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言葉は実体そのもの

メッセでも語っているが、ここでも。

アブラハムとサラがすでにその肉体が用をなさなくなってから、神は、サラは来年の今頃イサクを生む、と言われた。サラは笑い、アブラハムに神は迫りつつ、こう言われた:

主に不可能なことがあろうか。-Gen 18:14

ここの「こと」とはdabar、つまり言葉だ。新約において、処女マリアに受胎告知があったとき、マリアは「どうして男の人を知らないのに子供ができるでしょう」と言うと、ガブリエルは言った:

神にできないことは何一つない。-Luke 1:37

ここも訳が不正確と指摘しているが、正確には「語り出された神の言葉(レーマ)にはできないことは何ひとつない」となる。ここでも「こと」とされているが、これはレーマだ。

場面としてはこの二例はほとんど同じ。つまり人にとっては不可能な場面。鍵は何か。神にはすべてが可能であることは当たり前。このふたつの御言葉が言っていることは、神の語り出された言葉があれば、すべては可能であること。もっと言えば、神の言葉があれば、その実体、サブスタンスを得たのだ!サブスタンスとは土台、権利証書の意味もある。誤解を恐れずにさらに言えば、存在とは神の言葉そのものだ。それは"I AM"の実体。

私たちの人生(サブスタンス)もすでに神のノートに書かれている(Ps 139:16)。それがこの物理的時空間の中でひとつひとつ現出する。目の前の個々の事態にうろたえるのが私たちの常であるが、個々の場面で私たちがなすべきことは何か。それは、聞くこと。魂を鎮めて、内なる神の声を聞くこと。神の言葉を得たら、それで完了。すでに得たのだから。

信仰とは、神はこれこれをしてくださる、と信じること、ではない。すでに「得た」。現在完了形。私の病気を癒して下さる、と信じることは失望に終わるだろう。これらの人々は聞いていないのだ。聞くこと、これだけがすべてだ。

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