五感が伝えてくる情報にリアリティーはない。(脳内のクオリア)
過去にもリアリティーはない。(自分のマインドが勝手に作った解釈)

目で見ることも出来ず、耳で聞くことも出来ず、
思い巡らすことも出来ないものを、
お前は信じることが出来るか?
でも、それがフェイスなのだと思う。

私たちは肉体ではない。私たちは過去ではない。私たちは状況ではない。
霊から生まれたものは霊なのだから、
私たちは、人間を体験している、霊的存在なのだと思う。

だけど、私たちを表す言葉はない。
言葉は概念でしかないから。
あらゆる言葉は、本当の自分を表すことはできない。
だから、私たちの本当の名前は、I am that I am.
としか、呼べないのだと思う。

結局、右足(五感が伝えてくるリアリティー)に軸足を置いているか、
左足(キリスト)に軸足を置いているか。

ふつう、私たちは、右足に軸足を置いているから、
自分の生活を見ていても、必ず恐れの霊が入ってくる。
知識として身につけても、肉体と自分を自己同一化している自分がいる。
過去と自分を自己同一化している自分がいる。五感の世界にリアリティーを置き、完全に巻き込まれている自分がいる。

生老病死の世界に軸足を置いているから、生老病死の世界がリアリティーとなって恐れおののく。あなたの信じたとおりになるように。

でも、イエスは違う。
つねに、左足に軸足を置き、右足の世界を眺めている。
イエスは、決して、自分のアイデンティティーを見失うことはなかった。

肉体のこと、経済状況のこと、などなど、現実世界はいろいろなものを見せつけてくるかもしれない。でも、それらに騙されないで、どれだけ左足に軸足を置けるかが試されている。

私たちは、既に得ている。既に満たされている。病気になどなりようがない。既に幸せである・・。なぜなら、私たちは神の子であり、神をそっくりそのまま受け継いでいる存在だから。

現実がどうであれ
(そもそも、君が、かたくなな心で現実だと思っているものは、実は現実ではない!)
真のアイデンティティーに軸足を置いていると、
世界が変わってくると思う。
キリストが私たちの世界に浸透してくると思う。
花園になってくると思う。
あなたが信じたとおりになるように。

よちよち歩きではあるけれども、
真のアイデンティティーを見失わないようにしたい。
フェイスによって生きたい。
うろたえるな、おそれるな、だまされるな。

君は、この世界のマトリックスから出ることが出来るか?
お前はキリストである。

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