保険をかける霊的欺瞞
- 2015/09/01 08:18
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:癒し
主は言われた、願うものをなんでも求めよ*1。わたしはかなえてあげよう、と。-John 14:13-14
これ、実はイエスにとっても私たちにとってもかなりリスクがあることなのだ。でしょ?メッセでも語ったが、しばしばクリスチャンの間で次のような"信心深い"発言が交わされる。
・自分がやれることはすべてやった。だから祈れば神様がなんとかしてくださることを期待しよう。
・私の家族に奇跡が起きることを見たいけど、まあ、神様は一番よくご存知だから、すべてがうまく行くと期待するだけ。
・あの大きな仕事の案件がダメになった。もう一貫の終わりだ、破産しかない。あとは奇跡が起こることを祈るだけだ。
・パパの病気は重いの。ドクターが今度はもうダメかもしれないって。ああ、召される時なのかも知れない。でも主が望まれるならし方がない。そう、ただ神様に信頼するだけ。
・ああ、神様、なんでこんなことに。でもわたしには分からないけど、ありのままの状況を受け入れられる力をください。
はて、どこが変なのかしらん?・・・と、これらの言にある欺瞞性が理解できない人は同じトラップにはまっているからだ。これらはすべて自己を守るためのカモフラージュ。どっちに転んでも自己が傷つかないように、と。
神の御旨は統治だ。私たちは
いのちにあってキリストと共に支配する。-Rom 5:17
あの悪霊に憑かれた息子の父親のように
信じます、不信仰な私をあわれんでください!-Mark 9:24
と叫ぶ人は幸いだ。
*1:「なんでも」とは「特異的に」の意味だ。つまり具体的に明確な対象を指す。祈りはできる限り、明確に、具体的に祈る必要がある。