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渇きを覚えることの幸い

高齢者がさほど熱くない日に脱水症で死ぬことがある。彼らは自分の喉が渇いていることに気がつかないのだ。クリスチャンも渇きを覚えなくなったら、その霊的いのちは終わっている。世のことや、自分の趣味や、自分の能力や、自分の達成にかまけるようになると、それ自体が表面上渇きを満たすかのように錯覚するのだ。自分は潤っている、自分は満足している、自分は人生を右肩上がりで謳歌している・・・と。

涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求める。神に、命の神に、わたしの魂は渇く。-Ps 42:2-3

渇きを覚えること、主に渇くこと。これはわれわれの霊的いのちにとって、もっとも重要なこと。それはいのちの正常さの証明なのだ。西城秀樹も長嶋も、水分補給をせずに過酷な減量エクササイズで今の状態を招いた。渇きを無視すること、あるいは感じないことはいのちに関わるのだ。サマリヤの女のように、世の水を飲む者はさらに渇く。ジーザスの与える水はまさにその渇きを止める。が、ますます主ご自身に対する渇きは増し加わるのだ。まことに、今、渇く者は幸いである。

だれでも渇く者はわたしの元に来て飲むがよい。-John 7:37

マイ・スピリチュアル・ジャーニー、すべてはここから始まった。

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