Information

3_White_logo_on_color1_256.jpg

ブログ・スクリプトをWord Pressにチェンジしました。明日(2017年3月10日)以降、このページは更新しません。新しいブログに移行します。

-DR.LUKE'S iDLE UTTERANCE(http://www.dr-luke.com/wp/)

なお、フレームは以前と同じです。

-http://blog.dr-luke.com

また過去ログはこちらで一覧可能です。

-Dr.Luke's Spiritual Insight(本ブログ)

-過去ブログ2

-過去ブログ1

 

Entry

Tag: 霊的世界

フェイスは時空を超える

20160810-1.jpg

この記事(画像をクリック)、ブラックホールとワームホールの実証的研究のオハナシ。現代物理学はようやくこの地点に達しつつある。が、聖書はすでにそのことを啓示している。太陽が丸一日止まったり、日時計が10度戻ったり、壁に手が現れて文字を書いたり、ピリポのように瞬間移動したり・・・。フェイスは永遠のNOWに生きること。そこではジーザスはもちろん、アダムやアブラハムやダビデやソロモンや弟子たちとも交わることができるのだ。これまでのマインドのマトリックスを離脱せよ。キリストのマインドをアクティベーションするならば、まことに広々とした地平が開かれる。

言葉によるバカの壁

言葉は実に不思議なもの。「ユーアーフール」と言われても日本人はさほど傷つかない。「あほちゃう」と言われても関東人はそれほどでもない。が、「お前はバカ」と言われるとかなりクル。内容は同じなのだが、その言葉にまとわりつく「何か」がメンタルに影響するわけ。

聖書の言葉も同じ。言葉によるトリックがいわゆる宗教体系を構築し、ニッポンキリスト教が出来上がる。これは私が20年近く言っていることだ。日本語で考えるなと。ある方が、「ジーザスはエイリアン」に対して大変な憤慨をされた。うーん、何故これほどに激するのかまったく不明。辞書でちょっと調べてみてほ しい。ジーザスは「わたしは世の者ではない」と言われた。まさにエイリアンでしょうに(笑)

言葉遊びしているとその自分のマインドに構築された言葉の体系、つまりマトリックスによって判断し、そこから生み出される感情がこのような反応を生み出 す。あなたのオツムの中の「エイリアン」があなたが憤慨するような意味を有しているに過ぎないのだ。いわゆる「言葉狩り」なる社会現象も同じ。「片手落ち」は禁句、「片落ち」が正しい。こちらは別にそのような意味を込めて使ってはいない。こうして社会は相互監視社会となり、窒息する。これが現在のニッポ ンキリスト教で起きている現象なのだ。

われわれは「信仰」という時、すでに日本語のマトリックスに落ちている。その回路に従って考えるのだ。オレの信仰にとやかく言われる筋合いはないとなる。 ピスティス、つまりフェイスはシックスセンス。そのセンサーによってわれわれはスーパーナチュラルと関わる。そのサブスタンスはひとつだ。御霊はひとつ、 フェイスはひとつ(Eph 4:5)。

言葉の効能と限界をしっかりと線引きする必要があるのだ。物理法則は数学という共通言語によって記述される。ゆえに言語の壁はない。そのかわり数学が分からない人にはまさにイッツ・グリークとなる。一方、フェイスはそれぞれの言語によって記述される。ゆえにいろいろと民族的・歴史的・習慣的・習俗的などな どのコンタミが混ざる。これが種となって膨らむとそれぞれのキリスト教なる宗教体系が構築される。

当時もジーザスは「パリサイ人とサドカイ人の種に注意せよ」と言われた。パリサイ人は宗教者、サドカイ人は合理主義者を代表するが、その種が膨らむとフェ イスをかき消す。これが今もなお、連綿と起きていることなのだ。われわれは完全にその種を抹殺することはできない。が、主は「それに気を付けよ」と言われた。少なくとも自らを正当化して、それを育てるような愚は避けたいものである。

