イエスの勝利の秘訣
- 2015/05/29 20:11
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:霊的戦い
わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。-John 14:30
邦語訳はしばしば真理を棄損していることは何度も指摘している。ここもそのひとつだ。大抵の邦語訳は「なんの力もない」とか「何もできない」とか訳している。が、これは違う。KJVでは"he hath nothing in Me."だ。つまりイエスのうちにはサタンにつけ込まれる要素が何もなかったのだ。私たちもサタンに足場("topos";Eph 4:27)を与えてしまうと、キリストが十字架で勝利されたにも関わらず、その効果を奪い取られることがある。この足場はもろもろの肉的な罪や、プライドや、怨みや、嫉妬・妬み、競合心などだ。
イエスの内にはそれらの要素が何もなかった。ゆえに彼は精神的に辱めを受け、肉体的には苦痛を受けたが、彼はいわゆる傷つくことがなかった。私たちが人から中傷されたり、裏切られたりして、傷つくのは、実は自分の中にすでに足場があるからなのだ。自分に害を加える相手と同じ要素をすでに自分が持っているから、そこを突かれると傷つく。学歴にコンプレックスを持っている人も、学歴を誇る人も、実は同じ物差しを持っている。だからどちらも学歴に関する何らかのマイナス評価を受けると傷ついてしまう*1。自分をその学歴という価値観の上に立て上げているからだ。かくして劣等感も優越感も実は同じことの裏表であると分かる。
イエスに対してあらゆる誹謗中傷を加えようとも、彼は決して傷つくことはなかった。彼の物差しはこの世のものではなく、彼のアイデンティティーも地のものに置かれていなかったのだ。まことに彼の内側には世のものも、サタンもつけ込むことができなかったのだ。だからサタンがなしえることは彼の肉体を滅ぼすことだけだった。しかしそれが逆に新創造を生み出してしまった!
私たちが魂を否む必要があるのは、このことのためである。魂が何を自己存立あるいは自己価値の根拠としているか。それが問われるのだ。魂を救おうとすれば、それを失う。失えば、魂の救いを得るのだ(Luke 9:22-23)。主はあの富んでいる者に言われた。
そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。 すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。 自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。-Luke 12:16-21
これは決して富を蓄えるなと言っているのではない。魂の存立の場をどこに置くかを問うている(Luke 12:34)。魂を世の価値観によって担保しようとすれば、それを失う。が、魂を天の価値観によって担保すれば、それは救いを得るのだ。だからヤコブは言う:
心に植えつけられている御言(ロゴス)を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。-James 1:21
こちら側にサタンの足場があるままに、いくら「悪霊追い出し」をしたところで、効果はない。同じものを持っているのだから。HE HAS NOTHING IN ME! -私たちが真にそう言い切れたとき、勝利は自ずと私たちのものとなる。
*1:この現象をある人々は"Soul Tie"と呼ぶ。魂が霊的領域で粘着しているのだ。ダビデとヨナタンはポジティブなSoul Tieを得ていた。
じゅんこ
アーメン!!この世て同調することもサタンに付け込まれる隙を与えてしまいますね。
また私の話で申し訳ありません。
数年前に姉の夫、義兄が親の跡を継いで住職になる儀式があり、母が私に出席しなさいと誘ってきたのです。私がクリスチャンであることを母は勿論知ってて言いますが、即、それを祝う信仰は持っていないことと、私が周りにどう言われても構わないことを告げると、面白いことに私がとても軽くなったのです。
やはり口に出して言う前は内側に重たさを感じているんです。
主にあって宣言することはイエス様が私の荷を背負ってくださるんだとはっきりわかった瞬間でした。ハレルヤ!!
母であっても霊的には全く違います。が、主が憐れんで下さることを祈ります。