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Dr.Lukeの一言映画評-『ギヴァー-記憶を注ぐ者』

ギヴァー-記憶を注ぐ者』。

荒廃の灰の中から、ある社会が再建された。境界に守られたコミュニティである。ここでは誰も過去の記憶を持たない。荒廃の後、人々は、新しい社会を作り上 げた。完全に平等な社会である。差異のない世界、差異がなければ争いも起きない。“恐れ”“苦痛” “憎悪”は、もはや死語と化し、人々の記憶から消し去られた。人々は争いを避けるために、何かあれば、すぐに他人に対して謝罪をしていた。
このコ ミュニティで育ったジョナスは、理想的に見えるこの世界に住んでいる。モノクロでも、調和がとれて安心できる世界だった。しかし彼が、「記憶を注ぐ者」と いう、すべてのコミュニティの記憶を保持する唯一の人物と過ごし始めると、コミュニティに隠された過去の、暗く最悪な真実をすぐに見つけ始めた・・・。

いわゆるディストピアをテーマにした作品。ジョージ・オーウェルの『1984年』、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』などが有名だ。しかし、これ最近の世界の空気感そのものだ。言葉や日常生活まですべて監視されている。社会の平和を維持するために、個人の感情は殺される。毎朝、感情を鈍麻させる薬を注射されるのだ。こうして人々はバウンダリーの中で白黒の世界に生きている。しかし、ジョナスは違和感を覚え、真実に目覚めるようになるのだ。ギヴァーによって記憶を注入されるたびに世界がカラー化していく。それまで自分が見ていた世界がリアリティーなのではなく、見えなかったリアリティーが明らかにされていくのだ。

人類はエデンの園を追放された後、当初はそのエデンの素晴らしい世界と経験の記憶を有していた。が、時が下るにつれて、その記憶は薄れ、自分たちのチカラで社会を構成し、平和を保つために、自分の真の心を押さえ込むようになった。通勤電車のサラリーマンの表情を見ると明らかだ。世界はビビッドな新鮮さを失い、色彩も曇っていく。実際、うつ病者では色彩も影響を受けることが証明されている。今、世界は究極の管理社会に入ろうとしている。エデンの園のあの素晴らしい経験を心の奥底に沈めたまま・・・。

しかし、イエスは神のサブスタンスであるにもかかわらず、肉体を取り、アダム系の創造に終止符を打ち、新しいキリスト系の人類を生み出してくださった。アダム系のトラウマ経験はDNAレベルにも及んでいるが、キリストはそれをキャンセルしてご自分の義と祝福をDNAレベルで回復してくださった。つまりキリストはかつてのエデンの園の記憶を新しい人類であるわれわれに与えてくださるのだ。否、エデンの園を越える永遠の神の国のリアリティーだ。それは旧くて新しい記憶だ。彼はまことのギヴァーとして・・・。

リアリティーとは何か。自分の五感で得たリアリティーなどはフェイクなのだ。まことのリアリティーがどこにあるのか。それは霊によってのみセンスされる世界。この作品、愛が信仰と希望を生むとか、けっこう聖書的にハマっている。私の新著のテーマとも十分絡んでいる。お薦めだ。

 

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