に、イエスは再臨され、ローマ軍を通じて、世界政府建設を目指す堕落したイスラエルを裁かれた。(5)
そして、「捨て石」であったご自身を「本当の世界政府」つまり「神の国」のための礎石にされた。(6)
図式化すると、

A:パリサイ人の流れ:バビロニア思想→ミシュナー→バビロニア・タルムード→偽メシアによる世界政府
B:イエス・キリストの流れ:聖書→ナザレのイエスをメシアとする世界政府

この2つの世界政府の戦いこそが、聖書の中心テーマである。(7)
紀元70年に再臨のイエスは、Aを破壊され、Bを確立された。
今日われわれが住む世界が向かっているのは、再度のAの破壊と、Bの確立である。
・・・

実に不思議だ。マインドにおけるパラダイムが、同じ本を読んでいて、これだけ異なるのだ。

(1)これはそのとおり。すでにジーザスの初臨で神の国が地に介入し、現在われわれをとおして拡大しつつある。

(2)今、われわれを支配する法は廃された石の律法ではなく、いのちの御霊の法則。

(3)なぜAD70年なのだろう。すでに十字架上でイエスは「完成した」と言われた。神殿の幕も裂け、そこに刺繍されたケルビムも裂かれた。これは旧約の終わり。それを復活により証明された。昇天されるときに、「天と地の権威はわたしに与えられた」と宣言された。

(4)パリサイ人がグローバリスト?

(5)AD70年の再臨は第一の再臨で、さらに千年期後に第二の再臨があるとか・・・? それでは再々臨であろうに。

(6)イエスは「わたしの国はこの世のものではない」と言われたはずだが。

(7)物理的な五感(血肉)の世界のおける戦いではなく、霊的領域におけるもののはず。しかもすでに主は勝利されている。それを地上において現すことがわれわれの使命。必ずしも世界政府を樹立することではない。これは主の再臨の後に主ご自身がなさること。これがプレミレの立場だ。

そして現在が千年期、つまり文字通り物理的な神の国であるとすることにおいて、もっとも致命的な点は、血肉は神の国に入ることはできないこと(1Cor 15:50)。この旧い創造に属する肉体が霊の体に変貌することによってのみ、文字通り全存在が神の国に入る。今は霊がその領域に関わるのだ。私たちの霊をとおして、神の国のサブスタンスがこの五感の領域に現出する。これがフェイスのパワーだ。

またポストミレを認めるには、黙示録の成立時期がAD70年以前でなくてはならない点と合わせて(これについてはすでに論駁している)、富井氏の説には多々学ぶべき点があり、インスパイアされることも多いが、現在までのところポストレミ、あるいは再建主義を認めるには至らない次第。あくまでも聖書を読むのに、このような視点があるのかと、ひとつのパラダイムとして学ばせていただいている。

-再建主義者富井氏との対話-旧約律法と新約のいのちの御霊の法則

スパムが多くて、一時クローズドしていたハードコア・セッションを再開します。こちらのコメント欄では扱えないようなテーマはこちらまでヨロシクです。

リバタリアン主義の躍進!?

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この記事は要注目だ。

-ヒラリー氏・トランプ氏不人気、リバタリアン党に注目

リバタリアン主義はラッシュドゥーニーの再建主義の影響を受けている。小さな政府と税負担を軽くし、自己責任論を強調、時にはミリシアもあり得る。レーガンもその影響を受けていたが、そのリバタリアン党が脚光を浴びつつあるようだ。今は、なんとなく消去法的な印象であるが、これまでの民主党も共和党もウンザリしているところがホンネであろう。1%が国家の70%の富を独占する社会って、どうみても正常ではない。

その再建主義の富井氏がこう言われている:

tomi 2016/06/06(月) 13:14

日本人が一発屋を目指すプレ・ミレに惹かれることはない

1.
・・・
日本人は、目標を達成するために努力を惜しまない民族である。
こつこつやるから、最終的に世界で日本製品が独り勝ちしてきた。

2.
・・・
結局、こつこつ努力して力をつけた人が勝つのだ。
他人の収穫を当てにするような人は、最終的に負ける。
品性が卑しくなるので、まともな人が寄ってこない。
こういう人は、人生の敗北者である。
こういう人の集まる国や文化は、いつまでも第三世界から脱出できない。

