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Tag: 喜捨

殉教という現象

まずわれわれはキリスト【教】に殉ずるのではない。キリスト教なる宗教は単なるオツムのマトリックス。踏み絵と同じくそんなものはどうでもよろしい。われわれは【キリスト】に殉ずるのだ。が、とりあえず殉教なる単語を用いておくが―

コレ、クリスチャンにとっては最高の栄光だ(もちろんできたら痛くない方法で行きたいとは思うが・・・)。ノーベル賞を貰うことは世の栄光。殉教は永遠の霊的な栄光。だからぼくはコロセアムに引き出されたとき(現代ではないかもだが)、ぶよぶよのボディを晒したくないので、腹筋を割って鍛えている。『グラディエイター』などは理想の死に方だ。ただ、世の人には全く理解不能だろう、特攻隊とどこが違うの;そんなことして何の得があるのとか・・・。

フェイスにとっての一番の障害は惜しむこと。その究極は自己を惜しむことだ。逆にフェイスが一番活性化するのは、惜しまない心。何かを捨て去る時だ。実に清々と、晴れやかな気分になれる。すべての悩み・葛藤は、自己への執着から生まれることは仏教でも説いている。道元も禅の本質は喜捨にあると言う;仏道をならふとは自己を忘るることなり。

真にクリスチャンが召される時は、遠藤周作が書いたような様ではない。神が沈黙されるのは、すでに御心を明らかに語っているから。だから本人も分かっている。ゆえに清々かつ喜々として自分を捨てる。これが殉教。それはこの五感の世界を超えた栄光に満ちる永遠の領域への脱出の瞬間なのだ (おそらく三島由紀夫も天皇のために殉じることでそれを夢見たのだろうと推測するが・・・)

人はね、究極的には自分のためにだけ生きることはできないのです。

Only a life lived for others is a life worthwhile.-A.Einstein

-ウォッチマン・ニーの証(http://www.kingdomfellowship.com/Encourage/encourageinf.html

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