三島由紀夫の予言の成就
- 2015/10/23 09:11
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:社会, 独白
- Tag:三島由紀夫, TPP
1970年11月25日、三島が腹を切った。当時中学の私は図書館の新聞でその凄惨な現場の写真を見てショックを受けた。自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーで決起を叫ぶも、自衛隊員からはヤジと罵声を浴び、諦めた彼は総監室に籠り、割腹。傷は深さ5cmにおよぶものだった。弟子の森田が介錯したが、三太刀でようやく首が離断。その後森田も切腹し、別の弟子が首を落とした。
なんだこれ!?当時は全く理解不能。その後、私も中学の真綿で首を絞められて窒息しそうな得体の知れない雰囲気に耐え切れず、「檄文」を書いて放送部に乗り込んで全校放送させたりもした。自分の文章がスピーカーから流れるのを何か他人事のように白けつつ聞いていた自分を覚えている。あの耐え難い窒息感は何だったのだろう?今、私の内に三島と共鳴する部分があることを感じているのだ。
このニッポン、究極の管理社会、主権国家たる実質を奪われ、唯々諾々と米の植民地と化しつつある。 三島がこう予言していた。
日本はなくなって
その代はりに、
無機的な、からっぽな、ニュートラルな
中間色の、富裕な、抜目がない、
ある経済的大国が
極東の一角に残るのであらう。
彼は身長も低い虚弱な身体にコンプレックスを感じ、ボディビルで隆々たるそれを得た。典型的ナルシスト。切腹は彼の究極のナルシシズムの表現だったのだろう。一節ではホモだったとも言われている。その筋肉こそが彼の生きる証であったのかもしれない。最期に味わった肉体の激痛。彼は死によって自分の生を確認したのだ。まことにフロイトのエロスとタナトスの体現ではあった。
今、彼の「檄文」を読むと、まことに時代を見透していたとわかる。これだけ見えてしまうともはや日常に埋没してヌクヌクと生きることはできない。それは日常の奴隷となること、むしろ彼にとっては屈辱であり恥辱であったのだ。戦後70年、この70という聖書的に重大な意味を持つ数字の年。ニッポンは自らの主権と誇りを捨てた。私もイエスとの邂逅がなければ、三島と同様の自己破滅へと進んでいたと思うのだ。今年も憂国祭が近い。