フェイスにより人間の言語マトリックスを超える
FBの方で次のようなご意見がありました。大切な点なのでこちらにても紹介しておきます。
A氏:聖書は日本人の伝道を前提にしていないのかぁ!と思うほどです。また、あちらこちらの巷のメッセを聞いていても「この訳は頂けない」「この訳は間違っている」「へブル的背景を知らないと」とかやってる。この国では聖書を手にしてもらうだけでもやっとのことなのに、さらに中身云々となったら誰が救いに与れるのかホント気が遠くなります。
小生:これは英語でも他言語でも同じでしょう。特に日本語は不利ですが。記録された言葉は人間の言語マトリックスに神のことばを投影する作業だからです。
ゆえにフェイスが必要なわけです。フェイスとはサブスタンスの実体化。それは霊によってのみ可能です。霊のことは霊によって知るとあるとおりです。
そして何よりも神の国はロゴス(言語)にではなく、ドユナミス(力)にあるわけで、人間の言語に投影され記録されたいわゆる御言葉をオツムでアレコレいじっても、霊的なサブスタンスにはタッチできません。これがいわゆる神学です。それはマインド・マトリックスに過ぎません。
カギは霊にあります。フェイスの覚醒、さらに霊的エンジニアリングに熟練する必要があるわけです。無限の霊的領域に飛躍し、透視するカギです。
そして何よりも神の国はロゴス(言語)にではなく、ドユナミス(力)にあるわけで、人間の言語に投影され記録されたいわゆる御言葉をオツムでアレコレいじっても、霊的なサブスタンスにはタッチできません。これがいわゆる神学です。それはマインド・マトリックスに過ぎません。
カギは霊にあります。フェイスの覚醒、さらに霊的エンジニアリングに熟練する必要があるわけです。無限の霊的領域に飛躍し、透視するカギです。