神の国の分別の原則
- 2016/04/01 10:59
- Posted by Dr.Luke Karasawa (唐沢治)
- Category:信仰
- Tag:フェイス, 口, 言葉
持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。-Matt 13:12
同じ聖書を読んでいても、ある人とある人はまったく別の受け取り方をする。この聖句、ある人は「ハレルヤ、感謝します!」と叫び、ある人は憤りを覚える。「神は平等のはずだあ!」と。癒しについても、イエスの打たれた傷によりわれわれは癒されたと語ると、ある人は「主よ、あなたの打たれた傷を感謝します!」と賛美を捧げ、ある人は鼻息を荒くして、「癒されないのは信仰がないというのかぁ!」と憤る。彼らの生きるリアリティーが全く異なるのだ。かくしてこのマタイの言葉が成就する。神の責任?アブソリュートリー・ノーだ!人の魂のマインドの歪みがその差を生むのだ。
日本基督教団のある牧師が私の本『神の新創造-聖書が啓示する自然法則を超えるマインドのパワー』をたまたま読まれたそうだ。で、その感想。こんな世界がほんとうにあるの???とややビックリしていたとか。・・・はあ、あなたにとっての聖書って何なの?とお聞きしたくなるが、これが現状。ちなみにこの牧師はレビ記の御言葉を引きつつ、憲法9条遵守を説教しているお方。いわゆるもろ左巻きの人。まあ、極私的には縁なき衆生とも思っていたが、神は案外こういった人々を霊的に覚醒されるかもしれない。私の物差しで測ってはならない。まことに
すべての道で主を認めよ、そうすれば主はあなたの道をまっすぐにされる。-箴言3:6
あなたの、そして私の道を決めるのは我々自身の口の言葉だ。まことに人は心にあることを口が語るとあるとおりだ。
死と生とは舌に支配される、これを愛する者はその実を食べる。-Prov 18:21
端的に言って、フェイスとはわれわれの口にあるのだ。そしてそれによってわれわれは分別されるのだ。