霊の世界はリアル

まさにスーパーナチュラルな霊の世界。自分がどうのこうのするクリスチャンはあの者にとって脅威ではない。マイワールドで自作自演しているだけだから。今こそフェイスの覚醒。自分が何者であり(=ニュークリーチャー)、どこにおり(=天の座)、何を成し得(=ジーザスと同じわざ、さらに大いなるわざ)、何を得たのか(=全世界)に目覚めること。サタンはそれをもっとも恐れている。

霊のバイブレーション

父なる神を感じる。

手で感じる。

神の呼吸を感じる。

神の息吹きを感じる。

内なる神の霊の波動を感じる。

物質界はすべて場の波動。

電磁場のバイブレーションをTVやスマホは映像や音声として実体化する。

霊の場のバイブレーションを私たちの霊は言葉や行動として実体化する。

人は神のバイブレーションを受信し、それをこの物理的世界に現出させるために創造された。

地と生き物を治めよ、と。

霊の波動をとらえ、語り出す。時には言語化(預言)し、時には異言として。

それは霊であり、いのちである(John 6:63)。

一度神の言葉が語り出されたら、それは無益には帰らない(Isa 55:11)。

それは何かをチェンジし、癒しまた活かし、ないものを生み出す。

ロゴスは肉体として幕屋を張った(John 1:14)。その方が人間としての機能をデモンストレーションされた。

私たちが同じ道を歩むために。それは死を支配し、いのちをもたらすこと。

自己から解かれるとき、神の霊に浸る。

パウロが第三の天に挙げられた経験は、今もなお、ある!

霊の世界のサブスタンスをこの物理的世界に現出させること。

神の国が目に見える形で現されることだ。

やばい・・・

裂かれた天

そして、水の中から上がられるとすぐ、天が裂けて、聖霊がはとのように自分に下って来るのを、ごらんになった。すると天から声があった、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。-Mark 1:10-11

天は裂かれた。そこから聖霊が鳩のようにイエスにくだった。そして天の声があった。この声はいイエスのみでなく、今やイエスは長子であり、イエスに続く私たちに対する言葉でもある。私は御父の心にかなう者なのだ。そしてこの言葉は次の祈りの成就である。

どうか、あなたが天を裂いて下り、あなたの前に山々が震い動くように。-Isa 64:1

神が肉体を取られたとは、まさにこのことだ。イエスは天を裂いてくださった。受肉され、ご自分の肉体を裂くことによって。

兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく至聖所にはいることができ、彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができる・・・-Heb 10:19-20

この肉体の幕は裂かれたのだ。道は開かれた。天の至聖所に至る道が。私たちは天の領域とこの物理的時空間を自由に行き来することができる存在、新創造なのだ。御言葉は自分はこう思うとか、こう感じる、あるいはこう解釈するとかではない。それは啓示。オツムの発達した人はその肥大化したマインドが邪魔をする。自分のマインドという幕が閉ざしている。それは裂かれる必要がある。

キャサリン・クールマンは、私にとっては目の前のあなたがたより、聖霊の方がリアルなの、と言った。見えない世界、それは霊のみによって見ることができる。一度見たら、この物理的時空間のもろもろの事象は一挙に興ざめしてしまう。そのサブスタンスがこの物理的時空間に現出するダイナミクスを経験する特権が私たちにはあるのだから。私たちにはどれほどの天の富のサブスタンスが分かち与えられていることだろうか。今、極私的にはこれを見極めたいのだ。

 

Pagination

  • Newer
  • Older
  • Page
  • 1

Utility

CALENDAR

11 2018.12 01
S M T W T F S
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

MOON AGE

WORLD CLOCK

COUNTER

    Access.....
    Yesterday......
    Today............

RANKING

    ブログランキング・にほんブログ村へ

KF_SITE

FOR MEMBERS

APPLE iTUNES STORE PODCAST

YOUTUBE ARCHIVE

OLD iDLE UTTERANCE

OUR WORSHIP

TWITTER UPDATE

INSTAGRAM UPDATE

PRAY FOR ISRAEL

QRcode

BIBLE SEARCH

ENTRY SEARCH

Recent Trackback

Re:真の礼拝とは-Colin Urquhart
2018/04/30 from 承認待ち