FAITHを使え!
- 2015/07/14 18:10
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:サブスタンス, アセンディング, ディセンディング
水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。それからピリポはアゾトに現われ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。-Acts 8:39-40
ピリポはトランスポートされた。これは新約の時代の証言だ。そしてこの現象は今も起きている。
私たちの信仰は時間と空間を超える。そもそも束縛されていない。私たちの祈りが天に抜けるとき、そこは時間を空間を超えた処。ゆえに弟子たちやダビデやソロモンとすら交わることができる。HOW? もちろん、霊によって、だ。私が12月に見たあの場も霊の領域だ。しかし明確に視覚野に印象が残っている。最初は幻覚なのか、何なのか、かなり戸惑ったことは事実。しかし、古の預言者たちも、新約の聖徒たちも、みな幻を見るときは同じように困惑し、戸惑ったのだ。なぜ?それはスーパーナチュラルだから、私たちはキリスト教の信者ではない。キリストを信じているのだ。すなわちスーパーナチュラルな存在。
天の領域におけるサブスタンスを見て、それに触れるとき、私たちはこの物理的時空間を超えた世界にいる。これがアセンディングだ。そしてそのサブスタンスを地上に現出させること、これが信仰であり、ディセンディング。天は裂かれているが、われわれのマインドが裂かれていない。だからこの天の領域に突き抜けることがほとんどの人の場合、できていない。よって祈りも地上でのあれこれの問題を何とかしてください~と、地上でぐるぐる周りするだけになる。自分のアイデンティティーと居場所を知るべきなのだ。われわれは新創造であり、天にキリストとともに座している!そこは物理的時空間を超える世界。もっとつまづくであろうことを語ると、物理的身体を持って時間を遡る証言もあるのだ!HOW? エノクは信仰によって死を見ることなく天に引き上げられた。そう、信仰によって。イエスは言われたであろう:
信じる者には何でもできる。-Mark 9:23
FAITHを使うとき、すべては可能。これは私が言っているのではない。イエスである。よく聖書をそのまま信じるのは狂信であり、聖書原理主義カルトだとするむきがある。彼らは自分の本性を証明してしまっている。聖書を信じていないのだ!自分のマインドを"神"にして、聖書の力も神の力も知らない者たち。よって土俵が異なるゆえに相手にするまでもない。自分の神に対する不信仰を顕にしているだけだから。聖書は神ご自身の言葉。レーマである。神は語っている、今も。遠藤周作の『沈黙』などは偽りである。問題は私たちどの霊的周波数にチューニングするかにかかっているのだ。終わりの時代、次の預言の成就を見るであろう。
そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
『神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。
わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、天に不思議な業を、下では、地に徴を示そう。
血と火と立ちこめる煙が、それだ。
主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。』-Acts 2:16-21
追記:・・・と書いていると、Dr.Lukeはいよいよだと思われることは重々承知
shige
ルークさん、ご無沙汰です。
自分の世界観や世のキリスト教に汚染されて、このところのルークさんの記事やメッセを「いよいよだ」と思われる向きは本当にお気の毒です。ま、自己責任でもありますが。でも当たり前過ぎる超自然の世界に信仰によって生かされ、それを楽しむことが出来るとは、もう嬉し過ぎて死にそうです。ハレルヤ!