Winter Faith Camp 2017 @Kurumayama

ファスティング&セブレーションを楽しんできます。

 


You may also like

1件のコメント

  1. 五感が伝えてくる情報にリアリティーはない。(脳内のクオリア)
    過去にもリアリティーはない。(自分のマインドが勝手に作った解釈)

    目で見ることも出来ず、耳で聞くことも出来ず、
    思い巡らすことも出来ないものを、
    お前は信じることが出来るか?
    でも、それがフェイスなのだと思う。

    私たちは肉体ではない。私たちは過去ではない。私たちは状況ではない。
    霊から生まれたものは霊なのだから、
    私たちは、人間を体験している、霊的存在なのだと思う。

    だけど、私たちを表す言葉はない。
    言葉は概念でしかないから。
    あらゆる言葉は、本当の自分を表すことはできない。
    だから、私たちの本当の名前は、I am that I am.
    としか、呼べないのだと思う。

    結局、右足(五感が伝えてくるリアリティー)に軸足を置いているか、
    左足(キリスト)に軸足を置いているか。

    ふつう、私たちは、右足に軸足を置いているから、
    自分の生活を見ていても、必ず恐れの霊が入ってくる。
    知識として身につけても、肉体と自分を自己同一化している自分がいる。
    過去と自分を自己同一化している自分がいる。五感の世界にリアリティーを置き、完全に巻き込まれている自分がいる。

    生老病死の世界に軸足を置いているから、生老病死の世界がリアリティーとなって恐れおののく。あなたの信じたとおりになるように。

    でも、イエスは違う。
    つねに、左足に軸足を置き、右足の世界を眺めている。
    イエスは、決して、自分のアイデンティティーを見失うことはなかった。

    肉体のこと、経済状況のこと、などなど、現実世界はいろいろなものを見せつけてくるかもしれない。でも、それらに騙されないで、どれだけ左足に軸足を置けるかが試されている。

    私たちは、既に得ている。既に満たされている。病気になどなりようがない。既に幸せである・・。なぜなら、私たちは神の子であり、神をそっくりそのまま受け継いでいる存在だから。

    現実がどうであれ
    (そもそも、君が、かたくなな心で現実だと思っているものは、実は現実ではない!)
    真のアイデンティティーに軸足を置いていると、
    世界が変わってくると思う。
    キリストが私たちの世界に浸透してくると思う。
    花園になってくると思う。
    あなたが信じたとおりになるように。

    よちよち歩きではあるけれども、
    真のアイデンティティーを見失わないようにしたい。
    フェイスによって生きたい。
    うろたえるな、おそれるな、だまされるな。

    君は、この世界のマトリックスから出ることが出来るか?
    お前はキリストである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です