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恵みによるドュナミスの浸透

今回のメッセのアウトラインをご紹介―

体・魂・霊からなる人は罪の結果、霊が死んで、体と魂で生きる存在となった。自分の資源だけで、特に魂を肥大化して生きる様を肉と呼ぶ。救いを受けて、霊がリアクティベーションされたクリスチャンは霊は神の臨在、すなわち至聖所として立方体として完全である。そこには恵みが満ち溢れる。ヨハネの恵みの上に恵みを与えられたとは、恵みが魂の内に浸透することを意味する。霊から神の霊が魂に浸透する時、魂の傷やひび割れは癒される。こうして魂が健やかに繫栄するほどにあらゆることにおいて繫栄し、神のアバンダントなドュナミス(フォース)が私たちの霊⇒魂⇒体と流れ出る。まことに聖霊は腹から川々となって流れ出るのだ。それは神の栄光を反映し、私たちの人間性において神がエミュレートされる。

●参考:

-霊の機能と魂・体との相互作用について
-真理はあなたを自由にする

追記:至聖所の奥義

幕屋も神殿も至聖所は立方体。それは完全立体。そして新エルサレムも立方体。つまり旧約と教会時代は至聖所は奥まった隠された場所。が、エクレシアの完成である新エルサレムは隠されていない。神の臨在そのもの。だから太陽も月も神殿も不要。神の栄光で輝く。⇒聖書が究極的に語ること(http://www.kingdomfellowship.com/Topics/AllBible.html

で、3次元立方体の展開図は平面の十字架。4次元立方体(ハイパーキューブ)の展開図はなんと立体の十字架なのだ。つまり十字架が折りたたまれると立方体、すなわち至聖所、神の臨在となるわけ。聖書は数学なのだ。

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satake

こんにちは。

仏教では、人は既に悟っている、ともいいますね。

人間は、既に悟っている存在なのに、自分で、悟りを開くというゴールを設定して、知識を得たり、修行をしたりして、そこに辿り着こうとします。

悟りというのは、悟ろうとする自分が、そもそもいないことですから、悟ろうとすると、トリックに嵌り、いつまでたっても悟れない、ということを聞いたことがあります。

クリスチャンも、自我を否んで、自分でゴールを設定して聖人になろうとすると、宗教というトリックに嵌ってしまうのですね。

“既に得ているモード”の話が、仏教の悟りの話と、どこか似ているな、と感じました。

人間は、自分のマインドで時間というものを作りだして生きているようにも感じました。

既に十字架によって終わっていて、勝利を得ている所から宣告することが大切なのですね。といっても、おくびょうな霊よ出て行け、迷いの霊よ出て行け、と、悪霊追い出しのようなことをやりたくなります・・・(笑。

霊からの恵みが魂に浸透されますように。
ありがとうございます。

  • 2017/02/06 22:05:08

Dr.Luke Karasawa (唐沢治)

主が十字架でなされた霊的事実(真理)を口に出すことは重要ですよ。神は言葉でみわざをされますから。ただ、よく聖霊派でやる空回り的叫びは?ですね(笑)あれは念が籠ってる感じでちょいと苦手です。

  • 2017/02/06 22:32:59

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