3.
ポスト・ミレは「努力による文化建設」を目指すが、プレ・ミレは、「他人の果実を得ることによる文化建設」を目指す。
ポスト・ミレは、「紀元70年に、世界はイエス・キリストの御国になった。だから、クリスチャンが努力すれば、必ず世界は徐々にクリスチャンのものになる」と信じる。
プレ・ミレは、「世界は悪魔のものだ。だから、イエス・キリストの再臨に頼るしかない。今の世界で努力しても無駄だ」と信じる。
どちらの思想で子供を教育したいと思うだろうか。
どのまともな親が、自分の子供に「地道な努力を嫌い、他人の恩恵にすがる」人間になってほしいと思うだろうか?
ポスト・ミレは、こつこつ努力する日本人に合っている。
日本人が、一発屋を目指すプレ・ミレに惹かれることはない。

彼が言うように、AD70年にイエスが再臨し、黙示録の19章までは成就したのであれば、黙示録はAD70年以前に書かれている必要がある。これについてはすでに論駁しているが()、どうも私の印象では、富井氏のスピリットは敬意を表するに値するが、彼が経験した"ディスペンセイション主義"がそもそもおかしいのではないかと思うのだ。主は死と復活を通して天地のすべての権威を得たのだ。が、現在はサタンが世を不法にも支配していることは事実(1John 5:19)。そこで、主はその地を奪還せよ、統治せよ、全地に福音を述べ伝えよ、と命じられた。

今は来たるべき千年期の前味わい。なぜなら、私たちの体が依然として旧い創造であり、それは神の国に入ることできないからだ(1Cor 15:50)。現経綸では私たちの霊が神の国のリアリティーに触れ、私たちの魂と体を通して、神の国のサブスタンスがこの物理的領域に現出する。こうして地を得ていくのだ。すでに既出であるが、富井氏と小生の旧約と新約の理解をシェマティックにまとめておく。

20160607-3.jpgなお、申命記8章32節(Deut 8:32)に「神々の数に従って地を割り当て、主(YHWH)にはヤコブが割り当てられた」とある。これは地が神々(Elohim)に分配されたわけ(先に紹介した"THE UNSEEN REALM"の論題)。この地をYHWHへと奪還すること、そして救いを受ける異邦人の数が満ちるとき(Luke 21:24)、主は再臨される。その後に、ミレニアムが到来するのだ。ゆえに私たちには神の国を増殖することにより、再臨を早める義務がある(2Pet 3:2)。

そしてそもそも努力なる単語はフェイスと反するではないか。

人間を豊かにするのは主の祝福である。人間が苦労しても何も加えることはできない。-Prov 10:22

フェイスはスーパーナチュラルのパワー(デュナミス)を解放する。すべては内にいますキリストの恵みによるのだ。

神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。-1Cor 15:10

どうも再建主義は五感の領域のことと霊的領域のことを混同している感がするのだが・・・。ああ、またあまり指摘するとアナテマされるので、この辺でsealed 繰り返すが、富井氏の姿勢は大いにリスペクトしていること再確認しておきたい。

再建主義でも新しい創造を・・・

この記事「聖霊による回心は、世界を根底から変える」は面白い。神は新しく人を創造すると。いつもの再建主義の富井氏の論だ。まことに同意する次第。私は再建主義者ではないが、神のいのちの統治を地上に実現したい。2003年頃のバイブル・カレッジでもこの二面を語っていたが、それでもいのちの面に傾いていた。

が、最近、統治の具体的な方法に気がついた。それはデゥナミス。いのちにあってキリストと共に支配する力だ。このデゥナミスに覚醒すること。このようなスタンスはしばしば、「繁栄の神学」と共に、「Kingdom Now 神学」として批判されているが、主の祈りの本質はこれであろう。

では、再建主義に感じる違和感はどこから来るのだろうか?どうもその統治を社会体制と絡めるところにあるかもしれない。先のノンクリスチャンは選挙権を持たないとか・・・。われわれは社会体制とは関係なく統治を実現する。それはいのちによる統治。イエス自身も社会体制を変えることは意図されていない。わたしの国はこの世のものではない、と明言している。この地上に文字通りのイエスの統治が実現するのは次の経綸(千年期)。彼からするとこれはイルミナティの洗脳となるのだが・・・。

