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健全なマインドの霊

日本語訳聖書の致命的欠陥は、日本語的世界で御言葉を解釈する点、これは何度も指摘している。たとえば、第二テモテ1章7節(2Tim 1:7)-

というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。

これらを読んでその意味が理解できるであろうか?対してKJVではこうある-

For God hath not given us the spirit of fear; but of power, and of love, and of a sound mind.

直訳すれば、健全な思いの霊だ。そこから派生して、自制とか慎みとなる。まず原義をとらえる必要がある。マインドが健全であること。これは世のスタンダードあるいは常識に従うことではない。神のみ言葉のスタンダードに従うこと。ゆえにパウロはこうも勧める-

そしてあなたがたは、この世と同じ姿かたちにされてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって形作り直され・・・Rom 12:2(岩波訳)

私の新著でも強調したことであるが、マインドのリニューアルあるいはトランスフォーメーション。これができないゆえに、ニッポンキリスト教は病んでいるのだ。そもそも聖書は五感でとらえるものではないし、私たちの生きる領域も五感の領域ではない。シックスセンスの世界である。その世界に覚醒すること。これなくしては元筑波大教授の小田晋氏が言うとおり、イエスは妄想病患者であり、聖書も妄想の世界を描いていることになるのだ。むしろ小田氏の感じ方の方が真実である。

2015年も11月。私の新著も全国発売になる。すでにご感想をいくつかいただいているが、これまでほとんど誰もがまともに言ってこなかった内容であることは間違いないであろう。新生命体として、自分のアイデンティティー、スタンス、アビリティに

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