フェイスとは
何度も繰り返しているが、「信仰」という単語はあまりよろしくない。日本語で聖書を考えるといわゆるニッポンキリスト教ができると指摘している。原語のpistis、英語のFaithは、別に使徒信条告白ぅ、「われはコレを信ず、アレを信ず・・・」と社是訓を唱えることではない。
今、フェイスとは願うことのサブスタンス(実体あるいは実体化)、目に見えないことの立証(証明あるいは現出)である。-Heb11:1(私訳)
スピリチュアルなサブスタンスをこの五感の領域、物理的時空間に現出させることなのだ。iPS現象は肉体的生命現象、Faithは霊的生命現象。その霊的 実体がこの物理的時空間において証明されること。これがフェイス。それは電磁波という物理的サブスタンスを目によって実体化することと同じ。霊的サブスタ ンスは霊によって実体化される。その霊の機能がフェイス、すなわちシックスセンスなのだ。
聖書を宗教本にすることなかれ。いわゆるキリスト教のマトリックスから解かれよ。それは所詮五感の領域のオハナシ。クルシチャンを産むだけ。まことに必要なのはフェイスの覚醒である。