裏話:今回の新著は当初『神の法』としていた。が、カミさんが、大川隆法と間違われるし、パクリみたいだから、と。そこで『神のノモス』にしたが、出版社が、それは一般の人には理解できない、と。そこで『神の新創造』となったわけ。考えてみれば内容はもろソレなのだ。カバーデザインも宇宙とDNAバージョンは、なんと大川氏の最近の本にほとんど同じものがある。今のバージョンはスピ系を意識したものなのだが、ちょっとゴテゴテ感を外して現在に至った次第。今見るとそれなりの雰囲気で、宇宙とDNAバージョンよりもイイかもと感じている。本書はニッポンキリスト教業界は対象として考えていない。世に対する直球勝負だ。打倒、大川隆法?はは

再建主義社会体制とは?

いつもの再建主義の富井氏が次のように書いておられる。

-聖書的政体における選挙制度

これによる再建主義社会体制の下ではノンクリスチャンは選挙権を持たないとか・・・・?うーむ。私も相当にイルミナティの洗脳にやられているようだ。私も本でも書いたが、神の御旨は統治にあるが、しかし、それはいのちと共にだ。

もしひとりの人の違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりの人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。-Rom 5:17

2015年、いよいよ9月が近い

すでに2015年のキーワードは「ケイオス」だと言っている。これは世の中、信仰者にとっては「ヨベルの年」とも。

事実、株もやばい。イスラエルがシリヤを爆撃。朝鮮半島が一触即発、残された時間は・・・。中国ではワケのわからん大爆発が。天のしるしも地のしるしも揃ってきている。かくしてこの9月23日(ヨムキプール)に携挙という気の早い向きもあるが、これはない。それはあくまでも前艱難期携挙説だ。しかし舞台設定が確実に整ってきていることは否定できない。

ポスト・ミレの再建主義によれば、これらはすべてユダヤ人とイルミナティの陰謀。彼らが終末を演出しているというわけだ。一部では隕石の落下も懸念されているが、天体現象を陰謀で演出することは不可能。同じ聖書を読んでいて、解釈にこれだけのスペクトルが生じる。これも神の人間のマインドに対する挑戦なのだ。携挙について言えば、自分は絶対挙げられると確信している向きはむしろ要注意。私たちの確信などはまったく当てにならない。彼らの基準と神の基準は必ずしも一致しないから。私がもっとも懸念しているのは、9月に携挙がなかった場合、いわゆるプレ・ミレがオオカミ少年とされることだ。

確かに言えることは、主は再度来られること;私たちは挙げられること;その時期が近いこと。もっと言えば、霊的領域が開かれるならば、メッセでも語ったが、時間と空間を超えることができる。私たちはアセンションとディセンションを天のポータルを通して自由に行えるのだ。だから二千年前のあの地の事実が今の、ここにいる私の経験となり得る。日本基督教団のあるうつ病牧師が言っていた。自分にとって二千年前のイエスがなんの関わりがあるのか、分からなくなると。こんな輩の説教を聞かされる人たちに同情を禁じ得ない。しばしばうつ病の感染源がこういった牧師の説教であることはすでにお分かりであろう。聖書の御言葉を自分のオツムであれこれ論じ、自分を"神"とする輩のお決まりのコースだ。

メッセでも語ったが、われわれはスーパーヒューマン。この物理的時空間を超える存在なのだ。

わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。-John 17:14

-The Big List Of 33 Things That Are Going To Happen In September 2015

聖書の神は3人の神々

再建主義の富井氏いわく-

3つの位格があるということは、3人の神がいらっしゃると同義です。

夫婦は、神の三位一体の似姿です。

夫も妻も一人の人間です。

しかし、結婚契約によって一体となり、一人として存在する。

似姿の本体である3人の神も契約によって一体となっている。

うーむ。これが古事記の造化三神(天御中主神・高御産巣日神・神産巣日神)につながるわけか・・・。

 

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